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先週沸いた?三宅香帆さんの本についての論争?は、三宅さんが紅白歌合戦の審査員として出演、というまさかの大オチ。いや、オチというわけではないけど。メジャーになったほうが勝ち、というものでのないし。まあそれはさておき。三宅さんの著書「なぜ働いているほ本が読めなくなるのか」と絶対に終電を逃さない女さんの「虚弱に生きる」は共通点がある、というのが今回のテーマです。「なぜはた」の著者である三宅さんは仕事が好きで、おそらくふつうの人の5倍は働いているだろう。そんな三
自分の責任ではあるが、土曜のおよそ半日が歯の治療に埋まってしまうのはとても癪である。(繰返し自責ではあるが…)左下奥の根の治療は長引いており、歯科医からの説明によるとどうも排膿が止まっていないらしく厄介な状態らしい。いずれにしても平日の通院は難しいので、土曜に予約するしかないのだが、1〜2ヶ月先の予定まで埋められてしまうのは、自責であれどモヤモヤとしたものがある。治療を待つ間の診察台から真正面の壁に絵画がひとつ掛かっている。絵の右下に書かれたサインを見ても、絵画に疎い私は無名の
昨日のTHEW、序盤で見る気が失せた。M-1グランプリが生み出したモンスターだよ、霜降り明星粗品は。女芸人No.1決定戦で、女芸人より審査員が目立つのは大会じゃない。粗品のやってる事は、審査員ではなく、ネタの批評です。NSCの講師ですか?講師だとしても、NSC生にも嫌われるやつです。粗品は常々「プロ」「素人」って言うんです。「俺はプロ、見てるヤツらは素人」って言うんです。それを言うなら、粗品は審査員の素人です。審査員のプロはいないからね。「粗品構文」「粗品の批評は正
フランコ・ボニゾッリ(T)の最後の来日リサイタルの時であったかな・・・と思いだしています。ビゼー《カルメン》のホセ(ジョゼ)の〈花の歌〉を歌っている最中で彼の喉が急に苦しくなりました。ひーひー言いながら歌うという感になりました。しかし、性格表現としてはピカイチでした。喉の苦しさがホセの苦しみに直結したからです。ボニゾッリといえば、ときどき、「野放図」と言われていました。確かに…でも、あの〈花の歌〉は忘れ難いものです。今でも記憶にありありと遺っているのです。インヴァ・ムーラ(S)には一
音楽雑誌さんからのご依頼で、先日、最後の来日コンサートを果たした(ご本人曰く『クラシックはこれが最後』)ナタリー・デセイさんの批評記事を書かせてもらいました。先ほどゲラ(校正刷り)があがってきたのですが、カラーページになっていて、その写真の素晴らしい構図に見とれてしまいました。自分の書いた文章が、この見事なショットに本当に合うのかどうかと思いつつも、編集者さんの感覚ではやはり、文章を読んでイメージが合う1枚を選び抜くそうなので、今回はそれで良いということなのかな・・・とも思います。ただ、ち
先日、とある話題の映画を見に映画館へ行った。その映画はネット上では高評価で、内容への興味もあり期待も大きかった。しかし、わたしはその映画が大して面白いとは思えなかった。その後もその映画に関する批評を目にするが、高評価であることは変わらない。わたしは忸怩たる思いを抱き、わたしの感覚が古いのかと思ったりした。もちろん、一本の映画の感想は多種多様である。ある人には非常に面白い映画もある人にはまったく面白くないということは珍しいことではなく、元々、映画とはそのような嗜好品である。しかし、それでもなお、
先日、『レコード芸術ONLINE』でドニゼッティの《ロベルト・デヴェリュー》映像批評をさせてもらいました。以前、どこかの歌劇場の来日公演の時に解説を書いたことがあり、割と良く知っている作品です。でも、久しぶりに観て聴いて、「あああ・・・」と思わず笑みがこぼれました。この作品には、ロッシーニの《ギヨーム・テル》の有名なフレーズのもじりが入っているのです。他人の空似ではなく、どう考えてもドニゼッティの側が参考にしたとしか思えません。「初演当時からいろいろ言われていたのではなかったっけ?」
