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本年最初の城攻めは静岡今回は2泊3日で8城(愛知県含む)をめぐって来ました。まずは後北条氏が築城しましたワッフル堀山城からスタート山中城跡売店に車を停めます(無料)ここでスタンプも頂けました山中城の最前線岱崎出丸と御馬場曲輪を遮る堀堀の中に畝あるやん最先端防御のすり鉢曲輪すり鉢状に見えるからすり鉢曲輪と呼ばれてるとかここから武者溜まりに続いてます。武者溜まり。南北に長く伸びる三の丸堀。西側の出丸まで走ってます西の丸畝堀。現在は見栄えの良い芝生を植えこんでますが、当時は滑りやすいローム
1/15(日)~16(月)の2日間ですが、東京・埼玉の「お城巡り」に出掛けました。1/15(日)に、埼玉県にある「続日本100名城」である「杉山城」「菅谷館」に訪城し、先日のブログで「杉山城」をお届けしましたので、本日は「菅谷(すがや)館」(埼玉県比企郡嵐山町)へ向かいます。「杉山城」からレンタサイクルで約4.8kmの距離でしたが、少し道を迷いましたので25分位かかりました。レンタサイクルで辿り着いた場所は、「都幾(とき)川河川敷」に近い入口でした。ここに自転車を置いてスタート
しばらく穏やかな日が続いたと思ったらいきなり寒い🥶冬なんでしょうがないですが秋から冬にかけては山城シーズンとは言えあんまり寒すぎるのもちょっと・・雪だったりすると尚更困ります津久井城のキャッスリング翌日に向かったのが『滝の城』(たきのじょう)ここは埼玉県所沢市にあって本丸跡には城山神社⛩が祀られ隣接して滝の城址公園として整備されて今も遺構の発掘が続いています公園の駐車場から階段を登っていくと鳥居のすぐ脇に狛犬さまにご対面です↓上の狛犬さま個人的にこちら
皆様、こんにちは~☀☀☀☀☀カネゴンは今日から仕事始めです。(船橋にてシンプリーステップ)😅😅😅😅さてさて!!今回は城攻めブログですが…去年の12月28日(1週間前です。)タイトルが長過ぎですが御容赦、願います。😅😅😅😅JOJOさんのブログを拝読したのと小川町特別満喫切符の期間が28日までと知りコレは城🏯神様の思し召し❓❓と思ってしまったら行くしかあるまいと思って行って来ました。🏯杉山城跡🏯でっす。だって!!城郭研究者の第一任者の🏯千田嘉博先生
11月3日埼玉県東松山市の巌殿観音「正法寺」を訪ねている。「観音堂」「絵馬堂」「薬師堂」「百地蔵堂」そして岩崖には無数の石仏。萱葺き屋根の「鐘楼」と「銅鐘」この銅鐘は天正18年の豊臣秀吉による関東征伐の際、後北条氏の家臣であった大道寺入道政繁がこの鐘を引きずりまわして打ち鳴らし、軍勢の士気を鼓舞したといわれ、その時についた傷が残っているという。やがて大道寺政繁は豊臣方に寝返り忍城攻めや八王子城攻めではその前線に立って戦ったものの、小田原城が陥落すると秀
12月上旬、八王子城跡を見学しました。こちらの山城は人気の高尾山の御近所。高尾山は古来より修験道の霊山です。こういう場所って軍事拠点になり易い。奈良県の吉野や京都の醍醐も然り。北条氏の家紋の「三つ鱗」が・・・・・↑八王子城は北条氏康の三男である氏照が1587年頃に完成させたと伝わります。秀吉の天下統一に備えて小田原城の枝城として築城された訳です。標高445mの城山に軍事施設が点在します。ちょうど圏央道を跨ぐことになる。当時の石垣がそのまま残っていました。↑
「旧東海道歩き」は箱根東坂を下っています。正眼寺から少し下ると「早雲寺(そううんじ)」がありました。「早雲寺惣門(薬医門)」をくぐります。「金湯山」という山号です。箱根湯本はもともと早雲寺の門前町として始まったとされます。「中門」をくぐると…すぐ右手にあるのが「鐘楼」で、鎌倉時代末の梵鐘で神奈川県重文となっています。「山上宗二慰霊碑」…秀吉の茶匠でしたが怒りをかい浪人。前田家に仕えます
