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吉田拓郎BriliantSongs週末厳選・至高三選『岡本おさみanthology1』#くそくそくそくそだ。!!#早く消えろ。!!
日本独自の月の呼び名。月齢を基にした「三日月」や「十五夜」は小学生の頃から知っていたけれど、月が西の地平線に沈む姿から付いた呼び名の「上弦の月」や「下弦の月」を知ったのは中学2年生の時。吉田拓郎さんが1972年の夏に発表したシングルレコード、当時大ヒットした『旅の宿/作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎』の歌詞の一節🎶どんな月が上弦or下弦??と、中学生の頃はインターネットなど無かった時代、国語辞典で調べたっけ🧐月が沈むときの姿を「弓」に例え・・・上弦の月は、地平線に対して弦を上にして夜半
11月30日岡本おさみさん命日レコード大賞の「襟裳岬」や吉田拓郎さんの「旅の宿」など沢山のヒット曲を作詞された岡本おさみさんが亡くなられて今日で早や10年になります岡本おさみさん(1942~2015)放送作家から作詞家に転身されて1970年代に活躍~♪吉田拓郎さんの作曲♬で1974年第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」など多くの作品を手掛けられました様々な歌手に詞を提供されてます森進一さん・森山良子さん由紀さおりさん・TheBadBo
吉田拓郎さんが1972年7月にリリースしたアルバム「元気です。」は、初めて買った拓郎さんのアルバムで、初めて買ったLPレコード🎶当時私は中学2年生で、アコーステッィクギターを初めて弾いたのがこの年の秋🎶LPレコードのB面3曲目、作詞は岡本おさみさん、作曲は吉田拓郎さん、この〝黄金コンビ〟による楽曲が『まにあうかもしれない』🎶半世紀以上経った今、66歳となった今でも大好きな拓郎さんの曲🎶僕は僕なりに自由に振るまってきたし僕なりに生きてきたんだと思うだけど、だけど理由もなくめいった
名曲「お伽草子」の中の「蒼い夏」岡本おさみの「幸せの描写」がうまいその名曲を安頓がカバーしてみましたこの蒼い夏、「お伽草子」というアルバムの中にあった曲。静かな浜辺での、何気ない風景の中にほんわりとした幸せな風景を見た。岡本おさみの素晴らしい描写、拓郎のメロディー、たぶんギターは石川鷹彦大先生だと思うけど、当時テープを何度も巻き戻して耳コピしたもんです。この上の写真、私が京都にいた頃の写真です。まだ真新しいS.YairiYD305あの崩れるような最後のCmaj
祭りのあとの淋しさがいやでもやってくるのなら祭りのあとの淋しさはたとえば女でまぎらわしもう帰ろう、もう帰ってしまおう寝静まった街を抜けて~吉田拓郎・岡本おさみ~祭りのあと未だ、灯りは灯っている。【最大800円OFFクーポン!買えば買うほどお得】コールマンColemanツーウェイキャプテンチェアレッド2000031282キャンプチェア折りたたみイスアウトドアチェア川海花見運動会秋まつりおすすめおしゃれ楽天市場${EVENT_LABEL_0
吉田拓郎が「フォーク」を根本から変えたように岡本おさみは、拓郎の曲や声を借りてフォークシンガーが歌う世界を根本から変えた人だと思う。岡本おさみは今から10年前に73歳で逝った。吉田拓郎とのタッグで数多くの名曲(詞)を書いていた頃はこの写真のような感じだったのだろうか?たくさんの作品群ここに載っていないものも多い。岡本おさみの詞(だけ)を読んでもたぶん伝わらないだろう。拓郎が曲を付けて歌うことではじめて、その詞の世界が生きてくる。作者がいなくなっても歌は残るよく、そ
🎵黙りとおしたぁ~!年月を~~!ひろい集めてぇ~!暖めぇ~!あおぉう~!襟裳のぉ~~!春はぁ~~!あぁ~~~!何もぉ~!ないぃ~~~~!・・サルぅ~~ですぅ~~~~~~~~!(⌒‐⌒)《か・い・せ・つ》襟裳岬は北海道幌泉(ほろいずみ)町にある岬で、風速10メートル以上の風が年間260日以上吹く、とても風の強い場所で、ゼニガタアザラシ(待て~!ルパン~~💢)の生息地なのだそうですが襟裳岬といえば・・・50代以上の方々には言わずと知れた1974年、森進一さんが歌い130万枚のミリ
復AmebaPigg🈑'74襟裳岬+吉田拓郎セルフカバー【名曲特撰】【歌うピグ】【復活ピグ】よろしかったらYouTubeチャンネル登録よろしくお願いいたします
『歌ってよ夕陽の歌を』太陽の動きと心の距離をなぞる歌詞考察1975年、森山良子の歌声で発表されたこの曲は、岡本おさみの言葉、吉田拓郎のメロディ、そして“夕陽”というモチーフが織りなす、静かで深い詩である。この詞に描かれているのは、決してドラマティックではない、けれど確かな“心の距離”だ。それは、大きな感情の爆発ではなく、日常のなかにひっそりと差し込む、光と影のような距離感である。【歌詞】歌ってよ夕陽の歌を歌ってよ心やさしくあなたは坂を登ってゆく私はあとからついて
