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5日は、熱田神宮の帰りに東海道五十三次の「宮の渡し」に行って来ました。愛知県名古屋市にある「宮の渡し」は、旧東海道桑名までの船着き場として栄えた場所です。この辺り一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれていました。東海道随一の宿場町「宮宿」と、現在の桑名市「桑名宿」を海上航路で結ぶ「七里の渡し」の船着場があった場所です。
旧東海道を時々歩いている。ぼちぼちと歴史には全く興味もないし、地理もおぼつかないけれど、せっかく歩くならと少しは勉強している。次回は保土ヶ谷から歩くことになり、急遽購入こういう勉強は楽しい
アマゾンで買ったお伊勢まいりのガイドブックが届きました。今週末には体調が戻るでしょうし無理せず日帰りでも良いかと思います。2月にも連休があるので直前に延期でも良いです。無理をしないことです。昨年末に旧東海道を歩いていた時に急に体がブルッと震える事が数回ありました。寒い所に出てすぐに震えでも無いし武者震いというのでも無いので理由が不明でした。何か体が感じ取ったのかもと思ったのですが何もわかりません。もしかするとインフルエンザに感染するのを感じ取ったのではと今は思います。在宅
俣野別邸庭園って最寄り駅が善行なのか?藤沢か戸塚じゃなかろうかと思いながら書いています。ひとりひろ~い芝生広場でおにぎりランチを済ませて、のんびり青空や、風が木々を揺らすざわめきの音を聞いてました。小一時間経って寒くなってきたので、上着を着て再び歩き始めます。日が傾いてきた後の公園もなかなかいいですな。紅葉に陽が沈んでいく様なんて絵みたい。ちょっと寒いのでお茶して帰ろうかな。この看板を見たので別邸の中でコーヒーを飲めるのかと思ってたんだけど、入ろうとしたら違うんだっ
今回の【駅】シリーズは、静岡県沼津市西端部に位置する東海道本線の駅で、駅前には旧東海道・原宿がルーツの住宅地が広がっている、原駅(はらえき。HaraStation)です。駅名原駅(CA05)所在地静岡県沼津市乗車可能路線JR東海:東海道本線隣の駅熱海方・東京方……片浜駅米原方・神戸方……東田子の浦駅訪問・撮影時2021年7月駅概要駅形態……………地平駅(1
2025/1/7(火)昨日(1/6)は会社勤めに戻ったような一日であった。長い年末年始休暇も終り、一般的には仕事始めの日。朝から冷たい雨が降っていた。おそらく各社のトップの年頭あいさつでは「雨降って地固まる」が使われたのでは、と思った。午前中は京都市のビジネス街の中心地である四条烏丸へ行った。出張中の息子の代理人として銀行へ。役割を終えて外へ出ると、丁度昼前でビジネスマンの新年の挨拶や昼食を誘い合う笑顔が行き交って
身延から静岡方面へ移動しますよ。東海道沿いに走ると、宇津ノ谷峠を通ります。が、ここは、いにしえの東海道。先人たちが苦労して峠越えをしていた場所。現道のトンネル上には旧東海道があるって事で。明治37年竣工の宇津ノ谷隧道。文化財となった今でも現役である。苔むしてて読めない。上下でレンガの積み方が異なる珍しいタイプ?下の焦げ茶色のレンガは焼き入れした温度で変わるとか。レンガも陶器の一種でしょうね。現代では作る事が出来ないであろう貴重な構造物だ。旅人は峠を越えて、この景色を見ていた
年末ですが、藤沢の旧東海道沿いの箱根駅伝の難所の一つでもある遊行寺のライトアップに行って来ました。まだあまりメジャーなイベントでもなくて週末でしたが人も少なくゆっくり写真を撮れました。大銀杏で有名な寺ですが、こうしてライトアップすると本堂も幻想的に引き立ってまるで東山花灯路の京都にいる様な雰囲気でした。
