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「東和酒造」東和酒造は享保二年(1717年)に京街道・生野宿近くに創業した酒蔵です。現在では福知山市唯一の酒蔵で「福知三萬二千石」「六歓」という銘柄の日本酒を製造しています。酒蔵の歴史は長いのですが、昭和52年から33年間休造しており平成23年に自醸を再開した復活蔵です。現在は蔵元の長女が丹波杜氏として杜氏を担い、蔵人の手作業で少量仕込みの製造をしています。東和酒造有限会社京都府福知山市上野115、116、117番合地*東和酒造(有)|酒蔵検索Sakagurainf
「関酒造有限会社」関酒造有限会社が醸す「この花桜」。辛口でしっかりとした味わい。原酒ならではの飲みごたえ。色は薄いコハク色。香りは控えめながらも、ほのかに芳ばしい乳酸香。飲み口はとにかく辛い。辛い。ガツンとした辛さ。甘さは控えめで、ウイスキーのように芳ばしく、刺激がある辛さ。味わえば味わうほど、味わい深いお酒。燗にすると、意外にスッキリライトな感覚。ふくよかな透明感。旨味は控えめ。スッキリとしたキレ。関酒造有限会社京都府亀岡市紺屋町26*関酒造有限会社の蔵元情報|Sake
「長老酒蔵」1903年創業。京丹波の豊かな清流と品質の良い米を使った、飲みやすく、まろやかな口当たりの清酒。長老酒蔵京都府船井郡京丹波町本庄ノオテ5*有限会社長老|スポット一覧|京都府観光連盟公式サイト1903年創業。京丹波の豊かな清流と品質の良い米を使った、飲みやすく、まろやかな口当たりの清酒。代表銘柄「長老」〈主な使用米〉五百万石・京の輝き〈特徴〉ほど良い香りの旨口【販売店舗】蔵元・小売店京丹波町各道の駅ネット販売有りwww.kyoto-kankou.or.j
「羽田酒造」京都嵯峨から周山街道を一路北へ進み、京都の北西に位置する京北地域。ここに桂川の上流、北山杉と清流のふる里、周山があります。1893(明治26)年創業以来、羽田酒造の手造りの地酒は、地元の人々に愛飲されながら育まれました。京都北山の自然と清澄な大気が醸す、「初日の出」、「羽田」ブランドを中心とした恵みの地酒をぜひご賞味ください。羽田酒造有限会社京都府京都市右京区京北周山町下台20*羽田酒造(有)|酒蔵検索Sakagurainformationfor羽田酒造
「佐々木酒造」佐々木酒造株式会社(ささきしゅぞう)は、日本酒を製造販売する、京都市に所在する蔵元のなかでも、特に洛中と呼ばれる範囲内において唯一現存する蔵元である。俳優・佐々木蔵之介の実家でもある。1893年(明治26年)佐々木治郎吉が創業。沿革1893年初代佐々木治郎吉が京都市上京区日暮通椹木町下ルにて創業、清酒の製造販売を始める。創業当時の代表銘柄は「聚楽菊」1955年佐々木勝也が「佐々木酒造本家」として三代目蔵元就任(戦時中一時休業、同年復活)1987年「佐々木
「松井酒造」松井酒造株式会社(まついしゅぞう)は、京都府京都市左京区吉田河原町にある蔵元。享保11年(1726年)創業。歴史享保11年(1726年)に但馬国城崎郡香住(現・兵庫県美方郡香美町)で創業し、北海の千歳(現・北海道千歳市)と交易し、日本酒と海産物を交換していた。幕末には京都・洛中の河原町竹屋町に移転。上京区と下京区しかなかった1893年(明治26年)の京都市には131軒の蔵元があり、伏見町(現・京都市伏見区)よりも蔵元の数が多かった。大正末期には京都市電河原町線の建設工事
「松山酒造」沿革当社は、昭和33(1958)年に月桂冠のグループ会社となり、京都市伏見区下板橋での借蔵による生産を経て、昭和42(1967)年から同区東堺町の現在地で酒造りを行い、かつては年間約5,000石(900キロリットル)の日本酒を製造していました。現在地は、京阪電車丹波橋駅より下板橋通りを西へ徒歩約12分のところにあります。酒蔵は江戸期の薩摩藩邸伏見屋敷の跡に所在し、天璋院篤姫の京滞在時の宿泊地だった場所です。寺田屋で襲撃された坂本龍馬はこの地で傷を癒し、また、龍馬と
「共同酒造」沿革昭和45年(1970)、伏見鶴酒造株式会社の全株式を大倉酒造(現・月桂冠)株式会社が取得し、共同酒造株式会社を設立。同年より、月桂冠グループの一員として、大八木蔵(伏見区京町1丁目)で、醸造を開始、商標を「美山」(日本の象徴、富士の霊峯を讃えるの意味。明治39年登録、現在月桂冠(株)所有)としました。同56年(1981)以後約20年間、月桂冠北蔵(伏見区下板橋)の土地・建物の一部を借り受け、伝統的な醸造をつづけてきました。その間、全国新酒鑑評会で「金賞」の栄誉(同5
