ブログ記事4,769件
4月もあっという間に過ぎ去り、気がつけば5月。例年より早く咲き出した桜もすでに散り始めています。入学式、臨時議会、入校式、党大会出席…など「動き出す」場面に立ち会う機会が多かった4月をダイジェストで。(とても全部は載せきれませんので、ごく、ごく一部を…)4月2日(木)、3日(金)臨時議会。4日(土)地元町内会清掃活動に参加(小竹撮影)6日(月)交通安全街頭啓発7日(火)FMアップルアップルパレード『議会だより』のコーナーでスタジオへ。8日
本日5月1日は、母の命日である。そのことを想起するように、昨夜、家の近くまで救急車のサイレンが迫ってきた…。何故、想起するかというと、亡くなる少し前、度々、夜間に具合が悪くなり、救急車で病院に運んだからだ。そんな辛い思い出が甦る…。私では対処できず、病院に電話をして、急遽、救急車を呼んだ。来るまでの動揺した、心細い気持ちを思い出す。救急車に同乗して、サイレンが響く騒々しい車内、道中での不安感は、終生忘れられない。その間、救急隊員の方の、励ましの言葉や、手際
先日救急車を呼ばせてもらうタイミングがありました。(そのとき救急車に乗った方は今はご回復されてます。)そのとき私の役割を意識しました。救急車にスムーズに到着していただけるように道に出て誘導させてもらい救急隊員の方にスムーズに救助してもらえるように動いて救急隊員の方が向かう病院を探してくださっている間に救急車のそばで待機しました。そのときの感覚がありがたくよみがえります。いのちを守ろうと救急隊員の方が駆けつけてくださることはどれほどありがたいことかそこに救急車も
そういえばRが借りてる街中のマンションなんですがまあまあうるさくしてたわけですよRが暴れたり泣いたりヒーターを階段から落としたり救急隊員や警察とかが来たりしてあとは私の怒鳴り声が毎日響いてたのに…一切苦情が無かったんですょ私気づいたんです…隣近所誰も住んでないことにw確かに小さな駐車場もガラガラだしエレベーターでも人に会ったことがない(笑)💧💧苦情も通報も無いわけですよ💧人が周りに住んでなかったから(笑)まあ、それはそれで迷惑にならず良かったですょRのエピソード
高齢者施設の仕事に就いて、かれこれ17年が過ぎようとしている。この期間で、本当にたくさんの高齢者の方々と接してきた。そして、接してきた方々の数だけ、確実に別れもある…。人は確実に最期の時が来るものだ。この現実の実感がある。何度となく、利用者様を救急搬送した。今日も、救急搬送で利用者様を病院へ搬送した。こうした体験の中で感じるのが、救急隊員も本当に様々で、こうした方々の判断で救われる命がたくさんある。とは言え、なかなか…、判断が違ったのではないか…?って感じることもある。こう
制服マニア⑬:救急隊員改めて。。。救急隊員天王寺救急隊/天王寺消防署2021年の動画です。林住期さんは、ここ、この消防署で、救急救命の講習を受けました。#92市民の命を救う女性救急隊員に密着!【吹ちゅ~ぶ】2025年の動画です。救急隊がセブン‐イレブンを利用することがあります!~『A-pit』の利用~2018年の動画です。救急隊員も人間です。飲まず食わずでは任務を果たせません。当たり前ですよね。しかし。。。救急隊コンビニ
制服マニア⑪:航空自衛隊改めて。。。航空自衛隊「国や国民を守れるパイロットになりたい」航空自衛隊航空学生の卒業式山口県防府市2025年のニュースです。北海道出身初の女性戦闘機パイロット《F15Jイーグルが編隊飛行》新幹線開業10年祝う将来の夢はブルーインパルスのパイロット2026年(今年)のニュースです。【航空自衛隊】自衛隊唯一の「飛行点検隊」とは?女性機長の特殊な訓練に密着2024年のニュースです。つづく。全1
