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撮影日2025/04/27初代いすゞピアッツァ販売期間は1981-1991年とのこと所在地は山形県東田川郡庄内町西袋イルムシャーチューニング初代アウディ90クワトロ販売期間は1984-1986年らしい
撮影日2025.12.10撮影場所広島市内※立ち入り可能場所から撮影広島市内に存在する廃バス2台です。場所はぼかしておきますが、名が知られている場所かもしれません。(一枚目)・河川敷ゴルフ場の敷地内に2台のバスが見えました。休憩所などの用途でしょうか。手前は黄緑に塗られた西工58MCB-Ⅱボディのツーステ、奥は赤く塗られたエアロキングダブルデッカーです。エアロキングの廃車体はかなり珍しいのではないでしょうか。(二枚目)・手前の58MCボデ
今回は番外篇。…の前に、前回めっちゃ大事なことを書き忘れた。末尾近くに追記したのでぜひご覧の上、ご見識を賜れれば幸い。→【7】へさて、最終回でもあるこの番外篇では、ねじりまんぽの北側広場に「散乱」する、特殊車両の草ヒロ群(の一部)をご紹介。草ヒロ…そう、状況を見れば、実質的に現役車両でないと思わざるを得ない。コメント一切は割愛するので、Don'tthink,feel.ってことで。最後のこの写真、お分かりだろう
無性に、朽ち果てた放置車両に心が動かされます。ネットなど無い昭和の時代、少ない情報を頼りに全国を歩き回って一喜一憂したもので、ある種「宝探し」のような醍醐味でした。とりわけ印象的だったのが期せずして出会った車両で、土佐電鉄伊野駅前から住宅地へと延びる引込み線の先に、単車の車体が棄てられていた光景は忘れられません。(神奈川県鎌倉市極楽寺車庫)(福島県猪苗代町中丿沢温泉沼尻鉄道)(高知県伊野町土佐電鉄引込み線)(岩手県松尾町松尾鉱業鉄道)(長野県大桑村野尻木曽森林鉄道客車)
先日アップした淡路島でのバス活時、道中で発見した琴線に触れた廃車体の話題。何がなんやら分からん!という声が聞こえてきそうであるが、解体屋に積まれた淡路名物「農民車」の廃車体。昔から淡路島でよく見た農業用作業車で地元のコーチビルダーともいうべき鉄工所などで手持ち部品?掻き集めて大量に作られた作業車を「農民車」と呼んでいた。結構見掛けた記憶あるが、そういえば近年数を減らしているようで頻繁に見掛けなくなっていたことに気付いた。2トントラックまでの大きさは無いが、荷台に玉ねぎコンテナを沢山
かつてしなの鉄道で活躍した169系は2025年8月現在でも坂城駅でS51編成が展示保存されています。保存されてから間もなくの頃に撮影し、その1で紹介しましたが、今回は1両づつ撮影した様子です。2014年11月1日に撮影した元しなの鉄道169系S51編成の軽井沢寄りの先頭車クモハ1691。碓氷峠越えの際にEF63と協調運転するべく登場した169系量産車の記念すべきトップナンバー先頭車です。角度を変えて撮影。1968年8月21日付で日本車輌にて製造され、当初は冷房準備車として登
かつてしなの鉄道には169系が4編成が在籍し、2013年4月まで活躍していましたが2025年8月現在でも坂城駅で1編成が展示保存されています。保存されてから間もなくの頃に撮影していました。2014年11月1日に撮影した元しなの鉄道169系S51編成。軽井沢寄りの先頭車クモハ1691から編成全体を撮影。前面列車種別表示窓の表示は「団体」表示でした。このS51編成ですが、現役の時に撮影していました。こちらで紹介した写真の再掲で小諸駅にて2008年6月22日に撮影しました。S