「招徳酒造」招徳酒造株式会社(しょうとくしゅぞう)は、日本酒の純米酒を中心に各種の酒類を製造する酒造会社。概要正保2年(1645年)洛中にて酒造業を営んでいた木村家が大正中期に名水の里・伏見の現在地に移転。「純米酒こそ、清酒本来の姿」との考えから、その復活と普及に早くから積極的に取り組み、個性ある純米酒づくりに専念する。特徴京都府、京都市、京都府立大学などとともに「京野菜機能性活用推進連絡会」を設立し、京野菜の健康成分の研究や加工品の開発の支援を行っている。特典として
「小山本家酒造」株式会社小山本家酒造(こやまほんけしゅぞう、英:KoyamaHonkeSyuzoco.,ltd.)は、埼玉県さいたま市西区指扇に本社を置く、清酒を中心とする酒類の製造・販売企業。世界鷹小山家グループ(せかいたかこやまやグループ)の中核企業。概要創業者の小山屋又兵衛は、宝暦13年(1763年)に播州・宮北村(現在の兵庫県播磨町)にて出生[9]。灘・伊丹・伏見にて酒造りの技術を習得し、1780年ごろ関東地方へ移住、足立郡白幡村(現在のさいたま市南区白幡)にて酒造
「藤岡酒造」沿革もともと日本でふたつしかなかった民営の煙草製造会社で酒造業などを多角的経営していましたが、明治35年10月、初代藤岡栄太郎が酒造業一本とし、京都市東山区において創業。そのとき醸造石数は1200(約216kl)余り、その後大津市に製造場を増設。明治43年に伏見に製造場を移し、大正7年に現在の地に製造場を新設。昭和27年に株式会社に組織変更。しかし平成6年三代目藤岡義文の急死が引き金となり平成7年の酒造りを最後に酒造りを休止するも平成14年五代目藤岡正章により酒造りを再開。
「増田徳兵衛商店」沿革増田德兵衞商店は1675年【延宝3年】に、鳥羽伏見で創業した最古の酒蔵のひとつです。平安京の造営(794年)に伴い、羅城門(平安京の玄関)からまっすぐ南下する鳥羽街道(鳥羽の作道)を挟み、母屋と酒蔵があります。鳥羽伏見の戦で罹災し再建。「月の桂」の銘は姉小路有長卿が拙宅により「かげ清き月の嘉都良の川水を夜々汲みて世々に栄む」と詠んだことから「月の桂」の銘が誕生しました。月の桂は、季節感と個性を尊び、“生きたもの”である米、水、酵母など、その時々の自然の味の幅広さを
「向島酒造」京都の老舗酒蔵「向島酒造」が民事再生法申請2018年2月26日16:36|国内倒産|京都,倒産,酒官報によると、京都府京都市伏見区に本拠を置く老舗酒蔵の「向島酒造株式会社」は、2月14日付で京都地方裁判所より民事再生法の申立に伴う監督命令を受けたことが明らかになりました。1655年~1658年の間に創業の同社は、全国的にも老舗として知られる酒蔵で、代表銘柄の「ふり袖」が高い人気を誇り、その他にも「祇園物語」などの銘柄を製造していました。しかし、若者を
「東山酒造」沿革元は京都市左京区新麩屋町仁王門下ル大菊町123番地で代々酒造業を営んでいましたが、昭和20年6月に法人に改組しました。昭和21年10月、松本司馬之助が代表取締役に就任しました。昭和42年には伏見区塩屋町228番地に移転し、松本司朗が代表取締役に就きました。昭和47年6月、伏見区奈良屋町408番地に酒蔵を借りて移転しましたが、昭和59年10月にふたたび伏見区塩屋町にもどり、現在に至っています。現況現況こだわりの酒造りを追求する東山酒造は、杜氏伝承の日本酒の
「城陽酒造」"創業1895年。京都府南部山城地域唯一の酒蔵として自然豊かな地で豊富な地下水に恵まれ歴史と伝統に育まれた酒造りを現在に継承しております。全量酒造好適米を使用した酒造りは地下100メートルから汲み上げた軟水を試用して10月から3月ごろの酒造期に小仕込みで丁寧に醸造しております。搾ったお酒は無濾過のまま瓶に詰め、加熱殺菌を行い、蔵の冷蔵庫で品質管理も徹底して蔵出しします。手間ひまを惜しまず造られた日本酒「城陽」はお酒本来の旨みがありキレが良く、お料理を引き立てる京の食中酒とし
