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CIDPの痛みとしびれは、誰にも見えないぶん、理解されにくい「完璧に治す」ためではなく、“今日を乗り切る力”を少しでも取り戻すための方法⸻①温める&冷やすを使い分ける●痛みが強いとき→冷やす神経の炎症が強い時期は、軽く冷やすと楽になることがある●じんわり重い痛み→温める私はよく「蒸しタオル」を使った電子レンジで軽く温めて、首・腰・足に当てるだけ⸻②“姿勢リセット”を1日3回だけ痛みが出やすいのは、同じ姿勢が続いたときたった1分でいいので、肩を後ろに回
おこんばんは。アタイです本日も昨日に引き続き『抗がん剤治療4クール目day20副作用と1日5食食べてる元気ながんサバイバーの1日』おこんばんは。アタイですやっと1日が終わる今日はめちゃめちゃ活動してきたそんな本日の副作用手足の痺れ脚の浮腫が酷い今日はいつもより歩いたからか、足の裏がめっち…ameblo.jp残業時間4時間まぁフレックスなので、明日の中抜けで帳消しにしますわそんな本日の副作用手足の痺れ脚の浮腫み今日は足の痺れと、脚の浮腫みがヤバいお昼に書いたけど『抗がん剤治療
CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)は痛みや痺れだけでなく、四肢の脱力が生活を大きく奪う病気寝返りを打つだけで涙が出るほど辛かったスプーンを口まで運べず、旦那さんに食べさせてもらっていたこともある小さなリハビリを積み重ねることで“今日できること”を増やしていく道を選んだここでは、私が実際に取り組んで効果を感じた脱力に効いたリハビリ習慣10選を紹介⸻◆CIDPの脱力に効いたリハビリ習慣10選⸻①ベットに寝たまま足を浮かせる片足ずつ上げる微動だにしなくても良いリハビ
仕事を休む決断ほど、苦しいものはありませんでした「休んだら終わりだ。」当時の私は、本気でそう思っていた仕事をすることで、自分の価値を証明し続けてきた周りに迷惑をかけることが怖くて、弱音を吐くこともできなかった⸻布団から起き上がれず、足に力が入らなかった自由が奪われるまで1ヶ月その瞬間、ようやく気づいた「あ、もう無理だ。」⸻◆休職を決めた日電話を切ったあと、私は声を上げて泣いた悔しくて、情けなくて、負けを認めるようででも同時に、どこかホッとしていた大好きな仕事だった
デパスは0.0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000無量大数(むりょうたいすう)分の1にします。フルニトラは69%です。離脱症状は、ちょっとだけあるみたいな感じですか。フルニトラについては、なんも
色々好転してるんだけど抗ガン剤の副作用は服用しなくても中々取れず手足の痺れが辛い。ころぶほどではないのだが後水や金属がより冷たく感じるのよね…もあって、冷え対策したいしジンジャー🫚レモンティーを試そうとフリッパーのはレモン感少なめだけどけっこう気に入ってるシナモンやクローブで味変も良いしAmazonでこれだけりーすなぼーなのよね。実店舗で倍近くで売られててびっくり‼️水分摂るようになって好き、色々試したいな。今日のランチはサワディーカーでガパオこないだのがガパオ風
自分の足で歩けなくなる日が来るなんて、思ってもいませんでした⸻「自分でできない」言葉にできない恐怖が渦巻いていた「このまま一生動けなかったらどうしよう」「家族に迷惑をかけ続けてしまう」「誰かの手を借りないと生きられないなんて」そんな思いが、毎日のように押し寄せてきた⸻◆介助を受け入れられなかった心が「助けて」と言えなかったどれも必要なことなのに自分でできないなんて悔しくて情けなくて、涙が止まらなかった⸻◆介助が必要になった私が最初に用意した“もの”私が最初に必
何もできない時間が増えるたびに胸の奥に黒い泥のような感情が広がっていくのを感じました歩きたいのに足が言うことをきかない立ち上がりたいのに手を動かそうとしても、力が入らず物を落としてしまう「こんなこともできないの?」「つい最近まで、出来たことじゃん」心の中で何度も自分に言い続けていた本当は誰も責めていないだけど、私が一番厳しい敵だった⸻◆“できない自分”を受け入れられなかった理由私はずっと、「できる自分でいなきゃ価値がない」と思い込んで生きてきた完璧でいなきゃいけな
12/5入院2日目の息子から血液検査の最新の速報が届きました10/24に30回目の最後のmFOLFIRINOX投与をし6週間抗がん剤治療を受けていない状況です11/7の検査結果と比較WBC(白血球)3570→3900CPR(炎症反応)6.91→0.06CEA(腫瘍マーカー)4.3→7.8右肩上がりCA19-9(腫瘍マーカー)4328→4095若干下がったものの
