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こぐま君、今度、ライナーのチケットを頂けるらしい。会社の創立記念で、ボーナスのおまけみたいなものだって!いいねぇ~!羨ましいねぇ~!…なんて言ったら笑ってた。お天気が良いし出かけようか?関係あると言えばあるしないと言えばない、くまさんに先導されてミステリーツアーみたいなものに出かけた。…と出かけてみたら、ミステリーツアーでも何でもなかった。この辺りの多摩川はなんでこんなに水嵩があるんだろうね?昔、岸辺のアルバムなんてドラマがあったけど…同じ多摩地区でもいろいろな所がある
ジブリの『熱風』の5月号が刊行されました!この号から、いよいよ「山田太一全作品インタビュー」の連載が始まります!「山田太一といっしょに山田太一ドラマをすべて見る」というタイトルになりました。どうぞよろしくお願いいたします!小冊子『熱風』-スタジオジブリ出版部小冊子『熱風』。小冊子『熱風』2024年5月号の特集は「世界が見た「君たちはどう生きるか」北米編」です。、小冊子『熱風』2024年4月号の特集は「ジブリパーク|第2期|魔女の谷開園記念第2弾演示・展示スタッフ座談会」です
4月26日新入荷情報につき、現在の状況についてはこちらをご参照ください。⇒https://t.co/0w2iJ5yYS1?amp=1または、お電話にて御確認いただければ確実です。お手数をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。倉本聰テレビドラマ集1うちのホンカン倉本聰透明カヴァ少破れ少ヤケ少汚れ1000倉本聰コレクション8幻の町倉本聰カヴァ少傷み少汚れヤケ1500倉本聰コレクション22冬の華倉本聰初版帯少汚れ少ヤケ800そ
昨年お亡くなりになったシナリオライターの山田太一さん。この本は彼が残した様々な名作ドラマ、例えば「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「思い出づくり。」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」「冬構え」「シャツの店」「今朝の秋」「丘の上の向日葵」などについて、ご本人が書いた文章を掘り起こしてまとめたもの。うん、これは神企画だ。そして、宮藤官九郎さんがこの本の解説文を書いている。宮藤さんが山田太一さんの脚本をどう思っているのかがわかるのが嬉しいし、楽しい。それにしても…上にタイトルを書いたド
ここではないどこかへ行きたいという衝動から、勤め人の頃はやみくもに本を買いあさっていた。買った本の中には中途まで読んだものもあれば、まるで未読のものもある。退職後の今は、そうした乱費は控えるべきだし、少なくない未読の本に向き合う必要もある。そんな自省をしたのだが、一方で立ち読み程度で済み、買い求める程でもない本もごまんとある。そうした立ち読みで済ませてしまった本についても、好き勝手に書いていくことにした。つい先日、地元駅ビルの書店で見かけた雑誌「ユリイカ」最新号が「山田太一
お知らせです‼️山田太一全作品インタビューを、スタジオジブリの小冊子『熱風』で連載させていただくことになりました✨5月号(5月10日刊行)からです!いきなりですが、定期購読は急いでお申し込みいただく必要があります!詳しくはnoteに書きました!山田太一全作品インタビューを、スタジオジブリの小冊子『熱風』で連載します!|頭木弘樹6年間222回の全作品インタビュー2017年6月28日から2023年9月20日まで、途中にコロナ禍による数カ月の中断をはさんで、約
【90点】2019年6月。八千草薫、主婦と生活社。八千草薫:日本を代表する大女優、元祖癒し系といってもよいと思います。映画80本以上、TVドラマ100本以上、主役・脇役・端役(ゲスト出演)と多々ありますが、ほとんどコンスタントに出演そ続けています。素晴らしい。2019年10月、88歳没。最後の著書です。まあまあふうふう…馬馬虎虎。中国の故事成語で「いい加減」「なおざり」という意。八千草薫さんはこの言葉が好きで「(ちょうど)良い加減」と解釈しています。「歳をとる」のは誰もが初めて。
このところの当ブログで、1973年にTBSテレビ「木下惠介・人間の歌シリーズ」の枠で放送された『それぞれの秋』について書いています。僕は毎週楽しみにしていて、脚本の山田太一さんの名前を覚えたのでした。あとにして思えば、小倉一郎さんが三流大学の学生というのは『ふぞろいの林檎たち』、家族それぞれバラバラになっているのは『岸辺のアルバム』と、のちの作品を思わせる設定でしたね。気が弱く、ひとりオロオロする大学生に小倉一郎さんがピッタリでしたが、このキャスティングにまつわるエピソードがあります。山田太
家族を壊した夫婦の上下関係~「岸辺のアルバム」を見て1977年に放映された山田太一氏のTVドラマだそうだ。多摩川の氾濫によって家そのものが流失したという事実がおりこまれているそうだ。実は当方は見ていない。酒井氏は昨年11月に他界された山田氏への追悼の気持ちを込めてあらためて視聴されたようだ。おもしろくなくて不倫に走る妻というところが巷で強調された気がして、見る気がしなかったというか興味がわかなかった。DVD借りてみてもいいけれど、やはり古い感じだろうな相当。どうしよう。
