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言わずと知れた日本最大の湖、琵琶湖──その周辺には結構な数の古代寺院が点在していますが、特に湖の東側の米原市から長浜市にかけてはかなりの密度となっています。今回はその中でも米原市内に残る寺院跡に絞って訪ねてみようと思います。訪問時はご覧のとおりの曇天。琵琶湖を挟んだ対岸の比良山地も雪化粧米原といえば古くから交通の要衝として栄えた地。現在では米原駅で繰り広げられる列車乗り換えのための「米原ダッシュ」でも知られていますね。私は子供の頃、祖父母の住んでいた北陸方面に行くときに、1)米原駅での方
許麻神社の創立は不詳ですが、「延喜式」神名帳にその名があり1100年以前より存在していた由緒ある神社です。かつて、許麻神社には「久宝寺観音院」という宮寺がありました。聖徳太子が建立した「久宝寺」が、戦国時代の兵火によって焼失すると寺僧によって助け出された本尊十一面観音が、めぐりめぐって許麻神社へと移されました。1677年に再興されることとなった「久宝寺観音院」ですが明治初年、ふたたび神仏分離令によって廃寺となり十一面観音は現在、久宝寺町にある念仏寺で安置されています。写
2024年の秋に紀ノ川流域の古代寺院を巡る旅をしましたが、その後にオープンしたのが今回ご紹介する和歌山県橋本市の郷土資料館。『紀ノ川流域の古代寺院(5)~佐野寺跡・名古曽廃寺・神野々廃寺』和歌山県北部を東西に流れる紀ノ川沿いの古代寺院を巡る旅も佳境に入ってきました。今回は、かつらぎ町と橋本市の古代寺院を訪問します。では、レッツラゴー!【第九…ameblo.jp※最初の佐野寺跡はお隣のかつらぎ町です1年後の2025年秋に続編として和歌山県西部沿岸の古代寺院巡りをした際に、気にな
和歌山県西部沿岸にある古代寺院を訪ねる旅、2日目の後半は「安珍と清姫伝説」で超絶有名な道成寺を訪ねます。ではレッツラゴー!紀伊新庄駅から道成寺駅まで車窓を堪能道成寺(どうじょうじ)国指定史跡(境内)和歌山県日高郡日高川町鐘巻訪問オススメ度★★★伝説に彩られた道成寺ですが、ここはれっきとした古代寺院跡でもあるのです。境内の発掘調査結果によると、堂塔の配置は塔が東、金堂が西に配置される法起寺式。厳密には金堂は塔と向き合うように配置される観世音寺式の伽藍です。階段を登った
和歌山県西部沿岸にある古代寺院を訪ねる旅、2日目は熊野参詣道の玄関口である田辺市からスタートです。実は田辺市には2020年秋、中辺路を歩くために一度来たことがあります(思い出話)。その時はバスで滝尻王子まで行き、そこから熊野古道を1泊2日かけて歩いて熊野本宮大社まで行くという行程。本宮からは再びバスに乗って新宮で1泊し、翌朝帰途につくというものでした。当時は廃寺巡りに入れ込んでいなかったので、三栖廃寺のことは全然知らなかったなあ。滝尻王子に設置された世界遺産の石碑こんな道を歩いてい
前回はこちら書写山圓教寺の後、ロープウェイ山上駅に戻り、書写山ロープウェイで下山した後、歩いて姫路市書写の里・美術工芸館に行きました。姫路市書写の里・美術工芸館が見えてきました。当日は、秋季特別展「昭和の歴史的プラモデル松井康真の世界」の開催中でした。姫路市書写の里・美術工芸館のご案内です。道祖神です。道祖神の説明板です。やきものの小路の石碑です。山本鐘太の説明板です。姫路市書写の里・美術工芸館です。姫路市書写の里・美術工芸館の入口です。多田廃寺姥ヶ懐古墓出土鴟
2024年の秋、以前から考えていた和歌山県の紀ノ川流域の古代寺院巡りをしました。当時の記事はこちら。『紀ノ川流域の古代寺院(1)~初日は土砂降り』2023年秋、和歌山県立紀伊風土記の丘で『律令国家成立前夜』をテーマにした企画展が開催されました。『紀伊風土記の丘『律令国家成立前夜』2023年秋期特別展』…ameblo.jpその際、気にはなっていましたが見送ってしまったのが、紀ノ川河口から紀伊田辺にかけて点在する古代寺院。時間がなかったのとテーマである「紀ノ川流域」から少し外れてしまうか
しばらく休んでいましたが、しれっと再開します。少し前に三重県志摩市の志摩国分寺に行ってきました。ここはほかの国分寺と違って奈良時代の遺構が特に残されているわけではなく、ハイジストとしてはそれほどの魅力はなかったのですが、わざわざ出かけた理由はこれ。ポリゴンモデルのような独特の前面形状そう、近鉄が誇る観光特急<しまかぜ>乗車のためです。観光特急しまかぜ|近畿日本鉄道近鉄の観光特急しまかぜで、最高級のくつろぎとともに、伊勢志摩へ。車内のご案内を始め、運行情報や特急券のご予約・ご購入方