デパスは0.000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%10,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000無量大数(むりょうたいすう)分の1にします。フルニトラは72%です。離脱症状は、手足の軽い痺れと頭のちょっと違和感くらいですかね。フルニトラを減らし
CIDP(慢性炎症性脱髄性多発ニューロパチー)しびれ・脱力・痛み──説明のつかない症状は、日常をあっという間に奪っていきました自由に歩けない座ることすらできない寝返りさえ、地獄のように苦しいその絶望の中で、「普通に歩けるって、奇跡だ。」寝たきりになって知った“生きるということの本当の意味”を書かせてください◆歩けなくなるのは、思ったより突然だった1人で立ち上がれない足が全く動かなかった頭では「起き上がって」と命令しても、足は鉛のように沈んだまま、反応しなかったその
♦︎寝返りができなかった夜動かしたいのに動かない頭の中では「身体を右に向けて」と命令しているのに、脚も腕も、鉛のように重く沈んだまま、びくともしないただ寝返りを打ちたいそれだけの動作が、地獄のようだった夜がある深夜私は布団をかけることさえできず、上着を一枚、胸の上にのせて震えていた。指先が冷たくなり、息も浅くなり、涙が気づかないうちに流れていた「助けて」って、声に出せなかった家族を起こしたくなかった弱音を吐くのが怖かった気持ちをわかってもらえないのが何より苦しかった腕
さて主人の口癖が『痛い』になってから半年くらい経つ。6月に入院した時には手足の痺れは今ほどひどく無く最初に入院した病院を退院してから酷くなったそうだ。知らんけど。転院して2ヶ月入院し今の内科にかかっている。所謂田舎の町の医院。先生はいい人だが主人の病気の専門ではない。だから身体障害者の手帳の診断書は二つ目の病院に書いて貰ったし今回、最初に入院した病院に紹介状を書いて貰った。最初に入院しだ病院のT先生は人当たりもよく説明もわかりやすくとても良い先生。私は
動かないはずの足先が、ほんの数ミリだけど、確かに動いた「この感覚を、ずっと待っていた」──IVIg治療私は人生が動き出す音を、確かに聞いた⸻診断がつくまで、数ヶ月転換性障害と言われそして──ついにCIDPとわかり、初めての**IVIg治療(免疫グロブリン療法)**の日を迎えることになりますあの日の、点滴の滴の音そこから始まった“逆転劇”を、今日は書き残します⸻◆IVIg治療とはIVIg治療は、免疫グロブリン製剤を点滴で投与し、誤って神経を攻撃している免疫の働きを落ち着かせ
デパスは0.00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%1000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000無量大数(むりょうたいすう)分の1にします。フルニトラは75%です。離脱症状は、軽い痺れと頭の痺れ感と違和感ががうすーくある感じです。体調はよくなっていっ
原因不明の体調不良が続くと、どこかで言われる言葉がある「ストレスじゃないですか?」「気のせいでは?」「そんなに深刻に考えすぎないように」それは、ナイフみたいな言葉だった医師の口から出た言葉「転換性障害の可能性があります」今日は、あの日のことを正直に書きたいは同じ苦しみの中にいる誰かに届きますように⸻●症状は確かに存在していたのに箸を持てないスマホを落とす字が書けないそして、足に力が入らなくなり、ついには歩けなくなった⸻●そして、衝撃の診断ある病院で、医師は静
もう今日から師走ですよ、1年がアッと言うまでと言いたい処ですが、この1年はほんとに色々と大変でした(~_~;)。癌センターへ一体何度通ったんでしょうか?(;^ω^)。結局抗がん剤は27回だったかな?、医療費は高額医療補助制度が無かったら一体幾らになったことか(恐ろしい(~_~;)。足と手指の化膿でホントに痛くて辛い日々でしたし、抗ガン剤の何回目からか手足の痺れが酷く現在も続いて居るし、同時に食べ物の味が全く解らない悲しい日々が現在も続いて居ます。その最後の抗がん剤の効果が無く
オキノームを飲んでも痛みが治まらず寝れない🥲又手足が痺れて起き上がれないし、スマホ、マグカップが持てない😥師走のスタートなのに身体はだんだん衰弱しているのかなぁ?