竹脇無我さん竹脇無我(たけわきむが)本名:竹脇無我1944年2月17日生まれ、2011年8月21日、満67歳没。千葉県我孫子市出身の俳優。石原プロモーション、タケワキプロダクション、イザワオフィスを経てアクターズ・セブンに所属していた。青山学院中等部・青山学院高等部を経て青山学院大学法学部を卒業。父・昌作の自殺、元ラジオ関東アナウンサーの長兄・竹脇義果の半失明状態、さらには次兄・竹脇真理が脳腫瘍のため18歳で早逝するなどしたために苦しくなっていた一家の経済状況を立
函館山のスケッチF3以前のスケッチブックを整理してたら函館山の描きかけのスケッチが残っていたので濁りも気にせずに適当に色を載せてみました麓の町並みはかなりいい加減ですしかしねー、几帳面に丁寧に描いた絵よりエイヤって描いた絵のほうが割と良かったりするんだよねー今から10年以上も前に本町に住んでいました懐かしいです気候も温暖で有名な温泉観光地夜景が綺麗なのは勿論ですがまた、描く機会があったら描いてみたい異国情緒の溢れる良い景色の沢山あるところです描ける腕が伴うかどうか
東京郊外の多摩川沿いに住む中流家庭。一見すると幸せそうに見える家族4人。しかし、実はそれぞれが問題を抱えていた。母・則子(八千草薫)は良妻賢母型の専業主婦。だが、見知らぬ男から電話がかかってくるようになる。はじめは知らん顔をするも、やがてその男と会うようになり…。父・謙作(杉浦直樹)は有名大学出の商社マン。しかし、実のところ会社は倒産寸前の状態だった…。娘・律子(中田喜子)は大学生。なかなかの秀才で大学も簡単に合格したはずだったが、ここ一年は家族に対して心を閉ざしている。やがて、アメリカ人男性
スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年2月号に、追悼/山田太一――山田太一の創作法を書かせていただきました。6年間の取材を通じて知った、山田太一先生の創作法の一端をご紹介させていただきました。よろしかったら、ご覧ください。小冊子『熱風』2024年2月号の特集は「猫の現代史」です。-スタジオジブリ出版部小冊子『熱風』2024年2月号の特集は「猫の現代史」です。。2024年2号≪雪道中≫口絵FromPakThongChai61(...。www.ghibl
不自然だった出会いが自然な形になっていた。実際に会うことで軽蔑していた関係の当事者になっていた。自然な行為が不自然な関係にさせていた。
読売新聞に掲載された「広角多角」、片山一弘編集委員の記事を読み込んでしまった。昨年秋に亡くなられた、脚本家・山田太一さんの作品についてだ。2024.1.28付け讀賣新聞東京本社版朝刊掲載紙面より「男たちの旅路」というドラマがあった。昭和51(1976)年から昭和57(1982)年まで放送されていた。特攻隊の生き残りである警備会社の主人公、吉岡司令補(鶴田浩二)、人としての道義とは何かと戦争を体験した世代が、戦後生まれとの価値感の違いに対する強い憤りを描いたドラマ。ドラマを通してその
今日の朝日新聞の朝刊の「ひもとく」の欄で、山田太一の本のご紹介をさせていただきました。よろしかったら、お読みください。ネットにも掲載されています。(ひもとく)山田太一の世界「ありきたり」でない挑戦続けた頭木弘樹:朝日新聞デジタル山田太一はその89年の生涯で、じつにさまざまな、そしてたくさんの作品を残している。私は亡くなる2カ月前まで約6年間、毎週1回ずつ、全作品インタビューを行っていたので、まさにそれを実感した。テレビドラ…www.asahi.com
今シーズン、見たいドラマが無く、ブルーレイに録画した昔のドラマを晩酌の友として流している。今、見ているのが、1977年放送の「岸辺のアルバム」。実際に起こった多摩川水害に材を取ったもので、近年一番見たかった昭和のドラマ。2年前にようやくCSで放送された際に録画した。見返すと、やはり秀逸。同時代の青春ドラマの金字塔「俺たちの旅」のDVDコレクションが空前の売り上げになっているらしいが、日本のドラマは40-50年前に完成を極めている。今朝の散歩、野球場に濃いモヤがかかっていた。霧にしては、
四人の人間が、同じ屋根の下で暮らしている。ただの電話から家族が崩れていくとは誰も知らず、見知らぬ他人との雑談、という行為が小さなひびを入れていた。堤防が決壊するのに大きなひびを必要としない。
AtSeventeenAtSeventeenProvidedtoYouTubebyDistroKidAtSeventeen·JanisIanBetweentheLines℗RudeGirlRecords,Inc.Releasedon:1975-03-01Auto-generatedbyYouTube.youtu.beJanisIan..ShehadalotoffansinJapantoo.Therewassomethi
