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さっそく「テレビディレクターここだけの話」さんのチャンネルで、この夏の慰霊登山の様子が公開されたみたいだよ。たぶんこの最初の部分が、このあいだのMAKさんのブログにも書いてあった「そっとしておいて」っていう他の遺族の方とのやり取りかな。その人ですら「4人の生存者がその後まったく証言していないのはおかしい」って言ってるね。ああ。当初は報道の過熱がすごくて避けたんだとしても、生存者の人たちの証言が、報告書のシナリオを実質否定するようなものだったことと、無関係とは思えない。「美辞麗句を
第26章:墜落41年、小田氏との「夏の陣」https://ameblo.jp/makkiba738/entry-12975760923.html『日航機遺族著者:小田周二さん特集続編(二十六)』第26章:墜落41年、小田氏との「夏の陣」2026/8/12、13AM、上野村へ行き闘った、日航機遺族著者:小田周二氏との共闘活動の結果報告になります。1…ameblo.jp小田周二さんが、この夏も御巣鷹の尾根に慰霊登山されたことが記事になっているよ。小田さんは今年5月にも登山して
このブログは重い日本航空123便墜落事故を扱っていますが、事故そのものを書いていません。報道倫理と責任に少しだけ触れています。紙媒体、Web媒体、TV媒体のカメラマン、記者、音声、照明、ディレクターなど報道関係をまとめてプレスと呼びます。●日本国内史上最大の航空機事故520人の命が失われ、奇跡的に4人の生存者が発見された1985年のあの日から41年です。現在、メディアは風化しないよう伝えていますが、その言い方に何か違和感があるのは私だけでしょうか。まあ、その話はおいおい
日本航空123便墜落事故日本航空123便墜落事故は1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)18時56分ごろに日本航空123便(ボーイング747)が群馬県多野郡上野村の高天原山(たかまがはらやま)御巣鷹の尾根(おすたかのおね)へ墜落した航空事故。日航ジャンボ機墜落事故と呼称されることも多い。死者520名という日本史上最悪の航空事故であり単独機の事故としても世界史上最悪の航空事故となっている。事故機のJA8119(1984年4月16日撮影)1985年8月12日に墜落し、520
(再掲載)日航機事故で思うこと(日付・場所・科学的に証明できない逸話)いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!まず、御巣鷹山の事故で亡くなられた方の御冥福をお祈り致します。『日航機事故で思うこと(日付・場所・科学的に証明できない逸話)』日航機事故で思うこといつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように
41年前の今日大学3年生で夏休み中で山梨にいました。お盆前に早めの帰省から戻りお盆明けの所属していたクラブの分散合同ホステリングの準備をしていました。分散合同ホスとは休み中におのおの色んな所でホステリングしていて決められて日に決められた場所に全員が一斉に集合するという内容でしたアパートでの夕方山梨のテレビ局のニュースで※今にして思えば
乗客乗員524人のうち520人が犠牲となった日本航空123便墜落事故から41年が経とうとしています。台風15号の影響もあり、雨が降りしきる中、ご遺族らは、朝から墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県多野郡上野村大字楢原)に登り、犠牲者を追悼しました。早いものですね。41年ですよ。不可解な部分が多く、やりきれない事件事故ですね。アメリカ🇺🇸が関与しているのは確かブログを開設した直後から、日航機墜落事故についてアップしておりますが、ハッキリした事は書きませんでした。私自身、