前半後半で月2はブログ書こうと密かに決めていたのですが、気付けば11月が今日で終わりますね…あれ?おかしいな…?働き始めたと前回書きましたが、規定レベル?クリアしたので出社から在宅勤務に切り替わり、週5で働いております。在宅になったから時間できると思ったら、何だかうまいこと時間使えずで(笑)時間使うの下手くそな人種なもんで、こればかりはもう変わらない気がする…(笑)あと仕事以外で、今月はオタ活多忙で忙しい日々を過ごしてます!・11月3日A.B.C-Z@熊本城ホール・11月
「検査をしても異常なしばかり」「気のせいと言われた」「このまま寝たきりになったらどうしよう」病名のわからないまま、手足が自分の体じゃないみたいに動かなくなっていくのは、本当に恐ろしい私はCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)だと診断されるまで、長い時間、病院を転々としたその途中で出会ったのが神経伝導検査(NCS/神経伝導速度検査)最初は名前だけで怖くて、ネットで検索しても専門用語ばかり。痛いの?どんな検査?本当に意味があるの?──当時の私は、不安で涙が出るほど怯えていただから今日
いろいろと調べ事が多くて、なかなかまとまらなかったので更新が滞っていました💦今回は極低周波電磁界について思う事があったので調べてきました。極低周波とは「極低周波」は、一般的に「極低周波電磁波」と「極低周波音」の2つの意味で使われます。極低周波電磁波は、家庭のコンセントや電化製品から発生する、5Hzから2kHzの周波数を持つ電磁波で、人体への影響が指摘されています。一方、極低周波音は20Hz未満の、人間には聞こえにくい音で、不快感や頭痛などの心理的な影響を及ぼすことがあります。人間の
事故で通院して3ヶ月次々に不調に苦しむ毎日一番辛いのは『本当に今まで痛くなかった腰が痛いです!』と言っても『加齢で腰の骨が変形しているせい!加齢からくるもので事故とは関係ありません!』と言い切られていたこと。だから本当に事故後から痛いんだって・・そのうちに足先が痺れてその片足だった痺れが両足先に広がりそこから膝上まで痺れが上がってきた。そのことを医師に伝えるとやっとMRIを撮ることになった。結果、何も出ず所見に『加齢による骨の変形』みたいなことが書かれているだ
病名がつかない苦しみは、病気そのものより苦しいことがあります治療ができない説明できない信じてもらえない医療の世界のどこにも居場所がなくなる絶望は、静かに、確実に、人の心と身体を削っていきます私は、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という難病に辿りつくまで、数えきれない医療機関を巡りました「異常ありません」と言われるたび、希望を失いましたこの文章が、今まさに同じ迷路の中で苦しんでいる誰かの灯りになりますように⸻診断の壁は、病気よりも恐ろしいCIDPは希少疾患で、診断が
遊女の千代姫は色白で頬が紅く器量が良く子供の頃から舞や歌で人の心を魅了していた流行り病で親を亡くして都から鎌倉へとくだることになった見慣れた都を離れ京の山並みが遠ざかるのを心細く見ながら歩いた都で生まれて他の地を知らない娘は都の華やぎを心に映して鎌倉の地へと辿り着いたそこから千代姫と名乗りたくさんの殿方が千代姫の舞を見るために夜な夜な集まった千代姫の舞は時の流れを感じないほどその動きはゆるやかで足さばきも誠に優雅床をそっと撫でている都で学んだその
今日は朝から大忙し!昨夜中学校の教師をしている長男から電話がありました明日部活の引率で雪のある町まで行くことになりタイヤ交換をしたいがどこに電話しても営業時間を過ぎていて断られたとのこと本人はまだ職員室にいるらしい計画性のないところが半人前だと思いながらも今朝は5時起きし慣れない息子に代わって痺れる手足でふらふらになりながらタイヤ交換をしてやりました妻も必死で手伝ってくれました何とか親というやつでしょうか息子は6時過ぎには出かけていきました何歳になっても子
おはようございます。昨日の定期検診の話しです。昨日は朝から下剤との戦い。12時前に病院に着き、さくっと採血をしました。その後、内視鏡室の受付を行い。………………そこから1時間半ほど待ちましたよ。お腹はペコペコだし、頭もクラクラするし。ようやく、呼ばれて検査着に着替え。………………そこから3~40分ほど待ちましたよ。検査着はぺらっぺら(しかも右肩部分破れているし…。あ、わたしじゃないよ。)お尻側が空いている検査用の紙パンツ。膝くらいまである紙パンツですが、こ
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私は、一度人生が止まりました歩けなくなり、立ち上がれなくなり、ベッドから起き上がれなくなった日あの日の私は、未来も希望も、全部見失っていました⸻どの病院へ行っても「異常なし」と言われ、検査結果は正常で、血液もきれいで、MRIにも何も映らないそれなのに、身体は日々壊れて“原因不明”という言葉ほど、人を追い詰めるものはありません私は、助けを求める場所を失い、自宅で寝たきりのまま、ただ毎日をやり過ごしていました診断がつくまでの道のりが、ここまで長く孤独なものだとは、想像もしなかっ
こんばんは😊お風呂タイムの時間です🤣お昼あれだけお肉食べたのに💦ほんの数時間でお腹空くんですよね🤣どこかから漏れてる???なのでお昼に買ったマルちゃん1.5玉作りました。キャベツ買うの忘れて、ラーメン具材で焼きそば作りました💦この塩サバは味変少なめでした。いよいよ、料理なのか?私の体調なのか?味変の正体がわからなくなってきました🤣焼きそばの味変は少しだけ、でもその少しの変化が一番美味しいところをスポイルしているみたいです今日の体調は、至って普通。外も短い距離歩きました。や
TC療法後、3日目昨夜は思った通り、手足の痺れと関節痛のピークで不眠今朝も旦那ちゃんが早起きして、息子のお弁当の用意やら朝食の準備などをしてくれた昨日以上に何もできない痺れと関節痛だけでなく、今朝から吐き気もやってきたおかげで何かを食べたい気にもなれず、とりあえず水分摂取のみ吐き気止めを飲もうか、でも水分以外飲み込む気にならないなので体重も下降中↓でも、この副作用も、あと数日すれば回復に向かうはず!