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来週にクリスマスを控え、イタリア糖原病協会からのメッセージカード。同協会は来年、設立30周年を迎えるという。これを見ながら考えたこと2つ1.今回の入院中、毎日、血糖値測定があり、数値が下がった時にはすぐにインシュリンが注入された。看護師さんからは「めまい、吐き気はありませんか」、「体がふらふらすることはありませんか」とよく聞かれた。人間の体にとって「糖(グリコーゲン)」がいかに大事かを思い知られた。2.1992~1993年にミラノの滞在していた時、イタリアのクリスマ
久しぶりに研究室へ7,8,9月と暑さが半端なかった研究室。入室するのに15分くらいかかったが、今朝、入室してみると陽があたり、ぽかぽか。「天国だあ」<今年の2月に撮影>
昨日退院し、今朝、確認したら3輪の山茶花が咲いていた。もともと花数が少ない木ではあるが。今年はかなり少なくなっている。日陰にもかかわらず、愛らしい姿を見せてくれている。明日は久しぶりに大学へ補講の日程調整をしてこなくちゃ
退院に際し、入院生活のアラカルトを少し1.分厚くてなかなか読み終えない大岡信『あなたに語る日本文学史』(角川ソフィア文庫)を読んでいて、目から鱗。(1)「和歌というものは和する歌で、和する歌の基本は男と女が和する歌だった。…和歌というものの一番大事なことは、人に向かってかたりかけることです。歌いかけられた人が直ちにそれに「和する」、合わせることです。」(2)『梁塵秘抄』と『閑吟集』が面白いということを発見2.生成AIを使ってみて、現時点で分かったこと(1)以前、翻訳紹
昨日の夕方、夕食中に、頭上に「どんと」という音がした。ちょっとして、「ぐらっ」ときた。一瞬、棟内がざわついたが、すぐに落ち着いた。今朝の朝食で五分がゆが終わり、昼食から全かゆに。点滴もなくなったので、あとは退院に向けての助走開始。なかなか熟睡できないので、あれこれ思いを巡らせているのだがあっち、こっちと思いがとんで、まとまらない。でも浮かんでくるのは、悔恨ばかり。あーあー<病棟の一角から見えるイチョウをアップで撮ったらこんな風に><今年一月のウォーキン
来週の月曜日の退院が決定。激励や助言などに感謝、多謝!入院中に心身の健康に悪い政治家の、なんとも浅ましい、「痴れっ」とした行為の数々以前、「立候補者に「道徳の試験の導入を」と書いたことがあったが万一導入されても、すり抜け、カンニングその他さまざまな手段で切りぬけされそうで、効果は期待できない。これも何の効き目はないだろうが、なんとも腹立たしく、「むかっ」とするので次の徳目をおくる。あの「教育勅語」に明示されているものだ。中心は言うまでもなく「滅私奉公」。与党政治家の「滅
「ちくっと」しますよ、で始まる入院生活。採血と血糖検査今日の昼食から3分粥になり、明日は5分粥に。今朝の朝食で重湯さらば。やっと見通しが持てるようになった。緊急検査ののちに医師の説明があった。S状結腸憩室炎ということで簡単な説明があった。1~2週間の入院措置となったが、「もちょっと」治療の見通しについて説明が欲しかったなあ、と。もとより聞けばいいのだが、時間がなさそうで質問できなかった。*今日からこの1年楽しませてもらった花々の写真を掲載することに。<
昨日の昼食から重湯に今朝の朝食で3回目早くお粥に移行したいなあ。それにしても今日で入院一週間目。休講した分の補講が気になってきた。<11月にいった沖縄のホテル朝食:海ぶどうがあった>
今日で絶食点滴治療5日目の朝食べていないので血糖値が下がり気味この間(かん)、二度ほどブドウ糖注射糖原病に思いを寄せる病棟から見える風景<病室からの北側方面:住宅街><病棟の東側:江戸川を臨む:人や車の動きがいい><まぶしい太陽><病棟の南側:イチョウ最後の輝きかな>
12月4日S状結腸憩室炎で緊急入院絶食点滴が四日目窓がみえ、パソコンが使える余裕にある部屋に移動できたし、少し体調が回復したので、ブログを書いているところ。これまでのわが人生を振り返り、懺悔しろということか・・・なあ政治情勢で回復も遅れそう・・・あーあー*皆様のブログを読めてなくて申し訳ありません。お返しできないのでコメント欄はつけません。<今では恨めしいPIZZA>