Tが亡くなる1月前位のこと、「昨日の夜、誰か来なかったか❓️」「えっ❓️誰も来ないよ、何で❓️」「夢だけど、誰か知らない男達が5~6人来て、ワシを無理矢理連れて行こうとしてた❗️リアル過ぎて、起きて玄関まで見に行った❗️」「へー、そうなんだ」この会話をした時は、何言ってんだろうと思ってた❗️この話しは忘れてたけど、、、Tが息をしてなく、救急車を呼んだ時、救急隊員が6人かな、処置をして担架に乗せていった『怒涛の土曜日が始まった』多分、25年位前のT母の家にあったTの荷物の中
少しだけ音が小さくなり改善しましたが、窓を開けると普通にうるさいので追加の手紙を出そうかと考えていたころ、我が家の前に救急車がとまりましたまさかお義父さん?!離れを見に行くと、いつもの定位置でテレビを見ているお義父さん😐良かった義父「おぅ、救急車どこだぁ?」私「わからないです、見てきますね」義父「あぁ、気ぃつけてな😁」急いで玄関の方にまわると、救急隊員の方はお隣へ入っていきました。お隣か…申し訳ないですが、あまり心配の気持ちはありませんでした。むしろ、これは施設か病院
父達と同居して家の中もそれなりに必要な物が出てくる[手摺]それは必需品従兄弟の家は[お婆ちゃんの介護認定を受けて]市の補助で手摺を付けたと言うその頃父はまだ介護認定までいってない時だった主人に「市の補助で付ける手摺は簡単な物で見栄えも良く無いんだって…」と従兄弟が話した通りその話をした『自分たちも使う事になるんだったらしっかりした物をつけよう』と2人でホームセンターに行って手摺を購入した[玄関〜トイレの中]まで歩きが効かなくなってきた父を『この位置でど
今日会社行って仕事してたら急に息苦しくお腹も張って血圧計ったら180-120ヤバい過去に脳梗塞狭心症血管動脈硬化が進んでるヤバい再発したらパニックにそしたらもっと息をするのがやバッチくかかりつけ医にいくかお腹の病院にいくか迷うでも自分で運転しては無理ますますひどくなり息吸うのに厳しく会社の社員に救急車呼んでもらうように頼む長椅子に横たわる救急車くるストレッチャーで運ばれる血圧180-120変わらない心電図とる今までの病歴今回の状況いろいろ聴
救急車の隊員に対して「遅いやないか!」などの暴言を吐き、聴診器を嚙み千切ったり、胸倉を掴んで殴ったりする「暴力がある」との話に「お前ら日本人か?」と思う私がいます。我国では24時間体制の救急車です。しかも、「無料との対応は諸外国では考えられない」との話なのに呆れてしまいます。我家でも、親父が心筋梗塞で亡くなった時、息子が盲腸で苦しみだした時、私が正月に立てなくなった時に救急搬送をお願いしたことを思い出します。救急隊員さんの手厚い対応に「
制服マニア③制服。。。職務とプロ意識が如実に醸し出される制服。。。救急隊員、消防署員、警察官、自衛隊、医師、看護師、介護士など私たちの命を守ってくれる方々。この方々が、アロハシャツに短パンだったら?嫌でしょ。看護師の戴帽式なんてしびれますよ。プロとして頑張っていってくださいって心からそう思います。もし、何年かたって中だるみになったら、戴帽式にて誓った想いを、思い出して頂きたいです。パイロット、客室乗務員、運転士、車掌、駅長、バスやタクシーの運転士、お
終末期医療とか緩和ケアとかもっと進んで改訂して欲しいこうやって終末期医療が少し進みそうだけど患者からしてみたらまだまだなんだよもし私が街中で倒れて意思疎通が出来なかったら救急隊員は心臓マッサージするのよ病院行ったら延命治療をし始めるのよその病院で「私は延命治療を望みません」って証明出来れば良いけどそう上手く行く訳では無いかと……それを「本人の希望だから」って途中で辞められるのは良いこと緩和ケアももっと心不全に対して進めて頂きたい今有るのはほとんどガン患者さんの
今日はホントはここにいるはずでしたそして、こんな夕食を頂くはずでした・・・私にはちょっと多いかな?でもおいしそうお蕎麦もついてくるらしい【公式】箱根湯本塔ノ沢温泉鶴井の宿紫雲荘|箱根温泉の旅館宿泊なら箱根紫雲荘へ箱根温泉塔ノ沢、早川の瀬を望む旅館、紫雲荘は、大倉男爵の元別邸跡地に建つことから別称「鶴井の宿」と言われる宿です。温泉は、子宝の湯と名高い塔ノ沢のかけ流しの天然温泉。箱根温泉に御泊りの際は紫雲荘へ。www.shiunso.co.jp高校時代の友人6
