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日蓮大聖人今月のお言葉『祈祷抄』(きとうしょう)されば法華経の行者の祈る祈は、響の音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。文永9年(1272)執筆『昭和定本日蓮聖人遺文』673頁(訳)法華経の行者が祈る祈りは、必ず成就するのです。それは、響きの音に応じるように、影が本体に添うように、澄んだ水に月が映るように、水の精が水を招
昨日は、当山の鬼子母尊神大祭法会を奉修しました。たくさんの御参詣をいただき、深謝いたします。また、天童稚児として参加いただいたお稚児さんの皆さまにも、重ねて御礼申し上げます。5月は、ハンドメイドのイベントを開催します。引き続き、当山の護持にご協力いただきますよう宜しくお願い申し上げます。
今日は安房小湊の大本山小湊誕生寺にやってきました。誕生寺は1276年に日蓮の弟子、日家によって建立されました。この地は日蓮聖人の生誕地とされており、歴史的にも非常に重要な場所です。寺は元々日蓮の生家跡に建てられましたが、地震や津波による被害で何度か移転し、現在の場所に定められました。寺院の敷地内には多くの見どころがあります。本師殿宝塔は1988年に完成し、その他にも宝物殿、客殿、竜王殿などがあります。特に宝物殿には日蓮真筆や歴代の墨蹟、そして日蓮聖人御一代伝記画などが展示されています。また、
こんにちは若女将です。新緑がキレイなシーズンとなりました。世間では今日からGW突入ですね。このGW期間中身延山では下記の行事が行われます。(久遠寺公式HPより)宜しければどうぞご来山くださいませ。●4月28日(日)立教開宗会身延山久遠寺祖師堂にて午後1時より1253(建長5)年4月28日日蓮聖人が清澄山上において立教開宗の宣言と伝道の誓願を立て初めてお題目を唱えたことを記念する法会です。日蓮聖人は清澄山の持仏堂の南面において、自己の体得した法華信仰を
次に訪れたのは長勝寺。ここまで来ると観光客は居ないよ。門前の枝垂れ桜がお迎えしてくれた。まだ若木、何十年後には立派な枝垂れになるかなぁ。参道には散り始めのソメイヨシノと見頃の枝垂れ桜。最近、枝垂れ桜のよさに気づく。ソメイヨシノも良いね。ここにも日蓮聖人。そうそう、母方の実家は日蓮宗だったよ。新緑の楓。紅葉の季節にも訪れよう。
続いて、安国論寺を訪れたよ。境内に入るとツツジと赤椛がお出向かい。振り向けば、山門と楓。本堂。「当山は日蓮聖人松葉ヶ谷御小庵の霊跡です。御小庵の元となった岩窟が本堂の向かいにあります。この御法窟で日本国の安泰と人々の幸せを願って文応元年七月、前執権北条時頼に建白した「立正安国論」が執筆されました。翌八月に立正安国論に反感をもつ人々に庵が襲われました。これは「松葉ヶ谷の法難」と言われています。本堂の裏山に一時避難した「南面窟」があります。境内は四季折々の花や紅葉で彩られています。なかでも御
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『身延山久遠寺』身延山の中でも一番の神聖な場所へ✨日蓮宗の総本山である身延山久遠寺。今から遡ること700年以上前、地震に洪水・飢饉に疫病・戦乱などが相次いだ鎌倉時代。日蓮聖人は「法華経」の教えにより全ての人々を救おうとし、三度にわたり幕府に「正しい仏法である法華経に帰依すれば、全ての人が末法の世から救われる」と諌言しましたが、幕府が耳を傾けることは一切ありませんでした。それどころか反発した幕府や念仏者によって命を狙われ、さらには伊豆や佐渡へ流罪となりましたが、その後無罪放免となり、信者で
午後1時半過ぎに鎌倉東口を出発して大町界隈を歩きました大町は日蓮聖人が滞在して布教活動をした地なので日蓮宗のお寺がたくさんそれに、観光客があまり多くないので歩きやすい!八雲神社→安養院→安国論寺→妙法寺所要2時間30分①八雲神社八重桜が鳥居を彩っていました厄年なのでしっかりお参り😊②安養院残念ながらツツジはまだ蕾が多く数輪しか咲いていなかったので外から眺めるのみ③安国論寺日蓮聖人が20年滞在して1260年39歳のときに立正安国論を書かれお寺拝観料100円お寺の山務
『見延山久遠寺』奥之院からロープウェイで下山し、本堂や五重塔などを拝観しました。今回はバスツアーだったことと時間の都合上、久遠寺のシンボルである287段の菩提梯は登ることができませんでした💦写真だけは撮影できたのでご紹介します。☆三門空・無相・無願の三解脱をあらわす三門✨日本三大三門の一つです。左右の金剛力士像には、ある信者が一晩で横浜から運んだという面白い伝説があります。このことから健脚にご利益があるとされ、たくさんの草鞋やランニングシューズが奉納されています。楼上の内陣には釈
4/3(水)バスツアーで『見延山久遠寺』へ参詣しました✨まずはロープウェイで奥之院へ♪所要時間は約7分⌛️私は晴れ女ですがこの日は雨☔ですが身延山は杉が非常に多く、花粉症のわたくしにとっては恵みの雨となりました!降らなかったらどうなっていたことか💧じゃあなぜそんな時期に申し込んだんだ?という話ですが(^^;;これも天の采配、仏様の思し召しですね♡憧れの日蓮聖人像💖日蓮聖人が見延山山頂より、故郷である房州小湊(現在の千葉県鴨川市)の両親と師の道善房を追慕されるお姿なのだそうです。