皆様今晩は(^^ゞ寒さが厳しくなってきましたがいかがお過ごしでしょうか。本当はもっと早く更新する予定でしたが、大みそかから飲みすぎまして(((^^;;;後でブログに上げますが、年末近くまで東海道旅をつづけ、帰宅してから大掃除や正月の準備などでクタクタになり、更に飲みすぎでずっと寝正月となりました(((^^;;体調が戻ったので、どんどん更新していきます。2024年11月21日前日とはうってかわって好天となりました。宿の部屋から東海道を見ています。朝ごはんもおいしくいた
大角(おおすみ)家住宅大角家住宅旧和中散本舗|滋賀県博物館協議会製薬機械が残る「和中散本舗」は、梅の木本陣でもあった旧東海道街道沿い、栗東市六地蔵に現存する間口の広い大sam.shiga.jp御由緒ある薬屋さんのお屋敷看板も歴史を感じます店構えが重厚家康公の腹痛を治したことから和中散の名を与えられたそうですお庭も見応えあります小堀遠州による作庭ですまたお屋敷内には名作の屏風や襖絵があります釘隠し日向山をのぞめるそうですが。。。🫡明治天皇がお立ち寄りになられたと
年頭恒例、東海道五十三次シリーズです^当別荘、昨秋より滋賀県へ居を移したのは先般から各作でご案内の通りですが、今年の東海道ブラも滋賀県からです。東海道五十三次の五十番目、水口(みなくち)宿を歩きます。早速スタートします^な訳で、昨秋より度々登場する近江鉄道ですが、今作の水口にも、このガチャコンで訪ねます^水口石橋駅で降ります本線の終点・貴生川駅にも近い水口の街には、近江鉄道の駅が4つあります。八日市側から乗ると順に、水口松尾駅→水口駅→水口石橋駅→水口城南駅と続き、水口城南の次
明けましておめでとうございます🌅🎍お正月も早4日ですいつもと変わりなくのんびり過ごして😆今日から整形リハビリ年初め🙆♀️その後何時ものコースを歩いて🚶旧東海道テクテク約40分お正月は食べ過ぎにご注意😅まずは歩こうかな昨日イオンで初買い🤗お財布疲れていて手頃な財布ポイント利用でGET🙆♀️小銭コインの判別が、、視覚障害者は大変😥専用の区別分け使用小銭入れ利用してるなので札入れを探していた近所のイオンにありました✌︎これに蛇の抜け殻でもあればねえ笑スヌー
今回は、東海道を歩きます。平日の日中は仕事をするサラリーマンなので挑戦は時間の取れる休みの日に限り行い東海道五十三次の宿場町に沿ってスケジュールを組んで行います。1日目は2025年1月3日日本橋→品川宿→川崎宿日本橋→品川宿はこちら『東海道五十三次を歩く「一日目」(1)』2025年新年最初の投稿になりますが今回は、東京・日本橋がスタート地点。日本橋と言うと江戸時代から東海道の基点として知られる。戦前、東京都の各道路の起点とな…ameblo.jp日本橋から2
(「東海道:瀨田から草津へ」より続く)草津は、旧東海道52番目の宿場町。東海道と中山道の分岐点という交通の要所であり、町並みは、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町。草津宿の京方の入口、宮町と隣接する矢倉村との境が。宿内と宿外の境で、かつて黒門がありました。その黒門跡から宿内に入り、北東に歩いていくと、旧宮町(現:草津四丁目)に、上画像の立木神社。秋里籬島『東海道名所図会』(1797年)に、立木明神祠宿中にあ
5時半頃にホテルを出て地下鉄で山科駅に到着。石山駅まで移動し前回歩いた場所から旧東海道を歩き始めます。歩き始めた時は暗かったのですが少しずつ明るくなってきます。昔、旧東海道を歩いた人は日の出前に出かけて、暗くなる前の早く時間に宿に着いたそうです。道が直角に曲がっている所があるのは、旧東海道「あるある」でしょうか。今回のルートは案内とかも多くわかりやすいです。ひたすら歩く。今日はここで終わりです。南草津駅から浜松まで在来線で移動し新幹線で帰宅しました。部屋を片付けきっていないのが
先日、瀬田から守山までの旧東海道・中山道を歩いてみました。JR東海道線の瀬田駅で下車、学園通りを南東に歩いていくと、一里山二丁目北交差点の角に、「一里塚趾」の石碑(上画像)。この角を左折し、旧東海道に入ります。下月輪池畔には「東海道立場跡」の石碑があり、その東、曹洞宗普門山月輪寺(行者堂)の門前には、「明治天皇御東遷御駐輦之所」「新田開発発祥の地」「東海道」の石碑群。滋賀県近江栗太郡編『近江栗太郡志』巻五(1926年)を見ると、
