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函館1泊2日の旅(23/09/23〜24)目的は、お彼岸の墓参り🙏🏻...墓参りの途中、時々、函館山を仰ぎ見ながら街ブラのどかだなぁ北海道第一歩の地碑①北海道第一歩の地碑②箱館運上所跡函館山と基坂新島襄海外渡航の地碑①新島襄海外渡航の地碑②のどかな海辺①のどかな海辺②緑の島にかかる新島橋いつかのひとり旅'23(北海道函館編5)につづく
函館1泊2日の旅(23/09/23〜24)目的は、お彼岸の墓参り🙏🏻...金森赤れんが倉庫の前は、すぐ海。函館湾内。金森赤レンガ倉庫と函館山海の向こうには、GLAYが野外コンサートをやった緑の島が見える。函館緑の島水面をずっと見ている人がいるので、気になって目をやると、なんと魚の群れ。しかも大群ではないか!?いっぱい泳いでいる小ぶりな魚たち。何という魚だろう。この魚の群れは、函館西波止場前までずっと続いていた函館西波止場函館西波止場前には、小さ
山形での旅行を終えたばかりですが、群馬県安中市を散策しましたもう10年前に放送されたNHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島(山本)八重の夫である新島襄の旧宅があるとのことから安中市を訪問しました新島襄旧宅新島襄旧宅-安中市ホームページwww.city.annaka.lg.jp新島襄旧宅を後にして、旧安中藩の郡奉行役宅などを巡りました旧安中藩郡奉行役宅大名小路(旧安中藩郡奉行役宅)-安中市ホームページwww.city.annaka.lg.jp
私たちは自分を無碍に見なくていいんです。あなたは偶然存在しているわけではなく、ものでもありません。あなたは神様によって大切に作られた、高価で尊い存在。あなたは神様に愛されています。御子イエス様のいのちを差し出してまで救われる神様が、あなたのうちに御心を成し遂げてくださる、あなたを整えてくださるのです。私達が思う以上に。この神様に信頼し、委ね、歩もうではありませんか。新島襄氏は言う。私は聖書を置いて、あたりに目をやってみた。そして、このように自問した。私を作ったのは誰か、私の両
大磯へ_アオバト探鳥に続くアオバトは、10時頃を境にすっかりこなくなった夕方の飛来を待つか、大磯の町を歩いてみるか⁈昼食を済ませながら町筋は東海道沿いにはいくつか名所旧跡が有りそう。と大磯ロングビーチと夏雲の風景、絵になりそう❗️美しいですね、暫し佇み眺める。ウミネコの鳴き声につられて仰ぎ見る。孤独感漂うイソヒヨドリ大磯灯台にて・・釣り人にお願いして。何処から飛び立ったのか頭上をモーターハンググライダーが🪂音をたなびかせて飛んで行きました♪大磯港⚓の食堂で海鮮昼食をいただき
宿近くには素敵な散歩コース函館カトリック教会ハリスト教会赤レンガ倉庫群元町公会堂感動する美しさと歴史そして新島襄が日本を出た場所何度も来ている函館だけど魅力的な街だ函館は人口減少していて30万人余りから現在は24万人とか路面電車も走っているし住みやすそう
50才大学生2週間の京都京都御所周辺6月末から7月上旬にかけて大学の授業に出席する為に2週間京都に滞在授業は土日だけだから京都を満喫しようと張り切ったけどまだ6月だと言うのに36度の連続の真夏日老舗(古いとも言う)ホテルは空調が集中管理が多いから病気が悪化しない様に3日目からは急遽、町屋みたいな宿の一棟貸切に移宿してしまった京都御所、今出川の周辺写真良かったらご覧くださいホテルの廊下蛤御門仙洞御所新島襄邸
