ブログ記事1,311件
東宇治中学校の学校目標は「命輝かす人間」本当に子どもたちのなかにも「人権」といういう何かしら思いが浸透していました。初めての社会科の授業歴史の最初の単元「人類のおこり」で。人類の起源アウストラロピテクスから北京原人ジャワ原人ネアンデルタール人そして今の人類につながるクロマニョン人の図がありました。これを生徒に登場してもらって演じてもらったのです。すると生徒のほうから笑いながらも「先生、それ人権や人権やで」という指摘。「えっ、別に人類の起こりをわかりやすく
2024.02.06付の山陰中央新報デジタルでは、広島に「新たな平和のランドマークが登場した」ことが紹介されていました。それは、今月1日にサンフレッチェ広島の新しい本拠地「エディオン・ピースウィング広島」〔広島市中区〕の正面入り口の壁面に、サッカー漫画「キャプテン翼」の壁画が設置されたという内容です。壁画となったのは、主人公の大空翼が、「ボクはこの世界から戦争をなくしたい」「戦うなら正々堂々サッカーで戦おう」と訴えている場面です。この場面は、実際に作中に登場する場面。世界大会で日本
広島県内の教職員たちでつくる「広島平和教育研究所」は、毎年「ヒロシマ平和カレンダー」を制作販売しています。2024年度のカレンダーは、漫画「はだしのゲン」のイラスが採用され、月別のテーマに沿った解説文とゲンの漫画や絵本の一場面が掲載されています。私も2022年度から購入をしています。2023年度は「幟町国民学校」の写真が掲載されていました。佐々木禎子さんの母校である幟町国民学校の様子が描かれています。「戦争で奪われた笑顔」がテーマになっていました。2022年度のテーマは「伝言」
私がかつて教員の仕事をしていた頃、職場は異なりましたが同じ市内で同じ職として働いていた先輩から手紙をいただきました。懐かしくその手紙を読む中で、戦争や平和についての新たな気づきを与えてもらいました。それは、絵本『赦しの花』にまつわる太平洋戦争末期から戦後にかけての中国での話です。このお話の内容を「地球村」のホームページ掲載文から紹介したいと思います。(https://chikyumura.org/2009/09/post-557.html)【ホームページ紹介文より】この絵本
学童集団疎開について検索してた折に、中国新聞2023.06.28の記事がヒットしました。大阪市福島区にあった鷺洲国民学校が、広島県福山市へ集団疎開した記録を2年間かけてまとめ、このほど冊子を作成したという記事内容でした。紹介記事の中で、常金丸・藤尾郷土研究会代表の石口寛治(92歳)さんは、「集団疎開に関するまとまった記録はなく、知る人がいなくなる前に形にして残したかった」と話していらっしゃいました。すぐに問い合わせ先へ電話を入れ、資料を1部送っていただくようお願いしました。
みぶきえみ@月の記憶の声を聴く人月の記憶の声を聴きながら綴るみぶきえみの世界観🌙前のお話『みぶきえみの世界観16:希望という文字が好き!』みぶきえみ@月の記憶の声を聴く人月の記憶の声を聴きながら綴るみぶきえみの世界観🌙前のお話『みぶきえみの世界観15:暗記をすることで、苦しい思いを忘…ameblo.jp私は、広島で生まれ育った。なので、小学校で平和教育があるのは普通のことだった。全国の小学校がそうだと思ってた。春の遠足は、平和公園
2024年1月27日(土)開催の今年度の活動の「まとめ報告その4(最終)」です。今回のブログでは、【意見交換議題4】「2024年度こんなことをみんなで楽しく勉強しよう!!」について、次の研修内容について決定しました。初年度の活動は、2023年6月17日に結成式を行った際の意見交換「この会に期待している事・やりたい活動」の希望内容〔研修内容〕を中心に計画を組んできました。2023年度は、「結成式〔活動計画の意見交換〕」「旧海軍大社基地の見学」「活動のまとめ〔活動総括の情報交換会〕」
