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頼朝の石橋山挙兵から頼朝を支え続けている、土肥実平。/#かまコメ土肥実平役・阿南健治さん\収録現場から撮影直前・直後のコメントをお届けします。#鎌倉殿の13人#阿南健治#土肥実平pic.twitter.com/yokzp3yYxa—2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(@nhk_kamakura13)January30,2022この人は相模の中村党と言われる桓武平氏の一族の人だ。土肥実平は中村家の次男。その本家の中村は現在の小田原市、後北条氏の小田原城が
以前にご紹介したYOUTUBEでの歴史動画。後北条氏の最新作がUPされていたので、私のブログにも載せておこうかと思います。今回の動画では、関東享禄の内乱という「古河公方家」と「山内上杉家」で、ほぼ同時期に発生&終結した内訌の話。その後、甲斐の武田家での内乱の話、古河公方が小弓公方を滅ぼす為に北条と手を組む場面。最後に、里見家の内紛である「稲村の変」までが取り上げられています。「たーわーけー」の名言があった2代目古河公方がとうとうお亡くなりになる回でした。しかし、こうして見
1月18日の初観音中島の八幡神社の次にはちょいと買い物義母の特養で着る洋服をしまむらで買い込む😅京急大師線の港町駅から川崎へ戻り、最後の観音巡りの宗三寺へ〜京急川崎のホームの真ん前にある宗三寺の山門川崎宿と宗三寺の由緒書本堂曹洞宗寺院の宗三寺は瑞龍山宗三寺と号します鎌倉時代に有った禅宗勝福寺を起源とするもので、玄統により開山した建長寺を本山とする臨済宗寺院でした戦国時代、小田原後北条氏の家臣間宮豊前守信盛が中興開基、末吉村宝泉寺第4世僧白山を招き中興開山し、曹洞宗に改宗
前日(2月10日)未明から静岡県東部山間部は雪が降りました。翌日(2月11日)には、雪や雨が止んで曇り空で気温が低く寒いです。山中城も雪景色だと思うので、朝9時に行きました。*普段なら車で10分位で行けるけど、前日の降雪と路面凍結だと思うので安全運転です。何故なら山中(やまなか)から天気が変わるから。昨年8月以来の山中城です。広場に駐車すると、先行者の足跡が…自分と同じく雪の山中城を見に来ているのかな…三ノ堀田尻の池水面はシャーベット状です。箱井戸昨年7月の大雨で再び被災し
おはようございます。2月最初の朝は気温3.6℃、天気は晴れです。、先日、NHKの大河ドラマの話をしましたが、今日はまだ埋もれている大河ドラマの主人公を述べます。「立花宗茂」歴史ファンには圧倒的人気の方で古今無双の立花宗茂。大名から浪人なり、再び旧領の大名に返り咲いた唯一の人。また子供時代も嫡男でありながら、請われて他家の養子になったという変わった経歴をお持ちの方。その2人の父親のスパルタ教育もすごかったらしい。関ケ原本戦にこの人が参加していれば・・・・・。ワクワクし
ブログタイトル通りなのですが、少し前にYOUTUBEで見つけた歴史動画のことです。とても分かり易くて、少しクスッとする場面も織り交ぜながら合戦に至る経緯や状況、その後どうなっていったかが分かる動画を沢山あげておられました。桶狭間の戦いや本能寺の変のように有名なものもありますが、中でも私が気に入っているのは、最近あげておられる動画です。それは、伊勢新九郎(北条早雲)が関東に来てからの活躍が描かれているものです。室町中期から戦国時代初期の関東の情勢が良く分かります。動画は1時間くらいあ
北条トライアングルとは?これまで平家の城郭の周囲で、いわゆる「三すくみ」の石造物やシンボルを調べてきたが、東京都あきる野市、東京都日の出町、東京都八王子市にある平家(主に北条、後北条氏)の山城には「三すくみ」が確認できた。ところが、不思議なことに八王子城、滝山城、檜原城については雰囲気が変わってくる。東京都あきる野市/八王子市にある山城(戸倉城、根小屋城、浄福寺城)は城郭の周囲の神社に「三すくみ」が確認できるのに対し、八王子城、滝山城、檜原城には近くの集落の神社に「三すくみ」が確認できてい
