ブログ記事205件
2025年5月26日近畿日本鉄道・宇治山田駅僕好みの駅舎建築物と思っていたら昭和6年の建築物なんですね。どうりで装飾が美しい。玄関の装飾、南海の難波駅ビル設計者と同じ久野節という方の設計だそうで、どこか見たことある装飾だと主思った。いやはや素晴らしい美しさ。日本はもっとこういったやかましい装飾を見直すべきですな。日本人の古来の美意識が建築に生かされているいい例は全国に未だ残ってますのでな。このライトケースがまたしゃれている。後方の摺りガラス部分はなんでしょうか?気になりますな
1972年(69年?)竣工大谷幸夫さん40歳過ぎ頃の作品(大谷研究室)集合住宅シリーズ第20弾は、50年経過してまだまだ圧倒的な存在感を魅せるこちらの建築で(゚∀゚)/施工は大成建設さん、構造形式は鉄骨鉄筋コンクリート造14階建及び9階建。13.7haに及ぶ広大な元工場跡地に建設された高層住宅団地(cf文化庁近現代建造物緊急重点調査(建築)よりカコイイ(゚∀゚)/繰り返しってデザイン、規模が大きかったり長かったりすると、すごく面白いで
住宅シリーズ第7弾は、ちょっと毛並みが違う作品をご紹介(´┐`)アントニン・レーモンドさんが、西麻布に1951年に建てた2度目の自邸が気に入った高崎の井上工業の井上社長が、図面もお借りして大工さんに実測してもらい造ったのが、こちらの旧井上房一郎邸だそうです(他ブログよりの情報深い軒先に樋を付けずに、雨垂れが落ちるところに小石を敷き詰めて。。レーモンドさんは、なんて日本をわかっていらっしゃるんだろう。。って感じですよね(゚∀゚)/内部の写真は行方不明です
1966年完成。東孝光さん30歳の頃の作品(゚∀゚)/敷地面積20㎡に建てた5階建て。。いわずと知れた都市型狭小住宅を極めたヘリテージモノです(゚∀゚)/坂倉準三建築研究所時代に自分の家を設計し建てて話題をかっさらい、独立したと(wiki。。建築に関わる者なら誰でも夢見る道かもしれません。(゚∀゚)/素晴らしい。中の垂直空間も素晴らしい様です(写真やインタビュー記事でしか見ることはできませんが(´┐`))これは2011年頃に撮った写真です。サーブがぎり
1991年竣工とのことなので、もう35年ほど経つ物人建築。髙﨑正治さんの35歳辺りでの作品。ご自身のアトリエとのことです。経年しているせいで遺跡のような風格が出ています。ゾクゾクしますね(´┐`)外から見ただけで小宇宙を感じます。中は凄いことになっているんでしょうね。詳しくは下記文化庁リンクへ道路から歩きながらチラッと見るしかありませんでしたが、私的には満足かな。こんな形で見させていただくのは大変申し訳ありませんが。。(´┐`)住宅シリー
毛綱毅曠さんシリーズ第6弾。1972年竣工、もう50年過ぎてますね。毛綱さん30歳前ごろの出世作。。(´┐`)出世作でもあり問題作でもある本作品、毛綱さんのお母さんの住居として建てられました。玄関の表札には毛綱毅曠建築事務所釧路事務所とか書いてあったような。。。。(´┐`)これは1996年頃の写真です。室内にはこれと同じ形の箱があって、そこがまた部屋になってる感じ。マトリョーシカが3つあるみたいなの。住宅は基本載せないんだけど、もう観光名所みたいになってるよ
毛綱毅曠さんシリーズ第5弾。1995年竣工毛綱さん50歳過ぎごろの作品?。。(´┐`)平成バブル期でお金もあったし、どーんとデザインできたのが、この弘前のデパートだったということですね(´┐`)。。出来た時の存在感は凄かっただろうなあ。。あまりこういう色使いや意匠デザインは、これまでの弘前には無かったでしょうから。。いや、知らんけど。。(´┐`)中三と毛綱さん、何かつながりがあったんだろうか。。2011年に経営破綻して。。色々あったんでしょうけど。。2