子安地蔵院から1キロ福満寺へ向かいます福満寺【ふくまんじ】津市史によると「福満寺は往古の大刹なり」と伝えるほか、縁起の詳細は明らかでないとのこと。山門…ない…普通お家みたいな感じつくばい雰囲気サイコ~本堂寛文年間の火災と先の太平洋戦争の戦災とで全てを焼失しましたが、お地蔵様と過去帳だけは疎開して無事だったんです江戸時代、藤堂藩の藩士を檀家として与えられ、以後檀家寺として現在に至っています御本尊延命地蔵菩薩立像(木造、古色、像高96cm)弘法大師御自作と伝えられて
バスツアーで山梨県南巨摩郡身延町にある久遠寺に行きました2018年4月の蔵出し写真です1281年に日蓮聖人が開山した日蓮宗総本山です東京の池上本門寺で亡くなった日蓮聖人の遺骨が身延山に埋葬されています残念ながら境内の樹齢400年といわれるしだれ桜は葉桜が多かったですまだ咲いている桜もありました参道の石段高低差104m287段斜行エレベータ石段を上らなくても行けました五重塔正面が本堂手水舎鐘楼梵鐘祖師堂樹齢400年といわれるしだれ桜は葉桜でした完全
バスツアーで山梨県北森市の「山高神代桜」を見学に行きました2018年4月の蔵出し写真です樹齢は1800年とも2000年と伝えられます福島県の三春の滝桜、岐阜県本巣市の淡墨桜と並び日本三大桜の一つに数えられています北森市にある日蓮宗の実相寺の境内に植えられています日本武尊が東征の際にこの桜を植えた、また日蓮聖人が樹勢の回復を祈願したなどの伝説があります山高神代桜樹齢1800~2000年エドヒガン桜大正11年国指定天然記念物第1号に指定されています樹高10.3m
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-185「乙巳と甲辰に託されたもの」の続きとなります。今までの糸が結ばれて浮足立ちながら、「花笑ういろどり書の世界」へと足を踏み入れる。3月18日に起きたことを、ここまで引っ張るのか、私はぁぁぁ~!でも、4年間が凝縮された瞬間を、そんなにサラッと書いては終われないのですよぉ。四神(指針)の「かんなぎチーム」から繰り出される「問いと解い」が集約される瞬間。おわりははじまり-153「Sky&Se
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-184「双龍の榛名忘れそ」の続きとなります。2024年・令和6年は辰年で、江ノ島の「龍口(たつのくち)」の話が出てきて、そこで斬首刑(絶つの口)されそうになった日蓮聖人のお話が出てきました。またもや「首」の話でございます。なぜだか「首」の話が追い掛けて来る。日蓮聖人は「天の助け」で首が繋がったのですけどもね。2020年10月17日天秤座の新月に金沢へ旅立つ日、受け取った暗号は「首で一つにする
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-183「毘沙門天with七福神の榛名忘れそ」の続きとなります。「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主なしとて榛名忘れそ」この歌の「イ=意=井」を汲み(組み)ます。2022年・令和4年9月17日にまきちゃんと訪れた、榛名神社でのことを思い出してごらん、なんですよね。榛名神社を振り返ってみます。【QUOTE】これは、「くるりの水行き(みゆき)旅」その合図を横切る。双龍が双龍門を通る。私とまきちゃんの
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-182「吾妻の井を汲む(組む)音立花姫」の続きとなります。心臓の高まりを抑え、更に歩みを進めました。「大輪の梅の花が咲く天部が秘密裏に動いている」の舞台である「大坊本行寺」の奥で、その存在は静かに(沈黙=Silence)私を待ち受けておりました。「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主なしとて榛名忘れそ」この歌の「イ=意=井」を汲む(組む)と2022年・令和4年9月17日にまきちゃんと訪れた、榛名神社
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-181「虎に翼」の続きとなります。「大坊本行寺」のルートで確保した「井桁に橘」に戻りますよ。この場で一氣に全てが繋がり、膝から崩れ落ちそうだったのは、「弟橘媛」の神紋が「橘(たちばな)=立花」だからなのです。「たち」は「立」「経」「断」「達」「太刀」へも拡がり「辰(立つ)」の2024年・令和6年へ延びています。木花咲耶姫と磐長姫の伝言-15「弟橘媛」「たちばな」に「音」が加わると「音立花(華・鼻
