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浦島太郎みたいですが2年半ぶりにブログを再開することにしました。ブログアカウントがが残ってたことが驚きです。病気したり刑務所に入ってた訳でもないし、まだ夜逃げはしていません。そんなに忙しかったこもないのに、なんとなくブログを書かなかったらこんなに時間が経ってました。この2年半の間に僕は白髪が増えて体重も4キロ増えました。ヤバいね・・・3年半前から毎朝欠かさず近所の妙見神社参拝は続けてるし、17年前から毎月欠かさず春日大社の初辰祭に参拝してい
極楽征夷大将軍(文春e-book)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}第169回直木賞受賞作やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて、鎌倉府の信用は地に堕ちていた足利直義は、怠惰な兄・尊氏を常に励まし幕府の粛清から足利家を守ろうとするやがて後醍醐天皇から北条家討伐の勅命が下り一族を挙げて反旗を翻した一方足利家の重臣・高師直は倒幕後、朝廷の世が来たことに愕然と
大河ドラマの録りだめ2ヶ月分を歴ヲタ会議で刺激された事もあって一気見したん。花山天皇あっけなく騙されて退場してしもた。ナレーションで圓教寺に参詣した言うだけで、圓教寺の紹介してくれへん😡東坂参道麓にある花山天皇、後白河法皇、後醍醐天皇御駐輦跡。ここに乗り物置いたいうことは山道歩いて登った?当時は建造物も少なかったやろうけど、道順は仁王門のある道かな?仁王さんお留守や❗️花山天皇が寄進したらしい大講堂は落雷で焼失。再建された大講堂。花山法皇の再登場の布石やと思うけど、道長と伊周の
⬆️旅立ち当日の朝。霧が出た後、小さな彩雲が🌈☀️『座敷童子に会える宿』として、昔から有名な、岩手県の旅館、緑風荘。ウチには沢山の保護猫がいるので、暫く旅行は行けず終いで。でもキッカケがあり、いつも予約で一杯なのに、偶然キャンセルが出て、ネコ達も留守番出来るようになり…思い切って一泊して来ました‼️座敷童子の名前は、亀麿様。緑風荘の遠い御先祖霊だそう。南北朝時代、後醍醐天皇の家来だった武士の長男で、政争に破れ、岩手まで落ち延びたそうな…。でも、僅か6歳で病死(;
4月6日。吉野山をてくてく歩いて、吉水神社へ。入ってすぐのところ、凄い人集り。みんな乗り出してカメラを構えて、向こうに広がる桜の山景色を撮ろうとギュウギュウ。。。でも、確かに、この景色は凄い。。絶景ですね。「一目千本」と書いてありました。吉野の桜。吉水神社と言えば、源義経がここで過ごしたと言われているのですね。頼朝に追われて、この吉水神社に潜伏するも、更に追討の手が、、静御前とここで別れて、弁慶らと吉野の山深くに落ちて行く、、置き去りにされた静御前のものとされる歌、大学時代
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~』が公開されました。早速紹介させていただきます。↓こちらの方が見やすい方はこちらからご覧下さい。吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~おにぎり丸と嵯峨仙識が、吉野へ旅してきました。吉野桜と南北朝時代の先頭に立った後醍醐天皇の歴史に触れた旅となっています。沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いていますhttps://ameblo.jp/basara-do
奈良県在住やましたひでこ公認断捨離®トレーナーおくだみねですお立ち寄り頂きありがとうございますランキングに参加してます↓↓↓”神様のおつかい”小鹿ちゃんをポチッと応援、よろしくお願い致しますにほんブログ村ありがとうございます引きつづきお読み頂けますと幸いです下千本、中千本、上千本の桜が葉桜になっている昨日観光客がガクンと減った吉野へ行ってまいりました上千本の更に上奥千本
愛知県江南市にある曼陀羅寺公園で、昨日から、「こうなん藤まつり」が始まり、早速、見に出かけた。今日は、曇空で快適な春だ。ここは、両親が毎年、楽しみにしていた場所。両親から、藤の花が綺麗だと聞いていたが、出かけるのは初めて。亡くなった両親の供養も兼ねて見に出かけた。〈ツツジと藤〉〈ボタン〉1970年に寺域の一部が江南市の管理下に置かれてから、藤の名所になり、その広い公園の中、4700m2もの広さがある藤棚は壮観だ。残念ながら、まだ、藤の花は咲き始めだった。しかし、ツツジやボタンなども咲い