昨日、一昨日の、まるで初夏のような日差し受けてのウォーキングこんな季節外れの花(仇花)にであった。そういえばわが国の政界にも仇花がさいているようだ。いつまで花がもつのやら???<エンジェルトランペットの開花は5月から11月と言われているので必ずしもあだ花とはいえないかも・・・・でも12月にこんなに咲いているなんて・・・><とっくにお彼岸は過ぎているのに・・・><ツツジの季節は、さていつだっけ?>
晩秋の小春日和になった今日、久々の江戸川ウォーキングたくさんの美に出会えた。遠くに飛行機白い八重の山茶花と紅葉
まったく陽が当たらなくなった拙宅の庭そこでけなげに咲こうとしている、この山茶花ことしは花数が少ないので、貴重な一輪に。そしてもう一つけなげな花。それは酔芙蓉。完全に開かないが懸命に咲いている。
またまた分からない用語が出てきた。遠い過去に習ったという記憶がない。それが「方べきの定理」ってもの調べてみて「定理」はすぐに分かったけど、なぜ「方べき」というのか分からない。ピタゴラスの定理とか三平方の定理は、すぐに理解できるのに、「方べき」って何?またまた調べてみると、この説明が分かりやすかった。「高校の数学Aで学ぶ平面図形の定理のうちで、最も重要なのがこの「方べきの定理」でしょう。「方べき」は「方冪」と書きます。「冪」は累乗の意味ですが、ここでは「かけ算」の意味と思って
来年3月で大学をやめること、それが当然のようなできごと2つ。いずれも「ねずみに引かれてしまったこと」???1.図書館から文庫本を三冊借りてきた。他の2冊を読み終えたので、さあもう1冊よむぞ、となった。が、しかし、その文庫本が見つからない。図書館から借りてカバンに入れたところまでは覚えているし、他の2冊は読んでいるから、確かに借りたのだ。カバンの中はもちろん、研究室や自宅の机周辺、ベッドの周りをいくら探しても見つからないのだ。図書館には事情を話して返却延期をしてもらったのだが、
寝付かれない夜、今、島根県が舞台となっている「ばけ、ばけ」について思いを巡らせていたら・・・「あれっ、そういえばNHKの朝ドラの舞台となっている都道府県はどうなっている?」鹿児島県は「お花はん」で最初の県になったはず(間違っていた。第六話だった)調べてみると、こんなデータが・・・【朝ドラ舞台地回数マップ】107作218カ所、09年埼玉で日本一巡達成-ドラマ写真ニュース:日刊スポーツ2023年以降を加えると、回数の増えるところがありそうだが、まだまだ1回のところが多いの
先ごろ拙ブログで紹介したオーストラリアのジャカランダという花じつはかなり以前に「ぶんのすけ」様に教えていただいたことがあった。それはスペイン南部で写した花がわからないままにブログに掲載したところ「ジャカランダですよ」と教えていただいた。「ぶんのすけ」様がアップしてくださったのが、これ。『思い出のジャカランダの花』三年前のことになりますが。友達から、熱海に世界三大花木のひとつで青紫色の花をつけるジャカランダという花があると教わりました。一見の価値があるから訪ねてみたらと…
真夜中に目覚め眠れなくなる時に読んでいる大岡信の『あなたに語る日本文学史』(角川ソフィア文庫)。面白い、面白い。その中で今朝の3時半くらいにこのくだりを発見。「大和魂というのは、その折々にあってふさわしいなにかができること。桜吹雪のようにいさぎよく散るというのは、末世の思想であって、」明治時代にそうなってしまっている。元来は、中国のものと日本ものとうまく折衷できるということだったと思う。それから発して、なにかあったときに臨機応変に知っている詩句をちょっと変えて合わせたり
また孫に聞かれた。孫に聞かれた。「市町村のトップについては長がついて市長とか町長とかいうのに都道府県にはなんで長が付かず知事なのか?」「うーん、なんでだろう?事を知っているから???」「兵庫県知事はなんでも事を知っている???」「そうだねぇ、そんなことはないよなあ」調べてみて初めて知った、お粗末。AIの答え:「知事」の語源は、仏教用語であるサンスクリット語の「カルマ・ダーナ」の漢訳で、もとは寺院の雑事や庶務をつかさどる役職名でした。中国で使われ始めた言葉
