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『読売新聞』滋賀版21面に、識者としてのコメントが掲載されました。同紙で終戦80年を期して「心のよすが戦時の湖国」が連載されており、その中で日吉大社(大津市)が戦艦「比叡」艦内神社の分霊元だったことが取り上げられた記事で、戦前の大日本帝国海軍における艦内神社について解説しています。大変誠実に取材していただき、言わんとするところをしっかり汲み取っていただきました。一点、防護巡洋艦「矢矧」が「矢作神社(愛知県岡崎市)の御霊を艦内にまつったのが最初」と書かれていますが、正確には(そ
‘日本海軍はなぜ敗れたのか、それは日本型組織の敗北ではなかったのか’、とは裏表紙の宣伝文句。最前線で戦う将兵のはなしは、それを立案指揮したひと、組織のことも知らなくてはとてもわからない。千早さんは大井篤さんと並んで戦後に海軍を弾劾する著作を多く残した人で、やっぱり海軍参謀だった方。日本型組織ということばが気になる。冒頭50ページほどの‘まえがき’で自身の海軍での履歴を簡単に振り返る。第十一戦隊参謀として比叡艦上で第三次ソロモン海戦に遭遇、大怪我を負うも辛くも生還したはなしが迫真だがそ
フジミ1/700の比叡が完成ました。大和型戦艦の艦橋の習作として設計されただけあって、金剛型としては他艦とは特徴のある艦橋が特徴です。頑張ってエッチングを使ってみましたが、老眼もあってもう1/700艦船のエッチングは難しいなぁ。上手くできなくて結構汚い仕上がりになりました。先に古いキットのハセガワの比叡を作っていましたので、並べてみました。情報量が多いと詳細に見えますが、艦影を楽しむ事にするなら安価なキットで楽しく作って揃えるのが良いのかもしれませんね。とりあえずいつもの
フジミ1/700の比叡です。マストも付け終わり、エッチングパーツもかなり進めました。やっぱり1/700のエッチングはもう綺麗につけるのは無理かなぁ。老眼が厳しくて集中力がもたないし、すぐに肩が凝ってしまう。アップにしたら色々とヨレヨレになってるし・・・ただ、老眼なればこそ自分自身はよく見えないので「情報量が増えて格好いいや」で済ませられるんだけどね。デジカメでアップとかで撮ると、あまりの下手さに驚く。これはあまり人には見せたくないかもw
中央区月島地区に、旧海軍の戦艦「比叡」の内火艇が係留されていると聞いて、ジョギングのついでに見に行ってきました。場所は地図のとおりで、勝どき駅A2b出口を出て、月島方面に向かい、ラーメン屋、もんじゃ焼き屋などを横目で見ながら、月島川にかかる橋を渡りかけたところから「比叡」の内火艇らしき船舶が見えてきます。グーグルマップにも「比叡内火艇」と書かれているので、すでに有名なポイントなのかもしれません。ところで、「内火艇」は「うちびてい」と読むとされ、ネットで検索すると以下のよう
Xの投稿で東京、月島に屋形船の倉庫、桟橋として使われていた、旧海軍の内火艇(動力付きボート)らしきものが係留されているそうです。以前から知る人ぞ知る存在で、GoogleMAPにも表記されています。https://maps.app.goo.gl/gsm4cp8VEW2XV5pq5比叡内火艇·中央区,東京都Googleマップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できます。世界地図も日本語で、旅のプランにも便利
【フジミ特-37戦艦比叡1942】外板継ぎ目を彫って表現舷窓を貫通しない程度に深掘り木甲板シールを貼って少し進めたところです久しぶりで疲れましたが楽しかったな~(^^)次は明日出来るか来年になるのか……
