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今日は長男君のお話です。社会のテストで徳川15代将軍の名前を覚えて書くというテストがありました。最近なんでも「めんどくさい」が口癖の長男君…徳川15代将軍を覚えながら「めんどくせー何なんだよ…家家家家」「数ヶ月しか将軍やってない子供とか覚える意味ある???」とかもう文句ばっかり文句言ってる時間で覚えられるのでは?(笑)歴史好きなパパさんが、「じゃあ一緒に覚えるか??」と助け舟を出します私は全部は覚えていないかな〜主要な将軍は一応覚えています二人でなにやらお勉強
↑駿府城址二の丸櫓(復元)5月に開催される同人誌即売会「スーパーコミックシティ」の参加証が届き、ブース位置が解りましたので再度告知します。サークル「幕末ヤ撃団」サークル参加イベント:スーパーコミックシティ32日時:5月4日(日)10:00~15:00場所:東京ビックサイトブース:東7ホールI26-aSUPERCOMICCITY32-day2-|event_infoオールジャンル同人誌即売会|05月04日(東京)SUPERCOMICCITY32
県民性というが。もともと廃藩置県で勝手に区分されたものだ。最近では歴史の解釈も変わっているようで江戸時代というのは武断政治ではなく「世界でも例を見ない長期軍事独裁政治」というのだそうだ。(放送大学より)だから藩ごとで考えたほうがおもしろい。岡山市に後楽園がある。隣には岡山城がある。不等辺五角形という特殊なつくりだ。川の位置も興味深い。もともと備前のお殿様は豊臣側だ。西から攻められたら川を渡って大坂(変換ミスではない)に逃げることを前提に作っている。西向きに櫓もある。特に豊臣側か
東照宮行った夜は本当にぐっすり寝れますどうもショートスリーパーの桐沢です✨東照宮は本当に相性いいなぁそういやぁ徳川家で3代目の家光が1番尊敬してたな💨地盤を固めた家光がいなかったら270年の歴史は気付けなかったであろう🙈愛本店の歴史の1ページになれるよう精進します🙇19時半にはお店います🫰アディオス💋
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。天璋院篤姫シリーズ前回のお話はこちらから『天璋院篤姫⑩「将
長篠合戦図屏風(犬山城白帝文庫)をよく観察すると、織田家と徳川家の鉄砲衆の軍装を明確に描き分けていることに気が付く。長篠合戦図屏風製作チームは、時代考証をきちんと行い、両家の鉄砲衆の兵制や運用などに大きな相違があることを理解していたと思われる。長篠合戦図屏風に描かれている徳川家の鉄砲衆は12名で、そのうちの4名は旗指物を指している。また彼らが身に着けた鎧兜の意匠はまちまちであるが、大な袖を持つ立派なものであり、兜の前立は、人目を引くものも少なくない。これらは、徳川家鉄砲衆が士分の者によって
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。天璋院篤姫シリーズ前回のお話はこちらから『天璋院篤姫⑨「家
徳川というと、「あの」徳川家と思われるのではないかと。ただ、世の中には徳川さんって結構いるのです。それこそ明治時代に、日本国民の全員が「苗字」を持つ様になり山の中に家があるから山中さんとか田んぼの中にあるから田中さんとか苗字を付けたのですがオイラは徳川ってつけるぞ!って全く徳川家と関係のない人がこれまで徳川姓の使用を禁じられた姓を一般人が付けた人もいてそのご子孫は今ももちろん徳川姓です。それを私は一般ピープル徳川さんって呼んでいます。私も、どこそこに住んでいる徳
2025年3月末、東京都港区の『増上寺』へ行きました2022年11月に初めて行きましたが、その時は時間がなくて徳川将軍家墓所まで行けなかったので今回訪れました【歴史】9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身と言われます室町時代の1393年、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めました。この聖聡が実質上の開山と言えます【芝大門】周辺の地名や駅名と