昨日の夕方、嬉しい訪問者があった。東京聖栄大学管理栄養学科の卒業生4名。私が来年3月で辞めることを知って、訪ねてきてくれたのである。かの女たちとの関わりは、非常勤で教えていた時期の学生さんでたったの1年半しかの付き合いしかなかった。それなのに会いにきてくれて、嬉しいこと限りなかった。教師冥利とは、このことか・・・その中の一人は去年、今年二年続けて東京都職員採用試験を一番違いで不合格になっている。相当に落胆していたが、来年度また挑戦するという。なんとか後押ししたいと
*イタリアでの取り組みGiornatamondialedell’infanziaIl20novembrediogniannosicelebraintuttoilmondolaGiornatamondialedell’infanzia,WorldChildren'sDay.www.consiglio.regione.fvg.it昨日の11月20日は国連が定める「世界子どもの日」1959年のこの日、国連は「子どもの権利宣言」を、30年後
北半球は秋色南半球は春色(オーストラリア、満開のジャカランタ):教職を目指して一緒に頑張っている卒業生が送ってくれた写真。まるで桜のような雰囲気
中国との関係で緊張状態を作り出している某首相。就任当初からその発想に疑問をもった。臨時国会での所信表明演説(通常国会冒頭での演説は施政方針演説)の次のくだり。「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す。絶対にあきらめない決意をもって、国家国民のため、果敢に働いてまいります。」「国家国民のため、政治を安定させる。」「国民の皆様の政治への信頼を回復するための改革にも全力で取り組んでまいります。それが国家国民のためであるならば、決してあきらめない。」天皇制国家の確立と
どこからか飛んできた種が芽を出し、根づいたようだ。紅葉ではなく狂い咲き、これもまた風情かなあ
鮮やか色のドウダンツツジは晩秋を思わせる
南風原文化センターに展示してる奉安殿の実物大の模型いうまでもなく、御真影、教育ニ関スル勅語と並ぶ戦前の学校教育の三種の神器の一つ。校内に設置してあるこの奉安殿の前を通るときには必ず最敬礼しなければいけなかった。中に安置してあるのは天皇・皇后の写真である御真影と教育ニ関スル勅語。皇民化教育にとって不可欠の装置であった。なお御真影が最初に下賜されたのは沖縄県尋常師範学校であった。1887(明治20)年、教育勅語発布の3年前のこと。天皇になじみのなかった沖縄を「
南城市文化センター・シュガーホール入口にて文化センター名の「シュガー」を元になるサトウキビユインチホテルからの遠景:馬天の海を望む戦跡の旧陸軍病院近くに立つ南風原文化センター沖縄県公文書館老舗沖縄ホテルの門草に飲み込まれた民家今回は山羊料理には縁がなかった
是非とも行きたかった「ずゐせんの塔」を漸く訪問できた。総務省|一般戦災死没者の追悼|ずゐせんの塔www.soumu.go.jpずゐせんの塔ずゐせんの塔は、第二次世界大戦沖縄戦で戦死した沖縄県立首里高等女学校看護隊並に職員同窓会員の御霊を祭ってある。昭和二十年一月二十五日から軍医の講習を受け、引続き合宿訓練に入った後、三月二十七日野戦病院壕で卒業式を挙行、直ちに第六十二師團、石部隊野戦病院に配属され最前線の浦添から首里、摩文仁へと負傷兵を看護しつつ、泥濘の中を弾雨に叩か
「ずゐせんの塔」を訪問した後、初めて奥武島へ。同島は「嶺井家のオリンピック」で知られている。「オリンピックに出るので会社休みます」嶺井家300人が大集合!96歳からベビーまで奥武島で五輪開催【どローカルリポート】沖縄ただ、ここの嶺井姓と父親の出身地の南城市佐敷地区に多い嶺井姓とはほとんど交流がないようであるが沖縄では少ない嶺井姓が多い地であるので、かねてより行ってみたいと思っており、やっと念願が叶った。」この日は夏日で、しかも土曜日でもあったので、それなりに人出があった。
今頃、沖縄は大雨かなあ。しかし、私は恵まれた旅(11月8日~10日9日)28度くらいの那覇空港では、いつもの花が出迎えてくれた。そして、旅の途中では多くのシーサーに出会えた。<8日宿泊のウェルネスリゾート沖縄ユインチホテル南城の部屋から><拡大版><南風原(はえばる)文化センター入り口:ここは旧陸軍病院があった場所、怖い顔をして戦争を眺めている><同文化センター玄関ホールにて><二泊目の那覇ホテルにて><ゆいレール安里駅近くの八木料