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5日は、熱田神宮の帰りに東海道五十三次の「宮の渡し」に行って来ました。愛知県名古屋市にある「宮の渡し」は、旧東海道桑名までの船着き場として栄えた場所です。この辺り一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれていました。東海道随一の宿場町「宮宿」と、現在の桑名市「桑名宿」を海上航路で結ぶ「七里の渡し」の船着場があった場所です。
俣野別邸庭園って最寄り駅が善行なのか?藤沢か戸塚じゃなかろうかと思いながら書いています。ひとりひろ~い芝生広場でおにぎりランチを済ませて、のんびり青空や、風が木々を揺らすざわめきの音を聞いてました。小一時間経って寒くなってきたので、上着を着て再び歩き始めます。日が傾いてきた後の公園もなかなかいいですな。紅葉に陽が沈んでいく様なんて絵みたい。ちょっと寒いのでお茶して帰ろうかな。この看板を見たので別邸の中でコーヒーを飲めるのかと思ってたんだけど、入ろうとしたら違うんだっ
****大不評の山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」に撤回運動が起きているまあ、このまったくセンスのカケラもない駅名に決まった経緯は知らないが、国辱的な駅名であることは間違いないだろうこれが山野しかなかった多摩丘陵を切り拓いて造られた「たまプラーザ」のような新開地ならともかく、江戸の昔から町があった芝高輪あたりの駅名としてふさわしくないことは、類人猿ぐらいの知能があればわかりそうなものである個人的には立川談志師匠の代表作にちなんで「芝浜
今回の【駅】シリーズは、静岡県沼津市西端部に位置する東海道本線の駅で、駅前には旧東海道・原宿がルーツの住宅地が広がっている、原駅(はらえき。HaraStation)です。駅名原駅(CA05)所在地静岡県沼津市乗車可能路線JR東海:東海道本線隣の駅熱海方・東京方……片浜駅米原方・神戸方……東田子の浦駅訪問・撮影時2021年7月駅概要駅形態……………地平駅(1
さてと本日は、江戸時代終盤に暖簾分けをして旧東海道・川崎宿に店を開いた老舗蕎麦屋である『満留賀』の川崎市内の最初の店舗のお話。川崎市内には江戸時代末期からある暖簾をもつ蕎麦屋がそれなりにあるのですが、中でも『満留賀』の暖簾をもつ蕎麦屋が結構存在したのが私的にはかなりの驚きで逆に『藪』や『更科』系などの店舗は殆どなく、昔の街道沿いにある宿場町にある殆どの店舗が『満留賀』の暖簾を持つ蕎麦屋なのが現在の川崎市や横浜市鶴見区だったりします。という事で、一応ですが川崎市内で一番歴史があると言われている
2025/1/7(火)昨日(1/6)は会社勤めに戻ったような一日であった。長い年末年始休暇も終り、一般的には仕事始めの日。朝から冷たい雨が降っていた。おそらく各社のトップの年頭あいさつでは「雨降って地固まる」が使われたのでは、と思った。午前中は京都市のビジネス街の中心地である四条烏丸へ行った。出張中の息子の代理人として銀行へ。役割を終えて外へ出ると、丁度昼前でビジネスマンの新年の挨拶や昼食を誘い合う笑顔が行き交って
(「東海道:瀨田から草津へ」より続く)草津は、旧東海道52番目の宿場町。東海道と中山道の分岐点という交通の要所であり、町並みは、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町。草津宿の京方の入口、宮町と隣接する矢倉村との境が。宿内と宿外の境で、かつて黒門がありました。その黒門跡から宿内に入り、北東に歩いていくと、旧宮町(現:草津四丁目)に、上画像の立木神社。秋里籬島『東海道名所図会』(1797年)に、立木明神祠宿中にあ