昨日はYOUTUBEで歴史動画の最新作、後北条氏編の「第二次国府台合戦」がアップされました。今回の動画で、後北条氏編も一旦完結となり、一抹の寂しさがあります。伊勢新九郎(北条早雲)→北条氏綱→北条氏康と続いた北条家。氏康の最後の戦いです。関東に何度も攻め込んでくる上杉輝虎(謙信)。太田康資の離反と、それに責任を感じた遠山直景と富永直勝の死。そこから始まる国府台合戦(第二次)。遂に里見家との決戦。北条綱成の活躍など、2時間を超える今回も見どころが盛りだくさんです。是非、映画を
史跡・山中城跡は。宗閑寺(三の丸)から「西の丸」をへて時計回りに登城します。㊟余湖くんのHPより「箱井戸」と呼ばれているところで、湧水量が多く城兵の飲料水として利用していたと思われます。となりの「田尻の池」は、↑の箱井戸とは土塁で分離され、排水溝でつながれています。湧水量の多い一段高い箱井戸↑から、田尻の池↓に水を落とすことによって、水の腐敗や鉄分による変色を防ぐための工夫とされます。洗い場や馬の水飲み場として利用されていたよ
「史跡・山中城跡(日本百名城)」をめぐります。山中城は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530~1560)に、小田原に本拠を置く後北条氏によって築城されました。急峻な斜面に囲まれた自然の要塞の地に造られた山城は、標高580m、城の範囲は東西500m、南北1000mにも及びます。後北条氏の所領する伊豆地方北部は、武田・今川領と国境を接しており、小田原城の後北条氏にとって、西方防御の要の地でした。天正17年(1589)豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、
9月下旬にテレ朝で放送された、歴史の専門家が選ぶ難攻不落!最強の城総選挙。厳選された20の城の中から選ばれた、最強の城ナンバー1は…あなたが選ぶナンバー1の城は…『春日山城、林泉寺、高田城』直江津の港から次に行ったのは、春日山城と林泉寺、高田城。春日山城と言えば、長尾景虎そう後の上杉謙信の居城。入口には、上杉謙信の銅像が建ってました。ここで旅の…ameblo.jp『五稜郭旧幕府軍最後の戦い』北の大地、最初の観光は五稜郭へ。日本史大好きなので、五稜郭は外せません。五稜郭タワー
「旧東海道」歩きは、三島を目指し歩いていますが、ここでちょっと寄り道です。八幡交差点から東に右折し、しばらく歩くと「柿田川湧水群(柿田川公園)」があります。国指定天然記念物・柿田川は、市街地の真ん中に忽然と湧き出し、集まって川幅30~50m、延長約1200mの河川となって狩野川と合流します。豊富な水量に加えて、水温は夏冬変わらずほぼ15℃を保っています。第一展望台から見たところです。柿田川の最上流部にあたります。その水の源は、約40㎞北
10月11日、沼津駅南口へ。ここからバスに揺られること30分ほど、東根小屋のバス停に着。根小屋とは、城の中心の周辺に設けられた武士の屋敷があった場所。バス停横には興国寺城の石碑。当時の興国寺城池で防御を固めていました。現在の空撮写真道路を挟んでバス停周辺の南北に広がる土地は、全て三ノ丸跡です。バス停の山側三ノ丸です。山側へ登っていく。デカい土塁曲輪の段差が明瞭です。二ノ丸と本丸の境も明瞭。そしてその後方にはすごい段差が
今日は歴史動画・後北条氏の最新作「古河城の戦い」がYOUTUBEにアップされました。今回は2時間という、まさに映画なみの尺です。古河公方と北条氏の戦いを軸に、10年間の関東の情勢が描かれています。大河ドラマに後北条氏3代とかやってくれないかしらね~。
コロナ禍が始まって1年とちょっとたった時の2021年4月ちょっとくらい外出もええやろと深大寺城を訪れたら、入り口が閉まっていて何も出来ずに帰宅したことがごぜぇます悲しみの神代植物公園閉園状態さらに1年引きこもり、もうええやろ!(2回目)ということで、古城跡めぐりを再開青梅市の勝沼城への探訪記録勝沼城1500年の鎌倉時代に三田氏によって作られたとされています。豊臣の小田原征伐後、使われなくなって廃城となったようです。三田氏戦国時代に入り、三田氏は関東管