(2017年撮影)今年もまた忘れられない日が来た。昭和60(1985)年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲になった事故で、僕の彼女が亡くなった。もう41年、はやいなぁとも思う。あの時20歳だった僕は61歳になったけど、僕の心の中の彼女は20歳のままの姿だ。いっしょにすごした時間は短かったのに亡くなってからのほうがずっと長いのに忘れたことは一度もない。これからも天国から僕のことを見守ってくれると思っ
おはようございますワイは連休明けですが、他の方はこれからが盆休み本番ですよね怠け者の節句働きなのか社畜なのかはわかりませんが。昨日は台風接近により昼くらいまでしか動けませんでしたが、一昨日走破した国道について、近所の一部を徒歩でというアホなことをやりました結果的に3時間近く16kmほど歩く羽目に。長い連休中に一日だけアホみたいに歩くことが多いんです昼もその国道沿いの壱角家に入りましたし、この2日間はこの国道につきっきりでした台風15号は結果的に近所を通過することになり強い風雨もありま
第18話…アメージンググレイス/本田美奈子13:10(ヒトサンヒトマル)千葉県I川市内M間川沿い住宅地域ほやた荘ジョワワジョワァァ~ッ!とアブラゼミの凄まじい鳴き声騒音が発生している川沿いの、緑葉が最高に生い茂る桜並木道だ……。その近くのおんボロアパート…ほやた荘2階の端の部屋に住む広彦は、テレビのニュース映像に釘付けとなっていた!“お盆休み特別編成”で【昨年のヒット洋画】の予定だったが“日航機墜落事故ニュース番組”に変更されてしまった。映画のテレビ放映は一蹴されてしまった…。
2025年1月、上毛新聞(群馬県)のウェブサイトに、墜落翌日に現場に派遣された日赤病院医師の証言が掲載された。そのなかに次のような一節があった。《命を懸けて日航機墜落事故40年》第1章救出(1)4人、助かると直感元原町赤十字病院医師・緒方伸男さん|上毛新聞電子版|群馬県のニュース・スポーツ情報焦げた臭気が記憶にこびり付いている。むき出しになった山肌、なぎ倒された樹木、散乱する乗客の荷物。よろけそうな急斜面を一歩一歩進むと、即席の担架に傷を負った4人が寝かされていた。「晴れ
日航123便の墜落後、その現場は「御巣鷹山」と呼ばれて広く浸透したが、その後「高天原山系の無名尾根」、通称「御巣鷹の尾根」とも呼ばれるようになった。ここではその経緯を振り返る。上野村の人々の間でも見解が分かれていた8/15に初めて現場入りした毎日新聞記者の回想。夜が明けた。前日から再三、5万分の1の地図「十国峠」と2万5千分の1の「浜平」を参照していた。自分の位置が〝御巣鷹山〟のかなり南方であることを確信した。しかし、具体的に〝どこ〟なのか不明だ。そこは地図の端だった。現場
ほぼ原型を留めていた水平尾翼2015年8月、共同通信が「墜落機、確認直後の映像日航事故、陸自が空撮」という動画をyoutubeに投稿した。「記録映像など撮っている暇があったら、さっさと救助しろ!!」と叫びたくなるような忌々しい映像だが、画面を見ていると、ギョッとするような大きなものが映った。それは水平尾翼である。(画像出典:共同通信「墜落機、確認直後の映像日航事故、陸自が空撮」)「飛び散った翼が映っています」とナレーションがつけられたその物体は、墜落機の残骸と言うにはあまり
中央音楽隊『アメージングレース』第17話……18:56(ヒトハチゴォロク)-α分川上村梓山地区レタス畑「今の撮ったわよねッ?」とさゆりがアツオに訊く。「うぅ~ッ!ダメだった!…」とアツオが、嘘みたいな返答だ!「ッ?嘘でしょお~ッ?…カメラマンが映像ォ~撮れなくてェ~どうすンのよォォォ~ッ!」と、先ほど前の~さゆりスマイル~は何処?へやら?アツオにキレるさゆりだ!…周りの見物人達、高山義人の母タエも唖然としている……。オォ~イ!さゆりちゃ~ん!と叫びながら、中継車運転主のハジメが走