「山本本家」株式会社山本本家(やまもとほんけ)は京都市伏見区で清酒の製造販売、および居酒屋チェーン「鳥せい」を経営する製造会社である。概要創業は江戸時代の1677年(延宝5年)、現在の蔵は1868年(慶応4年/明治元年)に鳥羽・伏見の戦いで全焼し、同年に再建したものである。仕込水は伏見七名水のひとつ、「白菊水」が使われ、鳥せい本店の横で勢いよく湧き出し、誰でも利用できる。主要銘柄の「神聖」は、白楽天の漢詩にちなみ、ラベルの文字は富岡鉄斎の筆によるもの。ポスターには木村斯光の
「山本勘蔵商店」沿革初代の山本勘蔵が、大正の頃、大阪で酒問屋を始め、取引で伏見を訪れるうちに、伏見清酒の良質性と伏見桃山の風景に魅せられました。そこで昭和11年に縁あって現在の蔵を譲り受け酒造業を始めました。昭和17年、戦時下の企業整理により当蔵は休造となりましたが、昭和23年、戦後の経済自由化により2代目楢雄が酒造業を再開しました。当時の製造量は約30tでした。以後戦後の復興とともに増産を続け、昭和30年には株式会社に組織変更し、現在に至っています。杜氏は15歳で当蔵入した
「都鶴酒造」沿革現況昭和45年7月25日、中野酒造株式会社所有『伏見の美酒都鶴』の商標権を譲り受け、同年8月24日、都鶴酒造株式会社設立。設立時の本社業務は、伏見区御駕篭町151番地。46年3月1日創業、現在に至ります。都鶴の商標の由来は、天保11庚子年(1840)、大新版の『江戸積銘酒大寄為御覧表』で前頭に格付されており、170年の歴史ある商標で現在までに幾人かの銘醸家に引き継がれて、現在に至っています。都鶴酒造株式会社京都市伏見区御駕篭町151*「都鶴」都鶴酒造
「平和酒造」沿革当社の前身「河内屋」は大阪の河内出身で、京橋で米問屋を営んでいました。延享元年(1744)に京都の伏見で、河内屋は幕府から酒株を取得し、清酒の醸造、販売を始めました。伏見奉行所の統制により、大きく酒造数量を増減させながら、明治の初頭には「河内屋」が伏見でトップクラスの酒造数量を誇ることになります。明治から大正、第二次世界大戦まで「河内屋」は地主として年貢米を使用して「慶長」を醸造、販売していました。戦後は農地改革やその後の経済変動を経て、昭和23年に平和酒造合資
「齊藤酒造」沿革齊藤家が酒造業を始めたのは明治28年のことです。齊藤家は元禄のころから伏見の地で呉服商を営んでおりましたが、明治になり社会の大変化の中で9代目齊藤宗太郎が呉服商から酒造業に転業をいたしました。創業当時は「柳正宗」「大鷹」などの商標で販売していましたが、大正4年大正天皇のご即位の御大典を記念して、現在の代表商標である「英勲」といたしました。この時、既に他界していた9代目宗太郎を偲び、戒名から「勲」を頂き名付けました。以後、戦中戦後の困難な時期も乗り越え、昭和35年
「松本酒造」松本酒造(まつもとしゅぞう)は京都府京都市伏見区にある酒造会社。1922年(大正11年)築の本社酒造場は近代化産業遺産の認定を受けている。沿革1791年(寛政3年)、松本治兵衛により現在の京都市東山区において商号「澤屋」で酒造りをはじめたことが創業とされている。1949年(昭和24年)に株式会社に改組し、1922年(大正11年)、7代当主松本治平の時代に、新高瀬川西岸の現在地に酒造場を増設した。蔵見学や試飲は実施しておらず、敷地内事務所にて1商品のみ販売を行って
「玉乃光酒造」沿革初代中屋六左衛門が延宝元年(1673)、和歌山市にて紀州徳川藩の免許で創業しました。昭和39年、業界に先駆けて、アルコール、糖類を添加しない「無添加清酒」(今日の純米酒)を発売、日本の伝統文化である清酒の本来の姿は米100%の純米酒にあると主張してまいりました。酒銘の「玉乃光」は、代々熊野の速玉(はやたま)神社を信仰し、宮司より主神の天照大神の御魂(玉)がはえるようにとの願いを込めていただいたものとされています。現況延宝元年(1673年)創業。「玉乃光
「宝ホールディングス」宝ホールディングス株式会社(たからホールディングス、英:TAKARAHOLDINGSINC.)は、京都府京都市伏見区に本社、同市下京区に本社事務所を置く、日本酒を中心とした酒類製造メーカーである宝酒造やタカラバイオなどを傘下に持つ持株会社である。宝酒造はCMや広告等では「タカラ」や「TaKaRa」という風に表記される。JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。なお本項では、宝酒造株式会社(たからしゅぞう、英:TAKARASHUZOCO.,LTD.