今回は、東海道を歩きます。平日の日中は仕事をするサラリーマンなので挑戦は時間の取れる休みの日に限り行い東海道五十三次の宿場町に沿ってスケジュールを組んで行います。1日目は2025年1月3日日本橋→品川宿→川崎宿日本橋→品川宿はこちら『東海道五十三次を歩く「一日目」(1)』2025年新年最初の投稿になりますが今回は、東京・日本橋がスタート地点。日本橋と言うと江戸時代から東海道の基点として知られる。戦前、東京都の各道路の起点とな…ameblo.jp日本橋から2
京都の坂次は逢坂(おうさか)について記していきます。京都駅からJRに乗って大津方面に向かうとき、駅を出てすぐ入るトンネルが東山トンネル、次の駅・山科を出てしばらくして入るトンネルが逢坂山トンネルです。この逢坂山トンネルの上、少し南側の山を越える坂が逢坂です。地図を見てみましょう。昔旅人が歩いた旧東海道が赤い線です。京都の三条大橋を出発して東へ向かうと、蹴上(けあげ)のあたりを過ぎてかかるのが九条山の坂、その下りは山科の日ノ岡に下りる坂です。山科盆地をほぼまっすぐ横断する東海道は、四
今日の一言「折りたたみ」8月初に桑名市の石取祭へ出かけた続き(8/4)整列した祭車は、一斉に曳き出され18時30分から春日神社への渡祭と続いていきます祭車の一斉曳き出しが16時30分から始まり、第一番祭車が出発提灯を折りたたんで進みます鉦と太鼓を打ち鳴らしながら旧東海道鍛冶町の桝形を曲がっていきます第二番祭車動画です第三番祭車動画です第四番祭車第五番祭車その5へ続く
新しい時代、平成→令和での新たなるチャレンジとしてスタートした★旧東海道ウォーキング『令和での新たなチャレンジ!』あと一週間で「平成」が終わり「令和」に今日は平成最後の水曜日新しい時代に何かチャレンジと思い、決めました東海道を歩くぞぉ〜詳しそうなガイドブック(マップ)をま…ameblo.jp2021年1月6日、無事に京都三条大橋に到着記録の為に、全行程のブログを整理します休日にこま切れで歩く事になるので、東半分と西半分に分けて歩きました緑線が東半分赤線が西半分◇◇東半分編
このブログは、私が一人旅で行った東海道五十三次を徒歩で巡る旅の記録。私は今年の初めに、旧東海道の五十三次を自分の足で辿ることを思い立ち、一人旅にて実施。ー5月までに、見付宿(磐田市)までを3分割して完了。ーそして11月上旬、その磐田市から開始。京都三条大橋まで約267kmを、8泊9日で無事、歩き切れた。東海道歩きで気になる、「峠のキツさ加減」の実データ比較別記事で詳しく書いたが、徒歩旅で計画を作ろうとすると、マップをみて、距離と自分の脚力を考えて一日の計画
満を持して、東海道旧道歩き西半分を開始!!今後、旅行記を後追いで書いていきます。このブログは、私が一人旅で行った東海道五十三次を徒歩で巡る旅の記録。一番の目的は後で見返す自己満足用。要は旅日記のようなものだが、でも偶然見つけた人にも読めるように書いていく。今回、目指す経路全体は、見付宿(静岡県磐田市)から、もちろん京都まで。ガイドブックの数値の合計は257km。でも、今年の前半で終えた東半分も、ガイドの数値は237kmだが、実際に歩いた距離
皆さんこんにちは!2020年のコロナ禍が一つのきっかけになり、交通機関が使えないもどかしさから、ふと思いついて大阪の自宅からテクテク歩いた東海道。江戸時代に宿駅が制定されてから400年となる、今年2024年。江戸の昔から、多くの旅人が歩き、十返舎一九をはじめ、多くの文人が描いたこの道をたどる、これも一つの「聖地巡礼」の形ではないか、と思うわけです。折に触れてこのブログでもご紹介してきましたが、5年目も終わろうとしている2024年暮れ、ついに東京日本橋から大阪高麗橋までの「五十七次
東海道五十三次徒歩旅に、持って行った荷物・装備11月版このブログは、私が一人旅で行った東海道五十三次を徒歩で巡る旅の記録。60歳で仕事を退職した私だが、今年の年初、東海道の旧道を五十三次を辿って自分の足で訪れることを思い立った。そうは言っても、日頃から運動もしてないオッサンがいきなり歩く自信も無く、まずは日帰りで川崎まで。横浜まで。そして一泊をしながら小田原まで行ってみて、その後は何日も掛けて歩き続ける方法に切り替え、何とか5月には53次次の半分を超えた磐田まで到