こんにちは昨日は鶴見神社にもお参りしてきました場所はJR鶴見駅東口から徒歩5分✨京浜東北線や東海道線の車内からも見えますよ旧東海道沿いにあり、創建は推古天皇の御代(約1,400年前)と伝えられています。(詳しくはHP見てね)鶴見神社ホーム|鶴見神社【川崎・横浜間最古の神社】川崎・横浜間最古の神社、鶴見神社の公式ウェブサイトです。tsurumijinja.jp来年の干支大晦日から正月三が日は行列が出来るので、今度の週末の夕方にでもまたお参りしてみようかな。つづく
年の瀬、普段であれば走り納め・・・のハズなんだけど今年はインフルエンザの影響でどうも体調がスッキリしないので無理はしないようにして家の仕事をすることにしたのでした。なので、東京の年の瀬の様子を見にうろうろすることにして・・・まずはいつもの通勤路で大崎へ。途中の目黒不動尊は縁日。たくさんの出店で賑わっていました。その後目黒川沿いを行きます。大崎マルシェやってると思って期待してたのですがやって無くって・・・御殿山から旧東海道、北品川商店街へ。途中、品川女学院の新しい校舎
今日は年末恒例の北品川へ。実家のお寺さんに年末のご挨拶をしてお墓参りしてきました。お正月にお墓参りをするおうちが多いようですがうちの実家は、どういうわけか年末に行っていたのでそれを踏襲しております。今回は妹も一緒です。いつものようにお墓参りのあと、お蕎麦屋さんでランチしたあとはお天気が良いので、旧東海道の北品川をのんびり歩きました。仕事納めも過ぎ、町には地元民がボチボチ年末の買い物に歩いている他は静かな商店街です。お蕎麦を食べた後で通った鰻屋さん。香
旧東海道歩きは「品川宿」をめぐってきましたが、ほぼ終わりにきました。江戸初期「品川宿」が開設されたころから見れば、海側は埋め立てが進み、すっかり様変わりしていますが、内陸部は400年過ぎた今でも、その道幅、線形、起伏など、当時のまま残されています。このような街並みは極めてまれで、日本の貴重遺産といえます。海雲寺に始まり問答河岸まで「品川宿」は見どころも多く、また見逃したところも多く、機会があれば是非再訪してみたいものです。品川宿は「鉄道の町」でもあります。明治5年(
ふと思い立って、品川宿へ行くことにした。自分はいろんな角度から何度訪れたか忘れたが、家内は初めてなので。それで今回は大森駅スタートで、品川歴史館を見てから品川宿へ潜り込んでいきます。せんだっては内藤新宿を歩いたので、江戸四宿シリーズ第二弾です。【2024年12月18日】西口から池上通りに出た。このあたりの道は旧鎌倉街道下道で、5年前に松戸から鎌倉まで四日に分けて走った。昔の面影は神社仏閣にしか残っていない。ここはまだ大田区です。目の前には天祖神社が建っている。どっしりとした江戸流れの
さてと本日は、江戸時代終盤に暖簾分けをして旧東海道・川崎宿に店を開いた老舗蕎麦屋である『満留賀』の川崎市内の最初の店舗のお話。川崎市内には江戸時代末期からある暖簾をもつ蕎麦屋がそれなりにあるのですが、中でも『満留賀』の暖簾をもつ蕎麦屋が結構存在したのが私的にはかなりの驚きで逆に『藪』や『更科』系などの店舗は殆どなく、昔の街道沿いにある宿場町にある殆どの店舗が『満留賀』の暖簾を持つ蕎麦屋なのが現在の川崎市や横浜市鶴見区だったりします。という事で、一応ですが川崎市内で一番歴史があると言われている
絶景の潮見坂西から歩いて来ると下り坂になりますけど、東から歩いて来ると、かなり急な坂なので、歩くのが結構大変かもそんな潮見坂をまっすぐ下って行くと、T字路になり、道標がありますT字路を左に曲がって、旧白須賀宿になりますすぐに、神明神社(しんめいじんじゃ)がありました途中、白須賀一里塚跡がありましたしばらくすると、火鎮神社(ほずめじんじゃ)があります高台にあり、津波の影響がなかった神社なんだそう火鎮神社を後にして歩い