ブログを書こうにも、どうにも疲れていて、うまく書けません多分、今日中に追記すると思います。この前、原稿で、フランス語の綴りのアクセント記号を打ち間違えました疲労困憊で小さな文字がよく見えなかったので。老眼も進んで痛いですせめて眠りだけは確保したい。※※ここから追記分です結局、一睡もすることなく朝を迎えました放送用の原稿を書いていて、調べなおすポイントがいくつか出てきてしまったのでした今回私が解説するオペラには、なんと、商業発売されたCDやDVDがまだ無いのですこれ
新国立劇場で上演された《ヴォツェック》の批評を書いています。久しぶりにこの楽譜を引っ張り出しました。人生で、《ヴォツェック》の批評は2度目です。ドイツ語圏の作品では断トツに好きな一作でもあり、批評をさせて頂くのは光栄でもあるのですが、何せ難しいオペラで・・・でも、近代の作品だから楽譜の印刷は読みやすい。ありがたいです。この楽譜はヴォーカルスコアですが、中表紙にオーケストレーションの一覧もあります。EinPianino(III.Akt,3.Szene)の指定もあります。シュ
【考察する若者たち】出版社より「今どきの若者、ようわからん」と思っているあなたへ!裏帯の言葉:『平成』と『令和』で何が変わったのか?この文言だけでもう手に取る価値がある。筆者の三宅香帆氏は著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で2025年新書大賞を受賞した文芸評論家である。彼女の文章は日常言語で語られることが多い為、普段文字に触れていない方々でも理解しやすい内容になっていることが、読者に好まれる理由の一つであろう。そんな彼女が現代人の行動原理(欲求)がどう変遷し
蟲2025年10月17日公開江戸川乱歩の同名中編小説を原案に、舞台を現代に置き換えて映画化。親の遺産を食い潰しながら引きこもり続けて10年になる映画監督の柾木を、友人の池内は小劇場の舞台へと連れ出す。居酒屋で厳しい批評を繰り返していたところに、出演女優の芙蓉が現れる。あらすじ映画監督の柾木は、親の遺産を食い潰しながら10年間引きこもっている。大学時代からの友人・池内は、極端に人との接触を嫌う柾木を気にかけ、刺激を与えようと小劇場の舞台へと連れ出す。しかし、柾木は居酒屋で酒をあおりなが
警察が失業する日――悪の消えた世界で人は何を見るのか――近未来。まず、街角から交番が消えた。次に、警察署が縮小や統合を繰り返し、多くの警察官と職員が職を失った。麻薬取締局は真っ先に全滅した。大麻も覚醒剤も、もはや取締る必要がなくなったのだ。警備会社も次々と解散し、交通誘導員だけがわずかに残った。サイバー犯罪も、詐欺も、もう存在しなかった。理由はただ一つ。人が犯罪を起こさなくなったからだ。自動運転が普及し、交通事故は過去のものとなった。AIが生活を保証し、誰もが衣食住に困ら
松本人志さんは、こんな状態にならなくても、ネット配信に進出してたと思ってます。今はテレビ局に筋は通してるけど、レギュラー番組を減らして配信をやってた可能性大です。根拠は3つあります。1つはワイドナショーです。松本人志さんはXのフォロワーは日本一です。ネットニュースのキリトリが多く、思った以上に批判もきてました。SNSは笑いの邪魔になる事を知ったはずです。2つ目は、水曜日のダウンタウンです。自分が企画に入ってないけど、ここまで、テレビのコンプラが厳しいかを感じたはずです
批評批は扌+比で5本指の手、人が二人並ぶ象形。手に取って2つを比べる(基準となるものを並べて正す)を表す「批」の意に。高市早苗氏が女性初の総理大臣に選出。激動の時で、厳しい批評も多い。独創的で調和も取りながら従来の日本の良さを活かし保ちつつ、進化する国家へ。未来永劫、子孫繁栄の為に
てっきりCクラスの♧だと思っていたらBクラスの♧にクラスが上がっていて、すっごく嬉しかったです(>∀<)⤴⤴ストーリーで注意されたのは「読みにくいね。ネームがよりよくなるように何度も直すこと。」という批評を読んでまだ読んでくれる人達への誠意が足りなかったなと思いました。でも、クラスが上がって良かった
