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色々立て込んでいて記事作成が遅れました。いやあ、がんばりましたよ、風来のシレン6ダンジョン全制覇(コラ)。それ以外にももちろん、色々あったのですが…。さあ、五頭龍様のお話に戻りましょう。鎌倉時代には、江の島の守り神・五頭龍様が祀られる龍口明神社の聖域内で、罪人の斬首が行われていた、というくだりからです。時は鎌倉時代後期。この処刑場で、ある夜、一人の僧の斬首が実行されようとしていました。その名は日蓮。彼は「立正安国論」という、法華経の思想に基づく国家安寧と民衆の救済を唱えました
昨日は、当山の鬼子母尊神大祭法会を奉修しました。たくさんの御参詣をいただき、深謝いたします。また、天童稚児として参加いただいたお稚児さんの皆さまにも、重ねて御礼申し上げます。5月は、ハンドメイドのイベントを開催します。引き続き、当山の護持にご協力いただきますよう宜しくお願い申し上げます。
今日は安房小湊の大本山小湊誕生寺にやってきました。誕生寺は1276年に日蓮の弟子、日家によって建立されました。この地は日蓮聖人の生誕地とされており、歴史的にも非常に重要な場所です。寺は元々日蓮の生家跡に建てられましたが、地震や津波による被害で何度か移転し、現在の場所に定められました。寺院の敷地内には多くの見どころがあります。本師殿宝塔は1988年に完成し、その他にも宝物殿、客殿、竜王殿などがあります。特に宝物殿には日蓮真筆や歴代の墨蹟、そして日蓮聖人御一代伝記画などが展示されています。また、
4月28日、本光院で法話会を開催しました今月のテーマは・・・『愛語施』最近、優しい言葉をかけましたかそして優しい言葉をかけてもらえましたかこの優しい言葉は、時に人の心を大いに救いますそんな実例をお話しさせていただいたのですが、常日頃、言葉を発する私たちは発する前に気をつけていきたいですねひとつの言葉でけんかしてひとつの言葉で仲直りひとつの言葉で涙を流しひとつの言葉で笑い合うひとつの言葉で頭が下がりひとつの言
池田大作氏の死去で考える創価学会が政治進出した宗教的な理由とは:朝日新聞デジタル公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が11月、95歳で死去した。政治と深く関わり、政教分離などを巡って批判も受けた。日蓮正宗(しょうしゅう)の信徒団体だった創価学会が、なぜ政治進出を果たした…www.asahi.com公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が11月、95歳で死去した。政治と深く関わり、政教分離などを巡って批判も受けた。日蓮正宗(しょうしゅう)の信徒団体だった創価学会が、なぜ政治
皆さま、おはようございます曇っていますがそんなに寒くないですね過ごしやすいです昨日からGWの方もいらっしゃいますよね☺日頃の疲れをリフレッシュすることができますように•••楽しんでくださいね🌸私はあまりお休みが長いとかえって疲れてしまうので、3日ぐらいのお休みでちょうどいいかな••••••••cut•••••・1253年(建長5年)4月28日、日蓮宗が開かれる→安房(千葉南部)の漁師の家に生まれた日蓮は、日蓮宗を開きます。16歳で出家し、鎌倉で法華経を広め、念仏や禅はよくない
〈御(ご)書(しょ)の旭光(ひかり)を〉29今いる場所を「宝(たから)の舞(ぶ)台(たい)」に2021年5月20日【御文】今(いま)日蓮等(ら)の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱(とな)え奉(たてまつ)る者(もの)は化(け)城(じょう)即(そく)宝(ほう)処(しょ)なり我(われ)等(ら)が居(きょ)住(じゅう)の山(せん)谷(ごく)曠(こう)野(や)皆(みな)皆(かい)常(じょう)寂(じゃっ)光(こう)の宝処なり(御(おん)義(ぎ)口(く)伝(でん)、734ページ)【通解】今、日蓮と
仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事旧1124新1633)【通解】釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。【先生の指導から】さらに、戸田先生は強調されていた。「御本尊様を拝すると、われわれの生命に、南無妙法蓮華経という力があらわれてきます。この己心の南無妙法蓮華経が躍動してくるところに、生命の調和がとれ、病気や経済や生活の問題も打開できる」「清浄な、たくましき、人を救おうとする慈悲が、そして人生を悠々と
https://youtube.com/watch?v=WnDSSVIcbtk&si=f6L514Ipa16yIYPn日蓮系一寺院が正法で他は邪宗教というならば、その正しい根拠を証明してもらいましょう日蓮系一寺院の信奉者が、自らは正法で他の宗教は邪宗教にして不幸の因であるというのなら、その一寺院の金看板が正しいものであると証明してもらいましょう。youtube.com
