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残暑見舞い申し上げます。お盆休みはあっという間でした。また、今年のお盆は台風一過でしたが、去年のブログ読み返していたらお盆も台風一過でした。さて、7月の城攻めはなぜか上越の方まで攻めていました。予定ではなかったのですが、これも縁です。軍神「上杉謙信」公に呼ばれたとしか考えられません。この時攻めた城と寺社(毎回お世話になっています、国土地理院ウェブサイトにあるGSIを使ってマッピング)春日山城周辺日本100名城「春日山城」、「春日山神社」は「春日山城」
8/13(日)所用を兼ねた新潟県上越市へのドライブ旅、3日目この日は、翌日からの台風影響で全国的に高速道路は渋滞予想よって、昼前には上越市を発つ予定で短時間のみ観光しました上越市内、少し外れのお寺へ林泉寺上杉謙信公ゆかりの地春日山城跡が近くでしたが、今回は時間の関係でパス春日山のウォーキングコース次回、季節の良い時にトライしたいです拝観料は500円也林泉寺は、越後守護代の長尾家の菩提寺謙信公が幼少期、修行した寺山門と仁王様見事な庭鐘楼蓮の花本堂「第一義
上杉軍の軍勢は1万3千、小出雲の先で二手に分かれ、本隊は冨倉峠越えのコースで川中島へ~7月15日、柳原公民館主催で富倉峠ウォーキングが開催され、横丁大家も上新田~冨倉峠掘割~関屋のそうめん炊き滝までの峠道を歩きました。この富倉峠は関田山脈にある16の峠の一つで、上杉謙信の軍用路としても利用された重要な街道だと言われています。現在は通る人も無く草に覆われている峠道ですが、当日はこのイベントのために、地元役員の「草刈り隊」の皆さんの草刈りの後、峠道を辿り歩きました。上杉謙信が、5回にわたる「
1578年3月上杉謙信逝去お墓は春日山城にある林泉寺にあります。後継者指名せずの突然死で上杉家は大混乱。跡目争い勃発争ったのは謙信の二人の養子。上杉景勝vs上杉景虎上杉景勝は謙信の姉・仙桃院の子。対する上杉景虎は北条氏康の子。北条から人質として上杉家に送られ後に謙信の養子となり、仙桃院の娘と結婚。義理の兄弟の二人は同じ年代、支持も二分。この二人の争い(御館の乱)の舞台へ行ってきました~最初の舞台となったのがすでに紹介済の春日山城。
歳とともに代謝がワルくなり横方向への急成長が止まらない"たかちむ"がお送りします(・∀・)ノシ時刻は11:30千葉を出発してからもう少しで12時間そろそろカラダのほうも燃料補給今回の旅の目的と言っても過言では無い上越市のニューハルピンさんへ着ドンチョースケ(ラーメン)とブタメシをいただき食後は®️仲間のマスターと熱談w楽しい時間をあざッス(*゚∀゚*)で山登り前にもうひとつ寄り道…ってあれ⁇春日山城跡ものがたり館でお勉強の予定でしたが…イヤな予感ビンゴ(TωT)
前々からずっと行きたかった春日山城上越へ行った日は雨上がりで山城は滑るかも・・・。怖い翌日に予定変更して行ってきました~。良かった晴天の中での攻城ですまずは上越市埋蔵文化センターへ謙信公と春日山城展で攻城の予習します。予習の段階で大興奮。今から上杉家の春日山城だ~ワクワク気分で場所を移動します。赤丸の春日山神社駐車場へ。ここから→→ルートで攻城。春日山神社から春日山城を一周しますまずは駐車場から春日山神社へ。山城の洗礼であ
