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本日分の記事はワケあって小ネタになります。千葉県鴨川市内で見かけた光景になる。この木造の建物、元商店っぽいなと思いよく見てみたら・・・このホーロー看板があった。「売」の字が旧字なので相当前のものなのだろう。日本専売公社(現・JTの前身)が出来た昭和24年以前のものだろうか?ウェブ上で見た限り見つからなかったが「塩」も旧字のタイプも存在するのだろうか?(完)
プラスチックの宣伝パネル《キャビン85》《マイルドセブン》たばこの自動販売機には、1980年頃には既にプラスチック製でパネル形式の広告が貼られていました。20代の中頃にその宣伝パネルを何枚か貰っていますのでご紹介しています。額縁と、宣伝パネルは8枚ほど貰っていました。前回プラスチック製の額縁とパネルを2枚ご紹介しました。今回は2回目です。残りの宣伝パネルを6種類まとめてご紹介します。自動販売機の宣伝パネルはプラスチックの額縁に、プラスチック製の宣伝ボードを差し込む形式です。
自動販売機用プラスチックの宣伝パネル《ジョイ》《パートナー》たばこの自動販売機には、1980年頃には既にプラスチック製でパネル形式の広告が貼られていました。20代の中頃にたばこ店からその宣伝パネルを何枚か貰っていますのでご紹介します。プラスチックの額縁に、同じくプラスチック製の宣伝パネルを差し込む形式です。額縁には裏面四方に両面テープが貼付されていて自動販売機に接着します。宣伝パネルには両サイドに4ヶ所の鉤爪があり、額縁に差し込む形式です。額縁にカバーなどはありませんが、表面から
今回は〚日本専売公社〛の時代、昭和50年(1975年)12月18日に実施された〈定価改訂〉で用意されていたB4判の定価表と(お知らせ)のポスターをご紹介します。本来は昭和50年(1975年)5月1日に予定されていた〈定価改定〉ですが、国会を通過しなかったために見送られました。結局12月18日に決定しました。この国会で揉めた事が知られています。ポスターは、B4判と大きいのでスキャナーに収まりません。そこで私は写真撮影をしていました。ところが…、写真が下手な私の撮影だったので画像がかな
昭和50年(1975年)9月1日に、新銘柄《アスター》が〚日本専売公社〛によって新発売されました。ドイツの煙草会社の製品で〚日本専売公社〛のオリジナル製品ではありません。当時4銘柄が揃っていた【クロスライセンス】製品です。昭和56年(1981年)8月には製造中止となっています。販売期間は6年ほどでした。4銘柄の中では、最も短期間で製造中止となりました。こちらの《アスター》までが、私がパッケージを集め始める前に販売されていた銘柄です。この次に新発売される銘柄は《エプソン》で、そこから発
金曜日は帝国ホテルで昔の会社のOB会。帝国ホテルは何年ぶりでしょうか。それよりも、懐かしい同期や先輩に会えて楽しい一時でした。終わったあとは、おじさん二人で銀座のバーへ。宮城峡のバラエティをロックで3杯いただきました。9月の3連休の初日は栃木の介護宅へ。やはり東北道は混んでいて、1時間半で着くところ、3時間かかりました。さて、本日のテーマは、塩の東京専売支局差し出しの葉書です。いずみ切手研究会切手展で会員の出品物の中から見つけ出しました。葉書の内容は、
昭和49年(1974年)6月1日、《ベンソン&ヘッジス》が〚日本専売公社〛によって発売されました。〚日本専売公社〛のオリジナル製品ではありません。昭和57年(1982年)3月に製造中止となりました。販売期間は7年9ヶ月です。この銘柄は海外銘柄で【クロスライセンス】製品としての販売でした。【クロスライセンス】とは、両者で【相手国の銘柄をお互いに製造、販売する】契約の事です。〚日本専売公社〛では、この時期に4種類の海外銘柄を製造しています。《ベンソン&ヘッジス》はイギリス、ロンドンのベン
