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母はALSで43歳の時に亡くなっています私、妹、父の家族LINEがあり、BIRTHDAYLINEをしました今日で74歳誕生日おめでとう🎂母に、こんな体になってごめんと言われたことその言葉が当時の私の心には届かなかったこといつも怒っていたし、投げやりだったし、どうして自分ばっかりって思っていた…母のことを思うと後悔と反省ばかり自己中心的で恥ずかしい自分を思い出します🫣人はそんなに変わらないから、今の私も自己中心的なのだと思う💦このブログを読んでる私の友人へ厳しくご指導、ご指
ALS患者における血液脳関門破綻の解明につながる新たなモデルを開発!~これまでとは全く異なる標的に対する新しい治療法開発への期待~発表のポイント◇iPS細胞技術を活用して、家族性ALS患者(TARDBP変異1)由来の脳微小血管内皮様細胞を作製し、バリア機能を詳細に検討しました。◇家族性ALS患者が有する遺伝的背景が血液脳関門(Blood-brainbarrier:BBB2)の異常につながることをヒトのモデルで初めて示し、ALSの進行にBBB破綻が関与する可能性を提示しました。◇A
家族性ALSに対する薬剤が昨日承認されました。ALS治療薬「トフェルセン」の承認を厚労省専門部会が了承特定の遺伝子変異の患者対象厚生労働省の専門部会は2日、米製薬企業バイオジェンが開発した難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」治療薬「トフェルセン」について、製造販売を承認することを了承した。SOD1と呼ばれる遺伝子に変異がある患者が対象で、全体の約2%が該当する。
私は38歳でピクつきを感じるようになり、右足から歩きにくくなりました足がつることはほとんどありませんピクつきを感じてから13年経ち、私の体は筋肉がなくなりましたが痩せてはいませんお腹まわりはメタボです話すこと食事を取ることはできますが、自分で食べる事は難しくなってきました痰が止まらなくなることがあり、カフアシストを使っています横になると苦しいので、寝るときは呼吸器か必要です私は母より進行が遅いようですこれは私が杖を使い、自走の車椅子で通勤したことが多少影響しているかもしれません
母は33歳の頃、左足から歩きづらくなりました頻繁に足がつり、睡眠中も足がつる痛みで眠れないようでした36歳ごろまでは、私たちにつかまりながら歩くことが可能でしたしかし、悪くなった体を人に見られることを嫌い、杖を使うことを嫌がったため室内で過ごすことが多くなりましただんだん体が痩せて手足も細くなりました母は43歳でなくなりました亡くなる少し前から入浴中に息苦しさを感じるようになりましたが、呼吸器をつけることなく過ごしていました飲み込みにくさも感じていましたが、食事は自分で取れており、
車椅子のブレーキレバーに野球の応援バットを差し込んでいます腕の力が弱い私でもまだブレーキをかけることができますこれを使うようになってから、いろんな方から声をかけていただけるようになりました応援バットの印象が強いらしく私のことを覚えてもらえることも少なくありません病棟の看護師さんも応援バットを見て私を思い出してくれますお礼アメトピに掲載されて、たくさんの方にブログを見ていただきました昨日はびっくりとドキドキで気持ちが浮つきましたこんな経験をさせていただきありがとうございます見てく
自宅から大学病院まで距離があり、1人で通うことが難しくなったため転院を考えました受診をしても経過観察のみなので、脳神経内科がある病院ならどこでも一緒ではないかとも思いました2016年4月より自宅付近の脳神経内科のある病院で診察してもらうことが決まり、3ヶ月に1度通院することになりました病状が進行したため現在は月に1度受診し、レスパイト入院もここでお世話になっています主治医がとても話しやすく、私の意思や気持ちを尊重してくださり、とてもありがたく思っています信頼できる先生に出会えたことに感
2013年9月大学病院を受診し、一通りの検査を行いました針筋電図の検査では想像を超える痛さに涙を流し、もう二度とこの検査はしないと心に決めました先生からやはりALSであること、治療法がないこと、進行を抑制するリルテックがあるが効果は期待できないことを言われました激しい運動をすること、全く動かないことが進行を早めるとも言われ、やはりALSなんだ、未だに治療法はないんだと思い泣きました遺伝子検査のことも尋ねましたが検査は勧められませんでした全ての家族性ALSの遺伝子が解明されていないこと、
そのまま誰にも相談することなく日常生活を続けましたが、やはり歩きにくさを感じる日がきました右足が前に出るのが遅れる、歩くリズムが狂うような…、そんな感覚でしたそれでもまだ、勘違いであって欲しい、気にし過ぎているからだと思い込もうとしましたALSと認めたくなかったのです気がつくと右足でつま先立ちができなくなり、足のかかとに強い痛みが生じるようになりましたかかと重心で体を支えていたためだと思いますこの頃から歩き方がおかしいと指摘されるようになりました左足にも違和感を感じるようになったこ
足がピクつき始めたのは、2010年12月ですALSの初期症状じゃないのか?発症していたらどうしよう?不安、恐怖、絶望、悪い想像ばかりをする日々を過ごし、毎日足に力が入るかを確認してばかりいました半年経過してもピクつきが治まることがなかった為、母が通院していた病院に行くことにしました幸い当時の母の主治医が勤務されており、診察を受けることができました話をするうちに私たち親子のことを少し思い出してもらえましたこの時の診断は、ピク付きだけでは判断できないピク付きは誰にでもあることなので
私の母はALSで亡くなっています亡くなった時母の主治医から遺伝性のALSであることを伝えられました祖父(母の父)もALSで亡くなっていたようです母が発病したのは私が小学生のころでしたはじめは足がピクつくようになり、だんだん足を引きずるようになりましたいろんな病院を受診しましたが原因不明でしただんだん症状が悪化し、歩けなくなっても病名がわからずとても辛い日々が続きましたALSと判明したのは亡くなる2年位前です治らない病気と言われましたが、病名がわかったことにほっとしました介護保険
2011年ごろから両足がピクつくようになりましたその後右足から歩きづらくなり、ALSの診断を受けました日々の生活は家族と看護師さんヘルパーさんに助けてもらっていますずっとブログを見ているだけでしたが、私が経験してきたことや現在の状況などを書いてみようと思いました拙い文章ですが、誰かの生活のヒントになったら嬉しく思います
昨日は通院日診察室に入るなり先生から「陽性でした」と告げられる。へ?何が陽性?と一瞬話についていけてなかったんだけど、すぐに理解した。実は前にも書いたけど、私には同じ病気の従兄弟がいる。だからこそ自分も先生もALSを疑ったんだけど、主治医の先生や遺伝子カウンセラーの先生が言うには、家族性(遺伝性)を疑うには、いとこは関係として遠いんだそうだ。親か兄弟(姉妹)にいる場合に疑いがあるそうで、従兄弟だとほぼ関係ないと思われると言われていた。実は(実は…が多過ぎw)、うちの父は違う病名