『明治という国家』ー司馬遼太郎●新島襄(にいじまじょう)ー①同志社大学は新島襄のキリスト教精神でできた学校で、古くから神学部もあります。新島は文久三年、20歳のときキリスト教につよい関心を持った。彼は上州安中藩板倉家の江戸屋敷に生まれ、武士でありました。こっそり函館まで行き、そこからアメリカ船ベルリン号に乗りました。この密出国の動機についてを、新島は後年、振り返って、「この挙は、藩主や両親を捨てるということではない。自分一個の飲食栄華のためでもない。まったく国家のためである。自分の小さ
昭和51年までフェリーが発着していた東浜桟橋(旧桟橋)付近は、西波止場広場として整備されている。函館桟橋と言えば、青函連絡船の大桟橋だが、明治の開港時代から使用されていた波止場だ。観光地の赤れんが倉庫群に隣接していることもあり、土産店等が集合した「西波止場」(フェリーターミナル跡地)だ。親水プロムナードが整備された西波止場広場に、「北海道第一歩の碑」がある。幕末から明治にかけて、開拓のためにやって来た先人が先ず上陸した場所。「新島襄のブロンズ像」が立っていた。彼は1864年箱館から密出国に
同志社絡みという点で、個人的にも間接の間接くらいでゆかりがある。大河「八重の桜」は見てないし、当時は「何でこんな誰も知らん奴を扱うんだ?」と強い反感を抱いたものだ。(案の定、この銅像も大河に合わせて建てられたようだ)ゆかりは最近のことなので、すると親近感や興味も強まるから現金なものだ。兄の山本覚馬の方は、前から知っていたが、その偉さについては未だに詳しくない。夫新島襄については伝記も読んでない。
▲中華会館▲二十間坂▲八幡坂▲基坂▲個人のお宅北海道には珍しい下見板函館はやはり本州に近いね▲アンジェリックヴォヤージュ北海道函館市弥生町3-11▲賞味期限30分のクレープヨットハーバーでアンジェリックヴォヤージュの賞味時間30分のクレープを食す▲そこは新島襄海外渡航の地だった函館にもきてたのか?同志社創立者の新島襄彼の妻が会津藩の山本八重です八重の2番目の旦那様です断髪・男装して自らもスペンサー銃と刀を持ち戦に参加した男まさりの女性です最初の
アメリカ人の言葉に『時は金なり』とありますが、むしろ『時は金よりも尊し』と述べたい。ー新島襄ーなぜか?もちろんお金は生きるのに必要といえば必要です。でも、それに追われて大切なものを失っては元もこもないし、何より神様は時を用いられます。神様の一日はこの世の千日にまさる恵みに満ち溢れているのです。この神様が与えてくださっているとき、1時1時に濃縮された神様の恵みをもっともっと求めたいものですね。この神様の、金にもまさる大いなる恵みが注がれているから。御子イエス様の命にあって、
町を歩けば歴史が見えるどこの地域にも言えますが、京都の魅力もそのひとつかなり前の画像ですが、馴染みの景色ですね~目の前は御所大学院の門は徳大寺家の門公家屋敷の中でも格式の高かった門だそうです。
令和五年2023癸卯文月仏滅、丁亥ウルトラパワー大幸運!おはようございます。今日も素晴らしい一日になりますように!世の中の事はすべて根気仕事である。根気の強いものが最後の勝利を得る新島襄(教育者)#ウルトラパワー大幸運#おはようございます#今日も素晴らしい一日になりますように#朝#わそうび#和創美#歳時記
今朝は磯部の提灯飾り。暑さにやれそうになりながらも、役員みんなで頑張ってつけました〜😅それにしても暑かった!体力維持のため今井食堂でたらふくお昼をいただきました!午後は安中市と同志社大学との包括連携協定の記念事業として、元同志社大学神学教授の本井康博氏と、同志社大学卒業生で北京オリンピック銀メダリストの朝原宣治氏の講演会が文化センターで開かれました。本井氏による新島襄と湯浅治郎の関係の解説や、朝原氏の諦めないことの大切さなど、とても感銘を受ける内容でした。関係者の皆さんお疲れ様でした!