昭和48年(1973年)9月15日、《マールボロ》と《オールドスプレンダー》が〚日本専売公社〛によって同日発売されました。〚日本専売公社〛のオリジナル製品ではありません。《マールボロ》はアメリカ〈フィリップモリス〉社の銘柄です。どちらも海外銘柄で【クロスライセンス】製品としての販売でした。【クロスライセンス】とは両者で【相手国の銘柄をお互いに製造、販売する】契約の事です。〚日本専売公社〛はこの時期の2年間で4種類の海外銘柄を製造しています。〚日本専売公社〛では、丁度この頃に漢
昭和48年(1973年)9月15日、《オールドスプレンダー》と《マールボロ》が同時に発売されました。どちらも【ヒンジリット型】と呼ばれるハードボックスの20本入です。《オールドスプレンダー》は薄手で面積の広い平箱となっています。これはスーツのポケットに入れてもポケットが膨らまないための配慮から、と言う事です。昭和53年(1978年)3月には《オールドスプレンダー》のデザインが変更されています。その後、昭和58年(1983年)5月に製造中止となりました。発売からおよそ10年の販売期間
が、NTTに。そーいえばあの権利ってどうなった?加入権wどんどん日本語の会社が英語やイニシャル化してるよねー。JTが日本専売公社だった。。。とか、JRが日本国有鉄道だった。。。とか、もう若者達には全く伝わらないよね。ただ、JPだけは何故だか馴染まない。日本郵政株式会社。。。郵貯とか郵便って。。。JPって訳さないもんなぁ。さてはて、問題はNTTはどういう形の企業体になっていくのか?だなぁ。どこまで大きくなっていくのか。東日本、西日本が光とかも含めてどこまで義務をし続け
探索日2018/08/11山田線上盛岡駅を所管駅としていた専用線同工場は1972年、盛岡市みたけに移転したとのこと専用線廃止はそのタイミングかただし、線路は1982年頃まで残っていたらしい移転後も専用線を擁していた『日本専売公社盛岡工場専用線』探索日2017/08/11東北本線(現IGRいわて銀河鉄道)厨川駅を所管駅としていた専用線廃止は1984年2月1日らしいこの盛岡工場は二代目で、初代工場は…ameblo.jp上盛岡駅マンションの位置に貨物側線が
6月8日日曜日〜その1(写真)日本万国博覧会記念日本専売公社のLuna・hope・SevenStars。
6月7日土曜日〜その1(写真)日本万国博覧会記念日本専売公社のhope・SevenStars・Luna。
今回は〈沖縄県〉で用意されていた〚日本専売公社沖縄事業局〛のたばこに関する印刷物をご紹介します。ポスターやチラシ、新聞の折り込み広告などを僅かに手元に置いています。明治37年(1904年)たばこの製造販売は政府の管轄になり〚煙草専賣局〛が発足します。戦後には〚日本専売公社〛と名前を変えていますが一貫して政府の専売でした。その体制は連綿と続き、1985年に〚日本たばこ産業株式会社〛と社名が変わっても専売体制は変わりません。しかし、沖縄では事情が少し異なります。戦前は〚煙
今回は、沖縄県で販売された【観光たばこ】を5種類ご紹介します。全国各地で限定販売された特別デザインのたばこです。地域限定ですが〚たばこサービスセンター〛では買う事ができました。沖縄県の【観光たばこ】では、販売総数が50万個~60万個の時代には〚たばこサービスセンター〛に割り当てられてた販売数量は全国で(18,500個)程度だったようです。〚日本専売公社〛では昭和42年(1967年)より、全国各地の景勝地などがデザインされたたばこを地域限定で発売していました。【観光たばこ】と呼
本日5月15日はアメリカの統治下にあった琉球が、本土に復帰した記念日です。1972年5月15日に復帰して沖縄県が誕生しました。毎年イベントが開催されているようです。今回は、沖縄県で販売された【記念たばこ】の中から〚日本専売公社那覇工場〛の見学記念たばこを紹介します。工場見学の折りに、現地で入手出来たパッケージだと思います。〚日本専売公社〛では(那覇工場)だけでの販売だったようで、【記念たばこ】の中では状況が少し異質なパッケージなので単独でのご紹介です。土台のたばこは《セブンスター
