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朝食にオクラが出てきたオクラのみどり色が、いかにも夏らしい。目に飛び込んでくるやはり、オクラはみどり色だからオクラであるいざ、食べようとしたときに…どういうわけか、山上憶良(やまのうえのおくら・660-733)を思い出した。奈良時代初期の歌人で『万葉集』に多くの和歌が収められているオクラを見て、山上憶良に結びつけた自分のことが好ましかった「やまのうえのおくら」って知っている?…と、妹に尋ねてみた「山の上でできたオクラのこと…?」…と彼女は神妙な顔で答えた可笑しかったオ
8月葉月「葉月」は8月の和名旧暦8月は、中秋、今の9月頃「葉月」の由来は、葉が黄ばみ落ち始める頃(諸説あり)8月7日は二十四節気「立秋」夏が極まり、秋へと向かう候夏真っ盛りですが猛暑もピークと思へば少し気持ちが楽になります葉月をテーマに茶の湯でおもてなし🍵床の間掛物は「朝顔」の画賛「金風初動露華滋看得朝輝未上時」きんぷうはじめてうごいてろかしげしみえたりちょうきのいまだのぼらざるとき秋風が吹いたよう、朝日が昇れば葉に降りた朝露がキラキラと
春日大社万葉植物園は1932年(昭和7年)、国内最古の万葉植物園として開園した。植栽植物は万葉集に詠まれた草木を中心に約300種。ただ暑さの厳しいこの時期は、植物園にとっては“端境期“。それでも大賀ハスやオミナエシ、ヒオウギ、ナデシコ、キキョウなどが開花し出迎えてくれた。大賀ハスの蓮池があるのは春日大社の表参道に面した正門側のすぐそば。解説板によると、ハスの万葉名は「はちす」で、4首詠まれている。そのうち1首を紹介している。「ひさかたの雨も降らぬかはちす葉にたまれる水の玉に似たる見む
今年もまた沢山咲きだしました桔梗こんなに暑いのに秋の七草秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝顔の花」山上憶良良いですね桔梗を眺めながら万葉と繋がっているしかし暑い簾で気分だけでも
蝉の合唱を聞きながら洗濯物を干していました木の枝に抜け殻がぶらさがっていましたが庭の石の上にも抜け殻が張り付いていましたそして・・・・・足元には羽化できなかった蝉が羽化できない蝉は結構いるみたいですね(;^_^Aそしてさきほど・・・・・ブログを開けたらたろじろママさんのところのじろう君が虹の橋を渡ったとのことたいへんビックリしましたじろう君は病気と闘っていましたよく頑張りましたねご冥福をお祈りいたします夜中に体調を崩してしまったのですね(´;ω;`)ママさんも
2026年7月12日いつも通りの野菜サラダです。牛乳と甘酒を混ぜたものとコーヒーと豆と野菜のポタージュとそれとクラッカーにクリームチーズを載せたものとで朝食セットとしました。今日は団地のグリーンデイで、階段近くの草取りを住民全体でします。5階の住民は現在入院治療中なので欠席は仕方ないのですが、なぜかほかの階段の人も参加しませんでした。なのでこの階段では家内と私だけでした。隣りの階段の人達は全員参加されているようですが、私の階段の住民は協調性がないようですね
今日は2026(令和8)年7月1日(水曜日)、暦による2026(令和8)年の下半期がスタートしました。私の職業は「士業」の1つである社会保険労務士であり、「自宅兼事務所」の形ながらも福岡県にて一応事務所を運営しています。事務所の名称は「青松(せいしょう)社会保険労務士事務所」福岡市博多区に所在する福岡県立博多青松(せいしょう)高校が由来となっています、と言いたいところですが実はこの事務所名は事務所開設時からのものではありません。最初の事務所名は「嘉麻社会保険労務士事務所」、当時の
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る一茶この句が好きかと聞かれたら、「はい、そうです」ともいえないけれど、最近また出会って興味は湧いた。まずは中七の字余り八音に続いての下五が七音とは珍しいな、五八七で計20音だと。蚤蠅にあなどられつつ今日も暮れぬ一茶には他にも下五の字余りはあるが、ここだけの6音だし、涼まんと出づれば下に下にかな「下に下にかな」と8音になると、句跨がりに仕立てている。中七の繰返しも一茶の個性の一つと知ったが、そうでない使い方もする。寝がへりをするぞそこのけき
母が亡くなって、早2週間が経過しましたが、有難い事に、多忙な日常にそれ程悲しさを引きずる事もなく、忙殺されております・・。中学校の学校医、介護認定審査会の委員に加え、この春から心臓検診の仕事も依頼され、沢山の心電図読みと二次検診をこなさないとダメでして・・先週は、WBC決勝リーグで日本応援しないといけなかったし、3/20〜3/22(本日まで)には、日本循環器学会総会が福岡で開催され、しんどい中、気分転換を兼ねて現地参加(久々の新幹線🚄)し、循環器専門医更新の為、知識のア
2026年度版馬場あき子の外国詠8(2008年5月)【西班牙Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放レポーター:H・Sまとめ:鹿取未放70肥えて思ふエステ日本やさしけれ精神はかすか無に近づくを(まとめ)(2015年10月改訂)「エステを受けて気持ちよくなった」歌という意見が出たが、68(
