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「人生」晴れのち曇り(932)★哲学する!アリストテレス政治制度荒廃した国家に颯爽と現われるのが「英雄」である。英雄はその圧倒的なカリスマと行動力で、革命を起こして衆愚制を転覆させ、国家の実権を握ることに成功する。そして、英雄とその一族を頂点とする君主制が始まって・・・以下繰り返し。こんな風にアリストテレスは、どんな政治体制であろうと最良に保つ努力をせず腐敗させれば、必ず「革命」がおこり、別の政治体制に移行すると考えた。読んだ古代史関係の書籍no,9◆中大兄皇子の立場鎌足の提案
「人生」村上13号★哲学する!アリストテレス政治体制民主制になっても起こることは同じである。最初は、みんな真剣に国家について考えていたものの、その内やっぱり腐敗していく。「みんなで決める」のだからと誰もが責任を取らなくなり、面倒くさいことは全部職業政治家に押しつけて、文句だけは言って自分自身では何も考えようとしない無責任な衆愚政治に成り果ててしまう。そしてどんなに国家が荒廃して「このまま進んだら危ない!」とわかっていても「誰も舵をきらない」「切ろうとしても間に合わない」という馬鹿げた状
大作シリーズその⑤(5/9)”東方ヨン(三)賢者の行進”yonjoo©︎2026昨年まで、大作シリーズは13点描いてましたが、”描くのがシンドい”を理由に(笑)今年から9点に減らしたのです負担が減って、気が緩んだせいか、8点描いた時点で、9点完成できた〜と錯覚してもーてんなそのことに気づいたのが、1週間後だったんで、心の負担は、13点より重かった(笑)エンジンを完全に切って、100%安堵してたところで、まだドバイまでのフライトが残ってる!と知った飛行機くんの気分前置きが
大友皇子パンフレット制作プロジェクト❣️かなり進んだわーー‼️ほぼ全体が出来上がったので今回は、仮印刷してみたそして、めっちゃ綺麗にコピー仕上がったーテンションあがるわ♡あとは、推敲を重ねるのみ持統天皇は、大友皇子のお姉さんだからこのパンフレットにも、ちらっと出とるなにしろ、古代もロマンがあって、いいんだわね〜👍#岡崎市#矢作#大友皇子#三田村ちはる#歴史探偵さかもと
「人生」ロシアは?★哲学する!アリストテレス政治体制には最良というものは無く、どれも堕落する可能性を秘めていると彼は考えた。さらに彼は政治体制が堕落し国家がボロボロになった後に何が起こるかについてもさらに思考を勧めている。政治が腐敗し、国家が荒廃すると何が起こるのか・・・。それは「革命」と言う名の政治体制の交代劇である。読んだ古代史関係の書籍no,6◆持統天皇蘇我氏の滅亡乙巳の変後、中大兄皇子達は飛鳥寺(法興寺)に陣を布(し)き、入鹿の父蝦夷の反撃に備える一方、入鹿の屍を蝦夷に引き
『双六禁止令』を聞いた事ありますか?高根三教先生のお話しの中で、689年に当時の持統天皇の命令で何故に「双六禁止令」が出されたのかの理由が語られている。一般的には、飛鳥時代に中国から伝来したこの双六ゲームが当時、庶民から貴族まで熱中するほど大流行で、賭博性が強く財産を失う者が続出したから禁止されたと言われてるが、そうではないとおっしゃってました。サイコロがユダヤのものであり、ヤマト民族のルーツが明かされてしまう事を恐れての禁止令だったそうです。サイコロは正六面体であり、1から6までの目つ
「人生」逆転在り(928)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制「腐敗するとどうなるのか」民主制は、みんなで国家を支配するため、うまくすれば一番公平な政治決断がなされるというメリットがあるが、支配者である皆が堕落した場合には、皆が政治に無関心になって大衆感情やノリだけで政治決断(投票)をしてしまい、無責任な扇動政治家の言いなりになってしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。◆持統天皇この時代の国家的儀式への参加資格は天皇やその関係者、豪族に限られ、宣読はそれらの人
