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リブログ元記事から一部だけ転載:文化大革命日中戦争の死者どころでは済まないくらい中国人が同朋の中国人によって殺されていった文化大革命は1966年あたりから始まっていたがこの年1968年頃がひとつのピークだった…****************プラハの春ハンガリー動乱…についてもコメントあり。詳しくは、元記事をどうぞ。皆さまも、お大事に。
「お通し」は必要?日本の文化?…外国人観光客らの苦情に思うデイリースポーツそのお店がお客様に「店の味」を知ってもらい、「食べて欲しい」と思う料理を出すのがお通しの1つの意味でしょうし、そういう文化は大切にしたいなと思います。「古四王堂」再建祝う大震災で被災、三春・真照寺47NEWS三春町の真照寺で12日までに、東日本大震災で被災した町文化財「古四王堂」の落慶式が行われた。出席者が文化遺産の再生を祝った。古四王堂は1712(...『源氏物語』の魅力を探る(2):1000年
6月に続いて、今回で2回目でした。京劇について何も存じ上げない私ですが、中国の古典劇としての京劇と日本の舞台芸術、はたまた他の舞台芸術と比べてどんなところが共通していて、そして全く反対に違っている面はどこなのでしょうか……という興味が今回一番だったように思います。6月は「西遊記」ですから、立ち回りもあってちょっと歌舞伎で言えば荒事風。今回は女形というのではありませんが、女性的な和事風なのではないかと思いました。やはり両面を見ることが必要なのではないかなと感じたのです。特に1つの特徴が
1979年、藤井治さん約30年ぶりに日本に一時帰国します。この時、藤井治さんは日本には約三ヶ月ほど滞在しており、当時の様子を姉の藤井千代子さんはこう語っています。『竹にですね、ナイフで掘り込みをしているんです。帰るべきか、帰らざるべきか、男としての一生としてどちらを選ぶべきか竹に掘っておりました。私、それ見た時、なんか治の心を見たようで涙で霞んでしまった。』この藤井治さんの悩みを断ち切ったのは、老齢ながらも気丈な母の藤井千代乃さんの一言でした。
文化大革命の期間中、批判大会が開催され藤井治さんの首に看板をかけ批判されたりました。藤井治さんの当時の日記には「日本鬼子(日本軍に対する憎しみ)」と罵られたと記されています。また、日本のスパイとして身柄拘束され、家族の周健清さん、長男の呉也凡さん、次男の呉亦凡さんも非常に冷遇な扱いを受け、釈放後は要監視対象の生活を強いられることになります。1972年は戦後決算の節目であり、5月には沖縄返還、そして1972年(昭和47年)9月29日、当時の田中総理の訪中によって
藤井治さんは終戦混乱の中、軍が残した医学書や薬剤を頼りに住民や仲間の治療を始めました。終戦後、中国現地での藤井治さんの状況を聞いた姉の藤井千代子さんはこう語っています。『ある時期は中国語が話せないために、身障者と申しますか、耳が聞こえない風をして手真似で意思を通じたともあるとかってチラっと申しておりました。』『村に入りましたところ、子供さんが馬に蹴られたなんかで大変な重傷を負ってて、治療をいたしましたところ幸いそのお子さんが命を取り留められたので、しばらくそこで暮らすことができた。』
1967年8月3日から4日にかけて、中国人紅衛兵や文革を支持する日本人留学生らが北京空港で、帰国しようとした日本共産党関係者2人を監禁し、集団で暴行を加えた。日本共産党と中国共産党はいずれも、コミンテルン支部として設立された。両党には本来「兄弟政党」だったと言える。日本共産党は日中戦争に強く反対した......続きを読む
以前専修大学で上映された時に見たかったのですが、スケジュールが合わず見に行けませんでした。今回ある方から「アジアンドキュメンタリーズで配信していますよ」とご紹介を受け、さっそくネット上で拝見しました。(¥486でした)これは1957年の反右派闘争を題材にした民間作成のドキュメンタリー映画です。当時北京大学には8,000名の学生がいましたが、その内800名が右派に認定されたとのこと。(比率はなんと10%!)その中で意見が最も先鋭だったのが林昭でした、彼女は中国共産党の指導者という