皆さんこんにちは!旧東海道をただひたすら歩いて聖地巡礼するこのコーナー。ここしばらくは東京から下りを富士市まで歩いてきましたが、今回は趣向を変えて。大阪から東を目指してやってきた名古屋を出て、さらに東に向かいます。前回の記事はコチラ。もう3年も前のことなんですね!『旧東海道をあるく⑤(四日市~名古屋編)』皆さんこんにちは!さて、我が町大阪からコツコツ歩き継いでやってきました旧東海道。今回は四日市からいよいよ名古屋に向かいます。四日市宿の跡は、近鉄四日市駅から商…amebl
昨日(5月20日)はドクターイエローが博多から戻ってきました。今回は時間もないので豊橋市内で撮影しました。撮影個所の豊川鉄橋までは歩いていくことにしました。旧東海道吉田宿の西惣門。23号線沿いの宿場の西の入口にありました。少しだけ旧東海道を歩きます。豊橋の江戸時代の名前は吉田藩吉田宿。城下町であり、宿場町でもありました。旧東海道沿いのヤマボウシの並木。旧東海道と分かれて豊川沿いを下流へセンダンの花が満開でした。在来線の鉄橋に出ました。この2両
先日、名鉄名古屋本線前後駅で下車し、旧東海道を宮宿(愛知県名古屋市)まで歩いてみました。前後駅のある豊明市は、かつての鎌倉街道や東海道、現在も名鉄名古屋本線や国道1号線が通り抜ける交通の要衝。また、前後は、盧橘堂適志『東海道巡覧記』(安永五丙申春改正)の「善江(ぜんご)村」に、登り下り立場なり太田南畝『改元紀行』(1801年)に、あの坂をこえて、前後村の立場なりと書かれているように、かつての立場。明治に入ってからの道中記史料*の中
9月27日(金)曇り→雨夜半から降り始めた雨は朝方には止んでいました。チャンスとばかりにわんこの散歩へ・・・でも神奈川県はこれから一日中雨予報です、それも結構強く降るみたいです。定点観測です。太陽がどこに隠れているのかも分かりません。さて今日もよろしくお願いします。プロローグ昨年の春に旧東海道を平塚から京都三条大橋まで走破しました。グラベルロードでまったりと4泊の旅です。『大人の家出(1)・・・旧東海道』4月9日(日)
■2024/3/30閉店■※代わりに場外にあった「キッチン山田農園」が場内に豊橋は青果市場と水産市場が分かれて存在し、そのうちの水産のほう(豊橋魚市場)には飲食店が一軒あるということで初訪問。場所は豊川放水路そばの旧東海道沿い。歩くと小坂井駅からも下地駅からも(両方ともJR飯田線)10数分くらいの距離。向かったのは12月3日の土曜日9時くらい。市場内は清掃中でもう何もない状況。そのすぐに脇にあるのが「おさかなセンター」パッと見は仲卸の売り場のようだが、一般客
身延から静岡方面へ移動しますよ。東海道沿いに走ると、宇津ノ谷峠を通ります。が、ここは、いにしえの東海道。先人たちが苦労して峠越えをしていた場所。現道のトンネル上には旧東海道があるって事で。明治37年竣工の宇津ノ谷隧道。文化財となった今でも現役である。苔むしてて読めない。上下でレンガの積み方が異なる珍しいタイプ?下の焦げ茶色のレンガは焼き入れした温度で変わるとか。レンガも陶器の一種でしょうね。現代では作る事が出来ないであろう貴重な構造物だ。旅人は峠を越えて、この景色を見ていた
京都三条大橋~53大津宿53歳やりたい事やってみよう🎵やりたい事ひとつずつチャレンジして行く✊お遍路さん、富士山、石鎚山、登山からのーーーーー東海道五十三次🚶♀️です。弥次郎兵衛、喜多八がワラジで歩いた東海道中膝栗毛です。日本橋~京都三条大橋まで53の宿場町を東海道を歩いた!ってスゴイ✨昔の人は本当にスゴイ!私は京都の三条大橋~伊勢神宮までを旅しますねまずは自宅から🚙大津へ京阪🚃びわ湖浜大津駅直結の「浜大津公共駐車場」京阪🚃使うと割引ある
皆さんこんにちは!旧東海道あるき、今回は愛知県豊橋から東へ!いよいよ西からも静岡県に入ります。前回の記事はこちら!『旧東海道をあるく11【名古屋〜豊橋編】』皆さんこんにちは!旧東海道をただひたすら歩いて聖地巡礼するこのコーナー。ここしばらくは東京から下りを富士市まで歩いてきましたが、今回は趣向を変えて。大阪から東…ameblo.jp出発は、JR豊橋駅から。駅からは、しばらくの間、豊橋鉄道の路面電車の線路に沿って進みます。この路面電車のある大通りは、これまで多くのドラマのロケ地