タケミカヅチの真名真の正体は雷神ではなく深海神持統天皇が物部守屋と蘇我馬子の子孫だったように、これ以前の皇室は物部と蘇我氏朝持統が不比等を寵愛し、これ以降藤原の娘が后に上がり皇室の外戚となるつまり、それ以前は渡来歴も浅く、日本にもほぼ居なかった神話に、コヤネをねじ込んだのは5~6世紀の作為『ヒミコ殺しヤタガラスの娘と日蝕の暗殺』で明かしたように、記紀はこの頃に編纂され、皇室も藤原も同族の殺し合いで血みどろの継承争い、抗争を繰り返すヒ
丹生都比売(におつひめ)を読んでみた。歴史が苦手。天皇の婚姻関係が無茶苦茶。やっとこさで読んだ。壬申の乱のあとの、のちに持統天皇になる女性を優しく描いてあるのかな。関係性が私には難しかった。でも読み終わるとなるほど文学!と思う。で、短編集としてもこの丹生都比売が出てるのね。同じものだとこちらは読んでいないのだがあとがきだけ読むとなんと、単行本の丹生都比売の前に書いていた短編をおさめてあるという。あらら、別物だったのか。読まなくちゃぁ~・・・。私の机の端を餌場に
「春過ぎて夏来たるらししろたへの衣乾したり天の香具山」女性天皇として名高い、みなさまご存知の持統天皇の歌です4つの変えたいこと!自民党の提案と言うことで、「憲法は、制定・施行されてから70数年間、1回も改訂が行われていません。大きく変化した国内外の環境に合わせて、憲法もアップデートが必要ではないでしょうか。」とし日本国憲法の3原則は変えず(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)変えたいのは、4項目で、1、安全保障・・・2、大地震が発生
【起稿2026年4月27日記事】さてさて、「歴史の話(妄想😅)」シリーズ記事「藤原史(不比等)編」の続編でございます🙇前回は史の不遇な少年時代の話でした👇『歴史的解釈(その17史の想い)』【起稿2026年3月9日記事】久しぶりの「歴史シリーズ(妄想😅)」記事の新作です。前作では、所謂「伝承の時代」(神武朝~武烈朝)から歴史時代への橋渡し役の継体…ameblo.jp668年天智帝即位式に父鎌足に連れられ出席して、大海人皇子(37)の目に留まった史(10)でしたが、病がちで衰弱していた父鎌
「人生」久々6号★哲学する!アリストテレス政治が腐敗するとどうなるのか!*君主制では支配者が一人であるため素早く政治的決断ができ、トップの王様が優秀であれば国家は素晴らしく発展していくというメリットがあるが、支配者である王様が権力に溺れて独裁者となった場合は、彼の独裁を止める構造がないため、国家はどうしようもなくボロボロになってしまう。読んだ古代史関係の書籍no,3◆持統天皇○石川麻呂に入鹿暗殺の計画が打ち明けられたのは、明けて皇極四年6月8日である。○入鹿の殺害皇極四年6月1
AI革命と万葉集の解読AIは万葉集の多数の難訓歌を解読できるか永井津記夫AIが私たちの前に出てくる難問の多くを解決できるかのように見るAI楽観派(AI万能派)と、AIはあくまで技術であってAIが人間の問題を解決するには限界があるとするAI懐疑派がいます。人間のかかえる多数の問題をAIが進歩を続ければ解決できるとするAI信奉派と、それほどAIは万能ではない、とする懐疑派がいるのです。はたして、AIは万能なのか、それとも私たちはAIの持つ深刻な限界を見落としているのでしょうか。私
「人生」我慢(925)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制、アリストテレスはそれぞれの良いところだけでなく、「腐敗するとどうなるか」という最悪のケースもきちんと論じている。「君主制は独裁制になりやすく、貴族制は寡頭(かとう)制になりやすく、民主制は衆愚制になりやすい」読んだ古代史関係の書籍no,2◆持統天皇○石川麻呂の家は蘇我氏の分家であるが、代々朝廷の倉(蔵)の出納・管理に当っていた有力豪族で、本家とは区別して「蘇我倉」家と通称されていたようである。○そんなことから政治的発言