(2020年12月8日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)たんたん評論「五句定型の散文は避けよう」NHKEテレの「NHK短歌」2020年11月第5週(短歌de胸キュン)は前の週の奥多摩を訪ねる回の続きで、彼の地の様々なトピックを紹介していた。そして、番組の終盤で「車人形」という伝統芸能を取り上げて、伝承をテーマに参加者全員で短歌を制作していた。ちなみに、このブログ記事のタイトルは「
今回は、今やすっかりヒットメーカーとなった書評家、三宅香帆先生の新刊です。以前から、この人はいつか大ブレイクするだろうとは思っていましたが、予想以上だなあ。さて、この新刊では本の読み方というか、本に限らず、映画やドラマも含めて、鑑賞法について語っています。鑑賞する技術を知れば、もっと作品そのものを楽しめる。第1部はその技術の解説で、第2部は具体例というか、三宅先生がこれまでにいくつかの媒体で発表してきた文章を収録。うまいやり方だなあ。いまどき、ふつうに
こんにちはユナです。お寄りくださり、ありがとうございます。SINGULARITYとキム・テヒョンのボーカル洗練性に関する専門家批評SINGULARITYとキム・テヒョンのボーカル洗練性に関する専門家批評ヒス・ノイズ(プロデューサー):「良い音楽を作るには、楽曲に対する考えを明確にすべきだと思う。Vが良い音楽を作れるのは、自分が作りたい音楽のタイプを明確に理解しているからだ」BBCラジオ1(韓国アイドル初のソロ楽曲として放送)、CNN、MT
お疲れ様です。2025/9/21、秋がそこまで来ています。今日は1日エアコンをつけなくても快適に過ごせました♪さて、早速本題。最近書店でも論理的思考についての本をよく見かけます。なぜそれらが流行っているかを論じることはできませんが、そこにある落とし穴について少し、、、最初に結論から言ってしまうと、論理的思考は直感には勝てません。しかし、その直感を育てるのは論理的思考です。よくわからないですよね?世間での論理的思考というのは飽くまで社会で成功するためのもの。その前提で話を進めます。ま
批評を書かせていただくのも大切な仕事ですが、とても神経をすり減らす作業でもあります。まず、事前に楽譜を読んでおかねばなりません。手に入る限り。公演批評でも、音源&録音評でもそこは同じです。しかし、先日、《ナターシャ》の世界初演については、事前に楽譜が手に入るわけではなく、譜読み無しで批評させてもらいました。公演を見終わって4時間後に書き上げて送信しました。この場合、「楽譜を読む時間」も「読み直す時間」もゼロであったので、かなり短い間に書き上げたことになります。しょうがないわけです。閲覧でき
私が2番目に好きな小説家である平野啓一郎氏の最新エッセイ・批評集『文学は何の役に立つのか?』を読了。本書は2019年11月に行われた日本近代文学会・昭和文学会・日本社会文学会合同国際研究集会の基調講演「文学は何の役に立つのか?」を始めとして、ここ数年、平野氏が方々の媒体に掲載してきたエッセイや評論だったりをまとめた一冊。「文学の現代性」「過去との対話」「文学と美」の3つにジャンル分けされていろいろなエッセイ・評論がまとめられてますが、総じてこの「文学は何の役に立つのか
#ネタバレ注意!恒例の「賞」形式のテレビドラマ評です。今回は2025年4月〜6月放送のドラマが対象。ただ、文章をいろいろ練っているうちに、すでに次の7月期ドラマがおおかた佳境に入る時期となってしまったため、これ以上の加筆は止め、簡単な評価結果の羅列に徹したいと思います。(すでに書いた分はそのまま掲載します)ここで書ききれなかった詳細については、すでに「中間評」および「その後」記事を作成・公開しており、そのときの評価が概ね今でも変わらないので、そちらを適宜ご参照ください。※
EVEです。以前、シトロエンC6はこの4台の中で一番運転がツマラナイ、と述べました。確かに朝の元気な時は退屈でつまらないのですが、それが夜仕事から疲れて帰る時、その乗り心地のなんと癒されることよ!その柔らかい乗り心地に合わせるようにその柔らかいシートが優しく身体を包んでくれる・・・このままずっと運転したいとさえ思えて、帰宅するのが勿体ないくらい。(^^;つくづく、クルマの批評というのは難しい。その日の体調や気分によってこんなに感じ方が違うモノなのか・・・