みなさんこんにちは。東海道徒歩旅、本編の第33回です。今回は三島宿からです。地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。東海道の旅(府中〜箱根)-Googleマイマップ東海道の旅(府中〜箱根)www.google.com今回の行程三島-箱根2023年4月1日三島宿〜箱根宿(約15km)歌川広重の「東海道五十三次三島宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)それでは三島宿を出発!三島宿から箱根山をこえて小田原宿までの間の道
旧東海道歩きは「品川宿(歩行新宿)」をめぐります。「品川宿」は「遊里」でもありました。宿駅に遊女がいるのは古からのことで、鎌倉時代の『吾妻鏡』にも書かれています。江戸時代になると府中では吉原を公認の遊郭とし、他の場所に遊女を置くことを禁じます。街道の宿場に対しては、万治3年(1660)遊女を置くことを禁じています。禁令はその後もくりかえし出されているのですが、宿々の旅籠屋では、食(めし)たき女・食売女と称して、遊女と同じように売春をさせたのです。ここ品川宿でも、昨日書いた善福
旧東海道歩きは「品川宿(北)」をめぐります。法善寺の門前に「品川小學校發祥之地」碑があります。明治6年(1873)都築幾三郎という人が近くの善福寺で算術中心の寺小屋を始め、まもなくここ法善寺に移り門弟60数名を教えていたという。地元の戸長が公立学校にすることを東京府に願い出て認められたのが明治7年(1874)のことで、品川区最初の小学校でした。その後生徒数が増加したことにより他所に移転しています。門塀が煉瓦造り。浄土宗のお寺「法善寺」は、至徳元年(1384㊟)言誉上
皆さんこんにちは!2020年のコロナ禍が一つのきっかけになり、交通機関が使えないもどかしさから、ふと思いついて大阪の自宅からテクテク歩いた東海道。江戸時代に宿駅が制定されてから400年となる、今年2024年。江戸の昔から、多くの旅人が歩き、十返舎一九をはじめ、多くの文人が描いたこの道をたどる、これも一つの「聖地巡礼」の形ではないか、と思うわけです。折に触れてこのブログでもご紹介してきましたが、5年目も終わろうとしている2024年暮れ、ついに東京日本橋から大阪高麗橋までの「五十七次
旧東海道歩きは「品川宿(北)」をめぐります。品川神社から旧東海道に戻る途中、脇道に入ります。正徳寺のレンガ塀が続くこの道は、養願寺(虚空蔵尊)に通じるところから「虚空蔵横丁」と呼ばれています。行きついたところは天台宗のお寺「養願寺」です。西安元年(1299)創建、虚空蔵菩薩を本尊とします。旧東海道本道に戻りますと、安政2年(1855)創建の、真言宗智山派のお寺「一心寺」があります。本尊は成田山の分身である不動明王です。
まだまだ本調子では無く家でユックリしておりますので12/6の写真からとなります。*****************************最乗寺の紅葉も終わり小田原箱根登山鉄道箱根板橋駅付近を散歩~旧東海道板橋左手前の黒い建物は、旧内田醤油店道の真ん中は、路面電車も走っていたんだっておっ綺麗だなー1932年旧朝倉邸左官屋棟梁が自宅として建てた各所に洋風で素晴らしいガラスの使い方室内から見るとこんな感じ
今月中旬に小田原に出かけた時の様子をブログアップします。当初豊橋に寄ってから行く予定でしたが、孫がインフルエンザに罹ったのでスキップ、帰りに寄ることにしました。と言うことで我が家から小田原のヒルトンまで直接車で移動しました。ルートは新名神、伊勢湾岸道、新東名から箱根越えとしました。ドライブルート大部分が高速道路ですが約370㎞となります。いつものようにおよそ100㎞毎に運転を交代し、山道は自分の運転としました。刈谷PA最初の休憩地は刈谷SAです。すい