毛綱毅曠さんシリーズ第4弾。。(´┐`)1988年竣工これも毛綱さん45歳ごろの作品でしょうか。。(´┐`)この写真を撮ったのは、2012年頃。。12年も前なんですね。。(´┐`)休日の夕方だったから誰も居ない学校。。時計を見ると17:30ぐらい。。なんか、時が停まったような感じ。。なんつて(´┐`)。。結局今は、男鹿市立美里小学校になっているようです。。(´┐`)1956年払戸・潟西両村合併により琴浜村立鵜木小学校↓
毛綱毅曠さんシリーズ第3弾。。(´┐`)1989年竣工毛綱さん45歳ごろの作品でしょうか。。(´┐`)結構好き放題やっちゃってる感がありますが( ̄∇ ̄)ハッハッハ鉄骨で組んだ、この天使の羽みたいなの、いるんか?みたいな話、当時は出たんだろうかなあ。。いや、いまさらながら見ても、デカいですね。この施設。。今の今までよくもってるなあ(´┐`)ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイいろんなもの壁にくっついていますが。。夜光ったりするんかな?(´┐`)竣工
1984年竣工毛綱毅曠さん40歳ごろの作品。。釧路市立博物館も、同じこの時期の開館。。波に乗ってたんでしょうねえ(´┐`)この頃。。バブル期だったし遠目から見ると、神殿みたいなイメージがありますが。。(´┐`)規模的には小さめな感じ。。内部はこんなん(゚∀゚)/よく創ったなー( ̄∇ ̄)ハッハッハちょっとわかり辛いですけど、あの段々になってるところの上からも光が射す。。みたいな。。(´┐`)建物のコンセプトがね。。結構
村野藤吾先生シリーズ第10弾。。(´┐`)波打ち際のような素晴らしいホール。。ここ、建物の中ですよ。。1990年開館の作品なので、御大が亡くなられてから6年後の作品ということに。。村野・森建築事務所の作品といった方がいいのかな?しかしもう、既に、現存していません。。(´Д`;)磯子の駅近くからだったかなあ。。山の上にドーンと見えたのって。。(´┐`)もう忘れちゃった。。1990年にできて、2006年に営業終了て。。16年しか使っていないですやん。。
村野藤吾先生シリーズ第9弾(゚∀゚)/御大、80歳過ぎでのこの作品。1975年開館、2011年閉館と、36年の命だったケンチク。。(´Д`;)短命な建築ってホント残念だなあ。。経営統合によって本社が東京に(JFEスチール)そのためこちらは解体と。。川崎製鉄(現JFEスチール)の初代社長である西山弥太郎の顕彰のための施設だったようで(wiki多目的ホールや大ホール、記念室などがあったということです。。(´┐`)そんなに大きく見えないけどねー(´┐`)。。
村野藤吾先生シリーズ第8弾(゚∀゚)/やっぱりここですよね。千代田生命本社ビル(゚∀゚)/1966年の竣工。。村野さんが75歳ぐらいでの作品(´┐`)生命保険会社の本社ビルとか一般の人なら入れない空間が、目黒区の粋な計らいにより区役所の庁舎に。。(´┐`)ありがたや~~この外壁パネル版(アルミ鋳物)の連なりが美しいこと。。(´Д`)ハフンハフントイデジで撮ったやつ前も載せたけど、これはCONTAXのTVSデジタルで撮ったやつさいころ石もカ
村野藤吾先生シリーズ第7弾(゚∀゚)/1963年の竣工。。村野さんが72歳での作品(´┐`)ううむ。。素晴らしい。。阪急うめだ本店のファサードをバックにした、何かの彫刻作品の様デス。。(´┐`)遠くから見るとこんな感じ、道路に挟まれています。(´┐`)手前側の道は交通量がそんなに無いのかな?前も記事にしたんだけど、村野さんシリーズに合わせて再掲(゚∀゚)/せっかくだしこのアングルだと、3D感が凄い(´┐`)。。まるで鉄が生きているようだ(ムス
卒業して入学式まで暇な息子から、昭和の学校建築を見学したい、と珍しく要望がありました父ちゃんは仕事明けで疲れてましたが、車じゃないと行きにくい場所なので、息子とふたりでデルタ3ドライブ茨城県大子町の旧上岡(うわおか)小学校へここは朝の連ドラ「花子とアン」等ドラマや映画の舞台になっている。坂道系アイドルグループの撮影等で有名らしい二の金ノスタルジックな佇まい校舎と講堂を繋ぐ渡り廊下昔の木造温泉宿の増築に似ている校舎正面玄関から入ると大正3年〜平成13年閉校までの卒業生写真が
