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乾燥している、寒い、なのになぜ文明発祥の地なのかなと思っていましたが、稲作ほど手間のかからない雑穀、掘るだけでできる住居ヤオトン、文明の痕跡がいくつも残っているところからみると、黄河流域は意外に住みやすいところだったのかもしれません。そして驚くのが、食文化の影響です。日本人が古来の昔から食べていたそばやうどんももしかすると、この辺が起源なのかもしれません。
前回は、疫病を抑えこむために大神神社が創建された経緯を最後にご紹介しました。この出来事は、大王家の宗教的権威を天下に知らしめた決定的な出来事だったと考えています。では、大王家が奈良の纏向を拠点にした経緯について、僕なりの考えを述べてみたい。古事記によると、イワレビコがナガスネヒコを打倒し神武天皇に即位したとされます。これを神武東征と言いました。実際にこのような出来事があったのかという問題がありますが、仮にあったとして神武東征はいつの時期だったのでしょうか。明治時代に考えられた皇
弥生時代から古墳時代へと移りかわる頃、煮炊きに使った土器は平底から丸底へと形をかえます。これは、厚手の平底を薄手の丸底に作りかえることで火熱を効率よく伝えようとした工夫と理解されています。奈良文化財研究所の井上和人〈いのうえかずと〉さんは、布留〈ふる〉式というこの丸底土器について、形や大きさがそろっていること、薄手につくられていること、底の内側に指で押さえたあとが残っていることから「型作り」を想定し、その技術は岡山県南部から伝えられたと主張しました。確かに、岡山県南部の丸底土器の内側にも小
前回は、丁未の乱の背景について考察を述べました。大王家を護る二つの氏族、蘇我氏と物部氏が衝突したわけですが、今回はそうした氏族が誕生した経緯について考えてみたい。時代は、弥生時代にまで遡ります。松本武彦著作「古墳時代の歴史」を読みましたが、この書籍にも大きな衝撃を受けました。内容は、古墳を建造を年代順に追いかけていく編年体になります。日本中に16万基はあるとされる古墳ですが、年代順に比較していくことで見える世界がありました。僕の驚きポイントを一言で述べます。――古墳の始まりは東
グーグルマップで脳内旅行をぢていたら遺跡を見つけました、、古墳で検索したり遺跡で検索したりすると結構出てくるんですよねーでシズルトリップさんが行っていた動画を見ておぉ~行ってみたいなーとグーグルマップとユーチューブを行き来して脳内旅行で次はどこまでウォーキングで行けそうかということを楽しまないとウォーキングの行き先難民になっておりまして、、先日、行った遺跡です✨到着結構登った気がしまして丘の上の住宅街のあたりでしょうか入口に案内板がありましてあ
古墳時代末期に起きた丁未の乱は、大臣である蘇我馬子の政権連合軍と、大連である物部守屋が対立した戦争になります。教科書的には、崇仏派と廃仏派と表現されているので、仏教と神道が対立する宗教戦争的なイメージで語られたりします。聖徳太子の物語を描く場合、この丁未の乱をどのように理解するのかということは、物語の面白さに影響します。少し深堀してみたい。溝口睦子著作「アマテラスの誕生」を読みましたが、僕にとって衝撃の一書でした。要約すると、記紀神話は、造化三神であるアメノミナカヌシノカミ、タカミムス
ハロくんのサイズアウトした物がメルカリで細々と売れて約3,000ポイントくらい貯まった。そのポイントを使ってハロくんに何か買ってあげよう。と考えた。いろいろ調べて読書好きなハロくんに小学3〜4年生の学習本が10冊程度でまとめ売りしているのを見つけ購入することにした。届いた本をハロくんに見せると目を輝かせて本に飛びついて読んでいた。(なぞなぞや偉人の本や有名な絵本などいろんな本が入っていた)その中の一冊に「日本史探偵コナン(縄文時代)」が入っていた。名探偵コナンが好きになってい
先週は咲いてなかったけど今週は咲いてましたウメ~色違いもウメ~田能資料館兵庫県尼崎市田能6-5-1実物大!?の方形竪穴住居など有りでかなり面白いです!ナント入場無料(駐車場もタダ)オススメです==============公式ラインアカウント@kz0668460708YouTubeキィーズチャンネル@Kz-cv9vnキィーズWEBサイトインスタグラム@kz_fish0708メール:info@kz-fish.jp