「人生」心広く(924)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制アリストテレスは国家の政治体制は次の三種類に分類できるだろうと考えた。①君主制(一人の王様が支配)②貴族制(少数の特権階級が支配)③民主制(みんなで支配)直感的で分かりやすい明快な分類である。読書した古代史関係の本(茨木市図書館から借りた本が大部分)◆持統天皇誕生○姉の大田皇女の生年は明らかではないが、それは婚姻の年(皇極天皇三年)の可能性もなくはない。そうすると二人の姉妹は年子であったことになる。○大化元
奈文研藤原京跡資料館に展示の持統天皇像◆「真の持統女帝」顕彰~反骨と苦悩の生涯~(34)持統天皇は軽皇子(文武天皇)へと皇位を譲りました。幼少期より波乱万丈に満ち満ちた人生。これでようやく隠棲して安寧な日々を…そんなわけはない!この人(史上最も偉大なレベルの天皇)の生涯に安寧な日々は無いのです。前回の記事にて「日本書紀」の最後までを記しました。それに続くのは「続日本紀」なのですが…これが大変に厄介。「日本書紀」だと見知らぬ語や見知らぬ読解方法が現れてもネット
「人生」途切れる(923)★哲学する!アリストテレスアリストテレスは、どんな国家(政治体制)が良いと考えていたのだろうか?彼が偉大だったのは、この問いかけについて、「この政治体制こそが最高である!」と自分の信念を主張するのではなく「そもそもどういう政治体制があり得るのか、そして、それぞれどんな特徴を持っているのか、まずは分析してみよう」と、学問的なやり方で取り組んだことである。◆持統天皇誕生大化元年生まれ(645年)持統天皇は幼名を鸕野讃良(うののさらら)と言い、大化元年に生まれ
「人生」心が狭い(922)★哲学する!アリストテレスアリストテレスはイデア論を批判し、イデアの存在と有用性を否定した。そうなるとプラトンの哲人王思想は根本から崩れることになる。「究極の理想(イデア)」が確かな実体として存在せず人間が作り出した空想上の産物に過ぎないとしたら・・・「そもそもイデアを知ることが出来る哲人王など最初から存在しなかった!」という目も当てられない結論になってしまった。◆持統天皇天武即位に伴って皇后となった持統は天武没後、称制を経て即位、譲位後は太上天皇として文武天
紅葉🍁の時期にお参りすればよかったのかもしれないけれどインバウンダーな方々ふくめ多くいらっしゃるだろうと思われる時期は避けての参拝以前、幕末明治期所縁の仏閣としてお参りさせていただいた今回は、御陵印と列びとなるように御本尊の御朱印をいただくシリーズとして東山泉涌寺それまで断続的に続いていたこちら泉涌寺での荼毘(仏式による火葬)は、江戸時代は後水尾天皇から孝明天皇まで続いている火葬となった最初の天皇は、第41代持統天皇で、第40代天武天皇の皇后即位礼とし
「人生」飲み過ぎたのね(921)★哲学する!アリストテレスアリストテレスは万学の祖と呼ばれている。ちなみにイルカは海に住んでいるが赤ちゃんに乳を飲ませていることから、魚ではなく、馬と同じ哺乳類であると分類したのもアリストテレスだ。もし、プラトンのように「ホントウのイルカとは何か?イルカのイデアを知ることで、イルカを理解しよう」なんて態度でやっていたら、こんなこともずっとわからないままであっただろう。◆持統天皇持統天皇にとって壬申の乱が終ったわけでなかった。草壁皇子の急逝後珂瑠(かる)
楽しみにしていた奈良に旅7年ぶりに奈良の地を踏みました🦶『奈良旅「朝イチは飛鳥宮跡」』先月だったかな❓我が家にしては急遽決まった奈良の古墳巡り旅🪨古墳が目当てだったけど調べると奈良面白いってことでぎゅーぎゅーなスケジュール🗓️行き足りない場所た…ameblo.jp飛鳥宮跡スタート▶️天武・持統天皇陵へ天武天皇の奥様である持統皇后は皇位を継承し持統天皇でもありますよね漫画の影響でとても好きな天皇の代でもあります先ほどの飛鳥宮跡なら石舞台古墳がどえらい近いのですが、開館時間も関係