こんにちは!今回は神奈川観光のブログになります!今回は小田原城内に突入します!小田原城天守閣。昭和35年(1960年)小田原市市制20周年を記念して総工費約8千万円をかけて制作されました。江戸時代の模型や設計図を元に江戸時代の姿として外観復元され、中は資料館になっております。別名、小峯城(こみねじょう)。関東地方を牛耳っていた後北条氏時代の姿でも見てみたかったです。三重四階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣。分かりやすく言うと、天守閣の横に櫓があ
あけまして北条氏照(ほうじょううじてる)~いやぁ~もう昨年ってことになるのですが、ちょい前に八王子市役所の出張所へいったところ、滝山城500年というのぼりが出ており気になっておりました。いずれブログに書こうと思っていたのに結局ずるずると越年・・・ということで501周年記念の新年ご挨拶として落書きup。たまたま車の更新で行った先が滝山城のお隣だったので、お散歩がてら歩きましたがぁ~あれからウン年。トレッキングのブームもあってかすっかり北条さん家だけでなく、土のお城人気も一般的となり、関
静岡県三島市の山中城へ。静岡県と神奈川県のほぼ県境の箱根山系の1部に築かれたThe山城である。【余湖くんのホームページより】今川家武田家と河東地区(富士川以東)を争っていた1558年に小田原城の支城として3代氏康によって築城。沼田裁量を破り、天下人太閤殿下の逆鱗に触れた氏政/氏直親子が小田原征伐に備え、最終防衛線として改修、防衛施設として、東海道を三の丸と両側から挟む様に岱崎出丸を1589年に普請。城マニアでは有名な北条流築城術の畝堀を発展させた障子堀が多数見られる。山中城は年間3回は行
逆井城址公園さかさい築城は享徳年間(1452-1455)ごろといわれる。小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にしたという。しかし常宗の孫・常繁のときの天文5年(1536)、古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立した。そのため後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け逆井古城は落城、逆井氏は滅亡したと伝わる。*byWiki逆井城址はおよそ300mX400mの広い公園になってます。曲輪あとがゲートボール場になっていて、2場所あってそれぞれのグループが
横浜県立歴史博物館を訪れた前回からの続きとなるのだが、この博物館には…エースのドームという別名があることを…この時初めて知ったというのも、横浜には有名な歴史的建造物がありそれを総称して…横浜三塔と呼んでいるのだか…●横浜税関=クィーンの塔●神奈川県庁=ダイヤの塔●横浜開港記念館=ジャックの塔そして横浜県立歴史博物館には「エースのドーム」という愛称が付けられて、横浜四塔とも呼んでいるらしいが…全然!!知らなかった横浜三塔については、昨年の夏のブログ等で記事にして
33年前の11/10、ベルリンの壁が崩壊!そもそも壁はなぜ作られた?[河合塾世界史講師監修...LAURIERPRESS(ローリエプレス)-エキサイト...は壁を挟んで対立をしていましたが、1989年に壁は崩壊し、両国は統一されました。今回は河合塾世界史講師の神野正史さんが監修した、書籍『その日何...江戸中期「中国離れ」が現代日本人の基礎を作ったauWebポータル現代につながる世界史は、16世紀・ヨーロッパの大航海時代にはじまります。それまでユーラシアの世界史に