基本情報場所:神奈川県綾瀬市吉岡3425-5電話:0467-77-0841開館:9:00~17:00休館:月曜日、12/29~1/3料金:無料特記:無料駐車場有神崎遺跡博物館・概要平成元年に市史編集事業の一環として、市内の弥生時代の資料を収集するため、発掘調査が実施されました。その結果、弥生時代後期(今から約1,800年前)の環濠集落(周囲に濠を巡らしたムラ)の存在が明らかになりました。神崎遺跡から出土した土器のうち95%以上が東海地方の土器の形態に酷似し、住
🌸『日本列島人の人類学』☆私たち日本人が*「どこから来たのか」「どのように形作られたのか」☆骨(古人骨)、遺伝子(DNA)、考古学的な遺物等より*多角的に紐解く非常にエキサイティングな分野⛳『日本列島人の人類学』分野の書籍☆3つのポイントが中心的な柱①「二重構造モデル」とそのアップデート*縄文人:もともと日本列島に住んでいた先住民*渡来系弥生人:弥生時代に大陸から渡ってきた人々*混血:両者が混ざり合い現代の日本人の形成された*近年ではさらに研究
吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」一帯の石棺墓は「方形周溝墓」だった…有力者の墓域である可能性が高まるYahoonews2026/02/23読売新聞発掘担当職員(右)の説明を聞く人たち国指定特別史跡の吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ヶ里町)の北墳丘墓(ふんきゅうぼ)西側で2023年に見つかった「石棺墓(せっかんぼ)」について、墓と周辺を区切る溝が取り囲む「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」だった、と佐賀県は明らかにした。この一帯では石棺墓の近くに同じような溝が複数見
縄文時代は1万年以上続いたとされています。最大人口は27万人縄文時代晩期は食料不足で8万人まで減少したようです。そして弥生時代からの稲作により60万人まで増加します。人類は人口がある一定を超えると支配者が出てくるそうです。縄文時代の27万人の時点で支配者がいないという事は日本は27万人がちょうど良い人口なのかもしれません。縄文時代晩期の人口減少により、縄文人は弥生人の稲作に頼らざるを得なかったのかもしれません。弥生時代に入ると縄文人は弥生人と混血していきます。日本全部が一気に変わっ
連休最終日本来ならボードへ!だったけど、夕方からの👧の塾が休みじゃないので断念。(真面目やな…)それまでに帰ってこれるお出掛けをしました。なんのこっちゃと笑われそうですが、、夏休みの工作の資料集め(時期早すぎ笑)に「大阪府立弥生文化博物館」へ行ってきました。残念ながら弥生文化の展示室は改装中でお休み。こちらはまた再訪することにして、特別展のトンボ玉や館外にある展示物や資料コーナーを少し見て過ごしました。常設展がお休みということもあり、連休でこれだけ空いてる施設はないんじゃないかという
いつもありがとうございます。ハッピーダイエットライフの船田です。大事な話なので再投稿です。日本の歴史は捏造と嘘で塗り固められています。特にひどいのが、弥生時代以前の、縄文時代の真実が完全に捏造されているのです。公式の日本の歴史としている、日本書紀と古事記は、当時の政権が都合のいいように編集した嘘の歴史書です。船田は、日本の歴史は3万年以上あり、日本が世界の中心であり、日本から、世界各地に文明がもたらされたと思っています。学校の歴史で教わる、世界の4大文明など大嘘
ヨーロッパ旅行に行こう!#やるなら若いうちがおすすめ!そうヨーロッパ旅行に行こう!一番最初のヨーロッパ旅行で、憧れのイタリア🇮🇹ツアーに参加した時に、南イタリアのマテーラから北上して、今回のオリンピックを開催している、ミラノまで、13都市を観光しました。その観光地に着くたびに思いました。「なんて素晴らしい石畳なんだろう!」(ちょっと石畳マニアになりました。)2000年前、ローマ帝国は、軍事・物流の目的で全長約32万キロにも及ぶローマ街道を整備しました。そして今でも歴
歴史調査猫の日「弥生時代に日本に猫がいた」黒井ドラゴン今日は2月22日、222(にゃん、にゃん、にゃん)で「猫の日」。「日本に猫が来たのはいつだったのか?」を調べてみた。1.従来は「飛鳥時代に日本に猫が来た」といわれていた従来、「日本に猫が来たのは飛鳥時代(聖徳太子の時代、あるいは少し後の遣唐使の時代)に、ネズミから仏典を守るために中国から日本に猫がやってきた」とされてきた。しかし、最近になって、その常識がくつがえされる発見があった。2.