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-180「大輪の梅の花が咲く天部が秘密裏に動いてる」の続きとなります。ブログを書こうとしてパソコン開けたら、「JustTheTwoOfUs」の歌詞が脳内に流れて来たので、「ルート(root)を確保せよ」してみたら、「私たち二人だけ」の恋愛の歌ではなくて、トリニダード・ドバゴ共和国のことについての歌らしい。色んなミュージシャンがカバーしてます。トリニダードという島(国)とドバゴ島(国)という
御教歌はらたててようならうかとおもふたたてぬさきよりわるう成けり腹立てた勢いで物を言い行動したら、スッキリするのかと思っていたが、腹立てる以前より後味が悪いことをお示しの御教歌です。昔から「腹は立て損喧嘩は仕損」とありますように「怒りは失うものはあっても得るところはないし、けんかをすれば損するばかりである。」怒りは押えてこそ得るものも大きいのですが、それでも腹を立てて
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-179「北の矢印が目指すもの」の続きとなります。私ね、「ソメイの咲く頃にみちびきだされん」が始まる3月17日の前まで、毎日のように、色んな花の香りが漂ってたんですね。思わず、普天間さんにメッセージしてしまったくらいに。なぜ、出雲系なのかは、「奇異ワード」の続きなのですが、書く氣が起きたら書く。とにかく、ハナの祝福が物凄かったんですね。多分、「大輪の梅の花が咲く天部が秘密裏に動いてる」からなんだと思
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-178「江嶋大明神の19dayslater」の続きとなります。2024年4月9日午前3時21分、牡羊座新月で皆既日食です。3・2・1って来たら±⓪ではないですか?12星座のはじまりの新月だから自立と再生のスタート感半端ないねぇ。おわりははじまり-178「江嶋大明神の19dayslater」「池上橋」のバス停で降りて、「本坊本行寺」へのルートを進む。私は「ルートを確保せよ」の「ミッション=役
鎌倉の桜は満開です。昨日、光くんが撮影臨済宗円覚寺派大本山円覚寺白鷺池北鎌倉駅東口金寳山浄智寺鐘楼門比企谷妙本寺日蓮聖人銅像比企谷妙本寺祖師堂と柴犬比企谷妙本寺祖師銅脇葛原岡神社葛原岡神社段葛段葛
不軽菩薩の修行後編その不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の修行をお手本として、自ら行じていかれたのがお祖師さま(日蓮聖人)です。お祖師様は「日蓮は不軽(ふきょう)のあとをしたふ云々。我(われ)敢(あ)えて汝(なんじ)を軽(かろ)しめず云々。」このように仰せで、お祖師さま自ら不軽菩薩の礼拝修行を実践されてます。その修行は、何処までも人を敬う修行です。その極まったところに慈悲の心があります。その慈悲の心を
こんにちは春がきました人との出会いが多くなる時期ですね🌸新年度、新生活を迎えるみなさまに本日は「ご縁」についてご紹介します「ご縁」とは目に見えない遠い過去からの繋がりということです。目に見えない遠い過去=前世(過去世)から現在の人生(現世)もちろん今現在の自分の過去も含まれます。遠~い過去からの沢山のつながりが知らず図らずも家族、友達、学校・職場、などの人間関係/場所を決定してきました。しかし、時間を巻き戻すして過去をかえることもましてや覚えのない前世
今回は滋賀県長浜市にまずは北陸本線の田村駅からスタート米原駅から2駅の所田村駅から2キロ弱の妙立寺へ向かいます妙立寺【みょうりゅうじ】当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198年)、御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建されましたが、その後廃寺となりました。延慶二年(1311年)日蓮聖人の孫弟子である日像上人は、北陸伝道の途中、浅井領主平井左京太夫友清の館を訪れ、法華経を説きました。説法を聞いた当時の末寺の住職や檀信徒達が日像上人に、帰依・改宗し
日蓮大聖人今月のお言葉『上野尼御前御返事』(うえのあまごぜんごへんじ)経に云く若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。弘安4年(1281)11月15日執筆『昭和定本日蓮聖人遺文』1890頁(訳)法華経の第二番目である方便品(ほうべんぽん)に「もし、法華経という教えを聞くことがある者は、一人として成仏しないことは無い」とあります。この一節の内容は、法華経を受け持つ(教
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。おわりははじまり-173「アカサ➡ワへ抜けて下さい」の続きとなります。2022年令和4年寅年を基軸にした日記の最後です。「不親切にもほどがある時間旅行のツアー(日記)」です。略して、F(不親切にも)F(ほどがある)J(時間旅行の)T(ツアーは)I(いかが?)13の巻でございます。【令和4年10月21日】あやちゃんから伝えられた2022年10月21日付メッセージをそのまま纏め掲載しました。これが2024