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9時40分に歌声喫茶ともしび集合で搬入の予定がスムーズに車移動ができて、9時30分前には到着・・・・搬入仕込みへ・・・・10時40分には、逆リハの予定でした・・・とにかくタイトなスケジュールです。歌声喫茶ともしびを劇場に変える・・・・幕を吊り、照明を吊りこむ・・・・写真を撮る暇もなくバタバタと作業・・・ピッタリ時間に逆リハをスタート・・・・最初は吉田水子企画とたかはしべんさんと劇団ぱれっと全員でのフィナーレ立ち位置を決め、サウンドチェックをして、そしてリハーサル・・・・
今朝は雨降り・・・・空は冬空今日は劇団ぱれっと&たかはしべん「なめとこ山のくま」公演です。この天気はなめとこ山らしい・・・・なめとこ山の一年はたいていの日は冷たい雲か霧を吸ったり吐いたりしてると賢治が書いているのでからこれはきっとなめとこ山の天気なのかも・・・昨日は青音協ライブ一日目でした。ともしび音楽企画の「ふーちゃんランド」と、綜合企画アトラスの中川美保サキソフォンコンサートでした。ぱれっとは、佐瀬と宇野さんと祐ちゃんと3人がお手伝い。朝10時にともしびに入って打
いよいよ明日21日、劇団ぱれっと「なめとこ山のくま」公演があります。場所は高田馬場にある歌声喫茶ともしびです。歌声喫茶ともしびと聞いてピンとくる方もいらっしゃると思います。コロナ前には新宿にありました。かつて歌声運動はこの新宿ともしびから始まった・・・・あのともしびが今は高田馬場にあるのです。そのともしびで今日から二日間青音協ライブが開催されています。ともしびグループというのがありまして、音楽企画をしたり、お芝居をしたりと歌声喫茶だけではなくいろいろな活動をしているの
赤羽会館・・・・昨日はここで照明仕事でした・・・・思えばこのホールも古い・・・・ここに初めて来たのはいつのことだったか・・・・平成の初め?かなぁ・・・・・仕事はカラオケ大会の照明調光・・・・昔は、ああでもない、こうでもないと毎回セットが変わったりいろいろ大変でしたが、今は落ち着いていて、いつもの通りという感じです。付き合いはもうほんとうに長い会社・・・・先代の社長からの付き合いで、今の社長が学生の時からのかかわり・・・・いつもというわけではなく細く長く付き合っ
お疲れ?眠い?・・・・というか寝てる・・・・・通しのあとのぴぽ・・・・・・稽古・・・・です・・・・・テーブル稽古・・・・公演は21日です。流れてはいます・・・・昨日は3回通し・・・・1回目は通しと言いながら脱線・・・・数字というものが、いかにイメージに陥りやすいのか・・・・わかった気になれるのか・・・・そのことに疑問を持てなければ騙されてしまうこともある・・・・これは詐欺の話だけではない・・・政治もそう・・・・・いやいや、政治に詐欺が
今日もいい天気。くまが冬眠するのは食べ物がないからだそうです。だから食べ物があると冬眠をしなくてもいい・・・・人間の生活がくまの冬眠という生活を変えている・・・・子くまによっては、親が冬眠を教える前に殺されてしまって冬眠の仕方がわからないということもあるそうです・・・・誰もが幸せになりたいと思う・・・・この世界に命を持って存在できているという奇蹟をより豊かに生きたいと願う・・・その幸せを叶える方法がどこにあるのか・・・・いつのまにか多くの人はお金というツールにその答えを
限られたスペース、限られた時間の中でどう舞台にするのか・・・・今回は特にシンプルな舞台・・・・昨日はなめとこ山のくまの稽古でした。幕の試し・・・・舞台照明用のスタンドを利用して、ぱれっとの学校公演用のバトンを利用して、普段は一袖幕と二袖幕に使っている幕を利用・・・・・アルミパイプを繋ぐ金具は以前に使ったことのあるもの・・・・こちらはぴぽからの差し入れのパンたち・・・・・稽古は舞台の組み立てから動線の確認・・・・それから芝居・・・・そうしてたかはしべんさんと