今まで一番感謝していることは?▼本日限定!ブログスタンプ192か国に及ぶという地球上の様々な国家の中で、「日本国民」として誕生できたことは宝くじの「1等」を握って生まれてきたのと同じだと思っています。そしてその時が、超過酷だった大東亜戦争という国難が止んだときから十五年後の復興・発展の中だったことにも感謝です。神ならぬ身が…何を望んでも詮無い事なのですが、この世から飢えと闘いが無くなるならば、自分の余命が今この時に尽きても、年若き家族や、我が若き親族たちに関する憂いはた
敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公の様な心持がし出した。彼岸過迄/夏目漱石たまたまTVが点いていて「ばけばけ」をやっていた、そうしたら、「探偵」だったか🧐「探偵小説」だったか🧐そんなセリフが耳に、、で、ん?となったそんなはずはない👀⁉️閑話休題春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ山上憶良/万葉集御朱印・生國魂神社(丙午)・玉造稲荷神社(初午)・熱田神宮(初参り)・乾向山大雲院(千手観音)こんな
春一番が吹くかも、とそんな天気予報は何処へやら早春の穏やかな日和で何よりあとは、白花の枝垂れ梅が咲くのを待つばかりの境内で今日ものんびり「静」のひととき春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむー山上憶良ー
おはようございますまずるかです^_^ある日玄関前の鉢の中で咲いていた花⬇︎確かこれは一昨年の秋のカミさんの習っているピアノ教室の発表会で参加者に先生から贈られたナデシコだった筈だナデシコといえば先日来ちょくちょく書いている「秋の七草」だ秋の七草といえば万葉の時代、山上憶良が詠んだ「萩の花尾花葛花なでしこが花をみなえしまた藤袴朝顔が花」が元になっているそうだそうは言いながらもこの鉢の花、どんどん新しい花が咲いて来てとうとう一年中咲いていたんでビックリしたんだったそれをカミさんに話した
以下はかなり以前に「古田史学の会」に投稿し不採用となっていたものを若干改めたものです。(誤解があった部分の訂正と最新の理解で部分的に書き換えています)「貧窮問答歌」についての若干の考察(改)「要旨」「山上憶良」の「貧窮問答歌」について、疑問とすべきことがあること、「五十戸」という表現からは実際にはかなり遡上した時期に読まれたと思われること、「貧窮」の原因として「六八四年」の大地震と津波が考えられること、山上憶良の昇進スピードから見て「旧倭国」の官僚であったとみられること、プライドを示す
食材のニンニクについて書こうとしているのではない。「忍辱(にんにく)」とは仏教用語で、他者からの様々な迫害や苦難を耐え忍ぶことをいう。ただ、連想ついでに、食べ物の話からはじめていきたい。下の息子が保育園を卒園した時のことだ。卒園アルバムの中にある「ぼくの好きな食べ物」コーナー。わが子は、たどたどしい筆跡で「チャーハン」と書いていた。別に中華料理屋に頻繁に連れて行った訳ではない。筆者があり合わせの食材でつくったソレを指しているのであろう。世の中に星の数ほど料理はあれど、ま
万葉集と古代史が好きなみくるですこちらの記事では大和神社と戦艦大和の絆についてお伝えしました。『【大和神社】「生きたかった未来」という言葉の重み。戦艦大和展示室で向き合ったこと』大和古道の歴史散歩を楽しんでいるみくるです先日訪れた、奈良県天理市にある「大和神社(おおやまとじんじゃ)」。前回の記事ではそのスケール感や美しい絵馬についてご…ameblo.jp境内にはもう一つ、私の心に深く響いた場所があります。それは、万葉歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の歌が刻まれた「好去好来(こうきょこ
イキって本を読んでみようと思い220冊目に入りました。今回読んでみたのは「万葉集」(角川書店編)奈良時代の歌集「万葉集」の4500首の歌の中から140首を厳選したダイジェスト版の本です。これまで読んだ物語の中で平安時代の貴族がやたらと万葉集から和歌を引用していたので気になっていたんですよね……。これを読めば私も平安貴族になれるでしょうか?それでは感想を書き散らかしていこうと思います。適当な概要奈良時代に編纂された日本に現存する最古の歌集。大伴家持や柿本人麻呂などのプロの歌人の作
今年最後の茶の湯会参加者はお客様8名総参加者10名お茶が手に入りにくくなったとのこと。昔小学生の時旅館では配給でコメが入手不可のときはみんな自分の分を持参でした。同じくお客様が自分のお茶を持参d茶会をせざるを行けない時代が来るかも。(もっとインバンドがお土産に大量に買い込むのが原因。中国人が来ないようにもっと中国国家が日本へ旅行するなと言わせないとだめですね。韓国ではもっと深刻らしい、SNSに日本が羨ましいと投稿されているとのこと。韓国は中国人の観光客公害で参ってるようです。どうして中国人
○歴検日本史の出題に備えて史料参考書を読んでおりましたらね、◇『貧窮問答歌』山上憶良貧窮問答の歌一首短歌を并(あわ)せたり風雑(まじ)へ雨降る夜(よ)の雨雑へ雪降る夜は術(すべ)もなく寒くしあれば堅塩(かたしお)を取りつづしろひ糟湯酒(かすゆざけ)うち啜(すす)ろひて咳(しわぶ)かひ鼻びしびしにしかとあらぬ鬚(ひげ)かき撫でて我(あれ)を除(お)きて人は在らじと誇ろへど寒くしあれば麻衾(あさぶすま)引き被(かがふ)り布肩衣(ぬのかたぎぬ)有
