ブログ記事550件
こんばんは、白黒茶々です。初秋のある日に、またしても私は新たな散策地を求めて、GoogleEarthで地図旅行をしていました。🔍️なにげなく、現在は磐田市に組み込まれている旧豊岡村のあたりを探っていったら、私の好きな(?)廃校や廃線、廃寺などが続々と見つかりました。😃そこは、なんて魅力的な地域なのでしょうか❗️気になりだしたら、止まりません。😆そうだ、今度の休日は旧豊岡村を訪れましょう❗️もちろん、波と狛にも付き合ってもらいますよ♪………と話はトントン拍子に進んでいき、私にとって
②赤岩尾根分岐から三輪峠へョレョレ徘徊編鉄塔の先へ山道徘徊為て行くと、右手の稜線上に不思議な石積みを発見。散乱か露出石材か道迷いしないうちに、山道へ戻りましょう。(^_-)先程覗いた鉄塔の先はこんな山道が続いていました。何で石材を積み上げてあるのでしょうか不思議な処へ出ました。何処へ続くんでしょうか道迷いしないうちに、自然歩道へ戻って、霊屋の峰へ徘徊です。ガレ岩場を抜けて、
奈良教育大学(奈教)は、奈良市の中心街から南東方向の高畑町にある国立大学。古代寺院とはあまり関係なさそうですが、実はキャンパスのかなりの部分が新薬師寺の旧境内地だったのです。奈教こと奈良教育大学の正門残念ながら、その痕跡は現在ほとんど残っていませんが、キャンパス内には、発掘調査で明らかになった新薬師寺の遺構や出土品を展示する「教育資料館」があるのです。ということで、今回のターゲットは奈良教育大学。では、レッツラゴー!新薬師寺しんやくしじ奈良県奈良市高畑町訪問オスス
https://ameblo.jp/bangaifudasho/entry-12977324238.html『龍角寺』天竺山寂光院龍角寺千葉県印旛郡栄町龍角寺239天台宗、関東三龍寺御本尊:薬師如来(重文)龍角寺は関東最古の創建寺院とみられています。これは、佐倉市…ameblo.jp龍角寺でも紹介した山王廃寺、関東最古級寺院の趾です日枝神社(旧・放光寺<山王廃寺>→昌楽寺)群馬県前橋市総社町総社2408元天台宗寺院
木曽川によって形作られた広大な平野が広がる愛知県の西部、その名も愛西市[あいさいし]には古代寺院跡が二つ存在しています。今回はそのひとつ、界隈では知名度の高い渕高廃寺をご案内します。ではレッツラゴー!渕高廃寺ふちだかはいじ愛知県愛西市渕高町訪問オススメ度─起点は名鉄尾西線の渕高駅。無人の駅を降りると線路の東側は集落が形成されており、西側は平坦な耕作地が広がっています。古代寺院跡は集落地内にあるのかと思いきや、反対側の田んぼの中に眠っていました。渕高廃寺付近の様子
「時の鐘」が見えてきました。言わずと知れた川越のシンボルです。寛永年間(1624年~1644年)に川越藩主酒井忠勝が建設しました。現在の鐘楼は4代目で、明治26年の川越大火の翌年に再建されたものです。鐘楼をくぐった奥に、お堂のようなものが見えます。さあ、中へ入ってみましょう。時の鐘の奥は、薬師神社でした。いかにも神仏習合な感じです。元は薬師堂で、ご本尊さまは、行基作と伝わる薬師如来です。その後、瑞光山医王院常蓮寺という天台宗のお寺となり神仏分離によって、薬師神社と
今回は「金剛山地・東山麓の古代寺院」シリーズで多用したAIによる描画関連の雑談です。古代寺院跡の遺構や発掘調査の図を見て、実際の伽藍の様子を妄想するのがハイジストの楽しみのひとつ。この妄想を実際に描画してくれるのがAIさんです。しかし、古代寺院のイメージ図をAIさんに描画してもらう場合、プロンプトで一から説明するのはひと苦労。しかも出来上がった図はまったく使えないことがかなりある。AIさん曰く「理系的な作図はまだ苦手」とのこと。たとえば加守廃寺の長六角堂の描画はごらんのありさま
