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三重県中勢部──鈴鹿川左岸に広がる広大な台地上に造営された伊勢国分寺。伊勢国分寺は、30回を超える発掘調査により寺院跡の遺構が概ね判明し、現在歴史公園として整備されているほか、併設された鈴鹿市考古博物館と合わせて、この地域の古代史を学ぶうえで絶好のスポットになっています。今回は伊勢国分寺とその周辺の古代寺院跡を訪ねます。では、レッツラゴー!伊勢国分寺跡全景。歴史公園として整備されていますプロローグ:伊勢国分寺に塔は存在したのか!?国分寺と言えば「七重塔」。史
奈良時代の演芸場──都では、「伊勢国分寺に塔があるのかどうか」をネタにした漫才が大人気のようである。☝服の色が逆ですが、たぶん気のせいです鈴鹿山脈を背景にした広大な伊勢国分寺跡──果たして塔はあったのか?
現在の古代寺院研究においては、瓦を極めることがメインストリームであるらしい。かつては古文献を丹念に読み解く手法が主流だったが、近年では「語ってはいるが歪められているかもしれない文献」よりも、「語りはしないが嘘もつかない出土遺物」の研究のほうが重視されているという。古代瓦の展示(東京国立博物館)軒丸瓦AとBは同じ文様である。したがって両者には何らかの関係がある!──なるほど、なるほど....で?詳細に観察すると瓦BにはAには無い傷がある。よってAの方が古いものだ!──たし
昭和四十年代──成長という名の熱狂に支配されていた日本列島山は喰われ、谷は埋められ、田畑はアスファルトの海に沈む掘って盛ればカネになる時代──しかし地中には、もう一つの利権が眠っていた補助金の獲得、学説の主導権争い、そして何よりも「旨味のある発掘現場」の争奪好事家に闇ルートで高額で取引される古代瓦──表向き考古学研究を担う県内の3団体。しかし、彼らの本当の顔とは──今、三つ巴の欲望が水面下で静かに火を噴こうとしている……【登場人物】日乃イズル:県立考古学研究
幕末期(慶應2年と推定される)に大和の藤原山法貴寺が発行した銀壱匁にはとても興味深いもの(行程)が見られます。この法貴寺札、引替所として3名の人物が知られており、式下郡法貴寺村の松田甚治郎、同じく法貴寺村の松田民治、そして葛下郡岡崎村の嶋越與右衛門となります。いずれもそれぞれ地域の庄屋、もしくは有力商人だったと思われますが、今回の「現象」はその全ての引替札に見られることでもあるのです。①「藤原山法貴寺御臺所(御賄方)」②「藤原山法貴寺臺所(御賄方)」まずは
まるでAIで描いたかのような、このあでやかな姿。どこの寺院かわかりますか?実はこれ、平等院鳳凰堂。見慣れた正面ではなく、西側から眺めるとこんな表情を見せるのですね。西陽を浴びて朱塗りの柱がくっきりと今回の目的地はこの鳳凰堂……ではなく、同じ宇治市内にある古代寺院跡。では、レッツラゴー!大鳳寺跡たいほうじあと京都府宇治市菟道西中訪問オススメ度★平等院から北へ出て県道をそのまま北上。三室戸橋交差点から脇道に入り、住宅が建ち並ぶ丘陵地の曲がりくねった細道をしばらく進む
刃物のまちとして知られる岐阜県関市──北から流れてくる清流・長良川が池尻山の裾野で西へ大きく流れを変える場所にある「弥勒寺官衙遺跡群」。今回は、〔中篇〕でご紹介した弥勒寺跡以外の遺跡を巡ります。ではレッツラゴー!弥勒寺官衙遺跡群遠望古代の郡役所跡〜弥勒寺官衙遺跡弥勒寺跡から東に向かって歩いていくと、一段低い場所に大きな広場があります。ここが古代武儀郡[むぎぐん]の役場(郡衙)の跡。この一帯は弥勒寺官衙東遺跡と呼称され、郡庁や倉庫などの郡衙の施設がほとんどすべて把握さ