文化大革命出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ナビゲーションに移動検索に移動「文化革命」はこの項目へ転送されています。中華民国期の文化運動については「新文化運動」をご覧ください。文化大革命紅衛兵の歓呼に答礼する毛沢東(1966年8月18日)種類大衆政治運動[1]目的毛沢東が復権するための大規模な権力闘争。また、資本主義化しようとする党内の派閥にたいする原理主義・教条主義的な闘争。対象中華人民共和国結果多数の人命が失われ、また国内の主要
暑さが戻って来ましたね中国で大ベストセラーになり、世界的な評価も高いSF小説『三体』writtenby劉慈欣を読みかけています。が、こういう分厚い大作は、どんなに面白くても最後まで読めないのが自分の常だし、遅読体質なので、今から心配です…(^^;)文化大革命で物理学者の父を亡くしたヒロインが、謎の極秘基地にスカウトされ…(その先に膨大な話が続いて行く)…緻密に練り抜かれた展開に伴い様々な人物が登場する、三部に分かれた作品。↓カバーに記された概要はこんな感じ↓
最近のチュー太郎は東野圭吾の推理小説から方向転換して、严歌苓の作品ばかり集中的に読んでいます。現在までに彼女の作品を計15冊読みましたが、後10冊程度読めば主な作品は一通り網羅できることになります。この小説は、中国から留学のため米国に渡ってきた女性が、大学の先生との不適切な関係に悩み、臨床心理士のカウンセリングを受ける話です。200ページほどの中編に毛の生えたような長編小説ですが、内容がとても複雑です。読み間違えないように百度でストーリーを確認しようとしたら、百度にもありきたりのこと
1993年の東京国際映画祭グランプリ作品。田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督作品。文化大革命に翻弄される母子の物語。虚しすぎて、観ていて人間はこんなにも残酷になれるのか、と思いました。健気に生きる母と息子の姿がいじらしく感じます。ま、今の中国も同じようなもんですけどね。吉祥寺の街並み。吉祥寺に友人と久し振りに行った時のショット。好きなハンバーガーのお店は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようファーストキッチンかな?またストーカー男女が来ましたので、
作業途注米国地球神皇カナダ領有ブラジル南極OS南アスペインポルトガル・・英国地球大元帥ブッシュルシファーエリザベス女皇仏国表天皇ロス茶摂政教皇派イエス図解ロック関白太閤死亡露西亜G5Is五摂家五大老常任理事国25OECD中国G7最高法院グランドテーブルローマクラブビルダー城スカル&ボーンズ300忍委員DARPA五百羅漢血流ドラゴ北朝鮮スパイ高級キャリア宮内庁薬座精神科医病因賀公明盗票価害妄創価学会国土交通チッソ皇后裁判所法制局公安検察庁警察警視庁国税庁罪務省総
政治改善民務次官小百中百大百全国百比例百選挙区リサイクル無駄太陽光発電七倍費用風力〃地熱〃海洋温度差〃海流〃潮流〃潮汐〃波力〃石油ガス新型石炭メタンハイドレートシェイルサンド?オイルサンド?文化大革命虐殺亀井静香退官創価学会皿金
∂三体三体[劉慈欣]2,052円楽天∂文化大革命の凄惨な描写からはじまり、科学者を標的とした謎めいた「戦争」、謎のVRゲーム『三体』、数々の奇抜なアイデアが次々と出てくる。奇想SFにありがちな冗長さや退屈さは微塵もなく、魅力的なキャラクターが生き生きと描写され、最初から最後まで読者を引きつけて離さない一級のエンターテイメント小説に仕上がっている。文革時の強烈な共産主義思想による奇妙な思考や言動、それがまるで異世界を覗くようなセンスオブワンダーを与えてくれて
1981年中国で上映された謝晋監督の《天雲山伝記》は、1957年に発動された政治運動「反右派闘争」を題材に扱っています。元々は魯彦周の書いた中編小説《天雲山伝記》が中編小説コンクール賞を受賞し、映画化につながった経緯があります。中国では反右派闘争は社会科学の視点から構造が明らかにされることはまずありません。唯一人文科学の視点から文芸作品の形をとって内情が明らかにされるだけです。最近は六四事件も文化大革命も反右派闘争も無かったことのように取り扱われているので、文学芸術作品を通じて
中国共産党高級幹部が避暑地として使っていた江西省・廬山で1979年7月2日、同党中央政治局拡大会議が始まった。同会議は8月1日に終了し、翌2日から16日まで開催された中央政治局全体会議と合わせて、廬山会議と呼ばれる。廬山会議では毛沢東の急進的な「大躍進政策」を批判した彭徳懐が失脚し、その後の中国共産......続きを読む