2024年1月27日(土)開催の今年度の活動の「まとめ報告その3」です。今回のブログでは、【意見交換議題3】「平和学習読み物資料作成のポイントは何か?」について、読み物資料作りに挑戦した会員からの報告をもとに、作成のポイントになるものを抽出しようと意見交換しました。戦争・銃後体験者の高齢化が進み、間もなく「戦争体験者なき時代」が訪れます。今から「戦争体験者だけに頼らない平和学習のあり方」について検討し、その準備を進めなければなりません。その際のひとつのアイテムとして「平和学習
2024年1月27日(土)開催の今年度の活動の「まとめ報告その2」です。今回のブログでは、【意見交換議題2】「2023年11月18日開催の教材化のための旧海軍大社基地見学から得られた知見は何か?」について、見学会から得られた知見の事務局まとめをもとにしながら意見交換しました。教師(教育)の目から見たとき、戦争遺跡「旧海軍大社基地」は、教材としてどのように映るのか。教材にするためにはどのような情報が必要か等について意見交換しました。その結果、次のようなまとめを行いました。教
2024年1月27日(土)、今年度の活動のまとめを行いました。この一年間の活動を通して得られた成果について話し合い、来年度の研修計画もお知らせしました。参加いただいた会員外の皆さんには、私たちの会の活動について知っていただくよい機会ともなりました。今回のブログでは、【意見交換議題1】「平和学習実践上の課題はどこにあるのか?」について、会員が感じている問題意識と、現状改善のために必要となる取組について出された意見を報告します。表記は「①…」が実践上の課題を、「・…」が課題解決のた
『大社の史話136号』に木村佳男氏が「嗚呼、高尾山」で紹介した海軍の監視所やレーダー施設、兵舎建設の様子についての続編です。前回は、建設が始まった昭和17年前半の様子についてお伝えしました。しかし、戦況悪化と共に高尾山監視所の兵士たちの様子も変化してきたようです。宇龍港に大型の船舶が停泊し、高尾道路や宇龍峠の途中に機材・機器が置かれ、短期間で山頂へ運び込まれました。【昭和18年頃の様子】兵士の民泊は、これまで宇龍地内でしたが、高尾山に近い中山へ変更になりましたた。この年の
新年度(2024)の「PIECEofPEACE島根教師の会」では、「春の研修会」として、日御碕にある「高尾山(356m)への歴史探訪登山」を計画中です。高尾山では、1942(S17)年の春から秋にかけ、旧海軍の特設見張所やレーダーの設置工事が行われました。その際、地元の国民学校や女学校の生徒が、高尾山山頂へ資材を運び上げる勤労作業を実施した歴史があります。先日お話を伺った吉田安子さんの証言の中にも、「私たちが高学年になった昭和17(1942)~18年頃、日御碕中山にある高尾山
これまでに「ヒロシマ」と島根とのつながりを求め、昭和18年(1943)4月に広島電鉄が開校させた広島電鉄家政女学校にまつわるお話をしてきました。これまでにこのブログで紹介した関連書籍は、『社史が語る原爆・ヒロシマ』「しんぶん赤旗」中国四国総局新日本出版社2003.1刊『被爆電車75年の旅』ザメディアジョンプレス2017.11.23刊『広島電鉄開業80創立50年史』(株)広島電鉄H4.11刊『チンチン電車と女学生』堀川恵子・小笠原信之日本評論社2005
『電車を走らせた女学生たち』(株)広島電鉄2005.8刊この本には、広島電鉄家政女学校の生徒で路面電車の車掌や運転士の業務を担当した人の証言が集められています。8月6日の原爆投下によって、家政女学校の30名の生徒と1名の教員が犠牲・殉職しています。約300名在籍していた生徒の1割が原爆の犠牲になったのです。現在の中学3年~高校2年生にあたる年齢の女学生たちが、どのような体験をしたのか。戦争や原爆によって、その人生がどのように翻弄されたかを知る貴重な証言が寄せられています。
20日~21日竹下さん…福岡県から初めての三線翌日は読谷村内の平和学習ツアーに(会沢がガイドしました)「ミーニシ」(冬の北風)が吹き付けて荒れる残波岬