金剛山地・東山麓の古代寺院跡シリーズ、第8回の今回で最終回です。最後は金剛山麓から少し離れた巨勢寺跡です。実はここも東面する法隆寺式伽藍。「東面伽藍」がサブテーマになってしまった本シリーズを締めくくるにふさわしい寺院跡になるでしょう。では、レッツラゴー!巨勢寺塔跡へ向かう小道【第八番】巨勢寺跡こせでらあと国指定史跡奈良県御所市鴨神訪問オススメ度★★実は巨勢寺跡は、本ブログを書き始めるときに行った飛鳥・藤原京の古代寺院巡りで一番最初に訪れた場所。その時
昔むかしのことじゃった――大和国の南、葛城の山中に鬼の夫婦が住んでおった※この話は高宮廃寺を題材にした創作民話です。この鬼どもは、時おり里へ下りてきては、悪さを働く畑を荒らす、家財を盗む──村人たちはたいそう困っておったじゃが相手は鬼じゃ、村人にはどうすることもできん鬼どもが好き放題するのを、ただ物陰から隠れて見ているほかなかったんじゃそんなある日のこと――村に、役行者という、たいそう霊力のある御方がおいでになった――すまんが、水を一杯いただけんかの村人たちは、
あまり長々と歴史話をすると老害って言われるので・・・一昔前はなんでここにこんな大きな門だけ残っているのかとよく聞かれました。江戸時代はここに広大な大寺院「三聖寺(さんしょうじ)」がそびえていたのですが神仏分離~廃仏毀釈の影響から廃寺になりました。。この両側には非常に豪快な金剛力士像が存在しましたがこれも昭和30年代の台風の影響からとあるところに格納されています。いよいよ秋ですね猛暑に強い楓なので晩秋にはきれいに染まる事と思います。
金剛山地・東山麓の古代寺院跡を巡るシリーズ、第6回は、前回の二光寺廃寺から谷筋を越えて南へ600mほどの朝妻廃寺です。この寺院は聖徳太子建立七大寺のひとつ、葛木寺の候補地であり、渡来系氏族である朝妻氏との関連も指摘されています。そしてここには、これまでの場所ではお目にかからなかったアレがありましたよ!金剛の山並みでは、レッツラゴー!【第六番】朝妻廃寺あさづまはいじ奈良県御所市朝妻訪問オススメ度★朝妻廃寺は、御所駅から奈良交通のバスに乗り<船路>で下車、
鳥取市滝山集落北側の山腹鎮座する瀧山神社。瀧山神社が鎮座する滝山は、千代川支流の百谷川中流の山間の平地に位置する。地内荒田谷に数十の古墳があり、奥の谷間や浄国寺付近数個の横穴式石室を持つ古墳群がある。瀧山神社は、参道(集落のメインストリート)の突き当りにあるので迷うことはないが、駐車スペースはなく道幅も狭隘。一時的に滝山公民館・滝山ゴミステーションに駐車。集落看板と滝山バス停脇から参道を北上。集落入口から150mほどで参道の状況が一変。緑に包ま
金剛山地・東山麓の古代寺院跡をめぐるシリーズ、今回から葛城市からその南の御所市内の古代寺院跡になります。第5回は二光寺廃寺です。御所[ごせ]という地名は、私はその字面から葛城王朝の王宮があった場所が起源だと勝手に思いこんでいたのですが、どうやらそうではないようです。一説では、この地域を支配していた巨勢氏[こせし]に由来するとのこと。「御所」と「巨勢」では共通する字がありませんが、言われてみれば「ごせ」と「こせ」の音韻はほとんど同じなのですね。今まで気づかなかったので、これは新鮮な驚きでし
以下は、私の祖父がある人物から入手した本の余白に記されていた手記である。家人の話によれば、この手記には続きがあったらしい。しかし元の本では、ページごと破り取られてしまったという。書かれた文にはところどころ判別が難しい文字もあったが、前後の文脈から判断して単語を当てはめて意味がとおるようにした。もっとも全体的に脈絡が通じず矛盾も多々あるが、あえてそのままとした──Ф・Х***私は過ちをおかしていた。とんでもない過ちだ。それは私が病んでいるからだろうか。いや、私は決し
筑波山大御堂茨城県つくば市筑波748延暦元年(782)筑波山中腹に建立坂東三十三観音第25番札所本尊十一面千手観世音菩薩明治初年神仏分離によりいったん廃寺となる100段くらいの石段上から見ると大鐘楼堂御朱印