玉野市渋川の東にある宮田山、そして、西にある王子が岳。この二つの山から、旧石器時代の遺物が、見つかっているそうで、それは、知っていたのですが、この宮田山、王子が岳の麓。玉野市渋川から倉敷市児島に抜ける国道430号線沿いの海岸の砂浜からも、土器の破片などが採取されているそうなので、今でも、残っていないか、行ってみることにしました。今日は、良い天気で、しかも、暖かい。渋川海岸から、王子が岳の方を見る。夏には、ここは、海水浴場として、賑わう場所。ここから、国道430号を児島方面に向
縄文の信仰は「大自然とともに生きる」であり「あらゆるものと共存する」である。この発想の前提は、人間は大自然の猛威の前では無力だ、という諦念であり、万物に精霊や神が宿ると信じ、大自然を神に見立てている。これがアミニズムや多神教特有の信仰形態であり。日本は一神教を拒んだ国でもある。縄文の底力を感じるのはこうしたところ。稲作をもたらした渡来人に対する縄文人による対応は、農業による自然破壊への拒絶感から始まった。「稲作を選択すれば食糧確保という観点からは豊かになるが、今まで自分たちを守ってくれた自然を破
生きていくためには働かなければいけない。お金を稼ぐためには地球の環境を破壊するのはしょうがない。自分のやりたいことができれば、ある程度の地球の環境破壊や人の犠牲はしょうがない。どうせ、人生80年で自分が生きている間まで人類が滅亡しなけりゃいいや。という常識を疑うところから世界は変わっていくんです。だからと言って急に地球の優しくないものを全部買わないというのは無理ですよね。だって、そうなったら洞窟に裸で生活しなきゃいけないですから。まずは現代の常識を疑って本来あるべき優しい世界を
明治大学博物館の企画展「弥生時代の再葬墓」を見てきました開催期間・2026年2月6日~3月26日亡くなった方を土葬か風葬にし、骨だけの状態になったら土器に入れて再度埋葬するお墓を、再葬墓と呼びます特別展示室で、その再葬墓に使われた土器などが展示されていますなぜ埋葬しなおすのか、興味あるんですよね~撮影OK、個人利用ならweb利用可ということなので、写真撮らせていただきました会場に並ぶ土器は、全て再葬墓から検出されたものです。実際に中に骨が残っていたのは、その一部です再葬墓っ
〈前回で一区切り。今回から第二章〉いま梅が、盛りです。空へと伸びるほそい枝にいっぱいのちいさな梅の花たち。ひとつひとつ可愛らしい、丸みをおびたはなびら。(*´∀`*)「うめ」って、どういう意味だっけ?、、、........................................................梅⇒「う」・・・うまれでる「め」・・・かわいい、愛しいもの、柔らかく伸びるもの(春が近づくと
日本では弥生時代に鉄器は青銅器とほぼ同時に流入しており、「魏志倭人伝」などによればその材料や器具はもっぱら朝鮮半島などからの輸入に頼っている。鉄器の普及による富の増大と偏在は権力の集中を促し、クニが成立していくようになった。前2世紀以降には北部九州で農工具の鉄器化が進んだことによって耕地開発が進んだ。弥生時代とされた3世紀前半までに日本列島で鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られており、このことが邪馬台国論争に影響している。北部九州に鉄器が普及し始めたのが前2世紀といわ
ひざしがまぶしいホーホケキョきょうことしはじめてウグイスがなきました邪馬臺(台)国と邪馬壹(壱)国、臺(台)與と壹(壱)與の発音等について私の考えをお話しします。邪馬台国の名は『後漢書』や『三国志』などの中国の史書に出てきますが、史書の表記は邪馬臺(台)国か邪馬壹(壱)国。台は臺の新字体で壱は壹の新字体。邪馬臺国も邪馬壹国も全国的に邪馬台国で定着していますが、私は臺も壹も「と」と発音するのが適切かと思っています。ネットで「臺(台)」の字を中国語発音で調べると、中国福建省で「と」
