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本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『帰神術修業中には各種各様の現象が現はれる。筆者の体験の一部であるが、或る一日作法通りに執行し、審神者の転霊中、霊が御懸りなられると思はれる寸前であった。この時組んで居た両手が突然に「パツ」と無くなって了った。妙な事もあるものだと思い、故意に少しく動かして見た。確かに肉体的には在る事を感じられるが、精神的(統一状態に於いての)には何ら感覚は無くなっている。之を例えで云えば、
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『和歌の御得意な霊の場合は、審神者が題を出す事もある。例えば「社頭の梅花」とか其の季節の題を出すと、巧みに御読みになられる。此の場合の口調は朗吟風になさることも有るが、普通の音声で読まれる事もある。審神者としても長歌とか、綾のある古語などは兎もすると聞き洩すことが有るので、二、三回程くり返して御歌い下さる様御願いする事にしている。終了後歌詩の句などを記録しようとする場合に、どう
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『憑霊に御得意な事柄を問うと、それぞれ得意とされる処の書画とか、詩歌をなさるとか、又舞を遊ばすとか種種な御答がある。書画をなされる霊に御揮亳を御願いする場合は、前以って筆墨紙其の他の諸用具を用意して置き、書かれるとの御言葉があれは直ぐ仕度をする。霊は何ら躊躇する事なく即座に筆を採られて一気呵成に揮亳されてしまうものである。文字の場合は、審神者は古き書体でと御願いすると、何ら
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『扨斯くして霊が自在に憑依出来得るまでに神主の体が錬磨されて来た所で、憑霊の御名前を尋ねるのであるが、この作法として、我々が通常用いている言葉の如く「貴方の御名前は何と申されますか」などと云う様な問い方はしないで、憑霊に一揖して「汝(いまし)(又はミマシ)の御名は」と問うか、「汝の御名を告げられよ」と斯く問うか、「汝の御名を告げられよ」と斯く問う事である。此れに対して憑霊は
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************帰神術は本来、国土や神社を祓い、また天下国家を憂いて神意をお伺いするものだが、昭和の公式・正式幽斎では前者の「祓い」が主だった。そこでは神主が神籬となり、神界が祓いを行う。そして御啓示は、その祓いの神事に付随して行われた。その時、最も重要なのは③である。神界から御啓示を受け止められないならば、発せられた言葉は御啓示ではなく、自意識の産物になってしまう。神界の御啓示を戴く
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)七十二人皆に直霊し無くはかくはかり西に東に世は進ままじし無くは=為無ければ。かくばかり(斯くばかり)=このように。まじ=打ち消しの推量をあ
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)七十一神なから世のいや進み進み行くも人に直霊をたびしにはよる神ながら=神のみ心のままたびし=賜びし=賜わる。与えられる。解、神のみ心の儘に世の中がど
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『此の時期に到っても神主の体の練れは未だ完全でない為に憑依された霊の御名を尋ねても、正確に言語を発しないのが通常である。然しその発声方法は審神者が機を見て指導し、明確に発声出来得る様手段を行じれば、徐々に明瞭となってくるものである。此所で注意すべき事は、霊動したから体を切ったからとて、軽々しく憑霊の名を尋ねる様な事をしてはならない。何故かと云うと邪霊なれば簡単に喋り出すが、正
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************整理すると、穏やかで明るい光に包まれると共に、神気の充実、岩笛が遠くから聞こえてくる感覚が揃う事が、帰神術における神主側の要件であり、言い換えれば、体を切れる状態になったという事。その後、審神者の質問の声が「やや遠くから聞こえる」ことでも、「俯瞰」の確認ができる。つまり「俯瞰ができている」とは、鎮魂力による分魂ができている事に他ならず、それは「吾が霊魂が天御中主大神の御許へ至
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************体感的に神気が充満している感覚は、肉体と同じ座標にある直霊の顧みる働きによりわかるが、穏やかで明るい光に包まれるのは、分魂した一霊四魂の方の直霊の働きにより、俯瞰的に覚るものだ。そして我慢できなくなった時に、体が切れる状態になるわけだが、切った後は呼吸をはじめ体の状態も楽になる。この一連の流れの中で大事なのは、「俯瞰」だ。ここでの俯瞰とは分魂した側の一霊四魂に、視座が置かれた