このコスプレは、伊豆急行線の豪華列車とラケットちゃんです。私のホームページ↑のリンク付きです。このページは☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、P83,万物が成仏するしくみ、法則(=南無妙法蓮華経)の定義より検討(1)です。ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。また、以下のリンクで、これまでの論文記事の目次と簡単な概要説明も記載しております。是非ともご参照ください↓仏法における血脈と師弟|MySite1この論文は、
光則寺は、五代執権北条時頼の家臣宿谷光則の自邸跡。宿谷光則の墓1260年(文応元年)、日蓮は、長谷にあった宿谷光則の屋敷を訪れて、政治や宗教のあるべき姿を著した『立正安国論』を北条時頼に渡してくれるよう光則に依頼します。『立正安国論』は光則によって時頼に提出されますが、日蓮の献策は受け入れられませんでした。その後、多くの弾圧を受けながらも、世の中の正道を説き続けた日蓮は、1271年(文永8年)9月12日に逮捕され佐渡流罪となります。その時、弟子の日朗も捕らえられ、光則がその監視の任に当
マンガ「日蓮」第1話「その男日蓮」【マンガ「日蓮」】www.seikyoonline.com
私は、別のところ(獅子風蓮のつぶやきブログ)で、FLASH(3月12日号)と週刊現代(2024年3月9日号)の記事を参考に、恐ろしい外科医が世間にゴロゴロしている可能性について書きました。『脳外科医竹田くん』の恐怖その1)(2024-04-08)『脳外科医竹田くん』の恐怖その2)(2024-04-09)『脳外科医竹田くん』の恐怖その3)(2024-04-10)『脳外科医竹田くん』の恐怖その4)(2024-04-11)ネットではこれですね。週刊現代2024.03.02
元友人もですが、某宗教団体は日蓮の日の字より某3代目会長の名前の方が出ているのに、『某3代目会長教』と言うと凄いキレ方をします。このキレ方、ズバリ図星だから何でしょうけど、非活や脱会した方々も『拠点や会館には一つも日蓮画像は無い❗️』との証言が多数です。某宗教団体からすれば『宗門から破門されたのだから日蓮の画像は飾らない❗️』とでも言いたいのか知りませんが、お経は『法華教』ですよね❓️。『法華教』を唱えているのに『日蓮は関係無い❗️』は発言として矛盾してますよ❓️。今の某宗教団体は『
(『人間革命』第10巻より編集)152〈展望〉18戸田は、なんの強がりも気負いもなく、ただ淡々と語っていた。平常心というものが、厳然としていて、彼の言葉は、聞く人の耳に素直に通った。つまらぬ世評に動揺したり、悔恨で、胸をふさがれていた会員の心は、凍えた土が太陽に溶かされるように、いつか暖かく溶解していった。戸田は、今後の活動の指針を与えて、言葉短に言った。「今後の折伏でありますが、どこまでも、立派な会
🌸日蓮宗教えー『法華経』☆『法華経』を信じれば現世で人も国家も救われる⛳『法華経』を最重要視する理由☆日蓮はあらゆる仏教経典のなかでも『法華経』が*釈尊の直接の教えであり、最高のものであると位置づけた*「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば*来世ではなく現世と未来で救われると説いた*人間ばかりか社会も国家も救われるとしたのである☆『法華経』は、「諸経の王」といわれるほど重要な経典であった*その内容は簡単なものではなく、多くの人は読みこなせなかった☆日蓮が
🌸日蓮宗宗祖ー日蓮☆度重なる法難を乗り越え命がけの布教を続けた革命児⛳日蓮『法華経』との運命の出逢い☆日本の仏教宗派の宗祖のなかで*日蓮ほど過激な布教活動を行なった仏教者はいない*日蓮他宗派から何度も迫害され、幕府からは配流処分を受けた☆日蓮は、末法の世の人々を救うためにと、『法華経』に生涯をかけた*比叡山で『法華経』に出逢い*『法華経』こそが人々を救い国家社会を安泰にする力をもつ*仏法の真髄であることを確信した☆日蓮は、弟子や信徒の前で*『法華
🌸日蓮系宗派☆平安時代末期から鎌倉時代初期末法思想が広がる☆新しい宗派が次々と生まれた☆日蓮が開宗した日蓮宗*宗名に宗祖の個人名がついている*日蓮の人柄が強く反映され、彼の体験による影響が大きい宗派⛳日蓮宗の教えの最大の特徴☆『法華経』こそ仏教の真意だと説く点である*日蓮は『法華経』を「南無妙法蓮華経」の題目として唱える*それにより、救いの道が開けると説いている☆浄土系宗派では、阿弥陀如来の名を称えることで*現世の苦しみから逃れて極楽浄土へ往生できる
【御書本文】日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし(撰時抄旧266新175)【通解】日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう。【先生の指導から】思えば、私が入信して以来の60年間は、大難また大難の連続であった。民衆勢力の台頭に恐れをなした権力者による、不当な弾圧もあった。嫉妬に狂った坊主らの卑劣な策謀もあった。自らの欲望に負けて同志を裏切り、学会に