「豊澤本店」沿革弊社の創業は、江戸時代も終わろうとしているころ、豊澤儀助が九州から大阪の天王寺に出て来て酒類の小売業を営んだのが始まりです。儀助はどうせ売るのなら自分で造ったものを売りたいと明治初年に酒造業を始めました。当初は奈良、岡山で酒造りをしていましたが、昭和9年株式会社を設立した後、よりよい水を求めて、昭和28年伏見に移り、現在に至っています。主要銘柄である「豊祝」の名は、「いね美のり國も豊よ祝ひ酒」という創業者儀助の句からとられています。現況弊社は、現在年間約
「鶴正酒造」1891年(明治24年)創業の株式会社谷酒造本店より、1969年11月、鶴正酒造株式会社として酒造権・商標権を継承し、1970年10月に日本酒類販売株式会社全額出資の会社として発足しました。全国新酒鑑評会でも金賞を受賞し、伝統と新しい技術で銘酒の醸造に日夜努力し、需要開発に励んでいます。お米本来のうまみを引き出し、酸とのバランスの調和を大切に保ちながら、お米と水のハーモニーを奏でるようなシンプルな清酒を造っております。京都の歴史と、京料理の歴史と共に育ってきた伏見の清酒として
「キンシ正宗」キンシ正宗株式会社(キンシまさむね)は、京都市伏見区に本社を置く清酒の生産・販売をおこなう会社である。創業は1781年(天明元年)。構内には伏見7名水のひとつである毎時70トンの水量の常磐井水を有し、1995年に米を蒸す代わりに高温・強火で炊いて粥状にして酒母と麹を加えて発酵させる液化仕込みを導入している。沿革1781年–現在の京都市中京区堺町二条上ル亀屋町にて、松屋久兵衛により創業。1880年–現在の京都市伏見区御駕籠町に蔵を開設。1896年–
「京姫酒造」沿革大正7年、岡本酒造合資会社として発足。銘酒花自慢の名称で大阪地域を中心に広く親しまれてきました。名水の誉れ高い伏見でも最良の伏水ある地に酒蔵を構えています。井戸から湧き出るやわらかな清水で仕込み、伏見の酒の特徴であるソフトな旨口、きめ細かな風味を醸し出しています。昭和49年6月、世界鷹小山家グループ入りし、平成9年7月にこの地に根付いた吟醸蔵を目指し、社名を京姫酒造と改め現在に至ります。現況現況当社は「品質第一主義」をモットーに、酒造りに取り組んでいます。
「北川本家」株式会社北川本家(きたがわほんけ)は京都府京都市伏見区にある酒類醸造会社である。創業は明暦3年(1657年)以前と伝えられている。会社設立は昭和11年。概要江戸時代から続く伏見の老舗酒蔵である。現在の主要銘柄は富翁で、昭和58年(1983年)に全国新酒鑑評会に初出品し、2015年2月時点で金賞を15回受賞している。越前糠氏を筆頭に120人いた蔵人は現在8名のスタッフで酒造りが行われている。銘柄日本酒富翁(とみおう)ラベルにおいてはローマ字では「TOM
「黄桜」黄桜株式会社(きざくら、英:KizakuraCo.,Ltd.)は、京都府京都市伏見区横大路に本社を置く大手日本酒製造会社である。主として、清酒「黄桜」の製造販売をおこなうが、近年では地ビールの製造販売や、レストラン業の経営なども手掛けている。コーポレート・スローガンは「くつろぎ、うるおい、かがやく。」。概要社名の由来は、社長が黄桜の花(淡く緑色がかった白い花を咲かせるサトザクラの一種)を好んだことから。漫画家・清水崑が描く河童を長期にわたりマスコットとしており(
「月桂冠」月桂冠株式会社(げっけいかん)は、日本の酒造メーカーである。日本酒を中心に各種の酒類を製造する。「月桂冠」は同社が製造する日本酒の銘柄でもあり、西洋で勝利と栄光を象徴する月桂冠を由来として名付けられ、1987年から社名にもしている。本社および工場は京都府京都市伏見区に所在する。概要明治時代以降急速に全国展開し、灘の白鶴酒造とともに日本最大の酒造メーカーとなった。戦後は、業界に先駆けて一年を通して醸造可能な「四季醸造蔵」を建設し、大量の酒を供給することに成功した。「For