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シグマがGCマシンを製作するうえでのイメージイラスト。上のものはGC75(画像はル・マン用MC75)に似てますし下段左側はMC73っぽいですが、後のアルピーヌが製作した「バブルカー」や紫電のように、一応オープンカーの体を成しているけどドライバー(ヘルメット)に当たる風をきれいに流す方向のアプローチがされていますね。それにしても右側の文章で興味深いのが「特殊合成樹脂製フィルムのフレキシブル・スカートを装備し、ボディ後方からの気流吸出しにより下面の圧力を低下、設置力を増強する構想だった。」とい
シグマ・オートモーティブ。現在は頭文字をとってサード(SARD)という社名になっていますが、元トヨタ第7技術部の加藤眞(しん)氏が興した会社であり、レーシングチーム。そのシグマの走り出しはGCマシン製作でした。1973年に登場したシグマGC73。マツダオート東京向けにロータリーエンジンを搭載したマシン。1974年の富士GC第4戦で、岡本安弘選手がロータリーエンジン搭載車に初表彰台をもたらしたのがシグマでした。思えば、この時の縁でグループAのサードスープラに岡本安弘選手が乗ったんですよ
JBスペシャル0Rllですって?あら、松本恵二さんが乗ってらっしゃる。で、このマシンは1974年に伊藤レーシングにより松本恵二選手専用車として製作を開始したものの、オイルショックによる不況やモータースポーツ界の規模縮小などにより、資金不足なども手伝って未完成だったそうです。見た目はそのまんまシェブロンなんですが、どことなくシャパラルの「ファンカー」を彷彿とさせてますよね。どうやらカワサキ100というオートバイのCMに出てたらしいです。-YouTubeYouTubeでお気に入りの
漆原徳光(うるしばら・のりみつ)。通称「ドクター」と呼ばれたレーシングドライバーですね。眼鏡をかけていたり、寡黙なところから医者のようだと名付けられていたようですが、実際には医者ではなく不動産会社の社長が本業なんだそうです。彼がサーキットを走る少し前、レーシングカーにスポンサーのステッカーを貼ったうえで活動資金を調達するのではなく「金持ちのボンボン」が遊び(は最初だけであとから本気にw)でやっていました。であるが故に今や現場を離れたレジェンドドライバーは大病院の息子だとか、画家の息子だとか
由良拓也氏が率いるムーンクラフトが「違いがわかる」前からやっていたのがGCマシンのカウル製作。なかでも代名詞とも言われるのがムーンクラフトスペシャル、通称MCS。様々なライバルカウルが出てくるなか、GC終焉まで主力選手として戦っていました。とはいえ、いきなり誕生したわけでもなくロイスRM-1という、ある意味「特注品」を製作したことにより産まれたのがMCS初号機であるところのMCS1でした。ロイスに関しては…ちょろっと記事にしたこともあるので、参考程度にどうぞ。『ロイスって何じゃろ?』ロ
ロイスRM-1。主に高橋国光選手が乗っていたマシンなんですが、この「ロイス」って何だろな?って思ってたんですよね。洋菓子にロイスってのがあったような気もするけどよく分からないし…。どうやら、この頃に成績が低迷していた高橋国光さんに直接声をかけたら「それ面白いじゃない!」と新規に立ち上げたチームだそうで、そのチームオーナーが「いつかロールスロイスに乗りたい」からロイスと名付けただけで、スポンサー名ではなかったという話。その後、高橋国光選手による快進撃から製作元であるムーンクラフトへ注文が増え
みんな大好き権太坂Z。富士LDやスーパーシルエットレースにも出ていたマシンですが…そのスーパーシルエットでの映像を見ると、とんでもなく遅い()後ろから見…なくてもわかりますが、元々TS規定のスーパーツーリング車両だったんですよね。こちらがその時のお姿。1976年ごろのようです。で、それをグループ5規定に合わせ…たのか、ウイングを取り付けてワークス謹製のクロスフロー版LZ28に換装したもの。ゑ?280psしか出てないの?ウエーバーでたくさん吸い込んでるのに…。とまあ、衝撃の事実が判