先日、静岡市県三島にある山中城に行きました。こちらのお城は御北条家が豊臣秀吉に小田原を攻められる時にかなめとなったお城です。建物は残っていませんが、障子堀という障子のような堀が特徴のお城です。早速、城を攻めるつもりで登ります。途中で、特徴的な堀が出てきました。こちらが障子堀です。この堀の中では、移動が厳しくなり、もたもたしていると、やられそうです。それにしても、障子堀がこのようなきれいな状態で保存されていました。ありがたいものです。現在は公園になっており、1時間から2時間ほどなので
ゴールデンウィーク以来の、山中城に行きました。運動不足を解消するのに適しています(笑)令和元年10月12日の台風19号で、被災した西の丸の復旧工事が5月末から始まっていました。三の堀令和3年7月の大雨(伊豆山土砂崩れ)で、復旧工事を終えた三の丸西堀・田尻池北側・二の丸西堀北側・西の丸西側が再び被災しました。折角、修復したのに…被災した箇所田尻の池箱井戸睡蓮の時期を逃しました(泣)迂回して二の丸脇の急斜面を歩きます。キツイのナンノ、汗ダクです(汗)工事が始まる前のブログを参
7月17日今日は戦国時代の城へ行きますぞ。茨城県坂東市「逆井城」である。先ずはこの堀が迎えてくれる。これは凄い!この城址公園は中世の城郭の姿をできるだけ忠実に残している。つまり後北条氏時代やその前の外堀や土塁の一部が、現在もそのまま残っているのだ。関東は長く戦乱の中にあった。始まりは平将門の乱であり、源頼朝の挙兵。そして鎌倉公方と関東管領の対立から古河公方を中心とする享徳の乱への展開。後北条の関東制覇。そして豊臣秀吉の関東侵略の攻防など、常に関東は戦
神流川古戦場『別名』なし『所在地』群馬県高崎市新町1223-2付近『駐車場』なし『歴史』神流川古戦場は天正10(1582)6月16日〜6月19日にかけて織田氏の家臣・滝川一益(兵18000)と北条氏直・北条氏邦(兵50000)との間で起きた『神流川の戦い』の地です。初日は滝川一益が勝利を飾りましたが3日後には後北条氏に大敗したと言われています。解説板と石碑石碑解説板
板橋シリーズの途中ですが、千葉シリーズを挟みます。頼朝の鎌倉幕府開府を支えた「千葉常胤」。平安時代末から戦国期にかけて千葉一帯を支配し街の整備に努めた千葉氏。大治元年(1126)に、常胤の父の千葉常重が、その拠点を大椎から千葉へ移してから、間もなく900年となります。千葉市亥鼻の丘陵地に、「千葉城址(5階建ての郷土博物館)」があります。今の千葉エリアは千葉氏の「本貫地(本領)」。大治元年(1126)から15世紀末に本拠を「本佐倉城」へ移すまで、千葉氏の本拠地でした。戦国期の関東エリ
ゴールデンウィーク三日目、鈍った体を動かそうと早朝散歩へ。朝6時30分、日本百名城の一つ山中城へ入城。昨年7月以来です。三ノ堀田尻の池2019年10月の台風19号で、池の半分が土砂で埋まりました。土を排出して復活していました。箱井戸夏、睡蓮が咲きます。台風被害の姿が痛々しい。躑躅西ノ丸の被害が一番大きい後北条氏築城流の障子堀この場所が、一番お気に入り。霊峰富士が見えます。西ノ丸の畝堀朝6時50分頃物見台からの、障子堀と西櫓二ノ丸橋本丸県指定天然記念物大カ
こんにちは。【1日5組限定浜松市肩こり腰痛女性専用】おざき均整院長“オザミー”こと尾崎正文です。ブログにお越しいただけてありがとうございます🙆ごゆっくりお読みください。ご予約お問い合わせ方法は本記事の下にございます😊最後までお付き合いいただくかスクロールして飛ばしてください。『戦国北条記』伊東潤著小説家でもあり事業家でもあり「後北条氏の研究」家でもある伊東潤先生の著書。この本は小説というより後北条氏の流れを始祖宗瑞(北条早雲)から氏直ま