朝、夫が…夫「お父さんがトイレで動けないって!」急いで、お義父さんが入ってるトイレへ…30分以上トイレにいたみたい顔面蒼白で、冷や汗かいてる私「立てる?」お義父さん「立てん…首の後ろが痛い…」私「うんこ出た?」お義父さん「出てない…」かなり具合悪そうだったので、脳梗塞と、動脈瘤の心配もあったので救急車を呼ぶ事にしました。救急車が到着して…救急隊員がお義父さんに話しかける…救急隊員「何時からトイレに居ましたか?」お義父さん「・・・」私「認知症なんで…」救急隊員「どこが
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。入院して1か月ちょっと経った1月下旬。ソーシャルワーカーの人と初めて面談をしていただいた。・急性期は過ぎ、今は慢性期と言われる状態であること。・治療することがないため、一般病棟での受け入れも難しいこと。・療養施設や老人ホームを探すこと。50代のなかじーに対しての「老人ホーム」という言葉のインパクトが
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。1月上旬。病室に医師が来た。この頃の私は、医師と話すのが怖くてたまらなかった。最悪のことばかり言われるからだ。(職務として、最悪の可能性も伝えなければいけないことは理解している。)ある日、仕事中に病院から電話があった。なかじーに何かあった?心臓がバクバクして、震える手で電話に出た。『かかりつ
今年に入ってから義祖母が亡くなったり若い頃からお世話になってる人が亡くなったり叔母2人の手術と従姉妹の治らない病気とこれでもか!ってくらい色んなことがあった夫ですが次は義母の事故でした。リモートで仕事中電話があってコレは仕事の電話ではないなと思ったら義母が事故って病院に搬送中の救急隊員の方からの電話でした。一気に9年前の夫の事故の時を思い出しました。救急隊員から電話あって命に別状はないことを告げられてホッとしたのを今でも覚えてます。その時に〇〇病院に運びますが
こんにちは♪自分の事で精一杯なのに母が救急車で運ばれて骨折による入院になりまして更に大変なことになりました💦初めて大人用のオムツを用意する事になりめっちゃ悩みまして。。大人のオムツってこんなに高いの?ってビックリしましたまじで介護って多方面で大変だと実感しました。朝、救急車呼ぶって言って救急隊員の方から電話もらって受け入れしてくださる病院を聞いて。。からのイチニチが目まぐるしくて病院から実家へ行き母の着替え薬などなど入院手続きのしおりを見ながらチェックそして自宅
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。はじめてなかじーが笑った日から、もっと笑わせたいと思うようになった。笑わせようと思った行動で思いがけない副産物を得た話。なかじーがまた、おならした。私と子どもが顔を見合わせて笑う。『なかじー!おならした!』と笑いながら顔を近づけて問いかけた。すると——『ううん』と首をぶんぶん横に
夕方シャワー浴びて髪乾かすと、スマホに着歴あり兄からなのであまり気にしなかったら珍しく留守電入っていたんで聞くとマジやばい、救急車呼ぶかも?と、えっ?意味分からずとりあえず実家へ到着すると、しっかり救急車来ていて救急隊員の方に家族のなんですがと伝えるととりあえず救急車の中に入ってくださいと言われ乗り込む兄が横たわりいろいろ装置着けていたけど話せるし顔色は仕事柄日焼けしておりわからず病院が決まるまで話せるし、経過を救急の人とかわしている私は母の付き添いで何回も救急車に乗っているも
