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2022年5月のブログです*加藤周一さんの『夕陽妄語21992-2000』(2016・ちくま文庫)を再読する。加藤さんの『夕陽妄語』の感想文は、なぜか、『1』と『3』だけがあって(よかったら読んでみてください)、『2』がなかったので、再読してみた。1992年から2000年にかけて、『朝日新聞』に月1回ずつ連載されたエッセイをまとめたもの。この間、日本では、戦後50年問題、阪神淡路大震災、オウムサリン事件などがあり、海外ではユーゴスラビア紛争その他が起きた。加藤
参加しました。「昭和の日」奉祝反対スタンディング4月29日、以前の昭和天皇誕生日、現在の「昭和の日」に、「天皇制に問題あり!福岡連絡会」の呼びかけでスタンディングをしました。昨夜の予報では、今日朝から終日、本降りの雨とのことでしたが、スタンディング開始の1時間ほど前には陽射しが見られ、終わる頃、雨雲が空を覆いました。大きな傘を持っていったのですが使わずにすみました。福岡天神の街は相変わらず、買い物や食事と楽しそうに過ごす人たちで賑わっていました。そんな脇でプラカードをあげるわたしたちのなんと
今の戦争はコストが高いのです。兵器の価格が高すぎるのです。そして通常兵器だけではゲリラ戦に持ち込まれたら勝ちきれないのです。その結果は国の財政が破綻するのです。自国の財政が破綻してまで行う戦争など存在しないのです。それを唯一防ぐ可能性があるのが核兵器なのです。あくまでも可能性ですが。現実は現代は経済で世界が密接に繋がりすぎているので、もし核兵器を使えばその経済の輪から外されてしまうという恐怖感によって実際は使えないのです。現在の核兵器を使う可能性がある唯一の
昔Twitterで拾った画像。アニメ映画『この世界の片隅に』で、「終戦」直後、主人公が怒りをぶちまけるシーンがあるが、終わってから言っても何にもならない。まさに後の祭り。戦時中は言える空気ではなかった?その空気を作り出すことに「一般市民」も加担していたはずである。日本人は特に過去から学ばないので、同じことを繰り返すだろう。やはり知性=自省である。
ランクBの上~Aの下ナチスドイツに占領されたオランダで画家志望の心優しき青年が、警官になったためにレジスタンス運動に関わり自己矛盾の葛藤に追い込まれていく様を描いています。ナチスドイツに占領された各国にはナチ協力者に対する責任追及への線引き問題が横たわっています。協力者と抵抗者の間にグラデーションがあるからです。多くの国民は、事なかれ主義に陥り黙認か消極的協力を
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)大正九年(1920年)二月一日兵庫県に誕生。平成十七年(2005年)六月十六日死去。八十五歳。バッテリー商・平和運動家・政治家・神軍平等兵。昭和十六年(1941年)中支九江工兵隊に入隊、後に独立工兵第三十六連隊に転属となり、ニューギニア戦場に派遣され、その苛酷な戦闘地域で生き残り、昭和二十一年(1946年)に復員し、故郷兵庫でサン電池工業所を自営する。ニューギニアの戦場で餓死・戦死した戦友達の無念を悲しみ、戦争の最
昭和十六年(1941年)十二月八日。昭和天皇が統帥していた大日本帝国軍隊はアメリカ合衆国ハワイオアフ島アメリカ軍基地を奇襲攻撃しました。この年二十一歳の青年奥崎謙三は中支九江工兵隊に入隊し、後に独立工兵三十六連隊に転属となりますが、ニューギニア戦線で生き抜き昭和二十一年(1946年)復員し生還します。謙三は戦争の最高責任者であった裕仁が責任を取らず、象徴天皇の地位にあることに深い悲しみを覚え、戦死した戦友の無念をこめて糾弾しました。昭和四十四年一月二日東京のホ