古代寺院からの出土物は、地元の博物館や歴史民俗資料館などで展示されていることが多いのですが、見逃してはいけないのが「埋蔵文化財センター」などと呼ばれる施設です。大津市埋蔵文化財調査センター。坂道をえっちらおっちら登っていきます埋蔵文化財センターは主に発掘調査や出土品の整理・保存、調査報告書の作成、埋蔵文化財包蔵地の確認などを行う施設で、一般には展示を目的としているわけではありません。しかし、中には発掘調査で出土した遺物などを展示しているところもあり、現地訪問する際の予習には好都合。
金剛山地・東山麓の古代寺院跡をめぐるシリーズ、第4回はこれまでの當麻寺近辺から南下して葛城市南端の地光寺跡です。梅雨空の地光寺跡附近地光寺跡は近接して東西二つの独立した寺院跡があり、便宜上東側が「東遺跡」、西側が「西遺跡」と呼ばれています。ちなみにお隣の御所市には、名称が似ていて紛らわしい「二光寺廃寺」がありますが(私もよく間違える)、その紹介記事は次々回掲載する予定です。この地光寺跡、古文書に「慈光寺」とあり、現地に地名として「地光寺」が残っていることから「地光寺跡」と呼
長野県飯山市は「寺のまち」「雪国の小京都」として有名です。人口17187人の飯山市に、お寺が46軒もあります。そのうち市街地には24軒あり、その「寺巡りスタンプラリー」も人気です。その中の一つ。「明昌寺」というお寺があります。建物は古く、100年の歴史があります。飯山城址公園内にあったものを移転した歴史があります。そのお寺がこのたび、廃業になる(廃寺)になるというのです。私が寺巡りで訪ねたことのあるお寺です。昔、飯山は城下町として栄えた頃は、
元は臨済宗徳源寺というお寺(現在は廃寺)で、柏原藩初代・織田信休が1695年に柏原に移封されたときに、大和宇陀松山から歴代の墓を移し、以後明治まで柏原藩主10代・14代の墓が集められた場所。織田信長1534-1582┗織田信雄1558-1630宇陀松山藩初代┗織田高長1590-1674宇陀松山藩2代┗織田長頼1620-1689宇陀松山藩3代┗織田信武1655-1694宇陀松山藩4代----宇陀騒動にて家臣を殺し自害**織田信休1678-1723丹波国柏原藩の初代藩主(長徳
金剛山地・東山麓の古代寺院をご紹介するシリーズ、第3回は只塚廃寺です。これまでの當麻寺や石光寺と違って、ここは土盛りが残るだけの寺院跡──しかし、ここは見た目と違って、両者に劣らず興味深い遺構なのです。ではレッツラゴー!【第三番】只塚廃寺ただつかはいじ県指定史跡奈良県葛城市染野訪問オススメ度★★只塚廃寺はかつて「首子7号墳」との名称で、長らく周囲に点在する古墳のひとつと思われていました。現在も周囲から盛り上がった墳丘状の形をしており、現地に設けられた案内板
もう神様や仏様に祈れない宗教法人、2040年に3分の1が消滅危機-日本経済新聞https://share.google/Wn67BozdFefHVW3i1まあ、昔から廃神社・廃寺はあるわけでして(遺跡の発掘調査等で『尼寺廃寺跡』とかある、大阪の柏原市には同じ名前の智識寺跡がある)、もうそれは仕方がないことです。神様仏様をそこに勧請したのは「人間」であるわけで、「維持管理」「継続」していくのも人間なわけです。以前の記事にも記しましたが、神様仏様から見ると廃神社・廃寺になっても『痛くも
金剛山地・東山麓の古代寺院をご紹介するシリーズ、2回目となる今回は石光寺です。石光寺と言えば、境内の花や中将姫の印象が強いので、なんとなく優しくて女性的なお寺のように思い浮かべますが、ハイジスト的にはさにあらず。ここは金剛山地・東山麓の古代寺院のなかでもバリッバリの「硬派」なんです。今回は伝説の上澄みを取り除いた、石光寺の「真の姿」に迫ってみたいと思います。(....いいのか?こんなに煽って大丈夫か?引き返すなら今のうちだぞ!笑)ではレッツラゴー!石光寺山門前。石標柱に「
大阪府と奈良県を隔てる金剛山地──二上山や葛城山、金剛山など登山者やハイカーで賑わうこの山地の東山麓は、有名な當麻寺をはじめ、古代寺院が数多く営まれていた地域です。訪問時期はばらばらですが、今回からこのエリアの古代寺院をご紹介していきます。トップバッターは當麻寺です。ではレッツラゴー!東側からみた金剛山地。御所市南部にて【第一番】當麻寺たいまでら奈良県葛城市當麻訪問オススメ度★★★★二上山の東麓にある當麻寺──中将姫とぼたん、それに當