・海蔵院跡へ。こちらも鹿児島県日置市にある名所旧跡・史跡。サイトによると真言宗の寺院で、・応永5年(1398)に創建。伊作郷最大寺院であったとのこと。願成就寺海蔵院は明治初期に廃寺に。・島津忠良(日新公)は7歳から15歳までこの当院8代住職としての教育を受けていたそう。・鳥居から山道がまっすぐ伸びていて、その途中に海蔵院跡の碑が立っているという位置関係。・寺院跡の入口付近には仁王像があり、鳥居には「明治十年(1877年)」と刻字されていました。・さらに奥へ向かうと南方神社(みなかた
やっぱりやられてたどうすんのコレ廃寺のモスク化ヨーロッパではコレをやられてるらしい高市さんなんとかしてくださいhttps://t.co/FqrHiLLJJ1—Evilakadamn-t(@DiamonT194244)2025年12月4日
さて冬支度もほぼ終了となり・・・シーマもダーダッシュ村での生活を終え、ダーダッシュ国へ帰ることになりましたダーダッシュ村での、今年最後の散歩を楽しむシーマ今年の5月に不耕作となった我が家の田にイノシシ除けのネットを設置したんだけど田んぼを守るためにその1|littlehouseinthemountains其の後どうなったのか見に行ってきました防草シートのお陰でネットに絡みつく草は無くイノシシ除けのネットが役目を果たしたようで、田んぼに侵
つP原観音堂(はらかんのんどう)高林山京宗時(こうりんさんきょうそうじ)趾(あと)(駒ヶ根市中沢原)原観音堂を訪ねる伊那諏訪八十ハ霊場の第67番札所の高林山京宗寺の趾で有る事を知る(昭和18年廃寺)元禄時代の建立で椿も元禄時代に植えられたとの説明板有り椿の咲く頃訪ねてみるのもいいかも石仏石像が左右に有る道の先の階段を登った所に御堂と観世音菩薩像が有りなお御札集印は桃源院で受付ているようです
偶像崇拝と言われようと手を合わせて拝む何かが欲しい。何もないと、その存在を証明することも難しいものを信じることが不安になる。だから人は、目に見えて、そこに確かにあるものに手を合わせ、そして祈る。静岡市歴史博物館「しずおかの古仏たち」にて
徳山ダムへの道の途中、ここ藤橋城にきて対岸の旧東杉原地区等を散策しどんどん橋を渡って藤橋城に戻ってきました。この鶴見区や東杉原地区の一帯、周囲の山々は見ごろの紅葉が広がる景色を見ることが出来ました。藤橋城のある鶴見区も旧東杉原地区と同じように徳山ダムへ、杉原ダムの建設に伴い藤橋村立村整備事業によって移住を余儀なくされ、全戸移住が決まり昭和56年に次々と各地に移住した。尚藤橋歴史民俗資料館が藤橋城西側にありますが、ここは両集落の家につたわる多くの文化財を展示してあります。又茅葺民家は両集
関西人は反応してしまいます。アカンアカン(苦笑)おめこ祭り(笑)ちゃかしたらあきませんので!調べました。「おめこまつり」とは、毎年11月第2土曜日とその翌日にかけ、顕本法華宗の寺院である茨城県神栖市の恵日山長照寺にて行われる祭事。正式名称は「日蓮聖人御会式(おえしき)名前の由来?日蓮の命日に夜と昼の2回にわたり開かれた、法華経を読み題目を唱える法要として、古くは「御命日講」と呼称。これが「おめいこう」を経て「おめこ」に転訛したものと見られる。※関西地方における女性器の俗称とは字面が同じだけ
この前、廃寺の庭で紫陽花が咲いているのを見つけました。今日、うちの庭のプラムの木に、花が二輪咲いているのを発見。今年の暑すぎた夏や、突然の冬の到来で、植物も、訳が分からなくなっているのかもしれません。
こんにちは♪土曜日の志布志巡り次は宝満寺公園宝満寺跡にとても雰囲気たっぷりなところ〜奈良時代に建立された宝満寺志布志麓の寺として麓の武士の信仰をあつめていた水の音が聞こえる湧水なのか〜とてもきれいな澄んだ水池の中にお地蔵さん〜鯉がすっーと泳いできた🐟明治の廃仏毀釈により廃寺となった宝満寺石橋を渡って崩れる危険があるので立ち入り禁止のところが多い歩いていると足もとでざわざわごそごそ音がする😵何〜見つけた〜😌このサワガニ🦀は赤いからよくわかった〜何匹もいた🦀何かわか
皆さん、おはようございます。今日もお忙しい中、ブログにお越しいただきましてありがとうございます。今日は狭山三十三観音霊場の第14番・福聚山寶珠禅寺です。東京都東村山市廻田町にある臨済宗建長寺派で如意輪観音さまがお祀りされています。廃寺になったお寺を第13番・正福寺の末寺として受け入れる形になったとされています。太陽の明るさが暖かく感じられるお詣りになりました。今日も皆さんが心穏やかにお元気でお過