今日は、日米開戦の日!日米開戦回避は、東日本大震災予知ぐらい難しかった!始まりがあるから、終わりがある!私達は、毎年8月15日を終戦記念日として、戦没者に哀悼を捧げています。当ブログでも、8月15日の記事に、昭和天皇の終戦の詔書を詳しく御紹介しました。http://ogossougadechatta.blog94.fc2.com/blog-entry-1319.htmlhttp://ameblo.jp/ogossou/entry-12061637158.htmlそして、今日は、1
北京に中国人の知り合いがおります。北京大学で日本文学や思想を教えてる人なんですが、久しぶりにその人とオンラインでお話ししました。折しも国際社会では政治的緊張が増すばかり。日中もお互いに牽制し合いいがみ合って反日、反中感情というものに流されない方がおかしい昨今。しかしその知人は、戦後の日本が先の大戦への反省によって陶冶してきた民主主義、自由、個人の価値を擁護したいしそれが今の「自由ではない」中国の若い人たちに確実に希望を与えている、
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、倉橋正直『日本の阿片戦略――隠された国家犯罪』共栄書房、2005年戦前、戦中の日本が阿片を扱い、主に中国大陸を販路として大きな利益を上げていたこと、阿片が大日本帝国にとっていわば戦略資源であったことは、今ではよく知られている事実かと思います。関係資料をまとめた資料集も刊行されていますね。本書もまた、日本の阿片取り扱いを主題にした一冊です。冒頭から引き付けられるのは、筆者が厚生省(当時)の許可を得て自身でもケシ栽培に取り組ん
昭和五十年(1975年)十月三十一日、皇居宮殿石橋の間において、天皇裕仁と皇后良子の記者会見が開催されました。日本記者クラブ代表五十人が出席しました。この月裕仁はアメリカホワイトハウスを訪問し、ジェネラル・R・フォード大統領は晩餐会を開いて迎えました。記者「陛下は、ホワイトハウスの晩さん会の席上、私が深く悲しみとするあの不幸な戦争というご発言をなさいましたが、このことは陛下が、開戦を含めて、戦争そのも
トキも雷鳥もいるいしかわ動物園ゾウのサニーさんは遊んでくれたし、東山にいるミニカバの故郷で3頭もいる恐ろしいチンパンジーにも会えましたラジオが伝えた戦争戦局の悪化と終戦報道初回放送日:2023年8月16日戦局が悪化する中で、ニュースには意図的な編集が加えられるようになる。当時のアナウンサーが読んでいた原稿とは。終戦へと向かう放送局を追う。昭和18年、学徒出陣。戦況が劣勢となる中、その様子はラジオでどう伝えられたのか。当時の実況中継からたどる。一方、日本放送協会内では、通信社から
戦争責任とかほざいてる奴等が責任とれや
神から人間になった天皇今、昭和天皇の発言が気になる1946年1月1日、敗戦後に昭和天皇は、自らの神格を否定し、人間宣言を行いました。昭和天皇に限り神格化されていたのも不思議な話ですが、人間天皇となった昭和天皇は、その後さまざまなお言葉を残していらっしゃいます。しかし、年月を隔てた今、その中に違和感が拭えない言葉があると言います。調べてみたところ、この言葉は確かに、人間として配慮が足りないのではないかと思いました。1975(昭和50)年10月31日、両陛下が初めて臨まれた日本記者クラ
池上彰さんによる「ドイツの反省する力」の記事↓うーん🧐101歳の元ナチス親衛隊を逮捕、禁固5年の刑に…600万人のユダヤ人を見殺しにしたドイツの反省する力街中に「ナチスによる虐殺」の歴史が刻まれている2015年の「欧州難民危機」で、ドイツは難民希望者をすべて受け入れた。ジャーナリストの池上彰さんは「ドイツは、ナチスがホロコーストを起こした責任を認め、謝罪と反省を繰り返してきた。子どもの頃からこうした歴史を学んでいるため、難民を受け入れなければならないと考える国民が多かった」という――。pr