こんにちは。今日は太陽主役となった上海です。朝活メンバーのnさんに誘われて上海の大沪繁花艺术空间というギャラリーで久しぶりのアート鑑賞でした。金宇澄氏は中国の小説家で長編小説『繁花』は代表作品だそうです。………………………………………原作の中国小説「繁花」は、1960年代から1970年代中頃の文化大革命の終焉(しゅうえん)までと、1980年代から21世紀初頭までの二つの時間軸で進行。二つの時間軸を描くことで、古い上海と近代化したメトロポリスとしての上海という二つの顔が対比されるという。
世界的芸術家として有名な艾未未のお父さんである艾青の詩集。学生時代に一度読んだことがある本ですが、今回読み返してみました。ただ1979年に出版された本だけあって、1957年から1977年の20年間の詩は一切含まれておらず、書面からスポッと抜け落ちています。(爆)迷信深い不実な親の代わりに自分を一生懸命育ててくれた乳母の話《大堰河-我的保姆》は依然圧巻でしたが、私が大好きな詩《ORANGE》-戦前の上海で獄中に入っていた時に作ったみずみずしさで一杯の詩ーは掲載されておらず
それと連動する習近平独裁体制による空前の封鎖監視検閲体制の下で声を潜めているウイグルやチベットやモンゴルなどの諸民族と民主化を求める学生、知識人大衆の動きによって、中国共産党独裁体制が対外的に如何に動くかが我が国にとっての重大問題である。何故なら、中国共産党独裁体制は、国内問題から目を外に転じさせる為に、突如、対外軍事行動に出る性癖をもつからだ。毛沢東は「大躍進運動」失敗による国内の疲弊のなかで突如、金門馬祖島への砲撃を開始した。鄧小平は、文化大革命後の疲弊のなかで
ワイルドスワン/ユン・チアン張戎/土屋京子訳/講談社和暦だと大正~昭和の時代の中国の自分の家族の話を綴ったノンフィクション作品。この時代の中国に生まれなくてよかったー・・・、と思ってしまう。今の時代、社会に対する文句はたくさんあるけれど、この時代の中国人女性たちに比べればはるかにマシ、私はなんて恵まれているのだろうと、現代日本に思わず感謝の念がわく。毛沢東、文化大革命は山崎豊子さんの大地の子を読んだり中国映画のさらばわが愛などでなんとなく知っていたけれど最後は80歳
中国共産党機関紙の人民日報は1957年6月8日、同党の毛沢東主席が執筆した「これはなぜだ?」と題する社説を掲載した。同社説を大きなきっかけとして、共産党を批判した者を弾圧する「反右派闘争」が始まった。毛沢東が56年4月から5月にかけて、「百花斉放百家争鳴」の言い方で多種多様な意見表明を促し、「共産党......続きを読む
中国は国共内戦、大躍進、文化大革命、天安門事件で少なくても合計数千万人が虐殺された。今も国内では民主派は弾圧されている。少数民族のウィグル人は百万人が強制収容所でジェノサイドをされている。
(かつての専門だったため、どうしても長くなる。今回も三回に分ける。また、すべて書き終わってから一度に上げることも考えたが、6月4日にこれを書いたことになんらかの意味があると考え、とりあえず一本上げておく)『中国への郷愁』(書籍の画像見つからず、作者で代用)吉川幸次郎河出市民文庫1951(実際に読んだのは『吉川幸次郎全集』第二巻。全集は筑摩書房1968)(自分が学問をしてきた経験からして、「全集」という言葉は、あまり親切な顔を持っていないと思う。「全て集めた!どうだ、すごいだろ!
中国共産党中央が1962年6月2日に行った、「包産到戸(農家の戸別生産請負制度)」についての討論会で、トウ小平副首相(当時)は「黄色い猫でも黒猫でも、ネズミを捕まえる猫がよい猫だ」と発言した。同発言はやや変形されて「黒猫白猫論」と言われるようになった。政策の実効性を重視するトウ小平の発想をよく示す言......続きを読む
【間接中継転載】中杉弘の徒然日記ブログトップ記事一覧画像一覧“Creation”今は無き、日本平和神軍北朝鮮の命運①2019-05-1800:00:00テーマ:北朝鮮・山葡萄原人・エベンキ人公式ジャンル記事ランキング:シニア163位青山繁晴さんが最近、あることを盛んに言っています。左がかった人間は、非常に毛嫌いしています。「青山は失言する」とか、「青山は人の意見を無断で使っている」とか、妙な言いがかりをつけて、青山批判が行われています。それはそ