京成関屋といえば、京成電車の車窓から見下ろす線路と謎の客車が気になって、何度か京成関屋駅で降りて周辺をウロチョロしたものです。(2025.7.22足立区千住関屋町岡田商事)ところが、再開発の波には逆らえず工場(鉄スクラップ業)が閉鎖され、解体工事の最中でした。解体工事の告知板によると建築物の床面積は約3,400㎡。なお、敷地面積をネットで検索すると15,964㎡とあり、何と東京スカイツリーの敷地面積の約半分!都内の好立地でこれだけ広大な敷地は滅多に無い物件ですね。開かずの鉄扉が開
ちょっと地方の小さな駅に降り立ちました。ホームの横からちょっと異世界のオーラが立っております。改札口とは逆でしたが降り立って見るとコレはまたレアな軽自動車。三菱ミニカのトラックであります。初代では無さそうな顔ですが前開きドアですねえ。昔の軽トラックはピックアップタイプが多かったですねえ。そしてもう1台。向こうに見えますはコレもレアな2代目デボネア。シーラカンス扱いになる程長い期間売られた初代とは対照的にスタイルもクセが有ってまったくの不評であっという間に消えました。三菱車自体があまり多く
昔撮った写真。廃バスの車体が骨董品店の看板として再利用されています。アンティークさろんと書かれているので最初この車体が店舗なのかと思ったんだけど、手前の看板との間隔やバスの中に商品らしきものが見当たらないのでやっぱり一種の野立て看板なんでしょうな。ちなみのこの物件、撮影は2016年2月なんだけどストリートビューで確認してみると2017年6月時点ではなくなっているのでその間に撤去されたものと思われます。
房総半島旅行2日目、鵜原駅で下車して隧道見学をしながら歩いていました。場所はこの辺、千葉県勝浦市鵜原。なんかボロボロの橋が目に留まりました。正面。これは廃橋と言っていいでしょうね。ガードパイプが途切れてないので普通に渡れないし。で、この写真を見返して気づいたのですが、川の護岸部分が橋の右側と左側で形が異なってます。どういう理由なんだろ?渡れないので写真はこれだけ。ただよく見ると対岸側に1ヶ所だけ親柱っぽいものが残されていました。ここからはおまけです。廃橋から少し歩
おはようございます😊今日はもう、黒部から帰る日です…😭昨日はお土産を買いに市内を回ったのですが、道中でダルマを発見したので記録してきました。まずは、某会社の敷地内にあったダルマ色は塗り替えられており、車番は確認できず…。しかし、大事に使われているようで状態は良いように思えました。続いて、黒部の道の駅近くにあったダルマさんこちらは去年、見つけていましたが時間がなく断念していた個体でした。屋根はFRPが塗装された白い屋根😊ワムの水鏡🤣車番がうっすら見える?うーむ、見づらいので反
久々に遭遇今回は201系?
仁丹ハントで京都市内某所を歩いていて、びっくりする光景に出くわした。…え?うそやろ?ド街中で、まさかの草ヒロ!!??この状態って、けっこうな年月経ってそうよなあ。ここだけジブリの世界みたいになってるし。これは2023年6月の撮影。さすがに周囲にもボカシ入れたけど、今でもあるのかなあ。ストビューで確かめようとしたけど、もはや場所がよくわからんのよね。
撮影日2024.12.16撮影場所西鉄バス赤間営業所昨年暮れ訪問した、西鉄バス及び子会社の西鉄バス宗像の赤間営業所で撮影した写真です。(一枚目)・赤間営業所の端に廃車体が停められていました。見慣れた「赤バス」の中型車5638号車です。2001年式KK規制の日産ディーゼル車で、中型リーフサス・スロープ付きワンステップ車です。西工96MCB-Ⅰボディを架装しています。前中4枚折戸となっており、当時の標準スタイルです。窓はKK規制初期の為黒サッシ逆T字窓