1972年5月15日の本土復帰後に、沖縄県に関する〚日本専売公社〛の(記念たばこ)は3種類だけ残しています。〈沖縄復帰〉〈沖縄国際海洋博覧会〉〈復帰10周年〉の特別デザインたばこです。今回はその辺りをご紹介します。1973年には《ハイライト》が沖縄仕様のデザインに変更されて、沖縄だけで発売されました。暫く販売が続きますが廃止時期は不明です。(普通たばこ)とも(記念仕様)とも言えそうです。記念たばこの歴史特別なデザインで発売される(記念たばこ)の歴史は古く、大正時代まで遡りま
沖縄県は第二次世界大戦の後アメリカの統治下にあり、1972年5月15日に本土復帰となりました。〈琉球政府〉から〈沖縄県〉になります。そして今年は沖縄県が誕生して53年目です。〖琉球煙草〗の研究に夢中になっていた私は、5月と言えば本土復帰と結びつきます。そこで今回より5回程度、沖縄県で発売された〚日本専売公社〛の(たばこ関係)についてご紹介します。沖縄県の〚那覇空港〛では、1982年頃に沖縄土産として《たばこの缶詰》が販売されていました。定価は1000円だったそうです。4個の見
刻み煙草の《山吹》は日本固有の名前でまるで〚日本専売公社〛の製品のようですが、実際は輸入品でマカオ製です。〚日本専売公社〛は1965年以降、徐々に〈刻み煙草〉の製造をやめて行きます。《山吹》は昭和52年(1977年)1月20日に発売されました。(テストマーケット)が始まりです。(山形県)(新潟県)(島根県)と、東京および大阪の〈たばこサービスセンター〉で販売が開始されました。昭和54年(1979年)7月から全国販売されています。私は発売当初に〈日本橋たばこサービスセンター〉で購入し
〈刻み煙草〉の《ききょう》は、第二次世界大戦終戦後の昭和23年7月2日に新発売されました。〚日本専売公社〛の時代に製造された、最後の〈刻み煙草〉の銘柄となりました。《ききょう》が発売された時にはまだ〚専賣局〛の時代です。証票には〚日本政府〛と書かれ、その中央に(桜)が描かれた(桜証票)です。しかし丸型封緘紙は戦前から一貫して(旭日)模様が使用されています。(証票)と(封緘紙)は、文字は共通して旧字体で書かれていて、よく似ていますがデザインには違いが見られます。明治37年(
〈刻み煙草〉の《みのり》は、第二次世界大戦が始まった昭和16年12月18日に新発売されました。パッケージには、戦前から戦後の混乱期に様々な変更が見られます。昭和16年(1941年)12月に発売された《みのり》は、昭和40年(1965年)1月に製造中止となります。23年の製造期間で姿を消しました。最近まで販売が続きましたので単独でご紹介します。《みのり》が発売された時は〚専賣局〛の時代で、パッケージに印刷された証票には〚大日本帝国〛と書かれ、中央に(菊花模様)が描かれています。パ
《ミスタースリムメンソール》は、昭和48年(1973年)7月15日に発売されました。(メンソールたばこ)としては、昭和43年(1968年)に発売の《エムエフ》に続く製品です。発売日は前回ご紹介した《峰》の2週間後でした。昭和46年(1971年)12月1日に登場していた、《ミスタースリム》の兄弟銘柄です。同じデザインで色だけが変更されています。封緘紙のデザインも色違いだけで《ミスタースリム》と同じです。デザインは〈金付け〉でしたが、途中で〈金インク〉に変更されました。艶のない紙
《峰》は、昭和48年(1973年)7月1日に新発売されました。【ヒンジリット型】と呼ばれるハードボックスです。全体を銀色で仕上げて高級品をイメージしています。高級感を感じる銀色のパッケージですが、この銀がくせ者です。長期間の間に銀が剥がれてしまい、表面がざらざらになってしまいます。また、銀色地に〈健康表示〉や証票の印刷がグレーの文字なので沈み込んでしまいほとんど読めません。【ヒンジリット型】と呼ばれるハードボックスの包装形態には共通した変更がひとつ見られます。昭和50年(1975年