遣唐使(けんとうし)とは、日本が唐に派遣した使節である。日本側の史料では、唐の皇帝と同等に交易・外交をしていたと記して対等な姿勢をとろうとしたが、唐の認識として朝貢国として扱い、『旧唐書』や『新唐書』の記述では「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。中国大陸では618年に隋が滅亡し唐が建国されたため、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。舒明天皇2年(630年)に始まり、以降十数回にわたって200年以上の間、遣唐使を派遣した。最終は承和5年(838年)。さらにその後、寛平6年(
万葉集863大伴旅人等松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人のともしさ万葉集865吉田宣君を待つ松浦の浦の乙女らは常世の国の天乙女かも☆☆☆前文(山上憶良)大伴の左提比古の郎子、特に朝命を被り、使いをとつ国に承る。船装いして帰り、すぐに蒼波に赴く。妾、松浦佐用比売、この別れの易きを嘆き、その会ふの難きを嘆く。すなわち、高山の嶺に登りて、遥かに離れ往く船を望み、うらみて肝を断ち、痛みて魂を消す。遂に、領巾を脱ぎて振る
秋の七草のどれもが独自の風情をみせて魅力的です萩の花尾花瞿麦の花女郎花また藤袴朝顔の花山上憶良順列つけがたく、秋を謳歌する花たちです朝顔には桔梗説をあてたいと思います萩も佳し、なでしこも女郎花も藤袴の香りも、桔梗のむらさきもなかで薄の花、尾花です夕刻の尾花を見上げてみました地に低く咲くほかの花とはひと味違って空に溶け込んでゆれる尾花はまさに、今これから尾花が靡く姿は、人を招いている趣とか
銀も金も玉も何せむにまされる宝子に及かめやも(万葉集803)銀も金も真珠の玉も何よりも素晴らしい宝子には及ばない
おはようございます。神社を守る家系に生まれ11歳で巫女デビューした文筆家の白鳥詩子です。今日は向島百花園・第4弾俳句・短歌の聖地偉人たちと歌を読み交わせる名庭をお届けしたいと思います。向島百花園の見所ろ紹介👇『日本で唯一、江戸時代から残る美しい花園【東京】』おはようございます。神社を守る家系に生まれ11歳で巫女デビューした文筆家の白鳥詩子です。今日は日本で唯一残っている江戸時代の手作り名園であり江戸市民…ameblo.jp
ようやく秋めいて自転車の風が心地よい✨️秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花山上憶良秋の七草はぎききょうくずおみなえしふじばかまおばななでしこまぁるい秋のやさしい日射しがうれしいですね😊夏のお疲れ出ませんように🍁こちらの作品が描ける講座お問い合わせはこちらから日本己書道場area18.smp.ne.jp#己書#香川県#高松市#筆文字
#萩の花尾花葛花……★☆萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花:山上憶良:歌意:秋の野に咲く七草は、萩、薄、葛、撫子、女郎花、そして藤袴、朝顔。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#万葉集第八巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~はぎのはなおばなくずばななでしこのはなおみなえしまたふじばかまあさがおのはなみなさん、お元気?前の歌の七草の七種類の花を詠んでいる歌やね。尾花は穂の出たススキの事よ。朝顔って夏に
#かき数ふれば七種の花……★☆秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花:山上憶良:歌意:秋の野にさまざまに咲く花を、指を折りながら数えてみると七種類の花があった。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#万葉集第八巻より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~あきののにさきたるはなをおよびおりかきかずうればななくさのはなみなさん、お元気?山上憶良の作品やね。この次の其二と供に秋の七草の由来となった歌やね。ふ~ん。ところで、「指折り
💦汗だくだけれど季節は確実に来ていますいやきて欲しいものです秋の野に咲きたる花を指折り(およびおり)かき数ふれば七草の花萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花女郎花(おみなえし)また藤袴(ふじばかま)朝貌(あさがお)の花あさがおは桔梗です漢字は楽しくまた難しいネット拝借↑しみじみと🙂やっと季節が動いたかな
「九州王朝衰亡と日本国成立」論(三)――「日本国」は何時成立したのか――黒澤正延一,本稿(二)により,六七八年の「斉明崩御」をもって,「九州王朝」は名実ともに消滅したことを論じた。一方,「近畿天皇家」においては,唐の圧力の下,「筑紫君薩野馬から中大兄皇子」へ「倭国」の支配権が委譲され,六六七年「近江朝」が成立し,天智が即位した。しかし,その後継者であった「大友皇子=弘文天皇」が