刃物のまちとして知られる岐阜県関市──北から流れてくる清流・長良川が池尻山の裾野で西へ大きく流れを変えるその内側は、川と山に挟まれたいわば天然の要害。古代の寺院跡と役所跡が並んで残るこの地は古くから栄えた地域の中心地だったのです。〔前篇〕では、岐阜県関市の弥勒寺と円空の関係を創作民話を交えてご紹介しました。今回の〔中篇〕と次の〔後篇〕では、古代弥勒寺を中心とした「弥勒寺官衙遺跡群」を訪ねます。起点となるのは長良川鉄道・関駅です。ではレッツラゴー!旧国鉄時代の雰囲気をよくとどめてい
[[骨寺(岩手県一関市)の由来は?]]岩手県の一関市のとある場所に「骨寺村」という名前の村があります。その村にある絵図には「骨寺跡」「骨寺堂跡」という文字と、建物の礎石のような図像が描かれています。かつてそこにあったのは「骨寺」という寺で、鎌倉時代の後期には廃寺となってしまった村です。骨寺では当時、亡くなった人の骨の一部を特定の聖地に納める風習である「分骨」という儀式が行われていました。一説によると、骨寺は地元の亡くなった人に対して「分骨」を執り行っていた場所なのではないか、といわれ
「滝清水観音堂」国道257号線沿い。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)引佐町伊平1687-2の南)駐車場なし。トイレ・自販機なし。“伊平湧水汲場”より600mほど南の川沿いにかつて「清水寺」があったことは知っていました。ある時道路沿いにチラッと昔の鳥居が見えることに気付き「清水寺に関連するものが残っている!」と喜んだのですがGoogleマップにちゃんと出ていた…。結構立派な石像が据えられています。この場所は
昔、むかしのことじゃった──山あいの大きな川がぐうっと曲がるところに、立派なお寺があったんじゃ※この話は、岐阜県関市の弥勒寺跡を題材にした創作民話です。このお寺は弥勒さまを御本尊にしておってな、そのとなりにはお上の役所の建物がずらりと並び、大勢の役人が早朝から働いておったその役人の一人に、世伎足[せきたり]という若者がおった世伎足はたいそうまじめな男でな、朝いちばんに出勤し、皆が帰ったあとも、ただ一人仕事を続けておったところで、世伎足にはひそかな楽しみがあったんじゃ仕事の合
①今日は、5月17日。先月9日、お仕事でお出かけした先は、県立美術館。そのそばにあったのが、大御堂廃寺の史跡です。②建物はありません。③県立美術館の敷地を飲み込む勢いの史跡です。④このような建物が建っていたようです。⑤⑥倉吉市は、伯耆国の国府が置かれた地です。首都だったので、結構立派な建物が揃っていたようです。⑦今日は快晴。もちろん、散歩しました\(^o^)/でも、汗だくになりました。夏日なので。もしかして、真夏日
2025年の元日──その年の初詣は、前々から気になっていた熱田神宮の前身ともされる氷上姉子神社[ひかみあねごじんじゃ]へ行くことにしました。そのついでに、近くにある西大高廃寺にも立ち寄ることに。先に書いておくと、西大高廃寺の現地に何も残っていないことは承知の上。とはいえ、起伏に富んだ立地場所はハイジストとして気になるところだったのです。今回はお正月の風情を楽しみながらの訪問記。ではレッツラゴー!大高城跡からのぞむ西大高廃寺のある丘陵地西大高廃寺にしおおだかはいじ
≪本尊は如意輪観音菩薩、豪徳寺の末寺でもある、曹洞宗・「善養院」!≫曹洞宗・善養院にやって来ました。山号:家岳山正式名:家岳山善養院家獄善養庵主が開基、明壺麟鏡が開山となり創建、明治維新の際に一旦廃寺となったものの再興したといいます。本尊は如意輪観音菩薩、豪徳寺の末寺である。住所:東京都世田谷区新町2丁目5-12山門から中を見ましょう。世田谷二十番観世音霊場曹洞禅宗善養院石碑神(仏)が向かえ