隅田川の月島橋で旧海軍の舟が使われているとの風説が真正との可能性が高まっている。支流の月島川から出る「屋形船かねこ」へ乗る時に使われていた青い台船が、戦艦比叡のエンジン式ボートの内火艇だったとの話だ。浅い川岸で船着場から喫水の深い船へ乗り移るのに必要になるのが台船である。屋形船を動かす「船宿金子」を創業した金子源之助は件の台船を60年以上前に買い取った。海軍の軍艦で使われていたものを戦艦比叡で使われていたものを軍備品の放出で買ったと戦時に徴兵もされた金子は自慢していたが、証明資料を残さない
イベント水域のE2前半部分が終わりました。今晩和、私です。艦これですね。もう、ある程度の戦力を犠牲に、兎に角輸送続けて終わらせましたよ。これ、ドラム缶(輸送用)を持ちながらS勝利達成できれば、もっと早く終わったのでしょうか?結構な数の高速修復材も消費しましたねぇ。また任務などで稼がなきゃダわ。ケチってプレイしてますから、まだカツカツって訳じゃないんですけどね。そして、心折れる前に適度に南西諸島海域の東部オリョール海とか行ってまして、なんと、ボス
NHKアカデミア(NHKEテレ)で呉の大和ミュージアム館長・戸高一成氏の「いま太平洋戦争から学ぶ」が10:20から放映されました。実はカミサンがちょっと写っていました。さてどこでしょう?1917年11月に南方の海戦で戦艦比叡が被弾沈没した際に、その最後が自軍駆逐艦の処分なのか、自沈したのか論争になっておりました。カミサンの祖父が当時比叡の第3砲塔長で、艦長の命令により自沈のためのキングストン弁を抜いたことを自費出版の本にしたためたておりましたので、張本人の言として戸高館長にお
明後日7月1日朝10時崎谷健次郎公式YouTubeチャンネルにアイルランド民謡でポップスとしても広く親しまれているDownbythesalleygardens「柳の木の庭で」をアップしますぜひご覧くださいイイねやコメントもお待ちしています自作プラモデル戦艦比叡です僕の趣味のプラモデルはまず子供の頃に戦艦プラモが花形で作っていたのですが2009年になってふたたび記憶を辿ってプラモデルを作り始めたのですところがプラ
こんばんは。3月に入りかなり暖かくなって来ましたね。今までの感覚で着こんでいると暑く感じる今日このごろです。さて現在製作中の艦船模型。金剛型戦艦比叡もいよいよ最終工程に入りました。連装機銃と係留桁がまだでしたので、それらの製作に取り掛かります。キットの連装機銃の銃身部分をカット、銃身は0.2mm真鍮棒に銅線を巻いて製作。中央でカットすると1本で二本取れます。接着して塗装したものです。連装機銃は10基ですが、
おはようございます。3月に入り日中はかなり暖かくなってきましたが、日が落ちるとまだまだ寒い今日この頃です。先週は残業が多く比叡製作もちょっと滞っていました。モチベと艦船模型製作以外の趣味との兼ね合いもありますが。💦💦戦艦比叡製作、引き続き進めて行きます。ほぼ毎度の作業が続きますが。後部檣楼の舵柄信号標製作・取り付け、旭日旗などの掲揚を進めています。製作途中の写真がありません。💦分かりづ
こんばんは。早いもので2月もあと少し。3日少ないと言えやっぱり早いですね。この速さに製作が追い付きません。現在製作中の艦船模型、戦艦比叡の完成もまだもう少しかかりそうです。本日はジオラマで脇役の重油補給艦の製作の続きから。ここまで出来て放置気味です。今日はこの続き。通風痛&マストの製作。マストは真鍮棒から製作です。通風筒も開口部分もしっかりとドリルで彫りました。色合いに変化も欲しいので救命環を自作して取
こんばんは。今週はいきなりの訃報が全国を駆け巡りましたね。松本零士先生のご逝去のニュース、ショックでしたが、年齢が年齢だけに仕方がないのかなと。先生の漫画はかなりの種類もっていましたね。宇宙戦艦ヤマト、キャプテンハーロック、銀河鉄道999も全巻。クィーン・エメラルダスとか先生の作品はマニアックな単行本も含め一時期集めていましたよ。完結した作品がちょっと少ない気もしましたが。💦ニュースと同時に様々な先生の作品が脳裏をよぎりましたよ。松本零士先生。ご冥福を