上越市埋蔵文化財センターにて…「日本100名城」のスタンプ押せなかったのは切なすぎるけれど“謙信公の義の心”を、またいずれかの機会に、五感で満たされることを期待して…今回、「日本100名城」のスタンプ押せなかったことはまた来いよと言うことなのかもしれない等と、勝手に都合の良いように解釈し、春日山駅へと向かいます久しぶりに歩いたので、意外と遠く感じますが、春日山城跡(上杉謙信の銅像)までは30分ほど歩かなければならないので、徒歩の際はご注意をさらにそこから、本丸までは、かなり傾
再びの新潟への旅路。上杉謙信の居城、春日山城跡にて🏯ここはかつて、戦国時代最強の武将と言われた上杉謙信の居城でもあります。難攻不落とも呼ばれた鉄壁の山城は、遊歩道が整備されていますが、中々の古道で、要所要所に往時の遺構が点在しています。山登りを始めた途端に振り出す雨、小雨ではあるが、どうにもならない程の雨男ぶりを発揮春日山城跡には、上杉謙信の養子・上杉景勝時代のブレーン直江兼続の邸跡もあり、「直江津」の名称が直江兼続と関連しているのが良く分かります。ここで少しだけ、春日山城を掘り下
雨上がりの海の宿で、昨日は朝ごはんでした。夫は早朝ジョギング、私は朝ヨガで、おなかぺこぺこ。鯖の味噌煮もごはんが進んで、私は久しぶりに4杯食べました。4杯目は、鯖の味噌煮に甘辛タレでお味噌汁もおいしくて、やっぱり日本の朝ごはんが1番!お昼は市場に行ったら、お店の方があれこれ試食させてくれて、おまけに、生のもずくをたっぷり入れたお味噌汁までサービスしてくれたので、市場内でできたてお寿司をテイクアウトして、食べました。地魚のお寿司も、さつま揚げ焼きもおいしくて、市場テイクアウト、大正解で
生涯で2敗しかしていない上杉謙信とは、戦国時代最強の武将にふさわしく、まさに「軍神」の名にふさわしい存在です。そんな上杉謙信と“縁”のある…春日山の麓にある林泉寺は、1497(明応6)年上杉謙信の祖父である越後守護代・長尾能景が父の菩提を弔うために、長尾氏の菩提所として創建したものです。上杉謙信は幼少の頃より、この林泉寺で天室光育(てんしつこういく)和尚に学び、後に益翁宗謙(やくおうしゅうけん)和尚から禅を学びました。上杉謙信の「義」を重んじる精神は、この寺で育まれたと伝えられて
第一義ときいて、毘と答えたみなさま、野望をお持ちですなぁ~!!そうです、義の国と言えば上杉謙信公でありますGacktの謙信祭りは、もりあがっただろうなぁ〜🔥ワタシ的には、阿部ちゃん謙信が脳内デフォルト✨そのお膝元に住む友人、藤壺の宮を訪ねて行ってまいりました。(なぜ藤壺の宮かはこちら→☆彡)まずは、枌そばで腹ごしらえ!!海藻を練りこんだお蕎麦はのど越しつるっつる藤壺の宮は数年前からこの地にお住みであり、お仕事の関係で史跡にも
28日次は100名城の春日山城です。広大な山城です。一時間かけて歩きました。疲れたのでこの日は子のまま宿に向かいました。
新潟県にある日本100名城と続日本100名城の城をまとめました。【春日山城】日本100名城No.32所在地新潟県上越市アクセス春日山駅から徒歩40分見どころ・上杉謙信公銅像。大河ドラマ『天と地と』の放映に合わせて建立された。・毘沙門堂。謙信が合戦の勝利を祈願したと伝わる。・監物堀。史跡広場に復元された総構の堀。近くには「ものがたり館」が併設されている。【鮫ヶ尾城】続日本100名城No.133所在地新潟県妙高市アクセス北新井駅から
北陸名城巡り、三日目は福井県から大移動して新潟県上越市の春日山城から。上杉謙信の居城で、あまりにも有名な場所。一体どんな場所なのか、興味津々でした。春日山城の築城時期、築城者とも不明ですが、16世紀後半越後守護代長尾為景が改修し、子の景虎(上杉謙信)により大規模に整備され、難攻不落の城が完成とされています。石垣が無く、自然の地形と土木工事により巡らせた空堀や土塁によって、多くの曲輪を守っていました。また、天守閣を持たず、周囲の山に砦を築いてより大きな城としての機能を持たせてい