井上陽水:「これでも40年以上やってるとね、ポールに会いたいなら会わせますよ、と言ってくれる人もいるんですよ。でもねえ、何か遠慮します、という感じなんです。そういう性格なんでしょうけど、こちらはティーンエイジャーでしたし崇めてた。”神”みたいなところがありましたから。そんな畏れ多い(笑)」「一生懸命でしたからね。雑誌は読む、切り抜きはする。ちょっとでもビートルズの事を話してればラジオに聴き耳を立てるまさにマニアでした。でも、最初は音楽的な事よりも、彼らの発言や行動の方でしょう
るそんべえです。ちょっと、機会が合って吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」を聴いています。吉田拓郎と言えば、岡本おさみが拓郎の詞を書いていることで知られています。が、このアルバムでは、吉田拓郎自身が詞を書いているのも多く見られます。その中の一曲「ペニーレインでバーボン」。このアルバムのオープニングを飾る曲です。私が作詞する場合、1番2番くらいまでは、詞が頭に浮かぶのですが、それ以上が続かないということがよくあります。そうすると、最後はサビを繰り返すだけ、それか1番か2番をもう1度
妻の手術のことがどうしても頭から離れずかと言って沈み込むわけにもいかず妻との会話はいつも以上に明るく笑って何事もないように日々を送っている。俺自身の日々の行動もただ黙って悶々と暮らして1月以上を過ごすのはやりきれないのでツイキャスライブをして適当に歌を歌ったり喋ったり看板を作ったり散歩したり独り言を言ったり、そういう日常を送っている。これは何かというと別のことをして気持ちをごまかしている嫌なこと不安なことから気持ちを紛らわしている。吉田拓郎の一番売れたLPレコード「元
『雪』猫作詞・曲吉田拓郎1972年8月発売今日は2月22日巷で言う「猫の日」であります故に猫特集でこれ等は私のレコードライブラリー所蔵です『地下鉄にのって』猫作詞岡本おさみ・曲吉田拓郎1972年11月発売👆の『雪』もそうですが完璧に拓郎サウンドですね👆の猫は名取市の実家で飼っていた雄猫「ソウル(魂)」君(通称「そうちゃん」)6年前に旅立ってしまいましたがお利口さんな猫でした捨て猫と言うか飼い猫だったのですが飼い主が転居の際に置いてけぼりとなり当時地域
吉田拓郎「おきざりにした悲しみは」1972年発表の曲だが、リアルタイムでは聞いていない。1974年から始まった拓郎の「オールナイトニッポン」を聞くようになり、その流れで耳にしたのだろう。オールナイトニッポンで印象に残っているのは、やはり突然の「離婚宣言」、1975年9月のことだ。後から知ったことだけれど、この放送を聞いたマスコミがニッポン放送に殺到し、深夜の生放送での抜き打ち離婚宣言という手段に激怒した記者たちと拓郎の間でもみ合いが起き、この騒動が元で番組は打ち切りになった。記憶で
昨年から話題にはなっていた。なんともかっこいいティザー広告だろう絵になる人である映画のタイトルに「ボブ・ディラン」名前も入れないけど分かるのが凄い分かる人には分かるし、知らない人は観ないだろうだから。予告編をみると見てみたいと思った。そういえば、加藤和彦の「トノバン」もまだ観ていないだけど(*^^*)詳しくはコチラ>>
作詞岡本おさみ作曲吉田拓郎歌川村ゆうこ曲名大晦日ピンポイントな曲名🤞-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
『FNS歌謡祭』舞台裏ショット公開!『FNS歌謡祭』第2夜Part3たまたま録画されていた(笑)特別番組は得てしてこの症状が・・・正直どうなんだろう?二人のコラボは見ものなのでしょうがこの曲を歌ってくれるのは良いけどやっぱり拓郎の歌には勝てない気がしたアレンジもあまり変わらないもっと全く違うアレンジで驚かせて欲しかったと思ったのは私だけでしょうか(^_^;)
吉田拓郎さんや南こうせつさんら著名音楽家に多くの詞を提供した岡本おさみさん(1942~2015年)の功績を伝える音楽記念碑が命日の11月30日、出身地・鳥取県米子市の市公会堂広場に完成した。岡本さんが作詞で最も大切にした「日々の暮らしを唄(うた)う」の言葉が記され、式典に駆けつけた全国のファンは詞の心が次世代につながることを願った。米子市公会堂の前広場に建立された岡本さんの功績をたたえる音楽記念碑。11月30日、岡本さんの長男の邦彦さんや去年地元につくられた「岡本おさみ
