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--------------------------------------------2024年発奮しすぎて、今日は疲れました。ゆっくり休みます。--------------------------------------------2023年発奮・・・何かに刺激されたことによって精神を奮い起こすこと。仕打ち・・・他人に対する振る舞い。人の取り扱い方。多く悪い意味に使う。確かに発奮しなければならない状況に追い込まれたほうがよいのかもしれません。なんでも揃っているという
またどうでもいいような歴史の話ですので、興味のない方はパスして下さい。前回のブログで、NHK出版(だと思う)が発刊した「歴史への招待」にちょっと触れました。その時に、自分のハードディスクの中で、「歴史への招待」のことを探していたら、こんなのをコピーして保存していました。家康の本を読めば必ず出てくる三河からの重臣:大久保彦左衛門。通称「彦左」です。彦左衛門が自分の子孫のために残したとされる三河物語。その中の一部に書かれていた文を現代語で書いた、「当世、出世する武士」そこか
明智光秀と織田信長虚実現在、明智光秀の実像は江戸時代の講談から一歩も出ていない。江戸時代の講談の内容そのままで、歴史屋は全く研究していない。その講談では、「明智十兵衛は浪々の生活をしていたから、ある日客を招いたが、そのもてなしに、はたと困った。ところが手ぬぐいを姐さん冠りした妻女がいそいそと酒や肴を出してくれて、それで客に対して恥をかかずに済んだ。が、さて客の帰った後で、『今日の食事に事欠く我が家の暮らしに、よくも銭の調達ができたものよな』と十兵衛が不思議がれば、妻女は、無言
福知山城は京都府福知山市にある平山城で、福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍(がりょう)城とも呼ばれています。明智光秀が織田信長の命を受けて1579年に丹波を平定し、西国攻略の拠点として福知山城と城下町を築き、明智の「智」の字を用いて「福智山」と名付けたと伝えられています。光秀は1582年の本能寺の変で、織田信長から一時的に天下を奪ったものの、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れました。その後、関ヶ原の戦いの後、有馬豊氏が
※こちらの記事は、令和2年10月23日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟がくる』第25回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『麒麟がくる』の楽しみ方】・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4回―美濃の情
※勝龍寺城公園主郭跡内にある細川忠興・ガラシャ銅像…勝龍寺城は明智玉(ガラシャ)が輿入れした「細川ガラシャゆかりの地」です毎年11月には「細川ガラシャまつり」が開催され、武者行列、ガラシャ輿入れ行列が練り歩き、多くのひとでにぎわいます山崎古戦場7️⃣勝龍寺城②山崎古戦場には、今回初めて行きました。山崎古戦場跡は、現在「天王山夢ほたる公園」という京都縦貫道の高架の下にグランドがあり、古戦場の面影は全くと言っていいくらいありません。行ったときは「
皆さん、こんばんは京都一人旅(その15)の続きでした世界遺産慈照寺(銀閣寺)観光終えた後、バスと地下鉄乗り継いで烏丸御池駅へ目的は、「ショコラベルアメール京都別邸」でお買い物することここに行くのは、次の日の予定でしたが、時間的に他のエリア観光は無理だと判断し、お土産購入する方向に切り替えました事前に調べてた「ショコラベルアメール京都別邸」に行けたぁ~😆こんなに高いチョコレート買ったのは初めてだったけど、満足感いっぱいです😁「ショコラベルアメール京都別邸」まで行けたら、行こうと思っ
石像寺の後は、帰るつもりでしたが時間がまだ早かったので、久しぶりに白毫寺に行ってみることにしました。白毫寺は九尺藤で有名なお寺ですが、今の時期は藤の花は咲いていません。桜はもうちょっと先かな~。(今週末なら満開かも)石門鐘楼右奥にあるのは太鼓橋があります。魔尼車こちらが山門でここから中に入ります。黄色水仙がきれいに咲いていました。桜も咲き始めていました。右正面が本堂です
明智城跡岐阜県可児市は明智光秀生誕の地と言われています。その可児市にある明智城跡に行ってきました。天気も良くドライブ日和です。明智城は光秀が落城するまでの約30年間過ごしたとされる中世の山城駐車場到着です駐車場横の桔梗坂から本丸跡を目指します。七基の盛り土が残されています。馬防柵展望台明智光秀像近くにある天龍寺天龍寺にある明智氏歴代の墓所
今日は亀岡城下町案内所当番の日。生憎の雨ですね。亀岡駅の桜が満開です。そして南郷公園の桜もキレイに咲いております。ほんまに感謝しかありませんね。今日1日頑張ります。