ん?何だこいつ。製作された当時のお写真がこちら。何だかバランスがいいけど、明らかにMCSよね?で、実は1984年に放送されたネスカフェ・ゴールドブレンドのCM。みんな大好き由良拓也さんが出ていた回。いまだにキャッチフレーズの「違いのわかる男」ってのが、こすられまくってますがw←なんなら本人まで使ってるしなそのCMの中で出てくるこのマシン…が先ほどの奴なんだそうです。で、ベースになっているのが和田孝夫選手の乗ったMCSⅣだそうで。そこへマツダ717Cの屋根とガラスを移植した、と。
ランチアのLC1でございます。そもそもこの車は1982年のWECに参戦するために製作されたマシンなんですが、ランチアはこの年に始まったグループCではなく、新カテゴリー移行への特別措置として燃費規制がかからないグループ6クラス用として急遽開発したマシンでした。ターボ係数込みで2リッター以下のクラスとすべく、それまでのシルエットフォーミュラで走っていたベータモンテカルロの1.4リッターターボエンジンを採用し450psを発生。車重は640kg(ほぼヨタハチと同等)と非常に軽量で、少なくとも「予選
ヨーロッパの魔境だとか廃物利用だとか呼ばれるカテゴリー「インターセリエ」にはStartCA871というマシンがおりました。80年代初頭の単座MCSをさらに潰したような見た目に、実はマツダ13Bを積んでいたりします。しょせん13Bですから、出たところで300psしか出てないので速さはお察しですわね。この他にもよく似たカウルをマウラーのF2シャーシに被せて13Bを載せたような、限りなくGCマシンに近いものもインターセリエで走ってたようなので出どころが同じ兄弟車がいるようです。このインターセ
1976年のひとシーズンのみ鈴鹿サーキットで開催された、GCマシンによるレース「鈴鹿ジュエルシリーズ」というのがありました。確かにこれヘアピンの立ち上がりですもんね。富士GCの人気に便乗したんでしょうが、1年限りということは…まあ「お察し」だったんでしょうね。「ひとシーズン限り」とはいうものの…実際には・ガーネット鈴鹿200㎞レース(1月)・鈴鹿ダイヤモンドレース(4月)・鈴鹿BIGJOHNトロフィーレース(7月)の3大会しか行われず、ガーネットとダイヤモンドレースが200㎞、
こちらは三菱のギャラン。ΣでもGTOでもない「ただのギャラン」が1972年、富士GCサポートレースのスーパーツーリングに出ていました。まあ、スーパーツーリングと言ってもハコスカやサバンナ、カペラのいるクラスとは別のレースがありまして、セリカやレビン・トレノ、ブルーバードと戦うスーパーツーリング下位クラス(ミドルツーリングなんて呼び方もあったようです)にギャランも出ていました。当時のミドルツーリングは、蟹江光正&久木留博之のトヨタワークスと赤塚不二夫先生出資によるTEAMZENYの藤田直広
本日、岡山国際サーキットにてGCReturnsが開催!といっても、厳密には雑誌のTipo主催の走行会(?)の一イベント。そもそもGCReturnsって何?という方に説明すると、いわゆる富士グラチャンで使用されていた車両でレースをしましょう!というイベント。富士グラチャンは70年代から80年代に行われたスポーツカーレースで、ワークスが参戦していた日本グランプリのあと、グループC時代の前、という大雑把な知識しかないです。正直昨今のレースをみるのには履修してなくていいレースですね。必修科目ではな
とりあえずバーッと貼っていきます。これもこれもこれもこれもこれもこれもこれもこれもみんなおんなじマーチ73Sなんですよね。オリジナルのマーチシャーシもあれば、為替レートの差により今より高価だったために御殿場レース村のレーシングガレージ謹製によるコピーマシンのこともあるわけですが。こうやってMCS製カウルをかぶせられて、グッピーへと進化できたのは5台ほどですからね(ただ73Sではなく74Sや75Sのものもあり)。そんな事を想う「73の日」なのでした。
LARKといえばこの色…なんだけど、年代やカテゴリーによって多少の差異はあったようなイメージ。83年あたりまではこういうブラウン系のような暗めのイメージだったし、これこそLARKって感じ。でも、今って青いLARKが売ってんのね。でも、LARKって赤じゃないと「違う」感じがする。あ…僕はタバコなんか吸うような愚かな人間ではありませんのでね。そんなもの吸って喜んでるような奴は、臭いから近寄んな。