投稿日(2025年1月28日)の19年前、2006年1月28日は千葉県八千代市にある都電8000形8053号を活用したカフェ「TRAINCAFE」を訪れ撮影していましたのでその時の様子です。2006年1月28日に撮影した八千代市にある8053号を活用したカフェ「TRAINCAFE」。8053号はかなり昔の鉄道ファンに8125号(足回り無し、車体のみ現存)の紹介後、廃喫茶店の廃墟として紹介されていましたが、写真からは雑木林の中に放置されたような感じで再起不可のよう
昇圧前の上田交通は、上田原駅構内に車庫がありました。全金車体の異彩を放っていた旧.東急クハ3772、親会社の東急から譲渡されたものの、朝1往復の限定運用で乗車の機会は有りませんでした。サハ62(旧.東急サハ3350形)は既に休車状態で、走行を見ることができず・・国鉄時代のナンバープレートを装着した買収電機のED251(旧.宇部電気鉄道)、小柄な車体がいかにも模型向き!ダブルルーフに木造車体の古豪、元を辿ると旧.信濃鉄道の車体で、ドアの入口に「木工場」の木札が掛かっていたのが印象的でした
渥美線は1984年に貨物輸送が廃止され、大半の電気機関車が解体された中、高師車庫の入換用にデキ211が生き残っていました。こちらはデキ451の廃車体、地方私鉄には似合わない箱型の大型電機で、前面の砂箱がインパクト大でした。(背後の木造倉庫が渋いですね)1年後、再びの訪問でもデキ211は同じ位置に停車中。結局、動く姿を見ることはありませんでしたが、1997年の1500V昇圧まで現役でした。
2025年1月2日、松浦鉄道佐々駅にて。駅横の佐々車両基地敷地内に置かれている旧型車両、幕は「ひかり博多」。(立入禁止区域外より撮影)先日の旅の途中。佐世保から乗ったMRの列車が佐々終点だったので、次の伊万里行きを待つ間に、いったん駅の外へ出た。出たところで目に付いたのが、駅に隣接する佐々車両基地の駐車場に置かれていた廃車体。そうそう、以前から話題になってた、佐々駅横の「ひかり博多」行きの車両をやっと拝んでくることができた。ブルーシートがかけられていて、おそらく腐食で雨漏りして
撮影日2024.12.29撮影場所西鉄バス博多営業所※敷地外公道から撮影・西鉄バスの博多営業所を通りかかったら、隅に見慣れない廃車体がいました。しかも「赤バス」色に緑帯が入り、「512」なる車番が…。この車両、以前この記事で紹介した車両でした。旧福岡高速営業所で留置中のヒョンデとスピナ移籍車|303-101のブログ(2024.7.19)新設された博多南駅~那珂川営業所間の路線と那珂川営業所の廃車体|303-101のブログ(2024.1
撮影日2024.12.23撮影場所西鉄バス竹下営業所※敷地外公道から撮影・後ろ姿だけですが、まさかここで見るとは思わなかった西鉄バスで活躍した三菱+西工路線車の廃車体です。この車両は3411号車で、1999年式KC規制の大型リーフサス・ツーステップ車です。西工96MCB-Ⅱボディで前中4枚折戸、黒サッシ逆T字窓と当時の標準仕様です。LED改造されていましたが、既に行先表示器は撤去されていました。「赤バス」色で前面にベビーカーマークが貼られてい
先日、ネットニュースで川崎市営のトロリーバスが近々解体されると知りました。かつては、屋根付きで撮りづらい場所でしたが、現在は屋根無しの状態で撮れます。(2024.12.13川崎市高津区二子塚公園)やはり、解体の知らせを聴いた人々なのか?私以外にも、スマホやデジカメを向ける人々がチラホラといました。川崎市営トロリーバスの全廃は1967年、当時小学1年生でしたので、もしかしたら川崎駅前で見たのかも知れませんが・・・廃車から実に56年間も残っていたとは!肝心のトロリーポールが無いのが