上掲右は出雲の加茂大倉遺跡から出土した銅鐸の埋納されたときの復元(東京国立博物館)であるが、赤銅色をしている。青銅は銅(Cu)を主成分として錫(Sn)を含む合金である。オリンピックの銅メダルも青銅でできているが、銅メダルは青くない。本来の青銅は添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるような純銅に近い赤銅色、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加で白銀色となる。ブロンズ(bronze)ともいう。ブロンドの髪とは金髪のことだが、古代の銅鏡は錫の添加量の多い
はい!奈央です。春を探しにここにやってきました。銀杏双樹雌雄の株が春の訪れを待っています。この二本の銀杏がたくさんの枝を伸ばして、春を待ちわびています。ここは、日本の稲作発祥の地そして、弥生式土器として最も有名な遠賀川式土器の発掘地さらに、ヤマトタケルが妻を娶り、子をなした地はるか弥生の時代から、多くの人々が遠賀川の恵みに与り、荒ぶる脅威にひれ伏し、川沿いの道を行き交いながら、連綿と歴史を繋いできたのでしょういろんな意味で私にとっては聖地の
2003年に国立歴史民俗学博物館(略して歴博)が放射性炭素年代測定による土器付着の炭化物の測定結果を発表した。従来稲作の伝播は紀元前5世紀に始まるとされており、歴博の新見解はこの認識を約500年も遡ることになる。菜畑遺跡(佐賀県唐津市)で従来縄文時代晩期とされた紀元前10世紀、板付遺跡(福岡市)から前8世紀の水田跡が発見された。多くの研究者が弥生時代の開始年代を遡らせるようになってきている。そもそも弥生時代とは「弥生土器が使われている時代」だった。ところが、弥生土器には水稲耕作が伴
今日は、青森県八戸で講演会をさせていただきました。このことをお伝えすると、反対意見も頂戴するかもしれませんが、「ご褒美」をいただいているような時間でした。大好きな八戸、その八戸を支えていただいている企業経営者さんたちへの「ほめ達」講演会、気合いが入りまくりました。思いが乗っかりました、ありがたいことです。八戸、大好きなところです。語り始めれば、キリがないほど、まずは、種差海岸、蕪島、そして、是川縄文館=合掌土偶、朝市に、八食センター、さらに、お祭りは、「え
熊野の旅の中でも、どうしても訪れたかった場所。花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)鳥居をくぐる前から、どこか空気が違いました。案内板には、『日本書紀』にも記されているとあります。伊弉冊尊(いざなみのみこと)を祀る場所。神話の世界と、今この場所が、地続きで存在しているとおもうと、ほんとに、ずっとすべてはつながってるんだなぁぁぁと思わずにはいられない。。。弥生時代以前から続くとも言われる祈りの地。「古い」というより、原点。。。ここには、いわゆる「本殿」
私が子供の頃から感じていた違和感それは車が走って排気ガスにより空気を汚している事、工場や住宅が汚水を流し水を汚していた事、山を切り崩して住宅地を作る事。現在の人類の経済活動は環境破壊とセットなんです。科学も学問も経済的に裕福になる事を目的として作られています。宗教は支配者が権力を維持出来るように、支配しやすいようにできています。経済と政治はセットなので、政治だけどうにかすればいいというわけではありません。私が考える地球のアセンションとは現在の経済がおかしいと気がつく人が増える事具