こんにちは^^お越しくださいまして有難うございます(○v艸v*).+゚行って来ました「一生に一度は参れ善光寺」私の住む東京多摩地区から長野県の善光寺へは、圏央道→関越道→上信越道と進みます「せっかく上信越に行くなら!」と、一泊二日の戦国時代Tripを企画私、「歴女」とまではいきませんが、戦国武将LOVEなんです(〃ω〃)ぽ❤自宅出発は朝6:00高速道路をぶっ飛ばし、第一目的地に着いたのは1
GWは城巡りをしました。信州編に続き上越編です。https://ameblo.jp/sibawanko2015/entry-12801860979.html『GW城巡り⑵上田城・小諸城・高島城』GW城巡り信州編⑴からの続きです。https://ameblo.jp/sibawanko2015/entry-12801857660.html『GW城巡り信州…ameblo.jp①鮫ヶ尾城鮫ヶ尾城は、上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際に、敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知ら
3月13日、上田城攻略の後は再び北陸新幹線へ。上越妙高駅で乗り換え。乗り換えまでに時間があるので、駅の外へ。上越妙高駅の東口上杉謙信がいるのです。(旧名は長尾景虎)上越市内にはいくつも上杉謙信像があるらしい。駅との位置関係。改札の南東方向です。TVでよく見る上杉謙信これと比べると、この像は若いですね。米沢城(山形県)にある上杉謙信の像。これと比べても若い。上越妙高駅と駐車場の間にいます。背後から毘沙門天の毘
いつも読んで頂き、ありがとうございます。今回の旅は、長野から新潟です。仮眠を取りながら、長野県へ。道の駅安曇野松川から見る、北アルプス。ちょうど田んぼに水が入って、写る姿が大好き💕。いろんな手作り和菓子が並んでいました。「ヨセ」初めて見ました。「すあま」も関西では売って無いです。「お焼き」でなく、蒸しまんじゅうを購入。ほかほかで美味しそうだったのです。あんことなすを購入。あんこはこしあんであっさり、なすは味噌が効いていました。
上越ツーリング2日目昨夜は早くに記憶喪失AM5時半には目覚めるお風呂の脱衣場のオブジェ手造りでしょうか?一品モノに見えますひと風呂浴びたら朝の散歩トキメキ鉄道の車両が行く浜に出ると相変わらず風が強い波打ち際に目をやると白い泡が砂の上を舞っていきます波の華ですね宿に戻る一階の部屋に生け花よくわからないながら空間の演出の凄さは伝わってきますそして朝食シンプルですが朝にはこれが最高焼き魚はアジ案
「どうする家康」ハマってます(笑)その戦国時代に上杉謙信が居城とした春日山城複雑な地形を有効活用した山城とのこと。現在の最寄り駅が春日山。かつてはJR信越本線でしたが今は「えちごときめき鉄道」の駅この日は新年度初日朝の通勤電車がやってきました♪新社会人の皆さん。頑張ってね~新井始発で新潟へ走る「特急しらゆき」も回送されて行きました。旅先ではジョギングするのが日課となってます正面に見えるのが春日山です「本丸までマラソ
春日山城址の天守付近も御館の乱で敗れた景虎公の屋敷付近にも桜が咲いていますのんびりできるのもあと少しです動ける体には不十分のようで歩く気は十分でも足の甲の痛みは消えませんわかっています重いのです((+_+))178cm87kgは地球にも体にも家計にも「優しくありません」まずは、動ける体にします