【御書本文】かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし(如説修行抄旧502新600)【通解】敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
【御書本文】去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間退転なく申しつより候事月のみつるがごとくしほのさすがごとくはじめは日蓮只一人唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人耳をふさぎ眼をいからかし口をひそめ手をにぎりはをかみ父母兄弟師匠ぜんうもかたきとなる(中興入道消息旧1332新1768)【通解】去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
創価学会の、御本尊は複製コピーで、贋作御本尊であります!!!!怒れ!!!!【本物の『法華経信者』】2024-01-1312:34:05.に投稿をした文章を、再投稿をする!怒れ!!!!法華経信者!!!!創価学会の、御本尊は、複製コピーで、贋作御本尊であります!!!!怒れ!!!!本物の、『法華経信者!!!!』日蓮大聖人様は、嘆き悲しんでおられます!!!偽物贋作御本尊複製コピーの、御前で、唱える『お題目』は、効力が、ないどこ
4月8日はお釈迦さまが生まれた日😊と言うことで池上本門寺は6日、7日と花まつりでした。この日、通常は非公開の五重塔が開帳されて奉安されている仏様の前でご祈祷が受けられたり特別限定色紙御朱印の頒布があったので6日に行ってまいりました🎉いつもは1時間近くかけて徒歩で行きますがぎっくり腰のため電車で😅駅を降りて歩いたことがなかったので初めて目👀にするものばかり初めて見る案内石動物病院の前に立っていました。ここを通って左に曲がると参道?普通に車が通る道路を真っ直ぐに行きます
日蓮宗顕法寺の御首題(御朱印)(北海道広尾郡大樹町北通8)直書きでいただきました近郊の日蓮宗のお寺で紹介していただいて行ってきましたありがとうございます
(『人間革命』第10巻より編集)145〈展望〉11戸田は、一つ一つ頷きながら、じっと、伸一の話を聞いていた。「私が、今、苦慮しているのも、まさにそのことだが、日本における広宣流布の展開を考えると、まるまる避けて通ることはできない。となると、単なる戦略に原理が歪められる危険は、絶対に避けなければならないことになる。これが難しい点だ。現実的な社会というものは、どうしても、安易に政治的に流されやすい。
〈御書の旭光を〉17民衆の中へ同志の中〈御文〉煩(ぼん)悩(のう)の淤(お)泥(でい)の中に真(しん)如(にょ)の仏(ほとけ)あり我(われ)等(ら)衆(しゅ)生(じょう)の事(こと)なり、今(いま)日蓮等(ら)の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱(とな)え奉(たてまつ)るを当(とう)体(たい)蓮(れん)華(げ)の仏と云(い)うなり(御(おん)義(ぎ)口(く)伝(でん)、740ページ)〈通解〉煩悩の淤泥の中に、ありのままの仏がいる。それは、我々衆生のことである。今、日蓮と門下が
4〜5年前からずっといつか行きたいと思いつつも辿り着けなかった場所高祖皇大神宮にやっと行くことができたいつも近くを通るのに何故かカーナビも教えてくれず2度諦めた場所へやっと行けた空海、日蓮、親鸞、釈迦、モーゼ、老子、孔子、孟子、徐福、キリストなどが人の生きる道を神より教わり布教する許可を貰った地御祭神の多さに驚く全ての源のような場所以下ネット情報この神社は、明治43年(1910年)に竹内巨麿が茨城県で“再興”した天津教に属し、その来歴は『竹内文書』の記述に詳しい。この
さて日蓮が師である道善房の訃報に接してしたためた『報恩抄』の考察を以って、千光山清澄寺の最終章にしたいと思います。なお、ところどころで貼る画像は、清澄山での撮影ですが、本文とは全く関係ない『オモシロ看板』シリーズです。『報恩抄』は日蓮が身延入山後の55歳で書いた追悼文なのですが、「五大部」とされる大著であり、法華経行者としての生涯を振り返りつつ教義を集大成した内容となっています。では亡き恩師に対する言及部分を抜き出してみましょう。・父母、そして師の道善房も日蓮の大功徳のお陰で成仏できるだ
日蓮宗千龍山廣教寺の御首題(御朱印)(北海道広尾郡広尾町西3条3丁目1−2)直書きでいただきました御住職さんとご家族の方も親切な人でした帰る途中の近郊の日蓮宗のお寺を紹介してくださいました早速参拝して御首題をいただくことができましたありがとうございました
不軽菩薩の修行後編その不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の修行をお手本として、自ら行じていかれたのがお祖師さま(日蓮聖人)です。お祖師様は「日蓮は不軽(ふきょう)のあとをしたふ云々。我(われ)敢(あ)えて汝(なんじ)を軽(かろ)しめず云々。」このように仰せで、お祖師さま自ら不軽菩薩の礼拝修行を実践されてます。その修行は、何処までも人を敬う修行です。その極まったところに慈悲の心があります。その慈悲の心を