年頭恒例、東海道五十三次シリーズです^当別荘、昨秋より滋賀県へ居を移したのは先般から各作でご案内の通りですが、今年の東海道ブラも滋賀県からです。東海道五十三次の五十番目、水口(みなくち)宿を歩きます。早速スタートします^な訳で、昨秋より度々登場する近江鉄道ですが、今作の水口にも、このガチャコンで訪ねます^水口石橋駅で降ります本線の終点・貴生川駅にも近い水口の街には、近江鉄道の駅が4つあります。八日市側から乗ると順に、水口松尾駅→水口駅→水口石橋駅→水口城南駅と続き、水口城南の次
明けましておめでとうございます🌅🎍お正月も早4日ですいつもと変わりなくのんびり過ごして😆今日から整形リハビリ年初め🙆♀️その後何時ものコースを歩いて🚶旧東海道テクテク約40分お正月は食べ過ぎにご注意😅まずは歩こうかな昨日イオンで初買い🤗お財布疲れていて手頃な財布ポイント利用でGET🙆♀️小銭コインの判別が、、視覚障害者は大変😥専用の区別分け使用小銭入れ利用してるなので札入れを探していた近所のイオンにありました✌︎これに蛇の抜け殻でもあればねえ笑スヌー
10/12は、旧東海道を歩いてきました今回は、愛知県の二川宿から静岡県の新居宿までの、東へ向かう旅とうとう静岡県まで行ってきました~前回の二川宿からスタート二川宿の江戸口には、二川宿案内所があり、その前には、二川一里塚跡があります東へ向かって進むと、橋があり、橋を渡ると、分かれ道がありました本当は左の道が旧東海道らしいんですけど、現在は道が無くなっているので、右に曲がって迂回しますすると、国道1号線に出ましたしばらく
アマゾンで買ったお伊勢まいりのガイドブックが届きました。今週末には体調が戻るでしょうし無理せず日帰りでも良いかと思います。2月にも連休があるので直前に延期でも良いです。無理をしないことです。昨年末に旧東海道を歩いていた時に急に体がブルッと震える事が数回ありました。寒い所に出てすぐに震えでも無いし武者震いというのでも無いので理由が不明でした。何か体が感じ取ったのかもと思ったのですが何もわかりません。もしかするとインフルエンザに感染するのを感じ取ったのではと今は思います。在宅
皆様今晩は(^^ゞ寒さが厳しくなってきましたがいかがお過ごしでしょうか。本当はもっと早く更新する予定でしたが、大みそかから飲みすぎまして(((^^;;;後でブログに上げますが、年末近くまで東海道旅をつづけ、帰宅してから大掃除や正月の準備などでクタクタになり、更に飲みすぎでずっと寝正月となりました(((^^;;体調が戻ったので、どんどん更新していきます。2024年11月21日前日とはうってかわって好天となりました。宿の部屋から東海道を見ています。朝ごはんもおいしくいた
皆さんこんにちは!前の記事にも書きましたが、今年2024年は、東海道に宿駅が57(京都までは53)と定められ、整備されてから、ちょうど400年の記念の年にあたります。その記念の年に、東海道を歩いて踏破する、この目標を達成すべく、コソコソと街道を歩いていた訳ですが、先日ついにその目標を達成することができました!いやあ、感無量でございます。今回は、その最終コーナー、完結編をリポートいたします。スタートは、JR富士駅から。富士までのリポートは、コチラをご覧ください↓『旧東海道
こうしてブログを書いてきた俺だが、名前からして何者だ、貴様は⁉︎という方向けに自己紹介記事を書く。《名前》通関士辞めたい!《年齢》アラフォー《性別》男《出身》愛知県生まれ、群馬県育ち《学歴》群馬県内某私立高校卒東京六大学かつMARCHのいずれか卒《職歴》1.携帯販売ガラケーの割賦販売が始まった頃〜iPhone日本上陸ごろまでdocomo、au、ソフトバンク扱う2.通関士化学品系物流会社4年食品系物流会社10年フォワーダー2年(←現在こ