3/30。西尾市の源空院で、太鼓の演奏を聴いたあと、同じ西尾市の養寿寺へ行きました。疫病退散祈願祭「矢田のおかげん」が開催されていました。わぁー立派なお堂!この日は「おかげん」と呼ばれるお祭りで、キッチンカーがいっぱい境内に来ていました。ステージイベントも開催されたようです。<西尾市HPより>文明年中(1469~67)に徳川家康の大伯母、吉良義安の夫人である矢田姫(やた
桜が咲いている今、名古屋城も行くべきだと思って2回目の名古屋城へ行ってきた。やっぱり城ほど桜が合うものはない。だけど残念なのが、今日の名古屋の天気は曇りや雨というところだ。近くでもパシャリ。俺の写真ポイント、それは金鯱をしっかり捉えているかどうか。意外とみんな金鯱の存在を忘れてると思うぜ?さてさて、記念に自分用の土産を買うことにした。まずはこの金鯱の箸置き。最初に見た時から気になっていたが、この際買っちまおうということで2つ買っ
勉強も、そして仕事も!この日のウォーキングのスタートは、JR御茶ノ水駅の聖橋口です。南に向かって歩くと、すぐニコライ堂に着きます。正式には日本ハリストス正教会の東京復活大聖堂で、一般にはニコライ堂とよばれています。ずっと南に進んでいくと、小川町、美土代町となつかしい地名が続いて現れます。神田橋までやってきました。そこから西に曲がっていきます。一ツ橋にはかつて御三卿の一つ一橋徳川家の屋敷跡があります。毎日新聞社の建物です。この周辺は以前の仕事場。ずっと知恵を絞りだ
いきなり兜と鎧とは・・・将軍がこうした芸術を嗜んでいるのは精神供養というか、日頃からピリピリした環境から逸脱するための方法と思っていたが、wikiを見てみると家綱公は単に芸術分野が好きだったようで。足利家のおかげで能が現代にも続いているということだな?徳川家のものではないが、美術館の最後に展示されていたからとりあえず撮った。美術館から見られるこの景色。これは日本でしか見られない光景だ。春はやはり桜に限る。
徳川美術館なるものに行こうとしたら徳川園なるものがあったので行ってみた。鯉がいる。鴨がいた。全体マップ。フツーの庭園でした。以上…
12月に申し込んで、届くの待ってたふるさと納税3月出荷予定と書いてあったので、3月初めから待っていたが...昨日やっと到着。(月末ぎりぎりだな...)納税先は、北海道の別海町北海道民なので基本、北海道の市町村に納税すると決めている頼んだのは・・・『やわらか薄切り牛タン3種の漬けダレ1.2kg』徳川家に献上してたお味噌の味噌ダレって、なんだか🍚がすすみそう今週末、早速食べてみよう~
湯島聖堂散策【6】湯島聖堂杏壇門その22025.3.20(木)撮影大成殿は別のブログ記事で紹介します。大成殿の内部を拝観して、杏壇門から出て来た時の構図。杏壇門を左側斜め方向から見た構図。杏壇門の両脇に設置されています、雨樋からの水受け水槽。正式名称は分かりませぬ。Googleレンズ検索しますと、天水桶と判明。天水桶には、三つ葉葵の御紋…。「控えい!!控えい!!控えおろうっ!!」「この紋所が目に入らぬかっ!!このお方を何方と心得おるか?先の副将軍水戸光圀公であらせられ
徳川家発祥の地からカメラマンの宮本氏お勧めの源泉掛け流しの湯楽の里喜楽里伊勢崎へないけど、充実の温泉!こちらのアカスリが最高に気持ちいい〜いままで一番旨いかも流石にここにカメラを持ち込む訳にはいかず😅さぁご飯食べに行こう😆
先祖は何をして来たのか?ただの興味本位だったはずが、とんでもない結論を導いてしまう。(水戸光圀は過去を調べて始めた。記録を遡ると天皇家の記録から日本の歴史が見えてくることを発見する。意気揚々とまとめ上げたのだが、徳川家を正当化するつもりが、そこで留まらない解釈が待っていた。編ざんされた大日本史を読むと過去がわかるけれど、天皇家が正当な存在であるかの様な印象をいだいてしまう。それに対して、その上で徳川家が如何に正しい存在であるという解釈が何故かなされなかった。)寝ていた子を起こし、増長さ
桜上野浅草と桜の名所育ち、携帯からスマホ迄毎年撮っていたが、保存は殆どしてないな。桜と云うものに、本年も感じた。と、いう事で自らは納得しているのだろう。先の桜の事は知らぬ。徳川わ上野寛永寺御廟門前2025今年の桜
こんばんは。予定より早く高松に着いたので時間潰しに玉藻公園に行ってきました行ってみると外国人が多かったです玉藻公園は海に近いこともあって堀に海水が入って、タイなどの海の魚が入ってくるみたいですさすがにルアで釣るのはしませんでしたが高松藩の建物?徳川の三つ葉葵が。高松といえば盆栽なんと三つ葉葵の水飲み場がきれいにお花咲いてましたとにかく今日は防止が飛ばされそうなほど風が強い