走湯神社の隣り合わせの清水寺は東国88カ所霊場。7番になります。紫波町二日町字向山171高水寺遺跡こうすいじいせき二日町の東部、城山の北西麓に位置した古刹。寛永年間(1624年~44年)盛岡城下に移され、明治初年廃寺となりました。神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)称徳(しょうとく)天皇の勅願によって創建されたと伝えられます。
通勤で通る、廃寺の庭に、アジサイが、ひとつだけ、美しく咲いてます。
みなさんこんばんは~(^_^)最近よく出歩いています、しかし今日は昼からダウンです、そろそろ雨だとわかりました堺市の港にいる龍神関係はあるのかないのか?龍神堂です1835年(天保6年)に善法寺の敷地に創建された明治時代の廃仏毀釈により、善法寺は廃寺廃寺の跡地に、社交クラブの旭館が建てられ、敷地内に龍神堂が残っていたそうですそして祭神は白龍大神、白長龍王、八王大龍神、豊龍大神ということです白長龍王のご神体はこの石ですこれだけりゅを集めるのは大変ですね一番奧に延命地
いつも本ブログをご覧いただきありがとうございます。今回はお知らせです。最近わたしは別の作業(廃寺とは無関係)に力を入れているため、しばらく本ブログの更新はお休みさせていただきます。廃寺に飽きたとか、ネタが底をついたわけでは決してなく(笑)、今やっている作業が落ち着いたら改めて古代寺院をご紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(2025.12.28再開しました)最近訪れた山梨県笛吹市の寺本廃寺巨大な塔心礎。伽藍は東側に塔を配置する法起寺式です近
2016年01月28日祇王寺(ウィキペディアから)元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、『平家物語』には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。苔の庭でも知られる。後略。
柳澤かつ子さん、92才。久しぶりにお会いできましたー。飯田市には彰本寺という本門佛立宗のお寺がありました。残念ながら廃寺となってしまいました。柳澤さんのご主人は家にいるよりもお寺にいる方が長かったというほど法城護持に励まれていた方だったそうです。お寺がなくなってしまった悲しみや寂しさの中、横浜まで来られたのが16年前、2009年10月1日。かつ子さんと秀子さん、飯田の法灯を守ってくださった大功労者です。飯田市でご奉公させていただけているのはお二人のおかげです。一日一日を大切に、今生人界のお
礼起音(あきお)です本日9月21日をもちまして廃寺致しました!108年間誠にありがとうございました!!南無柳谷観音名古屋愛柳講院
カラスの壺弥勒如来の次に出会ったのは、カラスの壺でした・・・・・・写真1~3(↓):当尾の石仏の道谷間に大きな岩と1本の木が見えますが、どこかにねむの木と書いてあるのを見たような記憶がありますが、もしそうだったら花の時期にここで昼寝をしたら、いい白昼夢を見られそうだなあ・・・この開けた谷間には、何かが建っていたのだろうか・・・写真4~6(↓):唐臼(カラス)の壺カラスの水飲み場かと思っていたら、唐臼(からうす)のことだった
礼起音(あきお)です😊明日が当講院、最後の21日縁日です!108年あまりの最後の縁日!!明日は天気みたいですねお気をつけてお越しください
礼起音(あきお)です!令和7年9月21日(日)をもちまして廃寺させて頂きます!!9月21日(日)縁日までよろしくお願いします
9月に入っても暑い夏が終わらない日々か続いている昨日、午前中は「歴史講座」の開催でしたので午後から「紅葉」で人気の有る「鶏足寺」に行って来ました🚙関ヶ原から高速道路で小谷スマートICで降りてナビガイドの指示通り車を走らせました。「鶏足寺」は廃寺となっている様で、専用の駐車場は無い様です。ナビでは石道寺の🅿️から少し歩く様です。紅葉の時期は臨時駐車場が幾つか出来る様ですが、この時期はWEBで検索しても出で来ないので仕方無くナビの案内に任せました。■Mapで検索すると↓こんな感じ!細い道
「わかりました」「ありがとうございます」ペコリと、アキとショータはオジサンに頭を下げる。「役に立てたなら…よかったよ」初めてオジサンは、にこやかに笑う。「で、悪いがそのツボ…返してもらってもいいかな?」つぃっと、オジサンはアキにそのツボを指し示した。「あっ、はい…」(なんだ、このツボ…やっぱりオジサンの?)拍子抜けした気分だったけれど…ショータがアキに向かってうなづくので、素直にツボを渡す。無言でツボを受け取ると、「じゃ」と背を向けるので、アキは思わず「待って」と声