現在、小学校平和学習読み物資料「出雲市大社編」を作成中です。大社地域には、昭和19(1944)年9月22日から昭和20(1945)年11月9日まで、大阪西区から本田国民学校と西六国民学校が集団疎開でやって来ていました。西六国民学校の高田康子さんを中心にして、複数の疎開生活体験者の方々の疎開生活と第一次大阪大空襲の様子を資料化する作業を進めています。それに加えて、地元大社地区の国民学校の生徒の体験として、大社町杵築北にお住いの吉田安子さんのお話を資料化しました。昨年の令和5(20
広島市南区出汐にある旧広島陸軍被服支廠が、学術的に貴重な史跡として、国の重要文化財に明日19日にも指定されると新聞報道されました。この被服支廠は、1913(大正2)年に建造された軍服などを生産した工場です。原爆投下直後は臨時救護所として使われました。4棟が並び、3階建て・長さ約100m、幅約26mで、日本最古級の鉄筋コンクリート造りでレンガ積みを併用した建築物です。実は、戦後75年目にあたる2020年8月に広島を訪れた際、この被服支廠を見たいと思い、探したことがありました。
今日の朝、斎藤一人さんのあるYouTubeがオススメされていました。その後にののさんのブログを読んで感じた話を。ののさんが人から好かれる理由。かなかな的な視点ですが、感謝の人だなぁと感じます。また、今日のこのブログ『今日は神旅①〜⑤』『①今日は神旅✨』おはようございます😊✨今日は、神旅です。😊今日は、少し遅めの出発なので、ゆっくり起きました。✨⇧1/14の鶴嶺さんのどんと焼…ameblo.jp凄いですよ。私もこのお手製のお弁当頂きましたが、この場所に来るのに何時に起き
戦争と平和をテーマにした絵本は数々あります。前回紹介した『せかいでいちばんつよい国』もその一つですが、今回紹介するのは『そらいろ男爵』〔ジル・ボム文ティエリー・デデュー絵主婦の友社〕です。手作りの空色に塗った飛行機に乗って、毎日鳥を眺めていた男爵でしたが、地上で戦争がはじまります。男爵も戦争に行かなければならなくなりました。自分の飛行機に「砲弾になるもの」を積みこんで、毎日砲弾を落としに出撃しました。そして、男爵のお陰で戦争は終わりになったのです。男爵は、一人の人間も傷つけること
毎日のように報道されている「戦争被害」。ウクライナで、ガザで、イエメンでの紛争や戦争。その中で武器も何も持たない一般国民が犠牲になっています。その地域を支配するという強者の論理をふりかざす「強い国」と言われる国々。「強い国」とはどんな国のことを言うのでしょうか。『せかいでいちばんつよい国』〔デビッド・マッキー作・なかがわちひろ訳光村出版〕という絵本があります。6年生の子ども達に毎年読み聞かせをしていた本でした。武器や兵隊をたくさんもつある「強い国」が、次々とほかの国を征服していき
私の学校は沖縄に修学旅行に行く予定になっています。私が担当している2年生の学年は来年度の修学旅行に向けて準備をし始めています。沖縄では平和学習をします。そこを中心に学習を進めていきます。私が平和学習をしていていつも思うことがあります。教師の発する言葉、行う教育1つで、生徒を戦争に向かわせることも、戦争反対に駆り立てることもどちらもできてしまう。私たちが持つ責任はとても大きいものなのだと感じます。だから、やはり間違っていることは教えたくない。嘘は教えたくない。そう思います。今回、また
これまで、「広島電鉄家政女学校と島根県とのかかわり」について4回にわたって書いてきました。前回、『チンチン電車と女学生』を紹介しましたが、その中の「広島電鉄の電車網整備の歴史」に関心が向きました。広島は日清戦争の際、第五師団司令部に大本営が置かれ、明治天皇はじめ、伊藤博文総理大臣ら閣僚も市内に宿泊し、軍都として大きく発展しました。1889(M22)年に宇品港が完成すると、広島駅から軍用鉄道の宇品線が新設されました。路面電車の拡張は少し遅れ、1935(S10)年に途切れていた「御
★後払い可!☆選べるおまけ★【NEW】スペルで覚えるすみっコぐらしの英単語学習機リニューアル≪携帯マスクスタンド付き≫送料無料とかげシリコンカバーすみっコぐらしすみっこぐらし英単語学習機本体60sbnm楽天市場映画から帰ってから、息子→娘ももう一度本を読み返した様子。2人で取り合いしてた。で、やっぱり気になって私も読んでみた。ふと目が覚めた夜中の3時に。映画見て知ってる内容だからか2時間ほどで読破。本を読んでからの映画と、映画を見てからの本だと、絶