桜の季節だった4月の函館旅の話いろいろ書きたがるので今日もさっと書ける話を笑ホテルを出て、港沿いを歩きます↑このガイドさん、後ろを振り返らずにスマホを見ながらズンズン歩いてまして年配のお客様らはかなり後ろを歩いてました(あかんやろw目の前には函館山🌳同志社大学を設立した新島襄の像このくらいの小舟で海に出て海外行きの沖止め船に乗り込んだとか後援者がいたとはいえ、命がけで密航するなんて凄い決断だわ…東京生まれ→渡米を企て函館に潜伏→函館港から上海経由で→1か月かけて米国ボスト
まだ明るいけれどおばんですきょうの最高気温は23.5℃でした美原のアメダス11時00分に観測ですまあねそこそこの気温しかし日照時間がね良くないのです2時間と51分…それでもね今週末は29℃予想ですあわよくば真夏日に…なんてねベイエリア西波止場赤い靴の少女像きみちゃんうしろに人力車がボケっとなどれどれAFを人力車に合わせてパシャリとな別の人力車が横切りました車夫さんは函館ガイドも務めます新島襄のブロンズ像新島襄の脱北の説明…では
今日の函館、青空気持ち良かった〜日中はちょっと暑かったし今日はヤマハだったんだけど、生徒さんのお休みで、早くにレッスン終了こんなお天気の日は、ちょっとウロウロしたくなるよねそうだ今日は『ダイヤモンド・プリンセス』が来てるんだお〜、相変わらずのデカさそしていつものショット函館山と摩周丸とダイヤモンド・プリンセス青空に映えますね〜そして反対側からも。「新島襄海外渡航の地碑」の所から。夏の空って感じこの後は、旧イギリス領事館へこちらのお庭、バラが綺麗なんですよ以前、このお
気持ちいい青空が広がったほとんど夏日の日曜日、月に一度の「函館ぶら探訪」に参加しました。赤レンガ倉庫前に集合。今日のテーマは159年前の6月に函館から密出国した新島襄です。函館に到着してまず宿泊した船宿がこの辺りにあったとか。ベイエリアに出て、ああ、なんてきれいな函館ブルーの海と空!新島襄が人目を忍んで沖留めの船に向かった時の、希望に満ちた姿がパブリックアートになってます。その小舟に乗り込んだのが、緑の島近くの岸壁。函館に到着して55日目のこと、理解して協力してく
福島県の会津でいただいたこづゆ貝柱の出汁に色々な具材が入った郷土料理渋川問屋さんという明治時代海産物問屋だった雰囲気のあるお店でした可愛いらしい手塩皿という会津塗の器で出てきました貝柱の出汁が本当に美味しいこの器は買うことができました他にも鰊の山椒漬けが好きです💞ちょっと古い画像になります八重の🌸桜綾瀬はるかさんの八重役素敵でしたね!お城続きで鶴ケ城です
ご訪問ありがとうございますいつも、いいねをしてくださる方々、ありがとうございます今回は、少し時間が遡り春休み(遡りすぎ?)函館旅行の事母、思い立ったら吉日長期休みの平日を使って、子供たちを連れて旅行に出ます(平日だから夫は仕事)夫には●●に行ってこようと思うんだホテル予約して~チケット3人分(夫なし)取って~と、事後報告&予約だけお願いする感じだって、夫のクレジットで払って欲しいから~夫私のヒステリー声&子供達の喧嘩の声がしなくなるので、いってらっしゃーいと快諾し
弁天岬台場跡を観終わると、もう時間は3時近かった。電チャリのおかげでほとんどへばらず目の前に市電の終・始点の「函館どつく」電停が見える。称名寺で見かけた、礼節のわきまえた青年が電車を待っていた(5月27日付日記:「函館の旅(17):函館第2の古い歴史の称名寺:土方歳三と新撰組隊士の供養碑と高田屋嘉兵衛顕彰碑を見る」を参照)。レンタルした電チャリは、時間待ちなどしなくてもよいので、その点でも楽だった。また徒歩での遊覧だったら、午前中に函館山山行をしているので、とうにへばっていただろ