イズルが帰省先から戻ってきた。どこか浮かない顔をしている。【登場人物】日乃イズル:県立考古学研究所N市分室古代寺院調査員。妄想癖がある常呂アーデルハイト:日乃の同僚。母は関西系ドイツ人。愛称はハイジ「あ、おかえりイズルくん。この間はありがとう。<ソノノソセキ>はどうやった?」「それが......見れなかったんです....」「見れなかった?なんで?」「近くまでは行くには行ったのですが....近寄れなかったんです」「どないしてん?“瀬戸の不思議な石”を見てから帰ってく
2024.11.30たまたま前を通ったら紅葉がきれいだったので寄ってみました。①②③④天樹院墓所(毛利輝元墓所)この場所はかつて毛利輝元が晩年を過ごした隠居所があった場所で、天樹院とは毛利輝元の諡号のことです。毛利輝元とその妻、家臣の長井治郎左衛門の墓石があり、かつてはこの場所に毛利家の菩提寺がありましたが、1869年(明治2年)に廃寺となりました。
イズルが帰省ついでに立ち寄ろうとした岐阜・御嵩町[みたけちょう]の古代寺院跡にハイジも同行することになった。名鉄電車で向かう途中──【登場人物】日乃イズル:県立考古学研究所N市分室古代寺院調査員。妄想癖がある常呂アーデルハイト:日乃の同僚。母は関西系ドイツ人。愛称はハイジ「ハイジさん、いいんですか?がっかりするかもしれませんよ」「ええって。中央の遺跡だけでなく、地方にこそ重要な鍵が眠っているかもしれんいうのが、お師匠さんがよく言うてはったことや」う「もうすぐ終点の御嵩駅
今回は『古代寺院〜新たに見えてきた生活と文化』(岩波書店)の紹介です。古代寺院/吉村武彦,吉川真司,川尻秋生|シリーズ古代史をひらく-岩波書店古代日本の社会・国家・文化を考えるための歴史情報の宝庫である寺院.その実像に多角的に光を当てる.吉村武彦編www.iwanami.co.jpインターネットのおかげで、私のような素人でも、これまで手が届かなかった情報をピンポイントで拾える便利な時代になりました。ただその反面、知識がどうしても“つまみ食い”になりがちで、全体
河原町今出川の交差点の再開地の前まで来た。廃寺とパチンコKING、商業ビル住宅があった場所。地権者が別れているようで、二つの開発がされるようだ。大原記念病院移転予定地。ここは住居兼商業ビルこちら側はドナルドマクドナルドハウス。4か国語。。。かなり広大・・・・
名古屋市の南東部を占める緑区。その主要駅の一つが名鉄鳴海駅です。私が子供の頃はまだ地上駅。検車区が併設されており、駅に近づくと留置車両が見えて、ちょっとした興奮スポットになっていました。今回は、そんな子供の頃の思い出の鳴海駅の北にある鳴海廃寺に行ってみます。ではレッツラゴー!鳴海廃寺なるみはいじ愛知県名古屋市緑区鳴海町訪問オススメ度★鳴海駅は2006年に高架線が開通し、今では高架上から東西方向へ延びる丘陵地が横たわっている様子がよくわかります。この丘陵の頂部に位置するの
学会の全国大会の案内通知が届いた。どちらが出張するかでイズルとハイジが揉めている。【登場人物】日乃イズル:県立考古学研究所N市分室古代寺院調査員。妄想癖がある常呂アーデルハイト:日乃の同僚。母は関西系ドイツ人。愛称はハイジ「仕方ない。こうなったら試合ではっきりさせましょう」「なんや試合て。モメゴト解決の王道は麻雀だが?」「違います。“古代豪族の名前のカッコよさ”を団体戦で競いましょう」「ほお?わざわざ持ち掛けてくるくらいやから、ある程度ネタは仕込んでいるんやろ。ま、ええわ。そ