大磯六所神社の続きです9月4日は櫛の日で例大祭でした人混みの中、拝殿前は奇跡的に人がおりません狛ちゃんお座り型で宝珠も子供も抱いていないピンの狛犬もしかして角有った?!拝殿崇神天皇の時代に創建されたと伝えられ出雲国から移住して来た人達が開墾した土地を柳田郷と呼び、櫛稲田姫命須佐之男命大己貴尊を柳田大明神として石神台に祀ったのが始まりとされています相模国一之宮の寒川神社二之宮の川勾神社三之宮の比々多神社四之宮の前鳥神社平塚神社の分霊と主祭神の柳田大明神を合
川越城本丸御殿6月23日の訪問少し前までは、本殿のすぐ前を道路が通っていた模様。現在は道路を迂回させ、本殿前は広場か駐車場になるのかな。広場整備中のため?こちら側から入ります。ここにも城の全景庭も見ておきましょう。入口の破風入場料100円です。日本100名城スタンプもここにあります。本殿内の順路使者の間使番詰所番抜老体詰所こんな感じに部屋が並んでいます。また、部屋だけでなく、外も見ておきましょう。
埼玉県川越市、川越城へ。(6月の話ですが)川越城と言うと、この本丸御殿が有名。それ以外には何も残っていないように思われがちだが、実はいろいろあるのです。川越城の全景左下が川越駅方向左端の大手門あたりが現在の市役所川越駅東口からバスに乗り、川越市役所前からスタート市役所前に大手門跡の石碑と、太田道灌の像川越城は太田道真、太田道灌の父子によって1457年に築城されました。太田道灌は他にも江戸城をはじめ、藤沢市の大庭城、川崎市幸区の加瀬城など、多くの築城実
伊豆半島の旅最終回は、静岡県三島市山中城跡山中城は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530〜60年頃)、小田原に本城をおいた後北条氏によって、標高580㍍東西500㍍南北1000㍍に及ぶ面積と急激な斜面に囲まれた自然の要塞の地に、番城(城主を置かない城)として築城されました🧐。順路はあるにはありますが、広大な面積のため、団体さん以外は好き勝手に散策しています(意外と観光客が多かった)。私は、三の丸跡→二の丸跡→本丸跡→北の丸跡→西の丸のうち順で散策。
静岡県韮山城跡その2攻城190(2022年8月27日訪問)<攻城2>権現曲輪の階段を南に登っていくと、二の丸があり、さらに行くと本丸への階段があり、本丸がありました。残念ながら、本丸から、富士山が、雲でかくにんできませんでした。二の丸への階段二の丸虎口、二の丸跡、景色本丸虎口、本丸、景色韮山城は、小規模な分かりやすい平山城でした。後北条氏初期の城なので、馬出し、障子掘り、畝掘り等の防御はありませんでした。後北条氏が小田原城に本拠を構
昨日は珍しくウィークデーの水曜日がお休みなのでのんびり過ごすぞー❣️と思っていて・・・思っていて・・思っていて・・・・あれ?なんか気が付いたらここは何処?おや?のんびり過ごすんだよ私はのんびりと😅のんびりとーーーーはいのんびりと八王子城跡に行ってきました笑数年来の念願でトレッキングシューズも買ってあったしこの前はトレッキングポールも買って準備万端だったのででもねここって中々の山の中⛰ちょっとわかりにくいですが遺構全体の鳥瞰図ひたすらに階段の山道を歩いて
今日は21時からYOUTUBEで合戦動画の最新作がアップされました。今回は最初から最後まで、通してリアルタイムで見ることができました。後北条氏が完全に扇谷上杉旧家臣を屈服させ、北武蔵に領土を広げ、更に山内上杉・上杉憲正を上野(こうずけ)から追い払う事に成功します。今回の動画も94分と長丁場ですが、映画と思ってみると見応えがあります^ー^この動画で歴史の授業してくれたら面白いだろうなあ。それではまた~。