安中市の話題同志社との包括連携協定を結びます。新島襄ゆかりの地である安中市と同志社が交流することで、大学の学びや人材育成により、市の発展につながることを期待します。そういえば、育英高校の同級生が同志社大に行ったけど元気にしてるかな〜🤗
きらびやかな旧函館区公会堂を後にして、基坂(もといざか)を電チャリで電車通りまで下る。この地から密出国した『八重の桜』の新島襄次に目指したのは、「新島襄海外渡航の地碑」だ(写真)。2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』でヒロインの八重と後に結婚し、現在の同志社大学を創設するあの新島襄である。ドラマではオダギリジョーが扮した。書物からアメリカにあこがれた新島襄は、先駆者の吉田松陰の密航の失敗を教訓に、幕府の目の届かない箱館に来て、同志とロシア正教司祭の協力を得て、元治
同志社石井亮次(同志社)医師医療侍新島襄(2-12〜1-23)2-12に-いじ魔女八重?千代田区〜大磯
vol.204中小企業の財務経営改善に強い!経営”守備”専門コーチ"すずしん"こと、鈴木伸治(すずきしんじ)です。最近、急激に暑くなってきました💦これだけ暑くなると、薄着で過ごしたくなりますよね女性にとってユニクロのブラトップなんかは涼しくて気持ち良さそう一時、綾瀬はるかさんがユニクロのCMで宣伝してバカ売れしました。彼女の持つ健康的な爽やかさは、いやらしいイメージがないところが、また、いいんです。そんな綾瀬はるかさんが、NHK大河ド
武家屋敷と頼久寺を訪ねた後、古い町並みなどを見ながら、30分ほどかけて駅まで歩いた。紺屋川途中、紺屋川沿の高梁基督教会堂※に寄ったが不在で入れなかった。※高梁基督教会堂1879年(明治12)に高梁でのキリスト教布教活動が始まった翌年、新島襄が来高すると急速に発展し、信者の浄財によって1889年(明治22)に教会が建築された。岡山県下では最も古い教会。そのすぐ近くに高梁市郷土資料館もあったが、
以前、山室軍平のことを記事に致しました。山室軍平は公娼廃止運動に尽力し、貧困家庭への生業資金の扶助など、様々な救済事業を行った人物です。『樋口一葉と山室軍平』以前、ブログで知り合った先輩の方に樋口一葉の「奇跡の十四カ月」についてコメントを書き込みました。「奇跡の十四カ月」とはhttps://muchacafe.ha…ameblo.jpその山室軍平の動画がyoutubeにUPされていましたので、是非ご覧ください。地の塩山室軍平/TheSaltoftheEarth,Gu
とある国でも、「おいしくなーれ」が流行っているようですが、やはり食事にしても、誰かと過ごす時間にしても、美味しい時間でありたいですね。そのためには何が必要なんだろう。諸君の議論に愛の油を加えよ。ー新島襄ー私が初めてディスカッションに参加した時(ルールのある本物の。ただ英語でだったので苦労しました)、その議論に納得行かず怒りを覚えてしまったことをよく覚えています。でもこのディスカッションはYes派かNo派かに分かれて行われます。自分がどっち派であろうと関係なく。これが困ったことに
人は時に辛い時がありますよね。人生山あり谷あり。楽しい時もあれば、やはり人間ですからつらい思いをすることもあるかもしれません。三浦綾子さんは言う。非常につらい思いをしている時は、そのつらさが永遠に続くように錯覚する。人生には時々、『あの山を登れば、広い大きい海が見える』ということがあるものだ。しかし、最もつらい時にこそ、神は寄り添いたもう(新島襄さん)。