今日は愛知県春日井市にある2基の古墳をアップします↑1基目は大留(おおどめ)荒子古墳、西側より移築再現古墳です。場所はこちら:35.254278,137.016655備忘録:左端に写っている軽自動車が今回利用したトヨタレンタカー、ピクシス。↑大留荒子古墳の解説板直径約10メートル、7世紀前半築造の円墳。元の場所は北西へ200メートルほどの箇所。↑横穴式石室の開口部↑石室内部の様子須恵器、金環、鉄刀、鉄鏃などが出土。
吉水神社(奈良県吉野)一度は桜の時期に来たみたいと思ってたぁ〜なぜか、拝殿あたりの写真を撮るの忘れてたぁ〜吉水神社からの金峯山寺吉水神社は南朝皇居跡であった場所そして、源義経を匿った場所また、豊臣秀吉が花見を楽しんだ場所ってことで、色んな人が来ている場所みたいだね桜🌸限定御朱印
「青葉茂れる櫻井の」作詞:落合直史作曲:奥山朝恭(奥山は江戸旗本の子で明治初年海軍鼓笛隊から軍楽隊に入り音楽取調掛奉職兵庫県立師範学校教諭となり、在職中本曲を作曲した)歌はダークダックス楠木正成(大楠公)の絵本楠木正行(小楠公)皇居前楠木正成の銅像鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を開始し、朝廷政治の復権を図ったが、不満を抱いた足利尊氏が離反し戦となった。天皇方の武将・楠木正成はこれを迎え撃ったが、迫りくる10万の大軍に死を
心理カウンセリングで傷ついたココロのケアをし、東洋医学をベースにしたハンドヒーリングでカラダの不調を整え、心・身・魂を癒す『魂のヒーラーEHKO』です。【本質を生きる】を實踐し、命を輝かせて、未來を"意図的に"創造する仲間を探しています。【吉水神社】2024年4月8日お釈迦さまの誕生日わたしの誕生日前日に、吉野山の櫻が満開っぽかったので、思い立ったが吉日直觀に任せて行ってきました天氣予報は雨でしたがなんとか曇り&小雨で持ち堪えてくれました世界遺産の吉水神社の境内から見える一
さてさて………………【恵解山古墳(いげのやまこふん)】を出発したココロは、次の目的地を目指しててくてく歩いた…………【勝龍寺城大門橋】【勝龍寺城】があった頃は、ここに【大手門】があり、そこに橋が架かっていたので【大門橋(だいもんばし)】と呼ばれていたという。この後目指す【勝龍寺城】まで歩くと、その規模の大きさが理解出来る南北朝時代の後醍醐天皇や足利尊氏にも縁があるようで、嬉しくなるおっまずは次の目的地を示す雰囲気ある石碑が見えてきたぞっ近づいてきた証だそして、到着したのは………
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。留守から戻って参りました。実は旅に出ていました。奈良県の吉野山へ行ってきました。以前より、桜の時期に吉野山へ行ってみたかったので、今回思い切って訪れてみました。桜も見たかったのですが、もう一つ理由があります。それは第96代の天皇である後醍醐天皇が、この吉野の地で朝廷を樹立し南朝の初代天皇として、京都で北朝の天皇を擁立していた足利尊氏の室町幕府と相対したからです。後醍醐天皇は
dアニメストアで、期間限定で無料になっていたので、松井優征さんの『逃げ上手の若君』(ジャンプコミック)の第一巻をコミックの電子版で読みました。英語の長い本を読むのに疲れたので、気分転換のために読んだのですが、鎌倉北条氏滅亡の災厄の中を逃げることで生き延びた北条時行の物語の発端を描いた一冊でした。中先代の乱の発端となった死屍累々となった惨劇を描いたコミックを読むのが気分転換になったかは、怪しいのですが、歴史を扱った物語としては面白かったと思えました。後醍醐天皇と足利尊氏という二人の妖しい
今号は、先日、新発見された三重県北牟婁郡紀北町島原の「三浦山」と長野県木曽郡王滝村の「三浦山」との神風串呂を研究したところ、三浦芳聖師の経営する中部国民道場のあった名古屋市昭和区の「もと御所町」を串線している実証の神風串呂でした。🔴この続きはこちらからご覧ください。https://note.com/quanro/n/ne7b79da4c704