こんばんは。戦艦比叡製作ぼちぼち進めております。今日は後部檣楼部分の製作です。パーツ数はそこまで多くありませんが、エッチングに換装する部分と自作する部分とに分かれます。キットのパーツは下部のみ上部はエッチングと自作パーツで形作ります。三脚を組みながらエッチングも取り付けていきます。トップマストは、太すぎるのでいつもの様に真鍮棒+銅線巻き巻きで。0.4mmの真鍮棒で。ヤードも同じく。こちらは0.3mm合体させて補
戦艦とは、戦う船のことではない。戦う船の中の一種類。大口径砲を搭載した、‘動く巨大砲台’を戦艦という。空母や駆逐艦は戦艦ではないのだ。その戦艦に捧げた一冊。‘「戦艦」という名の軍艦は、現在では完全に過去のものとなっている’との文で始まる。なんと現在戦艦を保有している国は、アメリカとイギリスだけだという。それも予備役艦として係留されたまま。しかし、‘日本の戦艦こそ、人間が作り得た武器の中で最高の芸術作品である’とまでいう著者の意気込みはすごい。基本的にその著者の思い込み?に沿った、日本の
こんばんは。戦艦比叡製作、少しづつですが進んでいます。毎度のことですが、細かなパーツの処理が続くとちょっと時間かかります。この辺は1/700艦船模型の宿命でもありますが。今週はその小物艤装品。実物は決して小さくはありませんが。w金剛型戦艦の特徴でもある副砲の製作。これは長門型まで受け継がれました。もちろん砲口は開口済み。砲身が若干太い気もします。もう少しテーパーかかっていても良さそうですが。数あるので交換
こんにちは。更新相変わらずのスローペースです。今週はそこまで残業は無かったのですが、模型製作以外の趣味にちょっと目が向いたいました。来年、定年後は釣りも復活させようかなと考えてもいますが、竿、リール全て買い替えないといけない状態です。ハンドメイドルアーは、フック交換でなんとかなりそうですが、またロストも多いので増産する必要もね。現在製作中の艦船模型も後半に突入。今回は主砲製作に入りました。45口径35.6cm連装砲4基組み立て始
日付が13日に変わった頃挺身攻撃隊はサボ島に差し掛かります。一方敵艦隊はルンガ岬沖を西進してます。すでに月は沈み辺りは真っ暗闇。1320頃、軽巡ヘレナのレーダーが日本艦隊を捕捉。20分遅れで挺身攻撃隊の夕立が敵艦隊を発見。次いで比叡も敵を発見。比叡内では驚きと動揺が広がります。と言うのも、敵との遭遇はないと決めつけ、すでに主砲弾は対地攻撃用三式弾を装填してるのです。敵を目の前にして徹甲弾に切り替える余裕などありませ
2019年1月31日、ソロモン諸島サボ島の北西の深さ約1000mの海底で、戦艦比叡が発見されました。潜水艇が撮影した映像には巨大なスクリューやかじ、高角砲の砲身などが映っています。発見されたのは船尾部分で、艦橋や船首は未だ発見されてません。船体の一部ではありますが、今回比叡が発見された記念として、比叡の活躍を少しだけ見てみましょう。比叡は、金剛型の2番艦として1914年8月4日竣工。
こんばんは。今週も残業が続いた週でしたが、それ以上に日本を襲った大寒波の影響がきつかったですね。諫早市から西へ大村湾側の山間部を走る国道207号線は、私の通勤で使うルートなのですが、1月24日200台ほどの車が雪の為それこそフリーズ状態。全国ニュースにもなったのかな。帰宅時は諫早~長崎間のバイパスをいつもは使っているのですが、こちらも早くから雪の為通行止め。帰宅するには、2ルートしかありません。北ルートか南ルート。南ルートが混むと判断して、いつものルー
こんばんは。戦艦比叡製作中です。通風筒の製作も終わり、引き続き塗装タイミングを同じにするパーツも組み上げ始めました。40口径八九式12.7cm連装高角砲も始めました。フジミのキットも悪くないのでそのまま使用します。いつもの様に砲口開口、各部を薄くしておきます。資料図を見ながら、細かなパーツを追加していきました。操作室?の側面のモールドが全くないので細切りプラペーパーでつなぎ目の部分とか。以上組上げた