土曜日に福知山に行ってきました。用事を済ませて、桜がちらほら咲き始めている福知山城を見学しました。明智光秀の居城だったというお城。昭和に再建されたそうですが、小高いところにありとてもいい雰囲気です。こんなお城を毎日見て、季節を感じながら暮らす町って憧れます。
今日は実家を手伝いに行きました。その前に花々を撮影。大輪の椿の種は確か、クマガイ?って名前だったかな。桜の方は咲き始めで、まだこれからです。うぐいすが親子で鳴き方の練習をしているようでした。で、子うぐいすが何度やってもトチるのです。そして、何度もお手本に鳴く親うぐいす。久しぶりに鍬で菊芋と三つ葉を収穫しました。腰いたた…。菊芋は味噌漬やキンピラにしようかな、と思います。花祭りが終わり、花のお下がりを頂きました。さて、昨日は意識に急浮上した明智光秀さんのことが気になって、Yo
※勝龍寺城模擬天守風資料館、模擬塀、模擬隅櫓、南水堀…かつて、勝龍寺城には天守(殿主、守)が存在し、南西隅に巨大な三重の望楼型の櫓(殿主)が建っていました水堀は、かつては東西南北にありましたが、市街地化により、消滅、現在は南、東水堀が残っています水堀幅は、現在でも10m以上あり、昭和初期ごろまでは倍以上あったようです城址は、平成4年(1992)に「勝龍寺城公園」として整備され、模擬建物が建てられ、市民の憩いの場となっています山崎古戦場6️⃣勝龍寺城①
今日はエイプリールフールってことで…いろんなアプリでそれぞれに1日限定のものが出てますねぇー!キミステでは、全員が黒髪ででてきたり嘘に関する一言を話していました!戦国ALIVEでも、各武将が嘘ついてたり、つききれなかったり…厳しい意見の三成さんだったり(笑)光秀さんは…どっから魔王ってでてきた?と思ったら信長さん自身がいってた。こうして、歴史上関わっているふたりが、連動していたりします。半蔵と祐太郎とか…面白いです。そして、月がかわりましたので、毎月の一言が変わってます。光秀
にほんブログ村もう4月ですやーっと北海道も暖かくなってきて氷割り汗だくそんな間に息子は娘のところに泊まりながら甲子園とお城を堪能しに行きましたまずは甲子園今回は少年野球の先輩やら中学野球の先輩やら、北海道代表に限らずたくさん野球留学している先輩達がアルプス席から堪能大阪桐蔭の応援の凄さも甲子園カレーの美味さも堪能次はお城戦国時代好きな息子は、まず明智光秀の坂本城へ〜歩道にも琵琶湖のほとりにあった坂本城は琵琶湖の水位が下がって今まで見えていなかった石垣が見えてきたってことで
岩村城跡への道もすれ違い困難な細い山道だった。↓トイレ&休憩所岩村城・歴代城主↓恵那市の城下町を望むさて、城跡へ・・・埋門(うずみもん)天正十年(1582)三月甲州討伐(武田)のため家臣団(明智光秀など)を引き連れこの岩村城に入場・統治滞在長局埋門(ながつぼねうずみもん)へーーへーー思ってたよりずーっと立派だった。。。岩村城
今日はセッションを午前中に終えました。家の側の小道には、私の大好きな花、乙女椿が可憐にひっそり、美しい花を咲かせていました。嬉しい予感。私にとって懐かしさを感じる方でした。きっと内側の源の方でご一緒だったことがあるのかもしれない。午後、ふと思い立ち、ミニ旅行に旅立ちました。前々から気になっていた岡崎市の滝山東照宮を訪ねました。🌸桜はまだかなと、桜も気になって。以前から私はなんとはなく家康さんが気になっていましたが、岡崎城の気分ではありませんでした。家康さんが気になるのは、以前、
折々の桜日本各地に桜が絢爛と咲き誇るこの時期「染井吉野桜」を愛でる人々は多い。しかし、この桜が日本中で愛されるようになった裏には、悲しい生涯を余儀なくされた一人の女の物語が在った。五代将軍徳川綱吉も、御台所は京から嫁いできた鷹司教平の娘信子であった。信子と一緒に京からついてきた梅小路局、右衛門助局、大典持局たちも綱吉は側室にしていた。一方、綱吉の寵臣で時の老中、柳沢吉保も正室さめの他、側室として正親町公連卿の妹町子を始め何人もの侍妾が居た。さて、綱吉の側室の一人で染子という女が居
歴史の迷宮明智光秀の複雑な人物像明智光秀のことを調べてみますと、「冷静かつ冷たい性格」や「徹底した合理主義者」だったという記事もあれば、「部下や知人の病気や負傷を気遣う誠実で優しい人柄だった」という記事もあります。大河ドラマ「麒麟がくる」の光秀は、まぎれもなく後者の優しい人柄の方でしたね。長谷川博己さんが誠実で優しい雰囲気の光秀を大人の男性の色気も併せ、とっても素敵に演じていたと思います。ということで今回のイケメンエピソードは、明智光秀
29日関東エリアは朝から雨のち暴風雨のち午後晴れ。という不思議なお天気でしたけどそして今朝は濃霧のち晴れ。霧を見るのは久しぶりでなんだか幻想的でした。前記事で”花冷え”と書きましたけど今週末は花冷えどころか日中は気温高くなりそうやんっな様子。いずれにしても寒暖差で体調を崩さないように気をつけて過ごしましょうね--------------------------------------------------------少し間があきましたけど先日upしました「日吉