10月最終週。卒論の調査に秩父へ行ったことや大学祭ブログを書こうと思い、ノロノロと書き終わり投稿しようと思ったらこんな時期になってしまいました。時差投稿ですがお許し下さい。ちょっと事件10月27日月曜日水曜日から卒論のための試料採取に秩父の山奥に行く予定でした。しかし、月曜夕方の部活中にこのような連絡が。(17:07)20251028-1031の調査は明日朝出発です。9:00にレンタカーをかりて、キャンパスに向かい、荷物の積み込みを行って、秩父に向かいます。9:15頃個人の荷物を持っ
10月23日(木)🎤悲しい時には千春ラーメンの味がない話Taphere↓↓↓https://youtube.com/clip/UgkxS61VomSjLTbM2gerY9WF8PUN8PbjosYa?si=K5UOovPN83Do9IUr1985年の事故から40年の月日が流れました🤔Taphere↓↓↓https://www.instagram.com/reel/DQJQrIwEj-g/?igsh=MnBmYm8xMGk1Y3pr御巣鷹の尾根なう伊香保温泉〜上野
10月23日(木)その2🎤私の明日には🎤千春のチケットが届いたよ〜!と、そら君から写メールをもらいましたよ〜!中身は帰ってからのお楽しみです!Taphere↓↓↓https://www.instagram.com/reel/DQJ1gnxEkMd/?igsh=aHJmcGlocW5lOGQ1リフラフonInstagram:"10月23日(木)その2🎤私の明日には🎤千春のチケットが届いたよ〜!と、そら君から写メールをもらいましたよ〜!中身は帰ってからのお楽しみで
今年2025年6月に御巣鷹の尾根にお邪魔した。『明日は日航機123便激突事故から40年たった御巣鷹の尾根』1985年8月12日に発生した日航機123便激突事故、今年2025年6月、筆者大学院でお世話になった恩師の娘さんの佐藤素子さんの銘標を訪れ慰霊し、管理人の黒…ameblo.jp今年も8月11日〜12日の様子を送ってもらい嬉しく思う。また行こう!
日航機墜落事故https://x.com/toyo1126Q17/status/1957356615369388182?t=NiYtLWoOfN5tZtfrJ6qElw&s=09
8月15日の戦没者慰霊式典でだって、式典参加者が武道館前で風船を手に手に持って、それを大空に高く放つなんてことはしません…。こういう演出を考えたのはいったいダレなのでしょう?出典:テレ東BIZ(2025年8月12日)よりいまから40年前の8月12日、群馬県の御巣鷹の尾根に日航123便が墜落して、520名もの人たちの命が奪われました。その墜落地点での…いわゆる“慰霊登山”の様子を見ていて、思わず…わたしは身が凍りつきました。なぜなら…遺族の人たちが、手に色とり
アメブロ記事テンプレート1ご訪問ありがとうございますm(__)m自然に恵まれた中国地方の様子、季節行事や健康、暮らしに関するお役立ち情報のブログです。⇒シンプル生活中!日々の素敵な発見探し!ツイッターで名言などつぶやいています。⇒ツイッター8月12日ニュースを見て。御巣鷹の尾根へ続く山道に、今日もまた足音が響いている。1985年8月12日。あの日から数えて、今日でちょうど四十年。私たちの記憶の奥底に刻まれた、あまりにも重い日付である。日本航
今日はこんな感じです!シャツ→ホワイト(ボタンダウン)ベルト→ネイビーパンツ→ネイビーシューズ→ブラックシャツはこんな感じ…現在28℃、最高気温37℃の予報が出ている大阪昨日からまた猛暑日に逆戻りの大阪何日か雨模様や曇り空で少し楽に感じていましたが、また暑さで辛い日々に戻りそうですよ😢本日は夕方より本社上級幹部へ報告へ行かないと行けない羽目に💦(支店から本社へは片道1時間強かかります🚈)サラリーマン人生でもお盆期間中にこんな事初めてです朝から午後にかけてお客様