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『神主の体が練れるに従って霊動は僅少となり、態度も整然となってくる。体が整う頃に至ると「体を切る」状態が出現する。体を切ると云うことは、正座したまま身体の形を崩さずに一尺から二尺ぐらい飛び上り、又元の位置へ着座する事である。初期の内は此の行動を何回か繰返す事もあるが、熟達するに従い、霊が憑依(降霊)する時に一回、昇霊する時に一回、前後二回行はれるのが正規とされている。』(「顕神
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************来宮神社でのことだが、似たような場面に遭遇した。大柄で恰幅が良く始めて来た方だった。当然転霊は行われず祓いだけだが、数分経った頃、突然大きな声を上げはじめた。まるで狼の遠吠えのような威圧感のある叫びだった。佐藤先生が審神者だったが、岩笛もやめて叉手を組まれ、その方を見て居られた。すると彼は次第に遠吠えをやめて静かになり、そのまま最後まで大人しくしていた。そして本人は特にどうこう
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)七十君親に仕ふる道をおのづから身に備ふるも直霊なりけり君親に仕ふる道=君に対するは臣道。親に対するは子道。おのつから=自ずから、自然に。備ふる=生れつき
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)六十九物皆は四つの魂たまはれと人にのみこそ直霊たまはれ物皆=ものの総て、物の全部。たまはれ=賜われ、いただく、ちょうだいする。
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『これに就いて大分昔の事であるが長沢翁の語られた話に、翁の御奉仕の月見(やまなし)里神社の社務所に於いて、門下の佐野氏が審神者となり神懸りを行った事が有った。此の時右の如き動物霊(野狐)が或人に懸り、氏が霊縛を行った処、その霊が突然に飛び出してきて氏の膝頭に咬みついた。側らに居られた翁は其れを見て直ちに追除かれたが、氏の膝には疵は付かなかったが、着衣には歯の跡があり穴もあい
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田翁の「道之大原」にも次のような文章がある。本田翁が何故皇法の重要性を説くのか、その理由がよくわかる。『霊学は心を浄くするを以て本と為す、故に皇神、鎮魂を以て之を主と為す。百姓尊奉して日々に真心を練るべし。令義解に云く「鎮は安なり、離遊の運魂を招き、身体の中府に留めるを言ふ」と。見るべし、其の国家の重典たるを。今人蒙昧頑乎として顧みず、法を外に求め、術を異尋ね、慣習常と
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『初期の霊動はその人の体質と、憑られる霊の動作に依り各種各様の形態を示すものであり、初期に於いては「口を切る(懸った霊が言語を発す)」などと云う事は到底出来るものではない。故にある期間は、専ら憑霊に神主の体を慣らす様に任せて置かなければならない。併しこの期間中、審神者が問いもしないのにベラベラと喋り出すが如き憑霊なれば、之は絶対に低級な霊である。体を慣らすに任すと雖も、邪霊
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第四節帰神の状態とその憑依現象審神者が何回か転霊を行っている裡に、神主の状態に変化が現はれる。まず相貌に複雑した表情が出てくる。頭を前後左右に動かす者もあり手を上下に振り動かすことも有る。首筋が強く張って来て全身が膠著状態となる事もある。呼吸も平常よりは大分激しく乱れる。なお或種の凝魂と云うか一つの固りの如きものが、臍下丹田より喉の方に向って昂上(つきあげる)する状態
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『翁の膝下に教を乞いした者は前に述べたる如く実に夥しい数に昇るのではあったが、此の内、神典皇学を純粋に修めて入門した者は幾人有ったであろうか。筆者の知る限りに於いては、その過半数は各種の迷信的宗教を身に着けて来て居たものと思う。今翁の遺された入門帳を見るのに、氏名を記載した者しなかった者(この方が多い)多数であるが、記載した中に「現界の名は何某、幽界の名は何々命?」などと記入し
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)六十八春秋の時季を違へす行きかふも神の直日によるとこそ知れ時季=時節・季節。春秋=四季のうちで春と秋。転じて一ケ年に用いる。行き交う=行った