北条氏照のお墓があるという場所に向かって歩いています。三つ鱗発見!これは鎌倉期の北条氏も用いた家紋です。北条氏の三つ鱗は正三角形で、後北条氏の三つ鱗(北条鱗)は二等辺三角形ですが、これは正三角形ですね。ま、細かい事は気にしないことにしましょう。ちなみに、北条氏は伊豆の豪族で、後北条氏は桓武平氏の流れを汲む伊勢氏の一族です。北条氏は時政から十六代続いた執権で、今年の大河ドラマでは二代執権の義時が主役になってますね。後北条氏は、駿河守護の今川氏親を補佐していた北条早雲を初代として、五
小田原城の近くに、新たに「小田原ホテル」がオープンした。私は東京への出張の帰りに途中下車して、このホテルに宿泊した。小田原は江戸時代は、代々有力譜代大名が藩主となった東海道の交通の要衝にある。実は、このホテルに泊まると、小田原城攻めの模様を夢で見るという噂があった。私はベッドに入り、眠りについた。私は小田原城の城内にいた。北条氏政を中心に重臣たちが、20万人の軍勢を率いてきた豊臣秀吉への対応を協議していた。(俗にいう“小田原評定”だ)合戦か、降伏か、結
気候温暖な静岡県。雪が降っても積もる事が保々無いけど、今年2月に静岡県東部山間部に雪が降り積もりました。翌日、三島市にある山中城に行きました。雪景色の山中城はレアです。後北条氏築城流障子堀
今日はYOUTUBEで歴史動画の最新作がアップされました。今回は、後北条氏の河越夜戦です。北条氏の河越城を山内・扇谷の両上杉、古河公方、関東の国人などに包囲された危機に立ち向かう北条氏康。今回も熱い戦いが見られました。この戦いで、扇谷上杉は滅亡、山内上杉は越後へ逃亡、古河公方も古河御所へ撤退となります。もちろん、北条氏も無傷とはいきません・・・。さて、これから先は戦国時代でも有名な時代になってきますので、名前も知った武将が増えてくることでしょう。今後も楽しみですね。
2022.8.9天守閣からの海は絶景!!小田原城二の丸広場からの天守閣一望を満喫してあの、天守閣の上まで!!ぞろぞろと人の波が天守閣の中に吸い込まれていきます城内に入ると、アートのような「江戸時代の小田原城」小田原城は関東を支配した戦国大名北条氏が5代にわたって関東支配の拠点として、明応4年(1495)に北条氏の居城。氏政の時に上杉謙信や武田信玄の攻撃を退け"難攻不落・無敵の城"として知られます。ところが、天正18年(1590)豊臣秀吉の軍勢と包囲戦の結果、落城
歴史勘違いあるあるはい(´Д`)。本日は歴史好きあるあるではなく、歴史勘違いあるあるです。この歴史の勘違いはあるあるなのではないかということを掲載していきます。今回は、現在絶賛放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関わるネタです。もうだいぶ前、まだ源頼朝が挙兵したばかりの頃に描いたものですので、ご了承ください。はい、歴史勘違いあるある(´Д`)。鎌倉幕府執権の北条氏と小田原の北条氏が混ざってしまう。どちらも北条氏ですからね(´Д`)。ややこしい(´Д`)。時代は結
今日は久しぶりに、歴史動画の新作がアップされていました。今回は「第二次河東の一乱」です。第一次から8年後、甲斐の武田は当主の信虎が息子の晴信(信玄)に甲斐を追われて駿河に追放。晴信が当主に。北条は氏綱が死去して、氏康が正式に3代目当主に。北条は西に今川、北には山内上杉と扇谷上杉と古河公方、南に里見と周囲は敵対勢力だらけ。この状況でどうなっていくのか・・・・今回は初めての北条軍の負け戦です。2時間超の長編ですが、今回も楽しく拝見しました。
昨年春、県立公園巡りの一環で訪れたつもりの津久井湖城山公園で初の山城登坂してから、じわりじわりとはまってきた山城歩き『山城があったから「城山」①』今週の月曜日、制限食生活を始めて70日体重減少の第一次目標を達成しました…といっても、この目標第三次クリアで合格ボーダー、合格確定になるには第四次までやらなき…ameblo.jp『山城があったから「城山」②』こんばんは今日もウロウロしていたら、ブログの続きがこんな時間になりました😓さて、元気に歩き出したワタシ城山公園の感じは…ここはお屋敷跡だそうこ