太宰治『雌に就いて』読了。二十世紀旗手(新潮文庫たー2-9新潮文庫)[太宰治]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}前回に続いて新潮文庫の短編集より。まあ良くも悪くも太宰的な作品、と言える。銀座のホステスだった田部シメ子との心中一件をモデルにした、とも言われている。太宰は何度も自殺未遂を起こしている。中には女性を巻き込んだ(あるいは巻き込まれた)ものもあり、周知のように最後は玉川上水で入水して死んでいる。猪瀬直樹はこれを、太宰
今から78年前の今日・1945(昭和20)年9月27日、日本の将来を決定づけたと言っても過言ではない会見が行われました。話し合ったのは、昭和天皇とマッカーサー元帥のお二人。この会見の約1ヶ月前の8月30日に、マッカーサーが来日。その3日後・9月2日に戦艦ミズーリの甲板で降伏文書に調印(↓)が行われると、GHQは本部を横浜から皇居脇に移転。そして9月11日、事前通告なしに東条英機元首相ら37名を戦争犯罪人として逮捕・拘留しました。時を同じくしてアメリカでは天皇を戦犯として裁く決議
がんの闘病記は「がん備忘録」で、がんについての情報などは「がん治療」のタグでご覧ください。ประมาณสิบปีที่ผ่านมาดูเหมือนว่ารัฐบาลอยากโยนความรับผิดชอบของสงครามให้กับจักรพรรดิحواليالسنواتالعشرالماضية،يبدوأنالحكومةتريدإلقاءمسؤوليةالحربعلىالإمبراطور.Environdixdernièr
終戦の日の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が行われました。岸田首相の式辞は昨年と殆ど同じ内容で、「不戦の誓い」も私の心には響きませんでした。なぜ首相の式辞は白々しいのか?それは、「不戦の誓い」の原点である太平洋戦争へと続く一連の戦争をどう考えるのか、首相としての歴史認識を示さず、アジア諸国への加害責任にも言及することはなかったからです。全国戦没者追悼式:首相官邸より先の侵略戦争における日本人の犠牲者は310万人ですが、アジア諸国の犠牲者は1,900万人に達していま
二宮和也が主演を務め、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された実在の日本人捕虜・山本幡男を演じた伝記ドラマ。作家・辺見じゅんのノンフィクション小説「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を基に、「護られなかった者たちへ」「糸」の瀬々敬久監督がメガホンをとった。第2次世界大戦後の1945年。シベリアの強制収容所に抑留された日本人捕虜たちは、零下40度にもなる過酷な環境の中、わずかな食糧のみを与えられて重い労働を強いられ、命を落とす者が続出していた。そんな中、山本幡男は日本にいる妻や子どもたちの
もし何も忘れられない世界で出会い会ってしまったら憎み合うのはやめるだろうかもし何も覚えられない世界ですれ違ってしまったら振り向き合うようになるだろうかなんてどこにも見えない敵を今そこにあてがい人々は考えることをやめていた薄れてく希望は徐々に蝕み弾倉の中に願いを込め始めた人々はまた泣き出してしまうもし何も忘れられない世界で出会い会ってしまったら憎み合うのはやめるだろうかもし何も覚えられない世界ですれ違ってしまったら振り向き合うよ
本日2023年8月15日は、敗戦から15日で78年です。そして、今年は世界人権宣言75周年です。第2次世界大戦の犠牲になったおよそ310万人と甚大な財産の被害を受けた市民のうち、謝罪も賠償もされず被害が今なお続いている市民に対し、日本国憲法に基づき、現在国際連合安全保障理事会非常任理事国である日本国の天皇一族と日本政府および財閥による速やかな謝罪と賠償を要求します。2023年8月15日