(2020年8月1日に記す。なお、詩歌作品および作者名等については著作権に配慮して一部省略し、タイトルおよび内容も適宜修正した)たんたん評論「孤独と個性」NHK出版様が発行する「NHK短歌」テキスト2020年8月号を読む。今回も「短歌のペイン・クリニック」のコーナーを取り上げよう。なお、今月のお悩みを聞いてくれる先生は黒瀬珂瀾(1977-)である。それでは、読者から届いた問い合わせ内容を以下に正確に引用しよう。「ネット上で行う「オンライン歌会」に興味があります
平岡正明は、その著書「山口百恵は菩薩である」の中で、「批評とは片想いである。」と書いた。彼の主張が正しいのであれば、私はシャンソンに片想いしているのかもしれない。しかも、歌の上手さや演技の巧みさに加えて、人を感動させる力を持った、謂わば理想的なるシャンソンに対して恋しているのかもしれない。そんなシャンソンは、今は、この世には存在していない。だから、永遠に成就することのない一方的な恋愛ということになる。理想という非現実を追い求めているわけだから。ただ、少なくも1980年代前
「chatGPT」なるもの以前から名前だけ知っていましたが、オヂサン昨日、初めてダウンロードして使ってみました。何に使ったかというと、絵の批評自分が描いた作品を批評してもらったんですね。これはですね、非常に気持ちいい!誉めちぎってくれる!(誉めて伸ばすタイプ?)まぁ、誉めるばかりじゃなくて評論?ウチワの「祭」の文字まで認識してるし、浴衣の柄、シワまでしっかり判断出来てる。リアルで言うところの・・・評論家はこんなこと言うよ
アートの癒しであなたに【気づき】をお届けする、色彩ヒーリングアーティストのふうこです。ご訪問ありがとうございます^_^『★色彩ヒーリングアーティストふうこについて(自己紹介)』自己紹介|オンラインショップ|購入の流れ|アートメッセージについて|WEBサイト・SNSご覧いただきありがとうございます。色彩ヒーリングアー…ameblo.jp自己紹介|オンラインショップ|購入の流れ|アートメッセージについて|WEBサイト・SNS2024/11/22(金)に
第1章:社会派映画という言葉の罠「社会派」という言葉は、あまりに安易に使われすぎている。万引き、格差、貧困、LGBT──現代的テーマを扱った映画は即座に「社会派」とラベルが貼られる。しかし、構造を描くことと構造を引き受けることの間には決定的な差がある。その差をもっとも明確に描き続けてきた監督が、イギリスのケン・ローチである。第2章:ネオリアリズモの系譜──「救済なき構造」を描くケン・ローチのルーツは、1940年代のイタリア・ネオリアリズモにある。『無防備都市』『揺れる大地』『自転車泥棒
問題提起:「社会問題を描く=社会派」なのか?近年の日本・韓国・台湾映画は、しばしば「社会派」と呼ばれる。しかし、それらの多くは実際には社会の構造を“引き受けていない”。貧困や格差、暴力といったテーマを扱っていながら、感情や希望、様式美に包んでしまうことで、構造の暴力を曖昧にする。本稿では、“構造を引き受ける”映画の系譜──すなわちケン・ローチやネオリアリズモに連なる系譜と対比しながら、アジア圏における「引き受けなさ」の構造を読み解く。日本──“空気”と“情”が構造を溶かす日本映画の多く
序章:救済なき構造と“社会派”の誤解"社会派"という言葉は、ときに表層的なレッテルとして消費される。社会問題を扱うこと=社会派とされがちだが、本質はそこにはない。真に社会派であるとは、社会の構造を感傷や希望で“緩和”せず、真正面から引き受けるという倫理的態度にある。救済を描かず、希望を演出せず、説明すら放棄してなお残る“構造の重さ”こそが、観客・読者に突きつけられる倫理である。第1章:映画における系譜──“語られざるもの”を突きつける1.1ネオリアリズモの出発点第二次世界大戦後、イタリ