西明寺に来ています。仁王門の裏側に狛犬がいました。しかしよく見ると阿吽の対にはなっていません。清水寺(京都)の仁王門の横には、どちらも口を開けている獅子像が置かれていますが、それの逆バージョンといった感じでしょうか。門扉に北条の家紋があります。元は伊勢氏だった後北条氏が、鎌倉幕府の執権を代々務めた北条氏の家紋を真似たもので、オリジナルは正三角形、後北条氏の三鱗(北条鱗)は二等辺三角形になっています。北条氏は、早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直と五代百年程続きますが、伊勢から北条に改
墓地にみられる「平家」のシンボル力石の世界では平氏と源氏というように神社や寺院にシンボルとして建立されているが、平氏の場合は墓地には主に純粋な「力石/指し石」、すなわち平氏のシンボルがあり、北条氏は三角石(キツネ石)、後北条氏は主に手水石(なめくじ石)という組み合わせである。これらのシンボルを探すときには後北条氏の「なめくじ石」が比較的に見つけやすいのでここに紹介しておこう。墓石の前に建立されている「なめくじ石」(大悲願寺:あきる野市)墓石の前に建立され
皆様おはようございます。😆😆😆😆桜🌸も段々に散り始めて来週辺りには葉桜にって感じでしょうか。😅😅😅😅北上して、まだまだ桜🌸を堪能したいですね〜😗😗😗😗さてさて今回の攻城も城址公園ですが…立派な遺構が残ってます。😁😁😁😁本当なら心拍数MAXの鉢形城の前に攻城してるので…先に、こちらをアップするつもりでいましたが…鉢形城に負けましたね〜😆😆😆😆今回の攻城は岩槻城🏯です。(埼玉県さいたま市岩槻区)岩槻城は室町時代扇谷上杉氏が太田道真・道灌父子に命じ
山中城。最後に、三ノ丸エリアの隅に有る『宗閑寺』へ。浄土宗寺院。静岡県の華陽院の末寺だという。本堂向かって左には、古い五輪塔が。ここには、豊臣秀吉の小田原征伐の時、山中城守備を任されていた松田康長や、副将の間宮康俊、その他守備兵の墓が。こちらは、豊臣方の一柳直末の墓。↓下図、中央からやや右下、工事中臨時ルートの黄色い矢印の頂点辺りが宗閑寺。以上、秀吉の小田原征伐の際、半日で全滅したという箱根山
エマ「俺は読む本を全て図書館で調達しているのだが、コツとしては新着図書が入る日曜の開館時間より少し早く到着して待ち、開店と同時に新着図書コーナーに急いで、同志の方が本を漁る前に急いでタイトルに目をやってまずはタイトルで興味を惹かれた本を確保。多いときには10冊くらいになる。その後、中身をパラパラめくって面白そうな本だけ借りるようにしている」エマ「池上のおっさんの本は基本購入リクエストを出して一番乗りする感じだ。でも刊行の翌日にリクエストを出すと、既にリクエストを出している人がいることが多いんだ
山中城、袋崎出丸。虎口前の武者溜りから南側沿いを…やがて、『御馬場曲輪』へ。土塁に囲まれた長方形の曲輪。その名のと~り、馬を囲っていた場所か?御馬場曲輪のすぐ下の畝堀。↓下図の左下、やや中央寄りが袋崎出丸の御馬場曲輪。↓小田原征伐の攻防【電子書籍】[川村一彦]楽天市場200円史跡公園基本構想戦乱の森史跡山中城跡/史跡山中城跡調査専門委員会【
山中城、袋崎出丸の虎口の外側には…武者溜り!↓虎口の外側に長方形の曲輪。虎口前を防御する為に、兵を配置していた所か。下図左端の“すり鉢曲輪”のすぐ下が“武者溜り”。↓史跡公園基本構想戦乱の森史跡山中城跡/史跡山中城跡調査専門委員会【中古】楽天市場2,500円箱根ガイドブック[岩崎宗純]楽天市場1,601円1年保証防災ラジオスマホ充電乾電池&内蔵バッテリー多機能手回し1台5役ラジオ
山中城、袋崎出丸の先端の“すり鉢曲輪”の奥(南側)↓↑鈎型の入口『虎口』が。袋崎出丸『虎口』の内側から。↓こちら、外側から。↓豊臣秀吉の小田原征伐の時、東海道を攻め上って来た豊臣軍は、おそらく最初にここから攻めかかったものかと。(多勢に無勢、袋崎出丸の守備兵は全滅。)下図、左端