【質問】戦争が終わって・・召集解除になった兵隊さんや、予科練の練習生たちに民衆たちが、「負けたのは、お前たちのせいだ!」と憎悪の石つぶてを投げつけたというのは本当の話でしょうか。だとすると、冷静に考えたら現代と考え方が逆ですよね。当時の民衆は、負けて悔しい、勝ちたかった――と、心から思っていた。ところが現代ではどうか。国民は戦争に反対だった軍部にだまされていただけだった、戦争に反対すると憲兵に捕まって拷問されるから仕方なく協力するしかなかった。こういう人が大半です。あきらかに矛盾
以下Facebookからお借りしました。「旧日本陸軍の731細菌戦部隊は明らかな医学犯罪。だが日本の医学界ではいまだにタブーになっている。公設の平和祈念館で731細菌戦部隊について展示されれば全国でも稀有なこととして誇るべきことになる」(滋賀医科大学名誉教授、西山勝夫さん)ShuntaKanamori写真は江川さんから。FBF限定投稿でしたが、西山名誉教授の「拡散希望」とのコメントが添えられていたので写真をシェア。写真の中日新聞は、東京新聞の親会社。東京新聞は1884年
広島で、生まれ育って62年間ずっと広島で、生きてる人間が言うと怒られるかも知れないけど原爆は、ダメだけどウクライナは、大歓迎戦争丹は、大協力ワンオクTaka原爆投下連想画像に怒り露わ…「日本人としてマジで気分悪い」言うのは、カッケェけど何故?第二次世界大戦が、始まったのか?ネットで、調べてみ今までの戦争で、日本人が、異国の人達にした事も、考え、反省、謝罪しないと負けたから被害者では、無いと思うよ無知、無学歴、無教養なジジィの独り言知らんけど
1937年(昭和十二年)七月七日盧溝橋事件が起こりました。中華民国北京西南方向の盧溝橋において大日本帝国軍隊と中国国民革命軍の軍事衝突事件です。戦闘・和平交渉がありましたが、裕仁統帥軍隊は中国侵略・民虐殺を犯しました。盧溝橋事件は日中戦争の発端となりました。(画像出典『戦争と人間完結篇』)日中戦争で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。日中戦争(日華事変)の発端となった盧溝橋事件八十六年の今日2023年(令和五年)七月七日福島第一原発放射能事
奥崎謙三(おくざき・けんぞう)平和運動家・バッテリー商・神軍平等兵大正九年(1920年)二月一日兵庫県生まれ。亜細亜太平洋戦争・第二次世界大戦では、ニューギニア戦線に派遣され、独立工兵隊三十六連隊兵士として従軍し、過酷な戦場を生き抜き昭和二十一年(1946年)三月復員する。昭和四十四年(1969年)一月二日。皇居において奥崎謙三は戦死した戦友の無念を思い、一般参賀に現れた裕仁に対して、「ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と語ってパチンコ玉を発射した。
《メニオ展》AcchitoKocchinoNiji開催日2023年5月9日(火)~28日(日)※5/20は休館10:00~18:00(土日祝は16:00まで)入場無料◆NiJi$uKe在廊予定:5/13(土)・5/28(日)昨日教えていただいたメニオ展シャバーニと京都のゴリラがならんいたり、コアラが糸電話!ユキヒョウやライオンが花束くわえてる綺麗な絵などあります。『河野太郎とワクチンの迷走』強烈な本
昔も今も変わらない無責任社会の実態!?近代社会では、権限と責任は一対一で対応する。だが日本の組織では権限と責任は分離し、外部からはどこに権力の中心があるのか分からない。これは日本社会に特有の病理というわけではなく、一歩間違えば無限責任を追及される閉鎖的な村社会では当然の自己防衛策でもある。誰もが責任を取りたくない社会では、全員の総意で、誰も責任を取らなくても良い組織が出来上がるのだ。ところがこのような組織は、「責任」を免れることが出来ない重大なドラブルが起こると、機能を停止してしまう