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。はじめてうなずきが出てから、私たちも毎日、「うなずいた!」「今日は何回もうなずきが出たね!」「今日はあまりうなずきが出なかった・・」と、うなずきに一喜一憂していた頃、なかじーがおならした。私と子どもが爆笑していると、なかじーも釣られるように笑った!その笑顔が懐かしくて、もっと笑わせたく
またまた面白くもなんともない投稿ですが。先日、普通救命講習を受講した。当講習を受講するのはもう何回目かで、だいたいの内容はわかっていたつもりだった。とは言うものの、前回の受講したのはコロナ前の令和元年。かなり前といえばそうなのだけど。でもテストがあるわけではないし、なんとかなるでしょう、と少し甘く思っていた。受講した経験がある方は内容はお分かりでしょうけど。私ら一般人が学ぶのは、倒れている人を発見してから救急車が来るまでの間どう動くのかという、救助の最初の第一段階。私が初めて受講
ますます増えているイスラエル国防軍からの脱走兵士たちNEW!2026-03-2815:36:22テーマ:ブログRaelMaitreyaNobbyRaelian訳ますます増えているイスラエル国防軍からの脱走兵士たち今年1月、予備役兵のユヴァルはこのFacebookページをフォローし始めます。そこでは、イスラエル人の活動家が、イスラエル軍によって殺害または負傷した女性や子供たちを記録しています。「こちらはデイル・エル・バラにあるアブ・サマラ家
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。入院して3週間、いつものように、『なかじー今日も来たよー!』と声をかけると、『うん。』とうなずいたと思う!思わず子どもと号泣した。ただし、なかじーに涙は見せたくなかったのでベッドの脇にしゃがんで泣いた。私の顔や子どもの顔を確実に目で追っている。昨日より今日、ずっと良くなっているのが分かる。
こんばんは土曜日ですが私は今日も仕事でした。Wワーク頑張ってます。結婚してから働いていない期間はあまりなかったので働くことが好きなんだと思います。続き...救急車を呼ぶなんで初めてのことでした。電話してその辺りの記憶はあまりありません。救急隊員の方のいうとおり、お財布持ったりマスクしたりしたことは覚えています。救急車に乗ってから子供に連絡しました。パパは隊員の方に名前とかきかれていてその時は答えられていたみたいです。私はただただパパを見つめていました。これからどう
幻聴の馬鹿野郎。聞こえなくていいのに聞こえてくる。とりあえず、寝れたから、良かった。父が足が痛いというので病院に連れていきます。連れていくっていうよりは、救急車頼むって言ってます。私は病院に別の交通手段で行けば良いのだろうか?同乗出来るだろうか?救急隊員さんに聞いてみよう、病院決まったら連絡下さいって言えばいいのかな?社会慣れしていないから、分からない事ばかり。
「すいません、患者さんのご家族の連絡先は分かりますか?」「はい」ポケットの中に手を入れて携帯電話を取り出そうとした時、田中さんの家族は高校生の頃の憧れであった小津さんであることを改めて認識した。救急隊員がいきなり、小津さんに今の状態を告げたら、小津さんはどう思うだろう。自分が側にいながら、それを傍観するには忍びないと思った。「良かったら、私が連絡を取りましょうか?」「はい、お願いします」生死の境にいて、救急車で搬送中の田中さんの前で小津さんに電話するのは、何かしらの罪悪感がある
心肺停止20分。あの日から今日まで、その時その時でどうにか前を向いてきました。その中で感じたことや、私なりの心の持ちようが、どこかで誰かの支えや参考になったら嬉しいです。割と最初のころに看護師さんから、『よく聞く音楽があれば、聴かせてあげたいので持ってきてくださいね。』と言われた。CDを買おうか迷ったが、ずっとかけ流しにするのはどうなんだろう、脳が疲れないのかなと考えた。私たちの面会時間は30分。そのうち最初の10分だけ、スマホで音楽を聴かせることにした。な