久しぶりの晴れ。ずいぶん過ごしやすい気もするが、これでも最高気温は30℃超えているのだからなぁ。すっかり身体が感覚が「上振れ」してしまったよ。+++++++++++++日航ジャンボ機墜落から40年遺族ら「御巣鷹の尾根」に慰霊登山(写真、朝日新聞より。花束を手に御巣鷹の尾根を登る遺族=2025年8月12日午前8時19分、群馬県上野村、恵原弘太郎氏撮影)日本航空のジャンボ機が1985年に墜落し、乗客・乗員計520人が亡くなった事故は12日、発生から40年となった。遺族らは墜落
おはようございます昨日のネタからどう繋げようか難しくなりました。昨日は繰り返しているように520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故から40年となりました。昨日の墜落時間である18:56に1分間の黙祷を行いました。今年は事故から40年の節目であるとともに直前の8/9に、『今年で節目を迎えるあそこへ』おはようございます今日から盆休みの方もいると思います。ワイ?カレンダーどおりですそういや今回の高校野球は暑さ対策のために朝とナイトゲームに分かれたそうですね。…ameblo.jp『20
日航機墜落事故の現場となった「御巣鷹の尾根」には12日午前、俳優の黒木瞳さんが初めて慰霊登山に訪れ、宝塚歌劇団同期の北原遥子さん(本名吉田由美子さん)=当時(24)=の墓標に手を合わせた。8月前半は夏休みで子供たちの歓声が響く中、反面、静かに祈りを捧げる機会が多いですね。今日、親族が初めて話してくれたのですが、当時勤めていた会社の関係者が日航機墜落事故の犠牲者だったと・・・40年経って初めて聞く告白に私自身が衝撃を受けましたが、当事者は40年経っても心の整理がつかず葛藤している
「TOMICAHINOS'ELEGAHANKYUAIRPORTLIMOUSINEBUS」1985年と言うと私はまだ大学生。40年前の今日有った事、鮮明に覚えています。JALのマークの入った翼の映像も覚えていますし、生き残った女の子がヘリコプターに吊り上げられる姿も、その女の子の名前も覚えています。それくらいショッキングな事故でした。「日航機123便墜落事故」大量輸送時代の申し子のボーイング747“ジャンポ”が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落し520名が亡くなったとい
今日は群馬県と長野県の境にて航空機の墜落事故が発生した日。40年前の1985年に日本航空のジャンボ機内でメカニカルトラブルが引き起こり、決死の飛行の末非業の結末に至った出来事として知られている。私は生まれていないけど、報道される度にそれについて知ってきた。動画サイトで当時の音声を聴いたり、報道されている様子を都度見てきた。見るに耐え難い場面もあるけど、それについての資料になるので見過ごす訳にはいかない。
午後6時56分。わたしは毎年この日この時刻。上野村の御巣鷹の尾根のある方角の地平線を静かに眺める。なにも言わず、ただ心静かに。涙だけ頬を伝い落ちる。あの衝撃の夜から40年。改めて現実の残酷性に心が揺れる。わたし一人が泣いたとて、なにひとつ変わりはしないけれど。わかっていても涙は零れる。拭いても拭いても熱いものが零れる。だからそのまま心が静まるまで零れるに任せる。それがそのまま520の犠牲者に届く慰霊ならば。ほぼ一日雨が降っては止むの繰り返し。路面に大きな水溜まりこそないものの乾かず、そ
1985(昭和60)年8月12日(月曜日)、東京都大田区の羽田空港を飛び立った「JAL」日本航空第123便は©️㈱読売新聞社本来ですと兵庫県伊丹市の伊丹空港へ離陸する予定でしたが、同日の18時56分に群馬県多野郡上野村の高天原山(たかまがはらやま)へ墜落、乗客・乗員524人のうち520人が犠牲となりました。この戦後最悪の航空機事故は通称「日航機第123便墜落事故」「御巣鷹の尾根」と呼ばれており、本日2025(令和7)年8月12日(火曜日)に事故から40年を迎えました。墜落現場に
『40年前のあの日のこと』⬇︎5年前に記した記事です毎年、8月12日になると思い出してしまう。二度と起きてはいけないあの日のこと、あの夜のこと。おしまい