クラージュですな。いま思えば、こんなカタチでGCを復活させていたら人気も出ただろうに…とか考えるのはおかしいんでしょうか?どことなく複座時代のようにも見えるスタイル。富士で走るときはライトを廃したカウルでスプリントレースをして、ル・マンなどに打って出るにはライトを着ければいい。いま富士GCの映像を振り返って見ると、速くて面白いんですよね。フォーミュラの型落ちでなくても、使えるシャーシとかあるでしょうし。市販シャーシを購入したっていい。堅苦しいGTなんかよりも単純明快で面白いと思うんです
サードのトヨタ94C-V。グループCが絶滅したのに、いつまでもC-V系シャーシで中途半端に改造を続けて成績も中途半端だったマシン。こうやって見るとノーズもまあまあ伸びてますが、本来リアタイヤ後端でスパッと切り落とされたカウルがロングテール化されています。カラーリングを変えてしまえば「ポルシェ956の模倣」だといわれても仕方が無いやり方ですよね。そもそも日本では、ヘアピンを回ってからは1コーナーまでずっとアクセルを踏み続けるレイアウトの富士スピードウェイ専用車として設計された複座時代のGC
手前の緑色をした見崎清志選手のマシン。フロントフェンダーに謎の穴が…。こちらはよほどアンダーステアがきつかったのか、チンスポイラーが増設されてますね。このフロントフェンダーの穴は何なんだろう?ひとつ考えられるのが、タイヤハウスの空気を抜くことによりダウンフォースを得ようとする効果。ホイールハブ中心軸より後ろ側に排気ダクトを設けることにより、フロントタイヤが巻き上げた空気をそのまま外へ排出。それもボディー上面の速い流速に引っ張られるのでダウンフォースが得られるわけですが…それならダクト形状
「違いのわかる男」由良拓也その由良拓也さんが70年代に興したのが「ムーンクラフト」。CAN-AMマシンのカウルをモディファイするところからスタートし、富士GCのカウルを設計し「空気が見える」とまで言われていました。流麗なボディーラインが特徴的で、複座から単座になると独自のカウル「ムーンクラフトスペシャル」を製作。シーンを席巻しました。僕にとっての由良拓也さんといえばGCなんですよね。GCもやりながらスーパーシルエットのデザインも担当。その後はマツダの252iからデザインを担当。グルー
さて、今回取り上げるのは童夢の86Cですよ。最初はトムス同様の、リアカウルとウイングが一体化されたスタイルでした。余談ではありますが、信頼性からなのか童夢は3S-G改ではなく旧式の4T-GTをずっと使っていました。その後リアウイングを独立させ、その分の翼断面を広く採っていました。こうやって見ると、エンジンの吸気口も強制的に吸わせるシュノーケル型のトムスに対して自然に吸わせるようにしてますね。後のブリティッシュバーン車(コスワースエンジン搭載)がこのようにしていたので、もしかするとコスワ
セルモって昔(おっさんにとってはついこの間)GCのカウルを作っていた事があるんです。横から見ると少しボテッとしたスタイルでしたが、星野一義選手をはじめ何人かの選手により走らされていました。星野選手のウデもあるでしょうが、常に上位にいたのでカウルの出来も悪くはなかったようです。土台であるローラなりレイナードなりはさておき、ボディーであるカウルだけとはいえ製作できる素質や技術があるのなら、グループCのカウルをモディファイする…ということはしなかったのかな?とは思うんですよね。そんな道もあった
鈴木亜久里選手が、富士GCで駆ったMCS…7だっけ?6だっけ?なやつ()乗り込む際にはカウルを踏んづけると「ミシッ…」どころか「バキッ!」といく可能性大なので、注意が必要なのです。こちらはポルシェ956ですが、ドアを開けると「NOSTEP(踏むな)」の表示が(マシンによってはドアノブの位置にも貼られていることがあります)。Cカーになると、この位置の後ろ側にラジエーターやオイルクーラー、インタークーラーなどがマウントされていたりします。しかもここが歪むとドアの建て付けにもかかわり、下手を
高橋国光という選手は、「好奇心」をもってレーシングドライバー人生を楽しんでいたのかな?と思うんです。おもえば、日産ワークス解体後にそのしがらみからか出られるカテゴリーが制限されていたのか、少し浪人ぎみになっていた時期がありました。そこへどこの馬の骨ともわからぬ若き実業家が興したチーム「ロイス」によばれ、当時の流行とは真逆のワイドトレッドであるマーチ792をベースにしたマシンに乗ります。熱海の別荘でふてくされ気味だった国光選手は、そのオファーを「おもしろそうじゃない!」と二つ返事で快諾したそ