今年の漢字は「熊」でしたね!熊被害に遭われた方々に心からお見舞い申しあげます。今年の熊の出没で宮澤賢治の『なめとこ山の熊』という作品を思い出しました。熊の胆(い)と毛皮を打って生きる漁師、淵沢小十郎と熊との葛藤が描かれている話です。その中の小十郎の言葉が印象的。「熊が憎くて殺すのではない、生きていかなくてはならないから。こんな商売をするのも因果なら、熊が熊に生まれたのも因果。この次には熊になんかに生まれてくるなよ」まさに現在の状況も同じ。熊が人間に危害を加えるがゆえに殺
朝ラジオから聞こえてきたのは、武器を輸出する話・・・・閣議決定で決めるらしい・・・・それでいいの?そもそも武器を輸出するってこの国の在り方が変わってしまう話なのに、国会で話さない?そのうえ歯止めがかけられそうにない・・・・そもそも国会を通さないで輸出できる?僕は反対。今日は6日後に公演する「なめとこ山のくま」の稽古です。熊捕り名人の淵沢小十郎は、くまを撃ち殺したあとでこう言います。「くま。おれはおまえを憎くて殺したんでねえんだぞ。おれも商売ならおめえを撃たなきゃ
いつだったか読んだ宮澤賢治『最後の手紙』。何とも飄々と語りつつもどこかリアリスティックでどこかペシミスティックな詩。でも納得させられるのが実に不思議な詩。これが宮澤賢治の魅力なのかな。長い手紙の中の一部分を切り取りました。達観というか、改めて読むと実にいろいろ考えさせられます。地に足のついた生き方は時に悲観的なのかもしれないね。ある程度自分の意思でできる今だからこそいろんなことに挑戦しておきたいものです。BGMforInstagram:街角のペシミストby松任谷由実インス
今朝はいい天気です。昨日は曇り空で雨がぱらぱらでした。昨日は東大和市民会館ハミングホールで照明仕事でした。音響はゆうたさん。タップダンス、アイリッシュダンス、ジャグリング・・・・リズミカルでコミカルそしてポップなショー。親子劇場の主催の公演です。ほんとうはひとりの仕事なのですが、宇野さんと祐ちゃんの二人も加わっていつものぱれっと照明チーム・・・・今回は二人にこの舞台を観てもらうということが大事な目的のひとつ・・・・もちろん二人がいてくれると仕事がス
今年の漢字は「熊」だそうです。なんでも11月1日から12月9日まで投票があったそうで、2万3346票で今年の漢字になったそうです・・・・確かにくまのニュースは多かった・・・・というか毎日のようにくまが出没してた・・・・もう冬眠しているはずなんじゃないかと思うのだけど今もニュースになってる・・・こんなことになるなんて想像してなかった・・・・劇団ぱれっとにとってもくまは話題の中心です。今年最後の劇団ぱれっとの公演は「なめとこ山のくま」宮澤賢治が90年以上前に書いた熊捕り名人淵沢
伊勢崎市老人クラブ連合会主催のスマイルボウリング大会に伺う。老人クラブの更なる活性化を連携して進めてゆきたい。笑顔があふれる大会になることを祈念する。昨日行われた議会運営委員会の報告を受ける。上毛新聞社が企画される新年インタビューの取材を受ける。今年の振り返りと来年への思いを述べさせていただく。一年がたつのは本当に早い。障害者の地域での生活を考えるフォーラム2025に伺う。(社福)明清会の主催で多くの来場者の下、開催される。基調講演の講師、山崎英樹様のお話に
昨日の稽古は、たかはしべんさんとべんさんの事務所の森田さん、吉田水子企画の吉田さんと金子さんのお二人も来てくれて賑やかな稽古になりました。立っている左からべんさん、金子さん、吉田さん、一番右が森田さん。12月21日の青音協ライブではなめとこ山のくまのあとに吉田水子企画とべんさんそしてぱれっとのメンバーでセッションします。その合わせ稽古のために吉田企画さんが稽古場へ来てくれたのです。稽古はまずべんさんたちが来る前にぱれっとメンバーで確認・・・・どこにべんさんに入ってもら
今朝もいい天気です。関東はこの季節は天気がいい日が多い気がします。青森では地震・・・・たまたま総理の会見を聞いたのだけどなんだか違和感・・・・被災した人に寄り添う心が感じられない気がしてしまいました・・・自分の身は自分で守る・・・・ひとりの力ではどうしようもない力の前に助け合うのが人の力だと思う・・・・それが社会というものの存在意義のひとつだと思う。これは受け取り方の問題なのかもしれないけれども、総理の口から出てきたこの言葉は、なんだか、自分たちでなんとかしてね国は