村野藤吾先生シリーズ第6弾(゚∀゚)/1988年の竣工。。というと、村野さんが93歳で亡くなったのが1984年なので、この作品はスケッチなどを基にスタッフさんが作品として残した感じでしょうか(´┐`)。。中はそんなに凝っていなかったように感じました。アレかなあ。。外観のイメージだけ描いて、内観のスケッチとかは描いていなかったのかなあ。。(´┐`)知らんですけどね。。糸魚川の谷村建設が、中国庭園と日本庭園を干潟を埋め立てた場所に造った天寿園。。(´┐`
村野藤吾先生シリーズ第5弾(゚∀゚)/1982年竣工。ということはもう40年以上経ってるモノですね(゚∀゚)/谷村美術館と同じくらい?村野先生が90歳前ぐらいの作品。。ホント。。素晴らしい。。この連続する白亜のバルコニー、足元の曲面の処理の可愛らしさに、そして高輪という名前にビビったっけなあ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ内部も素晴らしい。。。エントランスホールの「うずしお」に大宴会場「飛天」だっけか?見たかったなあ。。(´┐`)いや、今もバリバリ
村野藤吾先生シリーズ第4弾(゚∀゚)/66歳を迎えるこの建物、ここはどの部分でしょうか??(゚∀゚)/ここ、公会堂ホールの側面を見たところでした(゚∀゚)/面白いというかカワイイ意匠ですよね(゚∀゚)/米子市公会堂は1958年の竣工。旧横浜市庁舎はこの次の年、1959年の竣工、村野先生65歳の頃、この頃すごい勢いで作品創っていましたね。(´┐`)よく見るアングルはこちら(゚∀゚)/ブラジルの教会、グランドピアノがモチ
村野藤吾先生シリーズ第3弾(゚∀゚)/旧横浜市庁舎は1959年の竣工、村野先生65歳の頃の作品でしょうか。。(´┐`)新しい横浜市庁舎(8代目設計槇文彦+竹中+NTTファシ他)が、別場所で2020年に竣工し、ここはどうなるのかと思ってたら、跡地は再開発され、行政棟のみ保存・活用される予定であるそうです(wikiへー。。(´┐`)そうだったんだ~村野さんといえば、階段、手すり、タイルとか色々。。ここも素晴らしい意匠でした(゚∀゚)/も
前回、谷村美術館を出したので、ここいらで村野藤吾先生の作品をちょいとご紹介(゚∀゚)/日本ルーテル神学大学は1970年に開学ということで、村野藤吾先生79歳前の時の作品。。(´┐`)またもやご高齢での。。(´┐`)もうすぐ80歳や~ん。。トイデジで撮るとこんな感じ。。(´┐`)アングルがずれてるけど。。_| ̄|○道路からちょっと入って見て撮っただけなので、中は見ておりません(´┐`)カタチがカコイイ(´┐`)。。つうか、ここ、中とか
ミュージアムシリーズ第31弾(゚∀゚)/1983年開館、村野藤吾先生90歳ぐらいの時の作品。。。ええええ???90歳??そうなのです。村野先生はご高齢になっても創作意欲は衰えず、93歳で亡くなる前日まで仕事をされていたという(wikiああ。。芸術家の鏡です。。(゚ーÅ)ホロリ美術館の入口に石膏で創ってたような模型がありました。。資料室にはスタディ模型とかも沢山飾られておりました。一発で形態を決めたのかと思ったら違ってて、大先生でも案を重ねて重ねて
吉田カレーを堪能した後は荻外荘(てきがいそう見学へ荻外荘公園|荻窪三庭園荻外荘は、1927(昭和2)年に大正天皇の侍医・入澤達吉の別邸として建てられ、その後本邸として住まわれました。設計は建築家の伊東忠太です。1937(昭和12)年に入澤より譲り受けた政治家・近衞文麿が移り住み、さまざまな政治の舞台となりました。2016(平成28)年に国の史跡として指定されました。ogikubo3gardens.jp荻外荘公園、角川庭園、大田黒公園を荻窪三庭園と言うそうです荻窪は、大正から明治にか