以前、京都市北部の古代寺院巡りを2日かけて行いました。『京都市北部の廃寺巡り(前篇)~ひな壇上の堂塔・周山廃寺』これまで飛鳥・藤原京や平城京の古代寺院はだいたい巡ったつもりなのですが、ふと平安遷都前に存在していた京都市内の古代寺院はどうだったのだろう───と気になって調…ameblo.jpその際に少し困ったのが宿泊先。当時はインバウンド需要が高く、京都市内のホテルは軒並み高価格でした。宿は「寝られればよい」という主義の私は、いっそ亀岡市まで移動して安価な宿に泊まり、翌朝に京都市
岩手県紫波町にある「高清寺」は、一般的には高水寺(こうすいじ)の書き間違い、あるいはその歴史に関連する寺院を指している可能性が高いです。現在、高水寺そのものは廃寺となっており、その跡地は高水寺遺跡として整備されています。高水寺(こうすいじ)の概要歴史:768年(神護景雲2年)に称徳天皇の勅願によって創建されたと伝えられる古刹です。高水寺城:中世には、足利氏の一門である斯波氏(しばし)がこの寺の周辺に居城を築き、「高水寺城」と呼ばれました。現状:江戸時代の寛永年間(1624年〜1
舒明天皇の頃、大王家の威信をかけた官立の百済大寺の建設現場事務所──【登場人物】瓦工房長:百済大寺の瓦工事の責任者その部下:工房長配下で現場を仕切る「工房長殿、本当ですか?百済大寺の造営を中止するって」「ああ。今朝、造寺長官殿から聞いた。九重の宝塔の不等沈下による傾斜は修復不可能との結論になったそうだ」「やはりそうでしたか。わが国の土地は、大陸や半島ほどには強固ではなかったということですか」「場所によるだろうがな。なにせ地面の下のことだ。事前に調べるにしても限度がある」百
「久米寺の枝垂れ」信州の櫻2026Vol.8飯田市久米894「久米寺(きゅうめいじ)の枝垂れ」は樹齢300年の1本桜です。廃寺跡に残された1本の枝垂れ桜は、一段高い丘の上に立っています。以前は土蔵が立っていましたが今は取り壊されたようです。建物は無くなっても、櫻の樹は残されて地元の人々の愛情を感じますね。この樹齢でも自立している元気な樹です。20260402撮影Peacebewithyou!(平和がありま
ある日の研究所分室──古代の仏塔の姿が話題のようである。【登場人物】日乃イズル:県立考古学研究所N市分室古代寺院調査員。妄想癖がある常呂アーデルハイト:日乃の同僚。母が関西系ドイツ人。愛称はハイジ「ハイジさん、長谷寺に伝わる<銅板法華説相図>に描かれた仏塔、日本ではあまり馴染みのない形状ですね」「なんやヤブから棒に」「銅板法華説相図(部分)」wikimediaより『実はリアルな宇宙船?~本長谷寺の銅板法華説相図』いつの頃か──ある山中で釈迦が大勢の修行僧に法華経を
ゆの里ちかくにある神野々廃寺に行きました。ゆの里・銅水にゆかりの水がありました。ゆの里で販売されている『このの三水』と縁のある場所だそうです。
いつの頃か──ある山中で釈迦が大勢の修行僧に法華経を説法している。すると、地響きとともに巨大な宝塔が出現──中から宝塔如来の「善きかな、善きかな」との大音声が響き渡った。【登場人物】梵天:ここでは釈迦如来の付き人毘沙門天:ここでは宝塔如来の付き人「これまたど派手な登場されましたなあ、毘沙門さん。ご無沙汰してました」「梵さん、おひさしゅう。おかげさんで、今回も無事到着できましたわ」「あちこち出向かなあかんので大変ですなあ」「ええ、宝塔さまはお釈迦さまが法華経をご説法
廃寺と言っても何方かが管理されているのでしょう、荒れ果てた感じはありません。奥に墓地もあります。どのような経緯があったのか。再掲になりますが、北吉井のビャクシンの説明板に記載があります。廃仏毀釈の関係なのでしょうか。修験道系のお寺だったのかな?詳細は不明です。この後、訪ねる「金毘羅寺」と「惣河内神社」のことと併せて、思うところがありました。