モノに埋もれた義実家を片付けています。ポンペイもとい昭和遺跡の発掘では『ポンペイ最後の日のようなもの#3』モノに埋もれた義実家を片付けています。前回の続きです。遺跡さながらに当時の生活が発掘されます『ポンペイ最後の日のようなもの#2』モノに埋もれた義実家を片付…ameblo.jp燃えるゴミがいっぱい出てきましたが、萌えるゴミも出てきました。古いタバコ。下に見えるアメは包み紙がそのままの形で中身が昇華してます古いタバコの
昭和48年(1973年)1月5日より、【宙】と書いて(おおぞら)と読む新製品が発売されました。入数は25本入で、価格は100円でした。2級品たばこで、同じく25本入だった《ハイライト25》と同じ価格です。現在〈フィルターたばこ〉を発売順にご紹介しています。前回《マリーナ》までご紹介しました。今回は、順番では《マリーナ》の発売から2ヶ月後に登場した《おおぞら》の番です。この記事は2022年6月に掲載していました。たばこの銘柄を発売順に並べるために、加筆修正の上本日の日付で改めてご紹
《マリーナ》は、昭和47年(1972年)10月16日に新発売されました。海を前面に出したイメージの銘柄で、デザインも海洋信号旗が描かれました。定価は100円で、当時の1級品価格です。海に特化しすぎたのか、販売は伸びなかったようです。途中でデザインが変更されましたが、結局昭和53年(1978年)7月に製造中止となります。5年9ヶ月の販売期間でした。昭和47年7月から、全銘柄のたばこパッケージに〈健康表示〉の印刷が始まります。《マリーナ》の発売から〈健康表示〉が印刷されています。
《ミニスター》は昭和47年(1972年)7月1日に新発売されました。たばこのサイズは66mm.と短く、30本入です。サイズが短くて30本入なのでパッケージはかなり横に広く感じます。今回は、沖縄限定の4銘柄登場から1ヶ月半後に発売された《ミニスター》をご紹介します。昭和46年7月には同じミニサイズの《ベルミニ》が25本入で発売されていました。《ベルミニ》は《ミニスター》と置き換えられ、昭和48年(1973年)4月には廃止され短命で終わっています。全国の《たばこサービスセンタ
#4337忘年会2連チャンでお休みしてました。暴飲しないからキツイって程では無いんだけど、公共交通機関での移動は脚の具合がよろしくない時にはちょっと負担だったな。帰ってくるのが遅くなって寝るのも遅くなるんだけど目覚めはいつも通り。寝不足気味だよ。久しぶりの廃線跡探訪。やって来たのは足柄駅(小田急)JR東海の御殿場線にも足柄っていう駅があるけどとんでも無く離れてるんんで行かれる方はご注意ください。左上がJR御殿場線の足
昭和48年(1973年)2月1日に《ボニータ》と名前が付けられた〈シガリロ〉が〚日本専売公社〛から発売されました。紙巻きペーパーの代わりに葉タバコを成型して巻かれています。〚日本専売公社〛の〈葉巻〉〈シガリロ〉〈パイプたばこ〉には英語の公社銘が印刷されています。《ボニータ》は〈パイプたばこ〉の《プロムナード》と併せて英語の公社銘表記がありません。包装形態は5本入の紙箱です。上部からだけ中身を取り出す事が出来ます。底面は糊付けされているので開きません。この形態は【平型包装】と呼ばれるよ
昭和47年(1972年)3月1日に《バルカ》と名前が付けられた〚日本専売公社〛では2番目の発売となる細巻き葉巻が販売されました。紙巻きペーパーの代わりに葉タバコを成型して巻かれています。包装形態は5本入の紙箱です。上部からだけ中身を取り出す事が出来ます。底面は糊付けされているので開けられません。【平型紙箱】と呼ばれるそうです。プラスチック製の吸い口が付き、5本入の小箱に入れられていて定価は200円でした。初代となる〈シガリロ〉の《パロマ》が定価250円の時代で、少し安価な製品