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とりあえずバーッと貼っていきます。これもこれもこれもこれもこれもこれもこれもこれもみんなおんなじマーチ73Sなんですよね。オリジナルのマーチシャーシもあれば、為替レートの差により今より高価だったために御殿場レース村のレーシングガレージ謹製によるコピーマシンのこともあるわけですが。こうやってMCS製カウルをかぶせられて、グッピーへと進化できたのは5台ほどですからね(ただ73Sではなく74Sや75Sのものもあり)。そんな事を想う「73の日」なのでした。
LARKといえばこの色…なんだけど、年代やカテゴリーによって多少の差異はあったようなイメージ。83年あたりまではこういうブラウン系のような暗めのイメージだったし、これこそLARKって感じ。でも、今って青いLARKが売ってんのね。でも、LARKって赤じゃないと「違う」感じがする。あ…僕はタバコなんか吸うような愚かな人間ではありませんのでね。そんなもの吸って喜んでるような奴は、臭いから近寄んな。
クラージュですな。いま思えば、こんなカタチでGCを復活させていたら人気も出ただろうに…とか考えるのはおかしいんでしょうか?どことなく複座時代のようにも見えるスタイル。富士で走るときはライトを廃したカウルでスプリントレースをして、ル・マンなどに打って出るにはライトを着ければいい。いま富士GCの映像を振り返って見ると、速くて面白いんですよね。フォーミュラの型落ちでなくても、使えるシャーシとかあるでしょうし。市販シャーシを購入したっていい。堅苦しいGTなんかよりも単純明快で面白いと思うんです
サードのトヨタ94C-V。グループCが絶滅したのに、いつまでもC-V系シャーシで中途半端に改造を続けて成績も中途半端だったマシン。こうやって見るとノーズもまあまあ伸びてますが、本来リアタイヤ後端でスパッと切り落とされたカウルがロングテール化されています。カラーリングを変えてしまえば「ポルシェ956の模倣」だといわれても仕方が無いやり方ですよね。そもそも日本では、ヘアピンを回ってからは1コーナーまでずっとアクセルを踏み続けるレイアウトの富士スピードウェイ専用車として設計された複座時代のGC
手前の緑色をした見崎清志選手のマシン。フロントフェンダーに謎の穴が…。こちらはよほどアンダーステアがきつかったのか、チンスポイラーが増設されてますね。このフロントフェンダーの穴は何なんだろう?ひとつ考えられるのが、タイヤハウスの空気を抜くことによりダウンフォースを得ようとする効果。ホイールハブ中心軸より後ろ側に排気ダクトを設けることにより、フロントタイヤが巻き上げた空気をそのまま外へ排出。それもボディー上面の速い流速に引っ張られるのでダウンフォースが得られるわけですが…それならダクト形状
「違いのわかる男」由良拓也その由良拓也さんが70年代に興したのが「ムーンクラフト」。CAN-AMマシンのカウルをモディファイするところからスタートし、富士GCのカウルを設計し「空気が見える」とまで言われていました。流麗なボディーラインが特徴的で、複座から単座になると独自のカウル「ムーンクラフトスペシャル」を製作。シーンを席巻しました。僕にとっての由良拓也さんといえばGCなんですよね。GCもやりながらスーパーシルエットのデザインも担当。その後はマツダの252iからデザインを担当。グルー
さて、今回取り上げるのは童夢の86Cですよ。最初はトムス同様の、リアカウルとウイングが一体化されたスタイルでした。余談ではありますが、信頼性からなのか童夢は3S-G改ではなく旧式の4T-GTをずっと使っていました。その後リアウイングを独立させ、その分の翼断面を広く採っていました。こうやって見ると、エンジンの吸気口も強制的に吸わせるシュノーケル型のトムスに対して自然に吸わせるようにしてますね。後のブリティッシュバーン車(コスワースエンジン搭載)がこのようにしていたので、もしかするとコスワ
セルモって昔(おっさんにとってはついこの間)GCのカウルを作っていた事があるんです。横から見ると少しボテッとしたスタイルでしたが、星野一義選手をはじめ何人かの選手により走らされていました。星野選手のウデもあるでしょうが、常に上位にいたのでカウルの出来も悪くはなかったようです。土台であるローラなりレイナードなりはさておき、ボディーであるカウルだけとはいえ製作できる素質や技術があるのなら、グループCのカウルをモディファイする…ということはしなかったのかな?とは思うんですよね。そんな道もあった
鈴木亜久里選手が、富士GCで駆ったMCS…7だっけ?6だっけ?なやつ()乗り込む際にはカウルを踏んづけると「ミシッ…」どころか「バキッ!」といく可能性大なので、注意が必要なのです。こちらはポルシェ956ですが、ドアを開けると「NOSTEP(踏むな)」の表示が(マシンによってはドアノブの位置にも貼られていることがあります)。Cカーになると、この位置の後ろ側にラジエーターやオイルクーラー、インタークーラーなどがマウントされていたりします。しかもここが歪むとドアの建て付けにもかかわり、下手を