こんばんは。今週は仕事ちょっと落ち着いています。今日は代休消化の休日を取っていました。休めるときに休まないと代休消化出来ません。と、言う訳で今日は艦船模型製作捗りましたよ。船体、前鐘楼のエッチングの取り付け終わったパーツに順次調合ダークグレーサフを吹きまくります。その後鐘楼は組み立てに入りました。一部インストに指示はなかったもののおそらくリノリウム張りと思われる階層に追加塗装してマスキングしています。高射装置やら
こんばんは。正月明けてからまだ休みが取れず、毎日が残業続きでした。明日はやっと正月休み明け初めての終日休みです。毎度のことながら艦船模型製作も捗ってらず、今日やっと現在製作中の戦艦比叡の甲板上の手すりの取り付けが終わりました。その前に前回の鐘楼部分のエッチング取り付けは、信号桁の取り付けがまだでした。こちらで一応塗装前のエッチング取り付けは終了。塗装、組み上げ後に各層をつなぐラッタルの取り付けになります。そして
こんにちは。毎年の事ですが、仕事始めから1月中旬までいろいろと現場が重なり忙しくなっています。この3連休も休日出勤が連日発生してますね。まあ冬休みがそこそこ休み取れたので気分的には楽ですが。戦艦比叡製作も進めています。が、エッチングパーツの取り付けに時間とられている状態です。今回の艦船模型、フジミ製ですが純正エッチングが、違うシリーズ対応製品なのでちょっと面倒な事になっていました。第一煙突周りの製作。煙突は雨水除去装置の取り付けも終わり周囲の台座関係
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。穏やかな元旦一年が始まりました。模活の進捗は微妙ですがw。年越しというより年マタギ製作の艦船模型。戦艦比叡すこしづつですが進んでいます。四苦八苦していましたジオラマベース。なんとか方向性が落ち着きました。まだ色が納得できていませんが、後修正します。今回木工パテで海面の波浪を表現するのにちょっとてこずりましたが、妥協して塗装工程へ。黒サフ~青緑ベースに白を混ぜた塗
こんにちは。12月もあと一週間。今週は雪に悩まされた一週間でした。チェーンなしで会社には行けましたが通行止めも多くいろいろと坂の街長崎の脆弱さが雪が降ると露わになります。そしてこのまま年末最終週に突入できればいいのですが、明日がまた夜間現場のはしご仕事。毎年の事ですがさすがに還暦近い体には答えますな。現在製作中の艦船模型、比叡製作。木甲板の塗装作業に入りました。久しぶりの板張り甲板の塗装です。今回も甲板に変化を持たせるために木板一枚ずつマ
こんばんは。年越し戦艦製作が始まりました。ようやく大正時代に建造された日本帝国海軍の残されたかどりき最後の戦艦製作に入ります。ワシントン軍縮条約により訓練戦艦として改装、御召艦にもなった比叡でしたが。軍縮条約切れをもって大改装がおこなわれました。大和建造への実験艦として役割も持っていたようです。この辺の違いは、他の製作済み金剛型3隻と今後比較等が出来そうです。その戦艦比叡、久しぶりのフジミ製艦船模型製作。細かなパーツが多いですね。
ブログスタンプを10日分集めるとシルバーランクに昇格するよ。▼10月のあなたはブロンズランクでしたはいよ、ありがとさん🏅ぴか☆ちゃん、コタツはじましたやけど、俺は電気ストーブはじました😁👌今朝、冷やかったけん今季初の電気ストーブ点けた😚👍我が家はもう何十年も前からコタツは無い😅てか、コタツ要る程寒いと思わんけん😁今日は戦艦比叡が進水した日⚓昭和14年12月、大改装後、宿毛沖で全速力公試中の比叡昭和16年10月、佐伯湾に停泊中の比叡大和型建造前にテスト的に他の金剛型とは異なる艦