こちら芹沢銈介美術館も松濤美術館と同じ頃、白井晟一さん75歳くらいの作品でしょうか。1981年開館。。ああ、そういやあ、ミュージアムシリーズ第27弾です(゚∀゚)/芸術家でもあり哲学者でもあった白井さんは、開館後の1983年に亡くなっており、没後40年も経つのですね。。白井晟一建築研究所はご家族で継承されているのでしょうかね(´┐`)。。柱や柱脚、壁の石積みの深い陰影、素晴らしいですねえ。。(´┐`)こちらの施工は大成建設さんのようですね。
昭和建築瓦耐久年数あると思うTobor-toiawase防水処置ももうね結構何十年目でギブ分かったか雨漏り気になってにんばらんと思います康雄の親戚呉が9課上間
ミュージアムシリーズ第18弾です。(´┐`)北斎ときたら次は広重ですよね(゚∀゚)/広重美術館は日本にたくさんあるみたいですけど、ここ那珂川町の馬頭広重美術館は2000年の開館ということで、隈研吾さんが40歳前半ぐらいでの作品で、村野藤吾賞をもらっているところです。。いかにも日本の竹林と杉の木ルーバーのコラボが美しく、SNSなら映え写真が撮れるところなんでしょうけど、この写真を撮った時は2006年、もう既に一部は朽ちていました。。。(´Д`;)昨年、大々的にニ
1964年開館、今年で60歳越え・・建築家は佐藤武夫さんで、60歳過ぎ頃の作品です。2029年度には新福岡県立美術館が造られるとのことで、それまでの命なのかなあ。。(´┐`)全体像はこんな感じ。。ミュージアムシリーズ第16弾ですね(゚∀゚)/遠くから見ると、濃いこげ茶っぽい外壁に白いバルコニーがぽつぽつと。。結構目立ちます。ピロティ軒天が昭和な感じがしますね。アクセントのタイルもかわゆす。。(#´┐`#)上の写真のキャッチーな
ミュージアムシリーズ第14弾・・というか、ここはアレか。個人のアトリエなんですかね?記念館に近いのかな。。(´┐`)知らんけど。区立の建物なんですねコレ(´┐`)。。しかも、朝倉文夫さんが自ら設計した(゚∀゚)/と。。サイトに書いてありました。まあたまには、建築家の設計したやつじゃなくても載せちゃおう。面白い建物だし。細部にわたっていろんな仕掛けがしてある。。みたいな?(´┐`)確かに細かいところになんやかんや自分の作品がありましたわ。屋上の階
1998年の竣工、原広司さんが60歳ぐらいでの作品。京都駅ビル辺りと時期的には一緒なんでしょうかね?(´┐`)まだ25年経ったぐらいなのか~(´┐`)もっと経ってるような気がしますが・・このトイデジ写真は、2011年の大震災後の4月頃撮ったんだっけか(´┐`)。。エントランス入っていくとこんな感じ。。これ??図書館なの??ってみんな思うべなー(´┐`)この横たわった楕円の円柱は、出たり切れたりしてずーっと奥まで続くイメージ(´┐`)谷み
原広司さんの訃報を聞きました。88歳とのこと。ご冥福をお祈りいたします。ミュージアムシリーズ第13弾がこんな形での紹介になってしまうとは。。。(´┐`)末田美術館は1981年開館、原さんが40歳過ぎ頃の作品でしょうか。黒い外観で今の作風とは違う感じもします。メタリックで雲の曲線や山の三角などの自由な造形な雰囲気系の、田崎美術館やヤマトインターナショナルのような形態になるのは、これの5年後くらいなのかなあ(´┐`)。。2005年に見に行った時の写真です。湯布院に
1982年竣工菊竹さん50歳過ぎ頃の作品でしょうか(´┐`)。。ミュージアムシリーズ第12弾。時期的には出雲大社神祜殿とか福岡市庁舎議会棟とかと同じ時期あたりの竣工のようです(wiki)おとなしめな外観のカタチや、煉瓦タイル調の打ち込み貼り方とか、前川國男さんの熊本県立美術館本館に合わせた感もありますよね(´┐`)。場所は離れているけど。。サイトを見ると改修工事中と書いてありますね。竣工後40年も経つので、大規模改修でもやってるんかな?(´┐`)。。道路の