川崎市交通局100系撮影地:神奈川県撮影日:2024/12車両詳細:日野ヂーゼルTR20/東芝/富士重工/無軌条電車神奈川県内に静態保存されていた川崎市交通局のトロリーバスです。かつては公園として整備されていた場所に屋根を付けられ保存され、内部も使用されていましたがそのうち使用されなくなり、この場所より撤去するということで撮影時は屋根が取り外され全体があらわとなっておりました。トロリーバスは法規上では無軌条電車と呼ばれ、鉄道車両という扱いで運行事業者も鉄道のように形式
名古屋臨海鉄道東港機関庫ヤードにはND55216ND55213の廃車体と、機関庫横にはND5523の廃車体ありました。もう動くことはないでしょうが、ND55213や16の現役時代に撮ってみたかったです。
[撮影日]2024年4月29日[撮影場所]静岡県某所この地を訪れるのは2019年9月依頼、5年弱振り5年前の画像が発見できないので、比べようがないですが、記憶の限りでは、さほど変わって無い気がします。カローラ(20系かと)のバン、草木が伸びているので見難い。ローレル、あまり記憶がない一番記憶が残っているブルバード、ボンネット先端の錆が進んだ感じがする、ゴミは変わってないような
ケハ601(1960年製造)は不遇な車両でした。日本初のステンレス気動車にもかかわらず、総括制御不能かつドアエンジンが搭載されない手動ドアで、早くも1992年には廃車に・・・ケハ601より旧型のキハ11形(旧.国鉄キハ11)が後年まで現役だったのは皮肉です。廃車後は、キハ1103(旧.留萌鉄道)と編成を組んで那珂湊機関区の裏手に放置されていました。キハ1103の解体後も、今なお倉庫として生き残り、腐食も見られず良好な状態なのは、さすがステンレス車体です。(2015.5.27那珂湊機関区
撮影日2024.10.15撮影場所福岡市早良区脇山付近福岡市早良区の奥地、早良高校の近くに貸切及び契約輸送を行っているおかさぎ観光バスが存在します。同社は小規模の事業者ですが、中々濃ゆい車両を保有しており、個人的に注目の事業者です。先日近くを通りかかったら注目の車両、スペースアロー・ユーロツアーを目撃したので紹介します。尚以前同社の車両についてこちらで紹介しています(2019.5.8)。小笠木観光バス西工90MCC型1084号車(廃車)|303-10
撮影日2024.9.7撮影場所国東バスターミナル※立ち入り可能場所から撮影10月1日に運行休止した大分交通の看板路線、「国大線」乗車の際に訪問した、国東半島の主要拠点・国東バスターミナルの紹介です。国東市の中心部にあり、訪問時点では「国大線」を運行する大分交通と、子会社の国東観光バスの営業所が設けられていました(国東観光バスの本社は杵築)。今回はこの国東バスターミナルを紹介します。尚、6年前にも訪問しており記事にしていますが、中々個性的な古参車
先日、新潟交通クハ37の画像を見て気づいたのですが、2枚窓の前面が鹿島鉄道キハ410形にソックリです。ともに出自が国鉄キハ04形なので、ある程度は似るにしてもHゴムの2枚窓のバランスが絶妙です。1987年に石岡機関区を訪れた際、キハ410形は運用を終えて奥の側線に留置していました。その後、2両とも小美玉市内の保育園で別々に保存。鹿島鉄道を訪問した際、常陸小川駅で無料レンタルサイクルを借りて、2ヶ所の保育園を探しました。スマホの無い時代でしたので、コンビニで立読みした地図の記憶を頼りに何と
以前いにしえの車体メーカー、東浦自工の現存すると思われる廃車体を取り上げたが・・↓↓『東浦(とううら)自工製のバス』「東浦自工」と聞いても近畿地方のバスファン以外では馴染みのない方が多いのかもしれない。近畿圏では1960年代では割と名の知れたコーチビルダーであった。かくいう…ameblo.jp今般、フォロワーのodori-ko様が神奈川バス資料保存会発行の「東浦・安全車体製のバス」の本を購入された、とお知らせ頂いたので、お借りして拝見した。さすがに世代的に1960年代の個体はメーカ