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)六十七天津御空星の位の定まりも神の直霊によりてなりけり天津御空=天・そら・大虚。星の位=昇殿を許された地位。ここでは星の位置。解、天に煌め
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『長沢翁が入門する人々ごとに必ず申し聞かせられた言葉は「わしの処へ入門した以上は一切の迷信を去りなさい。嘗(かつ)て学んで来たものは全部捨てて、白紙となって皇典を学び国学の書を読み、而して霊術を修めなさい」と申されるのが常であった。なお翁が真摯(しんし)に学ぶ我々によく語られた事は、「此処へ来る弟子達は其の数も多いが、皆“術”を目あてである。この神術は、幽玄至貴な神事であ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第三節憑霊に於ける正邪と精神問題善神界より正霊を引いて審神者が転霊すると云う、正式な帰神術を執行するのに、何故に邪霊が懸る事があるで有ろうかと疑間を感ずる者も多々あることと思う。此れに就いて本田翁は神伝秘書で「精神正シケレバ則チ正神ニ感合シ、邪ナレバ則チ邪神二感合ス、精神ノ正邪卜賢愚ハ直チニ幽冥ニ応ズ、最モ戒慎スベシ」と明確に教示されている。かくの如く、霊学を修むべ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問憑依を願う場合に、当方より特に指定せる御神霊や御春属に御降霊願う事は出来得るや。答当方にて特に各種諸要件の有る場合は、其の御分掌の御活きある霊に御降霊願う事はあり得る。』(「顕神本田霊学法典」)その時の幽斎の目的にもよる。審神者が質問したい内容が専門的な事柄である場合には、その職掌の御神霊の降臨を願うことは許されよう。佐藤先生の御存命中に、筆者も何度かそのような
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問その融合せし霊が神主に懸りて口を切り、固有の御名を名乗られるか、此の点に付き説明を願う。答審神者が神主に何回か転霊すると云うことは、一、二回ぐらでは霊気が身体に充実しない為に、全身に溢れる迄続けるのである。この全身に霊気(神気)が充実せし時に、神主が体を切る(専門語−第四節に述べる)のが正則とされている。さて御名を名乗られると云う事は右の如く「神気充満して体を切っ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問よく判明せり。今一つ初歩的に思考するに、先づ一回目に憑られし霊気、それに次の転霊にて二回目の霊気が入りし場合、前の霊気は御帰りになり、次の霊気と入替る?とも思うが、此の様な形はなきか。答其の様な形態なし。前に述べし如く霊は固体にあらず。幽玄霊妙なる「気」であるが故に、神主の身体に何程転霊なしても皆渾然と融合してしまうものである。』(「顕神本田霊学法典」)幽斎に際
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)六十六日に見えぬ音さへ香さへ味さへもみな物実のあらさるはなし音=音波によって起こる聴覚。物体が振動するとき媒体(空気)を伝わって聞こえるも
『此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)神懸百首より審神者長沢雄楯翁。神主武栄太夫(大山神社官司)(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)六十五月星のめぐり違はぬ状見てもものの力をそれと知れかしめくり=運行。ものの力=神のお力。かし=終助、念を押し意味を強める。解、宇宙を運行
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問審神者が神主に転霊するに何回か繰返すが、第一回に一柱の霊が憑られ、第二回目に又他の一柱の霊が憑る。之れを漸次くり返すと、神主の身体の中には何柱かの霊が充満すると云うことに成るが、この点は如何。答幽冥界は霊が一つ一つの固体−一柱−の集りでは無い。無限なる御働きをもたれたる処の、渾然として融合されたる霊気(気体でもないが、他に呼称しようが無いので斯く呼ぶことにする)の
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『次に重要な点は、転霊する場合に、神主の身体中“何処へ”−どの箇所へ−転霊しても良いと云うものではない。この転霊箇所は極秘につき、余程偉れた霊能者か、又は審神者としての実力を具備した人物でなければ教示する事は出来ない。故に公表は除けることにする。注意する事は、神主の身体中何処へでもかまわず転霊すると、其の肉体をやたらに疲労させるのみか苦痛を与えるだけとなる。特に頭脳になぞ行