※語弊がありました。「CJr.からのC2」は作ってますwここでカクタス自動車を持ってくるあたりが、当ブログの変態たるゆえんでしてwコホン…話を元に戻そう。GC複座時代からカウルのモディファイを始めた由良拓也氏。「違いがわかる」どころか「空気が見える」とまで言われていました。時代は単座になりMCS1を発表後、マーチ792シャーシをベースにしたロイスRM-1の設計で氏の才能は花開きます。時代は前後しますが、こいつはそもそも複座のGCですからね?耐久レースも走ってますが、改造自由のRクラ
複座時代のGC。当時の主流だったBMWの2リッターエンジンに混じって、ロータリーエンジンも走っていました。後年の係数と違って1.7どころか2.0なんて時代もあったわけですが、何とか同等の性能を発揮してしのぎを削っていました。係数による性能調整はあるだろうけど、2リッターエンジンと混ざってレースをしていたんならJTCCに使えばよかったのに。先に開催されていたBTCCの車を逆輸入する手を取り、クセドス(日本名ユーノス500)を使ったのはいいけど…何せ空力性能は良さそうなのにエンジンがポンコツ
以前ご紹介した従野孝司選手の乗っていたGCマシン(のカウルだけ)。『捨てられたグラチャンマシン。』ぬっ?これは…。ゼッケン60番、伊藤ハム。従野孝司選手の乗っていた、マーチ89G・マツダのようですね。89Gって呼んでますが、シャーシは88B(基本的にグラチ…ameblo.jp現在はさらにえらいことになっているようですね。混同されがちなんですが、現在動体保存されているのはこちらのセルモ89/ローラT88/50ですね。サイドの白/紺の塗り分け部分の白が広い感じ。前から見ると、こんな感じ
…とか言いながら、モータースポーツネタをぶち込むわけですが。こちらは国内(たぶん)某所に放置?廃棄?されているGC用のカウル。ドライバーの後ろ側、エンジンのあたりが高い位置からスッと降りてきているデザインなので…おそらくF3000シャーシ移行後のものなのかな?と。吸気口が左側にある…ということはV型エンジンの証拠ですからね。GCではF2でホンダのV6が台頭してきても、ホンダエンジンが禁止されていたために中嶋悟選手をはじめ吸気口が右側にあるBMWエンジンを使っていましたから、F3000以降に
こちらはトムスから耐久レースに出ていたマーチ75S。1978年に4バルブヘッド搭載の18R-Gが市販されるやいなや、GCに参戦したりRクラスとして耐久レースに出たりしていました。エンジンはそのままF2に使われたり、A60セリカに載せられてIMSAを戦ったのちに日本にやってきたりしましたね。70年代半ばにオイルショックによるワークスが軒並み解体され、耐久レースもワークス放出のツーリングカー主体になりましたが、後半になるとGC用の2リッター複座スポーツカーが数を増やしていきました。長谷見昌弘/
星野一義選手がF2やGCでLARKカラーを纏っていた頃、写真集を出したんですよね。そこにサインをしてもらったことがありました。サインをしてくれたときの星野一義選手(当時)は、レース中にブチ切れてるのとは対照的にとても温厚で優しくて「いい方」でした。そこから一気にファン熱が高まっていきましたね。当時の星野一義選手は非力なBMWエンジンを使っていて、中嶋悟選手が速いホンダエンジンを使っていたので自分も使いたかったけど「元日産ワークスだから」ということで使うのを渋り、ある意味時代遅れなBMWエン
岡本金幸、名前をもじって通称キンコーさん。富士GC…というより「グランチャン」の創生期から参加し続けた孤高のプライベーター。本職はレーシングドライバーではなく、喫茶店「ヘルメス」などを経営する(悪い意味ではなく)マルチな商売をされていました。デビューはこのオリジナルマシンOKAMOTOG7でした。うん、それはガンダムの後番組トライダーG7だね。ちなみに去年40数年ぶりに配信でみたけど、いくつか歌詞は間違えたもののちゃんと主題歌が歌えたんすw子供のころの記憶って、やっぱりすごいっすね