「人生」52試合連続★哲学する!アリストテレスもしホントウにイデアがあったとしても、それが一体何の役に立つのだろう?はっきりと結論を言ってしまえば何の役にも立たない。アリストテレスはプラトンのイデア論を「無意味に物事を二倍に増やしただけ」と評して批判している。アリストテレスは物事の特徴をあらゆるもの(天文・気象・動物・植物・地球)を対象に行った。そして抽出した特徴を、体系的に分類し、整理することで世界を把握しようとする学問(自然科学)を始めた。実際に現在に至る天文学・動物学・植物学・地
「人生」なんで?★哲学する!アリストテレスアリストテレスの言うとおり、そもそもプラトンのイデア論では、この現実世界とは異なる「別次元の世界(イデア界)が存在すると想定している。」じゃあ、そのイデアの存在はどうやって証明すれば良いのだろう?はっきり結論を言ってしまえば、そんなことは出来ない。イデアとは現実の世界ではないのだから、仮にあったとしても「ああ、これがイデアなのか」と見ることも出来ない。だから所詮イデアなんて「あるかもね」と頭の中で語るだけの証明不可能なヨタ話に過ぎないのだ。◆持
「人生」新たなスタート(918)★哲学する!アリストテレスアリストテレスは師匠であるプラトンに反発し、イデア論に対してこんな疑問を投げかける。「イデアなんてホントウにあるの?あるって事をどうやって確かめるの?もし仮にイデアがホントウにあったとしても、それが一体何の役に立つの?」◆”春過ぎて夏来るらし白栲(たえ)の衣干したり天の香久山”『万葉集』(巻一~二十八)に収める持統天皇の歌である。○当時は夏になると白い衣を干す習慣があったのであろう、香具山に映える白い衣を目にした持統天皇
エドヒガン1,300年前に持統天皇がお手植えされたと伝えられる奥山田のしだれ桜もんろぉ~☆彡
人は自分の中に流れる血や魂が、心が惹かれるものや人を事が起こった地やその人が訪れた、移り住んだ地をなぜかなぞりたくなるそれはきっと今も遥か昔も同じだと謎だと言われている行幸も実は誰かの記憶のある地を同じように辿ってみたくなったのかも何かを知りたくて救いを求めて吉野も三河もあの人にとっては何か縁のある場所だったのかもと感じてしまう
今日は古代史と日本神話の話でいきますが、けっこう小難しい内容ですので、興味のない方はスルーしてください。まず、お題に出てくる「アマテラス」とは、天照大神のことです。なぜ今回、カタカナで書くかというと、比較神話学などでそうする習慣があるからです。日本の神々の名前は、同じ神でも『古事記』と『日本書紀』で漢字表記が異なる場合がほとんどですし、また、漢字で書くとその字の持つイメージに影響されてしまいがちです。ですから、一つ一つの神格を記号的にとらえて、カタカナ表記にするのが通例となって
【大田皇女と「大田」の名が刻む正統性の謎】大田皇女(おおたのひめみこ)は、天智天皇の第一皇女であり、記紀においては持統天皇(鸕野讚良皇女)の同母姉とされています。彼女の「早すぎる死」と「血統上の圧倒的な優位性」は、後の歴史において極めて重要な意味を持っています。なぜなら彼女は、妹とされる持統天皇よりも、本来「正妃」に近い立場にあったからです。「大田」という名のルーツ三輪山と国津神の影彼女が冠する「大田」という名は、三輪氏(大神氏)や伊勢の猿田彦大神と深い関わりを持つ特別な名です。三
万葉集1-48軽皇子の阿騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ意訳東の野にほむらが立ち日が昇らんとし、振り返れば西の山に月が落ちていこうとしているこの阿騎野の羇旅歌は、この歌単独で成立したのではなく、長歌と短歌四首で構成されています。いまから1300年ほど前、持統朝一段落の冬至の日、奈良の阿騎野において大嘗会という祭祀がおこなわれました。その席上、柿本朝臣人麻呂によって献詠されたのがこの歌です。持統天皇は