参加しました最初に合評したのは完成度の高い作品でした。お話したのが、宮澤賢治が『銀河鉄道の夜』を亡くなるまで推敲し続けた点についてです。段階があがると、さらにあげていってほしいと欲がでてしまいます。でも書きすぎると、違う話になってしまってもいけません。その匙加減、むずかしい💦これでいい、と思ったら、作品はそれ以上、成長しないのではないでしょうか?次もスケールの大きなメルヘンを合評しました。作品世界の構築がすごかったです。細部に手をいれると、さらにリアリティが増すと思いました。推敲も大切で
昨日は12月8日でした。先日稽古で「ニイタカヤマノボレ」という言葉の話になりました。意味がどうのという前にこの言葉をみんな知らなかった・・・・子どもの頃、学校で教わるとかいうものじゃなくて知っていた・・・・時代の違いなんだろうなぁ・・・・なんで「ニイタカヤマノボレ」という言葉が出てきたのかというと、宮澤賢治の「なめとこ山のくま」というお話の中に、「・・・生蕃の持つような山刀を持ち・・・」という言葉がでてきます。この生蕃(せいばん)というのは一体何を指しているのか?とい
なめとこ山のくまの話の中にがさがさ三里という言葉が出てきます。三里・・・・もう里という距離単位を使うことがほとんどない今、どれだけの人が三里と言われて、ああ、それくらいかと思うだろうか?一里がだいたい4キロだから、12キロということになるのだけど、それじゃあ12キロという距離は感覚としてわかるだろうか?12キロだよ、と言われると12キロかとなんだかわかったような気がしてしまうのですが、それじゃあ12キロって具体的にどんな長さ?と言われるとピンとこない・・・数字というものは
行きました。宮澤賢治は、旧制盛岡中学(現在の盛岡一高)に親元を離れ入学しました。卒業後は、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)へ。現在は植物園(岩手大学敷地内)になっていて、多くの木々に囲まれています。←広々した植物園に賢治の大好きなドイツトウヒも(^^♪賢治が入っていた寮の跡地もありました。植物園には賢治もいます。旧盛岡高等農林学校本館内部は撮影禁止でした。建物内には、鳥類のはく製が、たくさんあり、「ヨタカ」もいましたよ「ヨタカさん、ふーむ、なるほど~お気持ち、わかります」のお姿です。
(2025年12月5日16時35分)おととい(5日)の金曜日、すこし高い場所から都内の景色を眺めていました。たしか…日没が16時半ぐらいで、上の写真は、まさに日没直後の景色です。そのまま少し見ていたら、見る間にあたりは暗くなって、それにつれてポツリポツリと町に明かりが灯(とも)っていく様子がわかりました。(2025年12月5日17時09分)いわゆる「夜景」というヤツです。←「ヤツ」だなんてキタナイ言葉をゴメンナサイ。たとえば、神戸あたりは「夜景」が有名らしく「100
朝、ラジオから聞こえてきたのは、ドルが下落しているという話のあとの1ドル155円・・・・円高・・・・円高?・・・昨日よりか・・・ユーロは180円を超してる・・・・そんなに円安・・・・もう海外なんて行けそうにないなぁ・・・・物価もどんどん上がってる・・・・そして聞こえてきたのは、新卒の初任給は30万を超えるという話・・・・そうなのかぁ・・・世の中がどんどん変わっていく・・・・相変わらずお金とは縁がないのだが、外を歩くとお金を持っている人たちが結構いるという感じがする・・・・
行きました(^^♪宮澤賢治の弟の清六さんのお孫さんである宮澤和樹さんが経営されています。花巻駅近くのお店です。1階は賢治ゆかりの品々が。ご家族の賢治への尊敬と愛を感じました。宮澤賢治が広く知られるようになったのは、ご家族のお力のたまものです。2階はすてきなカフェになっています。宮澤賢治の作品は、戦争中、弟の清六さんによって守られたと和樹さんのうかがったことがありました。花巻空襲の折、清六さんは逃げず蔵に残り、賢治作品のつまったトランクを守ったのだそうです。燃えないよう入口に味噌を塗り、空襲