尾久八幡神社のお隣にあります、大林院に参拝です。六地蔵境内に大きな柳の木があります。本堂大林院1643年(寛永20年)に開山された。当時三田にあった功運寺(現・萬昌院功運寺)内に創建された。大林寺の末寺であった。1889年(明治22年)、現在地にあった廃寺「願勝寺」跡地に、旧願勝寺の土地や建物をそのまま継承し、移転した。御朱印
生駒山の麓、遠く奈良の街を見下ろす地に、カワラーの聖地があるという。そこではいにしえの文様を宿した軒丸瓦が神体として祀られ、日々、編年研究の成果と軒丸瓦の拓本をもってその威徳をうかがう者たちが絶えない──古代寺院の資料をあたっていると、よく見かけるのが奈良の帝塚山大学の名前です。とりわけ古代寺院の瓦研究では、おそらくトップクラスの実績。市民講座や動画配信にも積極的で、開かれた研究機関という印象です。今回は、帝塚山大学附属博物館の紹介です。帝塚山大学附属博物館帝塚山大学附属博物館の
関西国際空港の対岸──大阪泉州地域の古代寺院といえば、以前ご紹介した泉南市の国史跡・海会寺跡[かいえじあと]が圧倒的な存在感を発揮しています。回廊に囲まれた海会寺塔跡『あをによし与太劇場・雇用対策だった⁉〜大阪・海会寺の瓦と伽藍』舒明天皇の頃、大王家の威信をかけた官立の百済大寺の建設現場事務所──【登場人物】瓦工房長:百済大寺の瓦工事の責任者その部下:工房長配下で現場を仕切る…ameblo.jpその北東側、市境を越えた泉佐野市に古代寺院が存在することを知ったのは、
こんばんは、白黒茶々です。6月中旬の日曜日の早朝に、私は波と狛を連れて豊橋市の加茂というところに向かいました。🚗豊橋といっても、豊川市に近いその地区には………加茂しょうぶ園があります❗️広大な敷地にたくさんの菖蒲が植えられているのですけど、それらは無料で見学することができるのですよ❗️その存在を私は最近初めて知ったぐらいなので、穴場なのかも知れません。😃それでも、混雑を避けるために早い時間帯に来るようにしました。🌄確かに見渡す限りの菖蒲畑なのですけど、花の咲き具合はまばらでした。🪻
東海地方の古代寺院関連の資料を読んでいると、しばしば目にするのが名古屋市守山区の「小幡廃寺」の名前です。調べてみると想定地はすでに住宅地となっており、遺構などを見学できる場所でもなさそう。そのため、なかなか足が向かなかったのですが、ようやく現地を訪ねてみることにしました。ではレッツラゴー!細かい指示をしていないのにAI画伯が周囲の様子を的確に再現小幡廃寺おばたはいじ愛知県名古屋市守山区西新訪問オススメ度★起点は名鉄瀬戸線<瓢箪山駅>。名古屋の中心地<栄町>から1
奈良時代・伊勢国の国庁──伊勢国司・櫛越古伎而[くしごしの・こきで]が赴任早々、国分寺造営の責任者である造寺司から懸案事項の説明を受けている。「で、どうすんの?ここの国分寺はさあ」「は、造営地の選定はすでに決まり、現在基本計画を策定中です」「あ、そう。それでどんな寺院にするわけ?」「奇をてらわず基本に忠実な<ザ・国分寺>を目指そうかと」伊勢国分寺創建期復原図。七重塔はあくまで「想定」(早川和子画)「うむ、いいんじゃない。伊勢は大国だし、ここは堅実に進めようぜ」「ただ、ひとつ
三重県中勢部──鈴鹿川左岸に広がる広大な台地上に造営された伊勢国分寺。伊勢国分寺は、30回を超える発掘調査により寺院跡の遺構が概ね判明し、現在歴史公園として整備されているほか、併設された鈴鹿市考古博物館と合わせて、この地域の古代史を学ぶうえで絶好のスポットになっています。今回は伊勢国分寺とその周辺の古代寺院跡を訪ねます。では、レッツラゴー!伊勢国分寺跡全景。歴史公園として整備されていますプロローグ:伊勢国分寺に塔は存在したのか!?国分寺と言えば「七重塔」。史