図書館に何か月も前に予約しておいた本がやっと届きました📘「皇后は闘うことにした」林真理子著昭和天皇の后である久邇宮家の良子女王(香淳皇后)の事、大正天皇后の節子妃(貞明皇后)、徳川家の嫁(有栖川家)やその娘(高松宮妃)の事…私など想像も出来ないほどのやんごとない世界の話ですがそれをすこし垣間見せてくれるような話です高貴な家に生まれたり嫁いだ娘達はシアワセだったのか短編集なのでとても読みやすい本なのですがいわゆる小説なので勿論ノンフィクションでは無い
ブログ更新しました。https://blog.matsuya-choushun.jp/?p=17688葵の御紋|松屋長春の和菓子便りblog.matsuya-choushun.jp残念ながらお店では販売はしない焼印ですが、こんな焼印が施された羽二重餅もあるという事だけでもお見知り置きいただきたくお話させていただきました。
19日は先祖水子ペット供養の日です。雪で足元の悪い中、いらしてくださった皆様ありがとうございました🙇♂️ご供養の最中に面白かったのは私は正面(本尊お不動様)を見ながら読経していたのですが、急に後ろが見えてきたんです。それは、黒い円錐形の兜を被った鎧姿の人を先頭に何千人という大勢の人たちが畳に正座し頭を下げてお経を聞いていてくださいました。一瞬「おー!大勢の人たちだなぁ」と思いました。もう気分はフェスです。「皆さん聞いてください。次は自我偈(じがげというお経)です」みたいでした🤣
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。天璋院篤姫シリーズ前回のお話はこちらから『天璋院篤姫②「凛
出典:毎日新聞続きを読む178万円の「ぜいたく体験」彦根城で徳川家当主に会える観光コース|毎日新聞滋賀県とびわこビジターズビューローは、県観光キャンペーン「いこうぜ♪滋賀・びわ湖」の一環で、滋賀ならではのツーリズム「シガリズム」の高付加価値体験の一つとして、新たに「彦根城内で第19代当主・徳川家広氏との交流プログラム」を発表した。1日コースは178万円から、半日コースは153万円からという「www.travelvision.jp
菜の花が見頃ですと、テレビでやっていて、行ってきました🏵️さてここは、どこでしょう?都内です。浜離宮恩賜庭園!徳川家の歴代将軍に愛された由緒ある庭園!梅も咲いていて春を感じました🌸
広見公園ふるさと村の桶代官植松家住宅に行きました。植松家は文治2年(1186)に当地方を開発に貢献して以来、代々樋代官に命じられ用水路や水源管理をおおなってきた家柄で、一般的な中級農家住宅とは異なる格式をもっていたそうです。戦国時代には今川家、武田家、徳川家とその時々の領主に従い樋役を担い、天正10年(1582)の武田攻めでは徳川家家臣の井伊直政の軍に参陣し道案内などで功を挙げ、13代目当主植松泰清の長男次大夫が小泉の姓を賜り750石の家臣に取り上げられたとの事でした。その後、次大夫は幼少の頃
征夷大将軍は当初は平安時代に朝廷が朝廷に従わない地方の豪族を従わせるために派遣した軍事司令官なわけですね。今なら衛星電話があるけど、朝廷の指示をいちいち使者を通してお伺いを立てるわけにもいかないから、征夷大将軍を信用して、その戦略目的のためには征夷大将軍に政治権力を委任するような形を取ったわけです。その制度を利用したのが鎌倉幕府であり、足利幕府であり、江戸幕府なわけです。少なくても鎌倉幕府は最初は東国については私たち東国武士に政治を任してくださいとしたわけですね。足利幕府は途中で実権
先日、マイセン(陶器)と、徳川家の屋敷を見に行ってきました。細かい創りですね~バラをどうやって貼り付けたのでしょう。実物を見ると感動モノです。こちら、国内で唯一現存の徳川家の別邸。今回は、観光客が少なくゆっくり見物できました。屋敷が広すぎて、何度行っても迷ってます
昨日、NHKが2027年の大河ドラマは、「逆賊の幕臣」だと発表した。「逆賊の幕臣」の主人公は、小栗上野介忠順。その小栗を、松坂桃李が演じるという。小栗上野介忠順は、徳川幕府に仕えた旗本であった。石高は2500石。優秀な人物で、幕府から勘定奉行を任せられるまでになった。しかし1868年5月27日、明治新政府により、処刑された。小栗忠順というと、「赤城山に、徳川埋蔵金を隠した」という噂が昔からある。その噂は、大筋こんな風だ。徳川幕府は、新政府軍と戦った