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長いあごひげのある歴史上の人物といったら誰を思い浮かべるだろうか。関羽、後醍醐天皇、レオナルドダヴィンチ、板垣退助……いずれ劣らぬ見事なヒゲである。私は、まずこの人が浮かぶ。武内宿禰一時期、日本国紙幣の一円札に描かれていた人物だ。ただし、1958(昭和33)年に発行停止になっているため、私はその実物を見たことはない。ただ、武内宿禰は歴史上の人物かといわれると微妙だ。現在のところ彼は、実在しているかわからない伝説上の人だからだ。この人、戦前までは諸般の事情で超有名人だったはずだが
倭建命(やまたたけるのみこと)の熊襲征伐櫛田神社の飾り山笠(2025)は、ヤマトタケルノミコトの熊襲征伐が描かれていた。ヤマトタケルノミコトは香椎宮の祭神・仲哀天皇の父親、応神天皇の祖父に当たるので今回のブログで取り上げた。櫛田神社(表)倭建之征西人形師:小島慎二櫛田神社の飾り山笠は、解説板に人形(人物)の名が説明されていない。”倭建命(やまとたけるのみこと)の西征”とは熊襲征伐のことなので、飾りの中の状況から想像できる人物名を書いてみた。左下の人物名が判らなかったのだ
駐車場でバスを降りてしばらく歩く。四阿屋神社(あずまやじんじゃ)佐賀県鳥栖市牛原町1385えつ、これで「あずまや」って読むの⁉「四阿」の「阿」は棟の意味で、四方に軒を下ろした寄棟で壁が無く4本の柱で屋根を支えた建物で、東屋(あずまや)と同じ意味よ。本来は「四阿」だけで「あずまや」と読むわ。駐車場から歩くのも素敵な場所だった。「四阿屋遊泳場」と書いてあった。半天然のプールなのね川を渡った先に神社。由緒の概要景行天皇筑
仁科濫觴記は仁科宗一郎氏の解釈によれば平安後期に残っていた伝文を記録したものであり、その後江戸時代に至り追補されたことが認められるとしている。崇神天皇末の皇子仁品親王陵墓とその後の神事についてこの安曇平が海抜700mを境にして広大な湖だと称しているのは信濃国安曇開基、信府統記旧俗伝新撰仁科記などにあり、時代は景行天皇12年、ある大雨の年の満水時、犀竜小太郎が現れて山清路の谷の巨岩を穿って、水内の橋下の岩山をも破って、安曇の湖沼の水を一気に下流へ流したことが記されている。仁
[尾張国知多郡]羽豆神社鳥居が建稲種命の亡くなった海に向けて立つ。■表記*紀…(登場無し)*記…建伊那陀宿禰*「先代旧事本紀」天孫本紀…建稲種命*「尾張太神宮縁起」…建稲種命■概要宮簀媛の兄。景行・成務天皇に仕え、日本武尊東征時の副将軍を務めた(記紀の記述は異なる)と伝わります。◎天火明命十二世孫(異説あり)。父は尾張国造とされる乎止與命、母は参河湾を支配していたとみられる尾張大印岐(オワリノオオイミキ)の娘である眞敷刀俾(マシキトベ)。この間に建稲種命と宮
永世神社2024年10月27日(日)参拝ながよじんじゃ住所:佐賀県鳥栖市永吉町452−10ねこまんまさんと中冨記念くすり博物館の帰りに寄らせていただきました以前から社名に惹かれるものがありしるしを付けていました鳥栖市は1954年に制定した比較的新しい市ですが歴史は古く、ヤマト政権時には既に「鳥巣(とりす)」と呼ばれていたそう古文書「肥前国風土記」によると「応神天皇の御代、この地に鳥屋が置かれた」とあり様々な鳥を飼育して献上していたことから「鳥巣」と称して