みなさん、こんにちは‼︎本日公開の木曜動画、ご覧いただけましたか?担当は宇野桃子。人間が葉っぱと合体して生まれた“葉っぱ人間モモ”第二弾です🍁カメラマン協力は佐瀬座長でした。感謝✨葉っぱ人間モモ、葉っぱの中からチラシを発見!!ところが、チラシも自分も風に吹かれてしまい…チラシを追いかけながら森の中を駆け回る!?暴れまくる…!?一瞬の出演、きのこ君にもご注目を(*^-^*)【彷徨う葉っぱ人間モモその2】動画はこちらから↓青音協ライブ
昨日は、ぱれっと新作「なめとこ山のくま」稽古でした。実は12/21の青音協ライブ前にとあるイベントにて初お披露目するのですが昨日はその前のラスト稽古💪試しながら作ってきたパズルを整理しつつ演じたり、奏でたり、佐瀬さんの語りを軸にみんなで世界観を作り上げていきます。語りと音の呼吸合わせも念入りにチェックさぁ、まずは今週の日曜日にて…お客様とどんな空間共有できるでしょうか(*^-^*)12/21㈰の青音協ライブでは、ゲストにシンガーソングライターのた
夜、たまたま聞いた言葉は、合理が暴力を生むという内容の言葉でした。なんでそんな言葉が気になったのかというと・・・・昨日は、青音協で会員向けの青音協ライブの案内をして、理事会、それからテアトル・エコーの井上ひさしさんの「11一匹のネコ」観にいきました。のらねこが協力しあって大きな魚を捕まえて、豊かになる・・・・そのあと・・・にゃん太郎が撲殺される・・・・特にこの場面は池袋小劇場で赤木三郎さんの構成台本に「井上印☆場面缶詰」というの本がありその中で撲殺される場面が引
痛風は下火になり体調はいまひとつでしたが昨日は北池袋の新生館へ創造集団池小の企画を観にいきましたとにかく来てほしいとのこと・・・・池袋小劇場が前身の創造集団池小は、池袋のアトリエ池袋小劇場を閉めて一度解散となり、それから残ったメンバーで創造集団池小として出発した劇団です。池袋小劇場は演出家の関きよしさんが作った劇団で、地域と繋がった劇団を目指して池袋を本拠地にするということで池袋小劇場・・・・関さんが舞台芸術学院の先生をしていたこともあり、その卒業生が中心の劇団でした。
昨日、朝起きてみると足の痛みが激しくなっていました。痛風の最初の発作はコロナの最中でした。左足の甲です。骨折したかと思って従兄弟に車で来てもらって病院へ行きました。レントゲンもとって、結果は痛風・・・・それから薬をもらって飲み始めて、痛みが消えてもしばらくは薬を飲んでいましたが、そのうち薬も飲まなくなり、食事も魚卵以外は普通に戻り・・・・・時々、足がざわつくと食事やらを慎重にして水を多く飲む・・・・・それでかわして来ました・・・・これまでの経験から疲れがたまってくるとム
行きました宮澤賢治や高村光太郎が訪れた大沢温泉敷地内(山水閣と湯治屋)と同場所にある南部藩かやぶき菊水館、昔ギャラリー「茅(ちがや)」で展示されています。豊沢川にかかる「曲がり橋」を渡り、菊水館に向かいます。菊水館は以前は温泉宿でしたが、現在はギャラリーとなっています。「ハウルの動く城」がお待ちかねカンヤダ・プラテンさんは、タイ出身の写真家です。風景写真も展示されていました。木造の凝った造りの内装です。トトロもいます写真もたくさん。大沢温泉での子ども時代の宮澤賢治たちです。大人
今日はいい天気です。そして今日は稽古です。と、携帯の調子が悪い・・・・なんだか誤作動する・・・・すっかり忘れていたけど、MDデッキが一台壊れたらしい・・・・古いから仕方ないのかもしれないけど、もう修理もしてもらえない機材・・・・業務用のMDデッキなんだけど、実はこれが一番信頼があって確実だったのに・・・・その対策を考えなければならないということを思い出しました・・・・旅公演を始めたころはオープンデッキを使っていました。時々テープが切れてその場でスプライシングテープを貼って
昨日の「宮澤賢治語彙辞典」の続きです。宮沢賢治が「詩」ではなく「心象スケッチ」とした『春と修羅』。その序の冒頭です。意味わかりますか❓こちらは「屈折率」。大人の事情でたくさんの写真は載せませんが、ピンクで線引きした語彙についてはこの辞典に見出し語として収録されています。代表で「電燈」。まず電燈そのものの説明があって、時代背景があって、その流れで宮沢賢治と繋がります。ちなみにこの項はまだ次のページ下段まで続きます。一つの語彙でこれだけ説明が必要なので、本文を読むだけでは理解できな