新潟スタンプ旅に行ったのは1年10か月ほど前。写真を見返し思い出しながら、書いています。【スケジュール】1日目(前日入り)新潟→新発田城No.31→弥彦駅・彌彦神社→長岡2日目長岡→直江津→春日山城No.32→高田城→「まつだい農舞台」→越後湯沢→東京初日はあいにくの雨っていうか、天気がよかったことがここ最近全然ない新潟には前日入りしているので、朝からさっそく新発田城へ向かいます。JR新発田駅で下車、コミュニティーバスおやゆびひめ号(1時間に1本くらいしかない)で新発田城址公
遠山利景⑦「松代町史上巻」『時に(川中島)四郡の領民久しく武田氏に属して其恩顧忘れず、従って長可の入封を悦ばざる結果、水内郡三水村の土豪芋川某等之が巨魁となり、烏合の衆一万を率い海津、長沼城の修築工事未だならざるに乗じ竹槍、蓆旗を押し立て喧囂鬨を揚げて四月七日先ず長沼城に迫ると聞き長可は兵三千を率いて急行して之を防ぎ戦うべく先ず二千を伏し一千を陣頭に進め僞り敗れて退く、一揆の諸豪謀られるとは露知らず勝ちに乗じて追跡すれば、突如として二千の伏兵左右より起こり短兵急に突いて
3月も後半、だんだんと春めいてまいりましたね。二泊三日にて富山に行ってきました。北陸、さぞかし寒いのかと思いきや東京とほぼ気温も変わらず、天候にも恵まれ行きたかった所、制覇できました。ではまず東京から北陸新幹線はくたかで最初の目的地、上越妙高へそこからえちごトキめき鉄道はねうまライン(長っ)で春日山駅へ上杉謙信の居城であった春日山城春日山全体が謙信ゆかりの歴史史跡となっており本来ならば、一日かけてじっくり回るべきなのでしょうが💦今回は富山旅行途中の立ち寄りと
2023・2月訪問朝一で富山魚津のネカフェを出発して。坪野鉱泉。北陸随一の心霊スポットと言われてますがさすがに夜に来る勇気がなかったのでまだ霊も寝てる早朝に笑そして日本海沿いをひたすら北上し新潟入り。親不知海岸。そしてヒスイ海岸。この時期の日本海らしい寂しい風景が続きます。そして上越に入って春日山神社。雪の中をかけわきながら山頂に辿り着き春日山城址。戦国期に軍神と呼ばれた上杉謙信の居城。生涯戦いに明け暮れた謙信ですが最後は戦場
これは城とか一部の自社仏閣巡り。……いや、それこそ年寄りの趣味やん?みたいなイメージがあるかも知れぬが、そもそも城→防御施設寺→宗教施設であり、前者は防衛の観点から、後者は世俗との繋がりを断つ修行の場として、山頂などの非常に行き難い場所に建てられている場合が多いのだ。まあ、百聞は一見にしかず。先ずは城だ。出雲尼子氏居城月山富田城址(島根)こんな感じで、殆ど山。本丸の跡地に来る頃にはヘトヘト。良い眺め……つまり、かなり登る。越後上杉氏居城春日山城址(新潟)さっき以上に、T
朝一で魚津のネカフェを出発し。予想通り朝からどんよりですが立山はまだ綺麗に。坪野鉱泉。北陸一の心霊スポットと言われてます。映画牛首村のロケにも使われました。さすがに怖いので中に入る勇気も時間も長靴もない笑そしてここから一気に新潟に入って親不知海岸確かあまりにも道が断崖絶壁すぎて親と子が離れ離れになったとかどうとか知らんけど笑旧国鉄の線路跡。そしてヒスイ海岸富山の朝日から新潟の糸魚川あたりにかけての海岸沿いは翡翠の産地でもあります。そ
上杉謙信の居城春日山城何回目の訪問になるのだろうか今回は悪天候ということもあり日本100名城のスタンプのみの訪問初訪問時お城巡り初心者だったクラフトおたく2号真夏の暑い日サンダル履きで巡った初山城現在ほど道も整備されておらず生い茂った草をかき分けながら歩いた記憶が懐かしい山全体が土塁や空堀de要塞化された難攻不