如意輪寺奈良県吉野郡吉野町吉野山1024延喜年間(901-923)三好善行の弟で醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人により真言宗のお寺として建立。後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に、後醍醐天皇の勅願寺と定められ南朝(吉野朝)勅願寺ともなりました。山門本堂庫裏難切不動尊至情塚鐘楼多宝塔:ご本尊・阿弥陀如来(総桧造り)正平二年(1346)楠正行公は大阪府四條畷の戦いの前に、一族郎党143人と共に如意輪寺に参詣しました
4月6日。吉野駅からバスに乗って、如意輪寺で降りました。そこから、坂道をてくてく。。道すがら、さくらの花びらが舞っていました。歩みを止めてふと振り仰ぐと蔵王堂が見える、というのは前前記事「吉野へ」で書いた通りです。如意輪寺に着きました。観光客向けの案内板が出ています。後醍醐天皇ゆかりのお寺さんです。(建武の中興とか、南朝とか、日本史で学びましたね)お寺自体は、10世紀に真言宗のお寺として建立されたのでした。14世紀、建武の中興を行った後醍醐天皇は、足利尊氏の離反に遭い、京を逃
吉野では吉水神社⛩️にも参拝菊の御紋吉水神社の参拝は十七拍手👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏口に出して数えてないと忘れてしまいます💦参拝した後に南北朝時代に足利尊氏と対立吉野にて南朝を開いた後醍醐天皇がその際に皇居とされた『吉水院』もゆっくり見学来ました。後醍醐天皇の玉座源義経潜居の間兄の頼朝から逃れるために静御前と武蔵坊弁慶と共に吉野山に落ち延びた場所が吉水神社1594年に豊臣秀吉がおこなった吉野のお花見のレプリカの屏風🌸この吉野のお花見為に錚々たる大名など連れて
気になりながらいつもタイミングを逃していた#醍醐桜雨上がりに思い立って渋滞もなく辿りついた。#樹齢1000年とも言われるそのスケールの大きさは圧巻✨#アズマヒガンという#ヒガンザクラの一種だそうでその小ぶりな花の可愛らしいこと🌸見に行ってよかったな😌#岡山#桜#岡山県北#真庭市#後醍醐天皇ゆかりの地#県天然記念物#新日本名木100選
こちらは如意輪寺の絵。朝日新聞の連載小説の挿絵から。天皇に仕える弁内侍は才色を兼ねたひときわ優れた美貌だった。(ということになっている)毎夜女を変える色好みの高師直。(文楽でも同じ設定です)彼女を狙って我がものにしようと企む。その狙いを知った多聞丸(楠木正行)は、仲間たちと探索し、彼女を救い出す。小説ではお話を躍動的に描く。「人よ、花よ、」太平記のお話に添いながら楽しい物語にしていた。(たぶん単行本で出るでしょう)愛馬に弁内侍を乗せて散策する。(デートですね)楠木党や
【食育クイズ:Vol.1612】「京都府」の「足利尊氏」おさらいクイズ!崩御後に尊氏が冥福を祈る為に天龍寺を創建した天皇とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)たねすはら無
醍醐桜を見に行きました。県下一の巨木といわれ、日本名木百選にも選ばれた一本桜です。鎌倉時代末期、幕府により隠岐の島に流された後醍醐天皇が賞賛したと伝えられているそうです。行ってみたいと、思いながらなかなか、行けなかった🌸、近くで見るとかなりの歴史を感じる大木でした。そしてこれ、凄くないですか?我が家の近くなんですが、山全体が桜なんです。なぜ気がつかなかったんだろうって思うくらい。こんな感じで、ピンクの山があるんです凄くないですか。感動した一日でした
4月9日出来事702年(大宝・たいほう2年3月8日)-文武天皇が日本で初めて全校的に統一された計量単位(度量衡・どりょうこう)を定める。1333年(元弘・げんこう3年/正慶・しょうきょう2年閏2月24日)-鎌倉幕府により隠岐島に流されていた後醍醐天皇が島を脱出し、京に向かう。1991年-グルジアがソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)から独立。グルジアは現在、ジョージアと呼び方が変わったの〜。記念日など大仏の日天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(旧暦4月9日・新暦752年5月26日
吉野山とは一転して閑静な場所後醍醐天皇さまが修行中だそうですわたしもがんばろう!