高橋国光という選手は、「好奇心」をもってレーシングドライバー人生を楽しんでいたのかな?と思うんです。おもえば、日産ワークス解体後にそのしがらみからか出られるカテゴリーが制限されていたのか、少し浪人ぎみになっていた時期がありました。そこへどこの馬の骨ともわからぬ若き実業家が興したチーム「ロイス」によばれ、当時の流行とは真逆のワイドトレッドであるマーチ792をベースにしたマシンに乗ります。熱海の別荘でふてくされ気味だった国光選手は、そのオファーを「おもしろそうじゃない!」と二つ返事で快諾したそ
※語弊がありました。「CJr.からのC2」は作ってますwここでカクタス自動車を持ってくるあたりが、当ブログの変態たるゆえんでしてwコホン…話を元に戻そう。GC複座時代からカウルのモディファイを始めた由良拓也氏。「違いがわかる」どころか「空気が見える」とまで言われていました。時代は単座になりMCS1を発表後、マーチ792シャーシをベースにしたロイスRM-1の設計で氏の才能は花開きます。時代は前後しますが、こいつはそもそも複座のGCですからね?耐久レースも走ってますが、改造自由のRクラ
複座時代のGC。当時の主流だったBMWの2リッターエンジンに混じって、ロータリーエンジンも走っていました。後年の係数と違って1.7どころか2.0なんて時代もあったわけですが、何とか同等の性能を発揮してしのぎを削っていました。係数による性能調整はあるだろうけど、2リッターエンジンと混ざってレースをしていたんならJTCCに使えばよかったのに。先に開催されていたBTCCの車を逆輸入する手を取り、クセドス(日本名ユーノス500)を使ったのはいいけど…何せ空力性能は良さそうなのにエンジンがポンコツ
以前ご紹介した従野孝司選手の乗っていたGCマシン(のカウルだけ)。『捨てられたグラチャンマシン。』ぬっ?これは…。ゼッケン60番、伊藤ハム。従野孝司選手の乗っていた、マーチ89G・マツダのようですね。89Gって呼んでますが、シャーシは88B(基本的にグラチ…ameblo.jp現在はさらにえらいことになっているようですね。混同されがちなんですが、現在動体保存されているのはこちらのセルモ89/ローラT88/50ですね。サイドの白/紺の塗り分け部分の白が広い感じ。前から見ると、こんな感じ
…とか言いながら、モータースポーツネタをぶち込むわけですが。こちらは国内(たぶん)某所に放置?廃棄?されているGC用のカウル。ドライバーの後ろ側、エンジンのあたりが高い位置からスッと降りてきているデザインなので…おそらくF3000シャーシ移行後のものなのかな?と。吸気口が左側にある…ということはV型エンジンの証拠ですからね。GCではF2でホンダのV6が台頭してきても、ホンダエンジンが禁止されていたために中嶋悟選手をはじめ吸気口が右側にあるBMWエンジンを使っていましたから、F3000以降に
こちらはトムスから耐久レースに出ていたマーチ75S。1978年に4バルブヘッド搭載の18R-Gが市販されるやいなや、GCに参戦したりRクラスとして耐久レースに出たりしていました。エンジンはそのままF2に使われたり、A60セリカに載せられてIMSAを戦ったのちに日本にやってきたりしましたね。70年代半ばにオイルショックによるワークスが軒並み解体され、耐久レースもワークス放出のツーリングカー主体になりましたが、後半になるとGC用の2リッター複座スポーツカーが数を増やしていきました。長谷見昌弘/
星野一義選手がF2やGCでLARKカラーを纏っていた頃、写真集を出したんですよね。そこにサインをしてもらったことがありました。サインをしてくれたときの星野一義選手(当時)は、レース中にブチ切れてるのとは対照的にとても温厚で優しくて「いい方」でした。そこから一気にファン熱が高まっていきましたね。当時の星野一義選手は非力なBMWエンジンを使っていて、中嶋悟選手が速いホンダエンジンを使っていたので自分も使いたかったけど「元日産ワークスだから」ということで使うのを渋り、ある意味時代遅れなBMWエン
岡本金幸、名前をもじって通称キンコーさん。富士GC…というより「グランチャン」の創生期から参加し続けた孤高のプライベーター。本職はレーシングドライバーではなく、喫茶店「ヘルメス」などを経営する(悪い意味ではなく)マルチな商売をされていました。デビューはこのオリジナルマシンOKAMOTOG7でした。うん、それはガンダムの後番組トライダーG7だね。ちなみに去年40数年ぶりに配信でみたけど、いくつか歌詞は間違えたもののちゃんと主題歌が歌えたんすw子供のころの記憶って、やっぱりすごいっすね