織田信長の生涯を後世に残したいと考える隠居した筆奉行の話。執筆中に本能寺の変があり、執筆も滞る。しかも織田信長の遺骸が見つからないという。信長記の執筆と遺骸を探して、織田信長の最後をどのようであったかを知る歴史小説。主人公牛一の活躍が面白い。歳をとっても生きがいがあれば元気でいられるということが理解できる物語でした。
明智荘現在、明智という地名はないがかつては現在の可児市北東部から御嵩町西部にかけて「明智荘」という荘園が存在していた。明智光秀は土岐氏流明智氏の出身だとされているが、その名字の由来となった地が明智荘であると考えられる。【美濃国諸旧記】では、明智荘は明智氏代々の所領であったとしている。ただし、現在、瀬田地区の狭い地域に寺院が集中していることや、字名に「東屋敷」「西屋敷」「大屋敷」などの名が残ることから、有力な武士層の存在をうかがわせるという説もある。ここに来るまで、明智は訪問済みだと思
瀧谷寺福井県坂井市三国町滝谷1-7-15庭園は日本名勝庭園の一つに認定され、本堂、観音堂、山門、鎮守堂、開山堂など重要文化財に数多く指定されています。近くに東尋坊、芝政ワールド、芦原温泉など名所、行楽地が沢山あります。瀧谷寺南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山され、朝倉氏や柴田勝家などの戦国大名や福井藩主の松平家の庇護を受けました。参道の敷石には、今は発掘さていない幻の青石と呼ばれる「釈谷石」が使われています。雨に濡れる
本編・続編応援「あなたの心の声が聞こえる~ことば以上に愛されて~」開催中です!3月31日まで。ワタクシの苦手な本編応援イベントなのですが、なんと!兼続さんがいらっしゃるんです!でもなあ、苦手なことに変わりはないのでありまして…さらに問題なのは、ストーリーが前後編であることです。恋のハートを520個集めないと後編まで読めないんです。そんなの無理(笑)行けるところまで行きますが…もうなんだか前編も読めるか怪しい。
※境野1号墳に建つ「明智光秀本陣跡」の石碑と案内板…境野1号墳は明智光秀が「山崎の戦い」で布陣した本陣跡と言われています境野1号墳は、サントリー京都工場内にあるため、フェンスに囲まれ「立ち入り禁止」になっていますサントリー京都工場は、見学可能ですが、以前バスツアーで行ったときも、工場内に「光秀本陣跡」があることは全く知らず、ビールを飲みまくって終わりました境野1号墳は、従来まで光秀本陣跡「御坊塚」とほぼ「断定」されていましたが、ここから徒歩数分の所にある「巨大古墳・恵解山古
【死後の世界を体験した木内鶴彦氏】臨死体験といいますか、死亡体験を3度も経験した木内鶴彦さんという方がいらっしゃいます。1964年生まれの彗星捜索家の方です。木内さんは3度もご臨終を経験した方です。彼によると、一般に言われる三途の川、お花畑、光の世界などは、私たちの脳の中で考えることであって、実際には全く違っていると言います。医者から死亡と診断された後、そこから現実の自分に目が覚めるそうです。自分の力が尽きた後、母親が自分の顔を覗き込んで「死んじゃった!」と言っていたことも、わかるそうです
240326丹波新聞兵庫県丹波市市島町上鴨阪の薬師寺で31日午前10時から、33年に1度の本尊の秘仏の御開扉法要(同寺開扉委員会主催)が行われる。本尊に安置されている薬師如来像は、飛鳥時代の皇族、聖徳太子が作ったものと伝わり、病気平癒の御利益があるとされる。垂水恵光住職(55)は「霊験あらたかな薬師如来さまにお会いし、おかげを頂いて」と参拝を呼びかけている。参拝自由。同寺の文献によると、湖だったこの地にすむ龍蛇の水害を鎮めようと、聖徳太子が作ったという。和銅年間(708―715年)に法道仙
2022年3月下旬に、青春18切符で福井県の敦賀市から若狭を経由して、京都府の舞鶴市、福知山を回った。福知山市と言えば福知山城。この城は前から訪ねたかった。福知山の街全体には、城下町に共通するある種の落ち着きがある。城は少し高台にあり、近くをを由良川が流れている。訪ねたとき、桜の開花はまだ2-3分程度だった。以下は入口にある看板の説明。「福知山城は天正年間明智光秀の縄張りと伝えられ、慶長年間に至り近代城郭として完成した。明治初期の廃城後、わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天
期間:2024/03/26天井:100倍率:3倍初回:半額戦)明智光秀:神智明晰射)妻木煕子:月さびの佳妻戦)細川忠興:畿北の驍将薬)細川ガラシャ:丹後の女王星3戦)松井康之:心眼・参薬)明智光慶:心眼・参星2武)遠山景任:技巧家戦)明智光安:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
ちょっと昔の模写を載せておこうっと懐かしい〜……似てないけど長谷川博己さんスミマセン