『チンチン電車と女学生』堀川惠子小笠原信之日本評論社2005.7刊は、著者の堀川惠子氏が広島テレビ放送局にディレクターとして勤務していた2003年に制作したドキュメンタリー番組「チンチン電車と女学生~2003・夏・ヒロシマ」の内容に、放送できなかった内容や補足取材をした内容を加えて出版されたものです。この番組は、2004年日本民間放送連盟賞テレビ教養番組部門の中国・四国ブロックと、全国教養番組部門で最優秀賞を受賞し、話題となりました。新たに分かった家政女学校や島根県出身者の様子は
(株)広島電鉄の社史『広島電鉄開業80創立50年史』(株)広島電鉄H4.11刊には、当時の家政女学校の生徒であった方々が、平成2(1990)年8月6日に45年ぶりの同窓会を開催した様子が紹介されています。その際の懇談で出された意見です。〔なぜ、家政女学校へ入学志願したのか?〕・親元を離れて街へ出てみたかった。・勉強したいのに上の学校へ行かせてもらえなかったので、真っ先に希望した。・ミシンがかけられるという魅力があった。・午前中は勉強し、午後は電車に乗って、給料いただいてとても
2日間仕事して、また2日休みは嬉しいけれど、なかなかヘビーな2日でしたアサヒ飲料十六茶ラベルレスボトル630ml×24本[お茶][ノンカフェイン]Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}アサヒ飲料十六茶麦茶ラベルレスボトル660ml×24本[お茶][ノンカフェイン]Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}Amazonセールは十六茶買いましたさて、年末年始の帰省にあわせて、いくよー!と、宣言し
映画にちなんで…ここ最近わが家では『平和学習』の時間が続いている。今、中学生の息子。小学校の修学旅行ではコロナの影響で例年の広島に行けず。他の地で平和学習をした。息子からしたら人生で一度は広島の平和資料館、原爆ドームに行ってみたいと言っていた。だから、先月のクリスマス。わが家の修学旅行として広島へ。娘は恐怖心が強く平和資料館と原爆ドームには行かず夫とドライブ。私と息子で平和記念公園へ。私、仕事の都合で広島には年に3回位平和記念公園に行っている。資料館に入ったのた25年ぶりぐら
『被爆電車75年の旅』ザメディアジョンプレス2017.11.23刊には、広島電鉄家政女学校での生活や、島根県大田市大森町出身の笹口里子さん〔旧姓・岡〕の入学に至るまでの様子が解説されていました。内容の概要は次の通りです。・昭和17年の暮れ、島根県と広島県の国民学校を中心に、広島電鉄家政女学校の一期生募集がかかる。・昭和18年4月開校。一期生は72名、2期生は130名、昭和20年3期生約100名が入学した。・国民学校高等科を卒業した女子を車掌として養成する学校であった。・寄宿制で、寄
1945年8月6日のヒロシマと島根とのかかわりについて、これまでに家族や職場の同僚捜索、救護活動のために島根県から8月7日に入市した人々の体験、そして島根県内各所で確認された原爆の光・音・キノコ雲の証言を収集してきました。この他にも、まだ多くの「つながり」が残されたままになっています。今回、広島の路面電車の車掌や運転士として、広島市内で働いた島根県出身の女学生たちの証言を収集しました。太平洋戦争末期、男性が次々と出征してく中で、労働力確保のために国民学校高等科以上の授業は停止され、
旧海軍大社基地からは、基地完成後3回の出撃記録が残されています。増田善信氏は、太平洋戦争末期に大社基地に配属された気象担当少尉でした。太平洋上へ敵索攻撃のため出撃する銀河隊員に対し、該当地域の気象状況・航路を説明する任務に当たっていました。その時の思い出を、次のように語っていらっしゃいます。1945年8月。数回にわたり、基地から沖縄方面に飛び立つ隊員たちに、黒板に天気図を張って航路と那覇上空の天気予報をレクチャーする役目を担わされた。当時、沖縄はすでに米軍の占領下にあり、そ