🔷岡本おさみ(1942年1月15日-2015年11月30日)日本の作詞家。放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期(1970年代)に活躍した。作曲者としての吉田拓郎(旅の宿など)とのコンビで知られ、森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。吉田拓郎さん「岡本氏と僕の無言の共通テーマは『逢いたい』でした」「襟裳岬」などの作詞家・岡本おさみさんの功績たたえ、地元に音楽記念碑が完成鳥取・米子市(山陰中央新報)-Yaho
岡本おさみは73歳で亡くなったのか今の俺と同じだ。岡本おさみの詞だと、決まって、旅の宿、襟裳岬、落陽、などのヒット曲が言われるが(それは当たり前だが)ビートルズが教えてくれた祭りのあとリンゴアジアの片隅でおはよう赤い灯台泉谷しげるの「黒いカバン」、、、などなどヒット曲ではない素晴らしい歌詞が、たくさんある。記事内の動画は、大したことない。というより、つまらない。「襟裳岬」など昭和の偉大な作詞家・岡本
出身地の鳥取_米子「岡本おさみ氏もきっといろいろな旅を続けながら、この地の記憶に想いをはせてペンを走らせていたと確信している(吉田拓郎)詳しくはコチラ>>
先週土曜日(10月5日)に拝聴した、西寄ひがしさんのラジオ「演歌特選市場」で流れた、KIINA.のリクエスト曲は「男の絶唱」でした!氷川きよし/男の絶唱【公式】(2017)そして、この回の特集は「岬」特集.新沼謙治さん「おもいで岬」、川中美幸さん「越前岬」、森進一さん「襟裳岬」が流れました.西寄さんの「今」を決定づけた森進一さんですね・・・.西寄さんは森さんに感謝されるとともに、その森さんが歌われた「襟裳岬」のエピソードを紹介.当初B面として発売される予定
秋の風物詩といえば?俳句でしょうかね。今から半世紀近く前にリリースされた吉田拓郎さんの「旅の宿(作詞:岡本おさみさん)」の歌詞中にも出てきますけど、秋といえば私のような特に知識のない日本人でも「ひとつ俳句でもひねって(みるか?)」という気になるのが不思議です。話は飛びますが、「インド、お酒、俳句」分野に関して、私が勝手ながら「師匠」と呼ばせていただいている方に「ろっきぃ様」がいらっしゃいます。師匠は「ろっきぃのお酒ブログ」の過去記事で、テレビ番組のプレッシャーバトルこと
Vol.100【若い頃はフォークソングが人生の一部だった①】の続きです。前回は、「海援隊」と「長谷川きよし」さんについてお話しして終わってしまいました。今回は、1970年代の前半に青年期を過ごした私の、極めて個人的なフォークソングとの関わりをお話しします。文科系の大学に入った私は、高校時代(と浪人時代)とは比較にならないぐらい自由な時間が増えて、自然と暇な時にはFM放送などで音楽を聴く機会が増えていきました。最初に私の耳にとまったフォークソングは、「猫」というグループの「各駅停車」(1
好きな詞1「襟裳岬」音源のみですが、岡本おさみさんの詞について、いろいろと話しています。良かったら聞いてやってください。
11年前のフェリー「さんふらわあ」乗船時、室内のテレビには〝時間帯ごとの航行位置の地図〟が映し出されていた。その地図に映った『室蘭』のふた文字を見て、真っ先に思い浮かべたのが、1974年7月にシングルレコードのB面として発売された、よしだたくろうさんとかまやつひろしとさんによるデュエット曲『竜飛崎』の歌詞。レコード発表当時は高校一年生。A面『シンシア』よりも、このB面『竜飛崎』の方が拓郎さんらしくて好んで聴いていた。そして、それは今も変わらない♫『竜飛崎』作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓
小柳ルミ子の「赤い燈台」は1974年リリース岡本おさみ(作詞)吉田拓郎(作曲)「ひとり囃子」のB面曲吉田拓郎の提供曲をB面で使用するなんて・・・この曲「赤い燈台」は吉田拓郎の初めてのカバーアルバム1977年リリースの「ぷらいべえと」に収録シンガーソングライターが過去、他者に提供した曲を自分自身の歌唱で発表するいわゆるセルフカバーアルバム収録曲やシングルレコードのB面で使用された曲なのであ
以前、山陽から山陰をつなぐ伯備線の特急新型「やくも」について記事にしたことがありましたが(特急「やくも」新型車両273系を見た日)、昨日、鳥取県米子市に出向く用件あり、特急「やくも」に乗車しました.想像以上に揺れて(もともとかなり揺れます)、乗り心地を楽しむことはできませんでしたが、official髭男dismの車内チャイム♪は聴きました.↓「やくも」づくし↓社内も雲が飛んでいます!↓翡翠色のシート
作詞家・岡本おさみ氏の音楽記念碑プロジェクトが始まっています。プロジェクトとクラウドファンディングのリンク先をHPから紹介しています。吉田拓郎の「旅の宿」「落陽」等、旅先で綴った詞で'70年代、多くのファンの心を引き付けた吟遊詩人の岡本おさみさんの業績が時代の流れで忘れ去られることなく、形づけられることが実現できることを願います。