HKSの広告に載る、茂木和男選手駆るGCマシン。その下にはこちら側へ吸気口を向けた、謎のエンジンが。実はこれ、当時GCで主流だったBMWM12/7エンジンをベースにHKS製5バルブヘッドを装着したもの。この直後でしょうか、ヤマハもF2/GC用に5バルブエンジンを開発し、鈴木亜久里選手の手により活躍したのは記憶に新しいと思います(いや、新しくはないやろw40年前やどw)。正直すまんかったwまあまあ昔のことやったw思えばヤマハはトヨタのエンジン開発などを担っているのは皆さんご存知だと思い
そもそも筑波サーキットで12Aロータリーを載せた「ロータリージュニア(RJ)」、鈴鹿サーキットでスバルフラット4を載せた「スポーツカージュニア(SJ)」として始まったのが、後の「レーシングスポーツ(RS)」です。ロータリージュニアならいいんだけど、これがロ〇ータジュニアになると大変なことになるのでご注意を←ノータリンジュニア乙主にウエストなど、鈴鹿サーキット周辺のレーシングガレージが製作したマシンが参戦していました。時代的にアルミモノコック・FRP製カウルの構成のようです。スポーツカーレー
はい、今回は長谷見さんとこが作ったHMS(中の人はラルトRT4・BMW)ですよ。ハセミモータースポーツ(HMS)独自の企画で、1982年の全日本FP(フォーミュラパシフィック、後のF3相当)で使ったラルトRT4シャーシを流用して独自にGC用のカウルを作ったものなんです。GC参戦車の中で最軽量車に仕上がったものの、空力と冷却に手を焼いた結果、予選は13位。エンジンは当時の主流であるBMWM12/7を搭載していました。参戦はこの1983年の第2戦のみで、次戦からはラルトシャシーにMC
71年のグランドチャンピョン第3戦、富士500キロの908です。2ヒート、500キロの長丁場。結果リタイアでしたが、テールフィンを生やしたそのスタイルは、多くのファンの心に刻まれた事でしょう。スターター1/43です。
ホビーフォーラム2024、行ってまいりました。会場前からただならぬ雰囲気でしたが無事に風戸選手のマシンも並べることが出来ました。このそろい踏みをしたかったです。sarth24さん、ありがとうございました。ちなみに風戸選手のマシンの中で一番注目されたのはキャロルでした(笑)。実車同様?一番お財布に優しかったのにね(笑)押すシリーズ、今回はTETSUさんです。中央は鮒子田選手の展示です。いや~、濃い一日でしたよ。
2年前の話です。鮒子田選手グランドチャンピョン50周年でロータスを作りました。プレゼントする筈が「色が違う」といわれたのがこちら私は69年の日本GPで高野ルイ選手が乗ったマシンが流れたものかと思いましたが、違う車だったみたいです。お優しい方から「色味が良いので、これは置いておいて新しキット買ったら」と言われましたが、新しいキットはヤフオクにもお店にもありませんでした。ということでサッパリしていただき自分で言うのもなんですが、ルーフの70年代サイケ風のカタカナが決まりました。アル
11月10日日曜日は大さん橋で行われるホビーフォーラム2024に出展します。今年のテーマは風戸裕選手の没後50年。キャロルからシェブロンまでと意気込みましたが、GRDとシェブロンには辿り着かず、908までになりました。ブースはP-5くるま村少年団です。皆さん遊びに来てくださいねー。
完成しました。ポルシェ908富士300キロです。このレース、序盤から風戸選手は師である田中健二郎選手のローラT160やこの年のチャンピョン、酒井正選手の前をトップで疾走するのです。しかし、マイナートラブルで惜しくもリタイア。田中健二郎選手のローラT160がGC開幕戦を制するのでした。今も時々雑誌に掲載されるT160やマクラーレンを抑えて30度バンクに飛び込む白いポルシェ。興奮せずにはいられません。30度バンクを何度も練習し、ラインどりを教えてもらった師匠、ケンさん(田中健二郎選手)
う~ん、白い908も良いもんですね。それにしてもこのスターターのレーシングポルシェの秀逸なこと。非常に雰囲気のあるモデルです。
テールフィンの保護テープ?の薄い青をクリアブルーで再現しました
ホビーフォーラムまであと1週間だというのに何をしているのか(笑)
富士500キロの908もデカール貼れました。これも間に合って欲しい!
遂に完成しました、雨の第2戦で2位に入った908です。このレースから、908は赤に塗り替えられました。しかし、カラー写真を見ると、第3戦以降とは明らかに異なる、明るい赤です。このレース、2ヒート制で、豪雨の中スタートしました。前半はGTカー勢が優勢で、スポーツプロトは、風戸選手だけが上位勢に喰いつき、4位に入ります。迎えた2ヒート目、雨は上がり、スポーツプロト勢が優勢になります。風戸選手が首位に立ち、酒井選手、このレースのために来日したジョン・ハーベイ選手らが上位を占めます。このままの