こんにちは今日はどんよりしたお天気です。雨予報が出ていたけど…。今のところ降ってません…。さてさて☆先日、岡山県真庭市の有名な醍醐桜を見に行ってきました…。土曜日だったし、桜の見頃を迎えていたせいかかなりの人手でした💦目的地に着いても肝心の駐車場に停めるまでに1時間以上かかりましたずっと座っているとお尻や足が痛くなって来るのが辛かった😂ようやく駐車場に車を停める事が出来少し歩いた先に人集りがありました。醍醐桜を遠くから見てもその存在感は伝わってきました。凄く大き
吉水神社へいく途中のハクモクレンまさに満開!ハクモクレンは花の時期が短いので、いい時期に来れたなあと思います。一目千本というのは神社の境内の名勝で中千本と上千本の桜を見ることができる場所です。今年2024年わたしが見た風景はこちら上千本はまだ蕾の状態一目千本の桜はもうしばらく後になりそうです。入り口にある鶴亀蓬莱の庭これがまた格別で、正直言って書院見学が目的の人がほとんどなので庭に足を留める人も少なくゆっく
数年前にブログに一度載せたのですが、消してしまったようです💦東寺弘法市で販売されていた額縁絵。華やかなので気に入りはしたものの、持って帰るのがたいへんそうで💦躊躇していたのですが15000円と、お手頃価格だったのですがそれでもやはり躊躇していた私に露天のお兄さんが「できれば日本人に買ってもらいたい。良い物は、大抵外国人が買っていく。特にこういう絵はフランス人が買っていくことが多い。買ってくれるなら、10000円にする。」と、仰るので購入してしまいました💦💦💦「吉
東加古川からまた山陽本線に乗りまして次の途中下車地点に行きます。神戸駅神戸は仕事をしてる時に一カ月か開いても二ヶ月に一回来てたんですよね。今回降りたのは↑ここに参拝するため湊川神社関西神戸の地に鎮座する名社「湊川神社」|七五三・厄除けJR神戸駅より徒歩約3分。明治5年創建の「湊川神社」公式サイトです。御祭神は南北朝時代の武将・楠木正成公。地元では「なんこうさん」と親しまれており、安産祈願、お宮参り、七五三、厄除けなど、家族の人生の節目に訪れる祈祷者数は兵庫県内でも有数です
・平山優氏の『天正壬午の乱』を買った書店で購入する。・吉川弘文館の本を購入するのは初めてである。・先月、亀田氏の『観応の擾乱』(中公新書)を再読して南北朝時代(室町時代前期)をもっと知りたいと考え手に取る。・南朝が北朝と同じ位内紛が多発していた事を知る。・足利尊氏は楠木正成同様傑物であり、真の忠臣だと思う。・戦前の日本人は、楠木氏からは、現実性と合理性、そしていい意味での狡猾さをこそ本当は学ぶべきだったと筆者は考えている。その真価を正しく学び、生かしていたならば、特攻のような無謀な戦