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更に進むと、「新島襄ブロンズ像」があります。襄は安中藩士に生まれ、幕府の軍艦操練所で訓練を受けた後、元治元年(1864)に函館から密航しました。元治元年といえば、襄は21才のときで、この像は少し幼い気がします。密航してまでアメリカで学び、ボストンの教会で宣教師として任命を受け、帰国後、「同志社英学校」を創設した新島の大志を表現しているのかもしれません。(青竹:NO.3751)
外人墓地。新選組終焉の碑。新島襄渡航の地碑。GWだから、観光客すごい!
熊野若王子神社の梛木守り「哲学の道」、その南の起点に、熊野若王子神社がある。全ての苦難や全ての厄をなぎ祓い、なぎ倒して貰いたい。神社のご神木、梛木にあやかって、猛威を振るう新型コロナウイルスをなぎ倒して貰おう。思い立って、初めて訪ねた。健康体の時、近所には何度も来ていた。ご縁がなかった。まずもって、その無礼を詫びる。熊野若王子神社。京都府内で最も古い、ご神木の梛木。樹齢400余年と推察される。この石橋は、1656(明暦2)年7月、吉良家より寄進された。
8円の文化人切手が2種類貼られた第5種2倍重量便の使用例である。昭和32年の使用例なので、すでに第一種書状料金は10円、なので、これは第5種印刷物の使用例。上の切手は内村鑑三、下は新島襄。消印は麻布の昭和32年11月9日の櫛型印。裏を見ると、ちゃんと開封状態になっている。差出は郵政弘済会出版部のゆうびんサービス係。中身は、たぶん「ゆうびん」という冊子が入っていたんだと思います。重量便ということは100gを超えて200g未満の使用例。てことで、まとめて『ゆうびん』を送ったのか