2023年11月29日。脚本家の山田太一さんが亡くなられました。89歳でした。今夜は山田太一さんの追悼を……。本田路津子さんで「耳をすましてごらん」。過去記事はこちら。(リンク貼ってます)→「今日の音楽「アニメ、CMソング、ドラマ・映画主題歌」(その339)」リリースは1972年7月でオリコンの最高位は11位。NHK連続テレビ小説「藍より青く」の主題歌でした。作詞はドラマの脚本も手掛けていた山田太一さんで同じくドラマの音楽を担当した湯浅譲二さんが作曲及び編曲(アレン
八千草薫さん八千草薫(やちぐさかおる)本名:谷口瞳(たにぐちひとみ)旧姓:松田瞳(まつだひとみ)愛称:「ヒトミ(ちゃん、本名に由来)」1931年1月6日生まれ、2019年10月24日、88歳没。大阪府出身の女優。所属事務所は柊企画。宝塚音楽学校卒。1947年、宝塚歌劇団入団。1952年、宝塚歌劇団のミュージカル『源氏物語』の初演で、可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役と
1月3日の朝日新聞「天声人語」の文章を拝借しました。1月1日は夕方からテレビ番組「出川哲郎の充電・・・」を見ようとしていて、緊急速報で能登半島地震が流れ、NHKの画面を見ると、緊迫した強い口調で「逃げて」の叫び声が何度も訴えかけていました。あの緊張感ある叫ぶ女性の声は心に残り、遠く離れた九州からでも後押ししたくなる叫び声でした。そして1月2日の夕方の羽田空港での火災事故、なんで「正月早々」と思った。2014.1.9の朝日新聞のスクラップ記事から山田太一さん(2023.
気がつけば、クリスマスが終わった。人混みが年々苦手になる。それなのにクリスマスの街並みが見たいという矛盾。結局、銀座へ。見上げるような大きなツリーが好きだ。暮れになって、山田太一氏の訃報。欠かさず観たドラマの数々。最近また見直して楽しんでいる。「岸辺のアルバム」は、ジャニスイアンの曲と国広富之の荒削りなお芝居と、とても不倫などしそうに無い八千草薫の主婦の迷いと寂しさが、今見ても胸に迫ってくる。私のブログに時折、いいねを下さる真行寺君枝さん。君枝さんのブログ
次回1月18日(木)の「まっくら図書館の読書会」は山田太一『早春スケッチブック』里山社早春スケッチブック(山田太一セレクション)400ページISBN:978-490749704019x11.5x22cmsatoyama-store.shopをみなさんといっしょに読みたいと思います!山田先生に6年間、毎週取材したことや、そのときに『早春スケッチブック』についてうかがったことなどもご紹介したいと思います。よろしかったらご参加ください。新規参加、歓迎です!読
今晩の19時30分からの放送です!音声と写真を提供しました。6年間の取材の音声が公開されるのは、今回が初めてです。山田太一ドラマを愛する人たちによって作られているので、いい番組になっているのではないかと思います。期待と不安を胸に、私も今晩見ます。NHKクローズアップ現代「山田太一生きる哀しみを見つめて」山田太一生きる哀しみを見つめて-クローズアップ現代「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など数々の名作ドラマを手がけた脚本家の山田太一さん。最晩年、自作について語った
先週、脚本家で「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」などで知られる、山田太一さんが亡くなっていたことが発表されました。享年、89歳でした。山田太一さんのドラマはある世代から上の方は、1974年の多摩川水害をモチーフに中流家庭の崩壊と再生を描いたTBS系金曜ドラマ「岸辺のアルバム」や元特攻隊の生き残りの警備保障会社で働く初老男性と共に働く若者たちとの交流、現代社会の歪みと人としてどう生きるべきかを描いたNHKドラマ人間模様「男たちの旅路」のイメージが強烈かと思いますが
先日の山田太一先生についてのトークイベントが、アーカイブ販売されることになりました!本来、その予定ではなかったのですが、ご要望が多かったためです。ありがとうございます!はからずも追悼の会になってしまったのですが、よかったらご視聴ください。【アーカイブ販売】『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉山田太一未発表シナリオ集』刊行記念トークイベント山田太一幻の脚本奇跡の発見※イベントは2023年12月2日、今野書店にて開催されました。※本チケットは2024年3月7日までの限
数多くの名作ドラマ手がけられた日本を代表する名脚本家・作家である山田太一さんさんが11月29日、老衰のため、川崎市内の施設でお亡くなりになりました。89歳でした。6年前に脳出血で倒れられたのをきっかけに、執筆活動をやめられて、その後、施設へお入りになったと聞いてはいましたが、その時が来たんだと、山田さんの作品の一ファンである僕は寂しさで一杯です。過去にこのblogでは、何度か山田さんの作品のことを取り上げさせていただきましたが、ここ数日は、netの配信や、DISCに録りためた過去