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【幕府とゐる者達】師走半ば21「皇位簒奪」唐國と邦国九錫(勲功)をば得て、開府(幕府開闢)をば為し、三課置き、或帝位に入り、古の皇帝をば廃ス、叉、帝ニハ度々柵邦の治に討ひに、辞を表して、新皇、出来る、実際は今は只、先ノ事、個に訪れずとも、揃ひ、柵邦の真をば云い討伐をば行フ、#平家天皇代理#鎌倉幕府御所#室町幕府華御所#徳川幕府大御所あさつゆの、草にたまりて、日に浮き、きえかすむをば見て、左様の事と同じふ似がとながさズに、人に配り、のこすは、聞き
なんでも1927年のきょう…上野と浅草の間に日本で初めての…そうでちゅ!地下鉄が…うほっ!開通しちゃったんでちゅー!で…そちらが今の銀座線…ってのは、ユーメイですよにゃー!ちなみにきょうは…いやーん!鹿苑寺金閣でおなじみのぉ…足利義満さんが、室町幕府の第3代将軍になった日でちゅー!そうそう!征夷大将軍!あっ!そういや誠意大将軍っていう…あの辰ちゃんが大っきらいなチンピラがいましたっけにゃー!駅構内の好きなお店は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
とある日のこと。(最近、この書き出し多くない?!)知り合いと待ち合わせのため烏丸今出川に向かいました。勘解由小路町勘解由使って平安時代の役職名、検非違使(けびいし)とか。私の愛読書?の地図によると重ね地図でたどる京都1000年の歴史散歩Amazon(アマゾン)今の「下立売通」が「勘解由小路」にあたりますので、町名として残っている感じ?さらに室町通北上。富岡鉄斎邸跡富岡鉄斎は最後の文人画家。この間までは、立派なお屋
日本史でも人気のある戦国時代ですが、あまり研究されてこなかったのが天皇と公家衆たちです。戦前は皇国史観の影響で天皇を研究すること自体がタブー視され、「研究すると言っても、天皇を崇拝し、その永続性を強調する傾向にあった」(「はじめに」より)というほどです。敗戦後は皇国史観への反発からなおさら研究されなくなり、ようやく研究されるようになったのは昭和天皇崩御が契機とのこと。それまでは戦国時代といえば武士の時代という印象から、天皇や公家衆はなんとなく「お飾り」と見られていたのです。し
日本史上でも屈指の有名人でありながら「英雄」と「逆賊」という両極端な評価を弟・直義と共に受ける人物である足利尊氏。尊氏(初名は高氏ですが「尊氏」で統一)の生涯は鎌倉幕府の有力御家人である足利氏本宗家の庶子に生まれた事から始まり、家督を継いだ兄・高義の死後も家督を継ぐことはなく(出家していた父・貞氏が当主に復帰)父の死後27歳になってやっと相続するところから始まります。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てた元弘の乱が貞氏の亡くなった時期と重なっているのは事実ですが、その時期に尊氏が幕府の
幕府はやっぱり半端なかったー正月ドラマの情報から源氏ピラミッドについて思い出したこといつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!研究ネタです。先日、愛知に行った際に、駅にこの番組のポスターが貼ってありました。「忠臣蔵」では敵役とされたものの地元では名君と言われている吉良上野介が吉良邸討ち入りから現代にタイムスリップするという
今日は,スポーツ施設が休館なので,私も休養日。午前中は,スタサプで数Ⅲの勉強。もう少しで,極限が終わります。スタサプ数Ⅲは,<極限,微分,積分>で75講座<平面上の曲線,複素数平面>で22講座現在,19/75講座終了しました。時々,進捗状況を報告します。久々に,NHK高校講座日本を見ました。今,足利尊氏について書かれた「極楽征夷大将軍」読んでいます。ものすごく,面白いです。尊氏は室町幕府を開いたわけですが,尊氏の人間性が面白い。全然,野心な
さてさて………………【鹿苑寺(ろくおんじ)】京都府京都市北区金閣寺町1建物の内外に金箔が貼られていることから【金閣寺】とも呼ばれている。正式名称は『北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)』である。寺名は開基の室町幕府第3代将軍足利義満の法号「鹿苑院殿」にちなんでつけられた。義満の北山山荘をその死後に寺としたものであるという。【舎利殿】は室町時代前期の北山文化を代表する建築だったが、昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建された。【方丈】また、平
さてさて……………【三条天皇北山陵】を出発し、いよいよ到着したのは、この日のハイライトである……………【鹿苑寺(ろくおんじ)】京都府京都市北区金閣寺町1通称「金閣寺」。ココロがここに来たきっかけは、2023年10月20日に放送されたNHKの番組「アナザーストーリーズ運命の分岐点」を見たからである。その内容はとは……………『金閣炎上若き僧はなぜ火をつけたのか』その内容は、概ね三島由紀夫の小説『金閣寺』に記されてる内容と相違しない。その小説は、昭和25年(1950年)に実際に
2023年12月12日--------------------------------------------昔のことを持ち出されても、、、今の若い人たちもよく話しますよね。しかし、昔の歴史を学ぶことは大事ですよね。大震災にしても世界大戦にしても。2022年12月12日--------------------------------------------室町幕府のポストなどなんの意味もない。戦国時代、新しい価値観が未来を切り開いていったのですね。愛蔵版戦国名将一日一
えんえん室町時代の本を読んだり動画を見たりしているうちに気持ちが明るくなってきました。「好き」の力って偉大。↓こちらもおすすめです。太田うしいち歴史学の先生達が研究して下さった研究を軸にして歴史解説動画を作っていきます信憑性の乏しい面白おかしい逸話、かっこいい講談は基本的に話しませんこちらはサブチャンネルです生声で歴史をはじめとした内容の雑談をする時がありますhttps://www.youtube.com/channel/UCjPC-6X7l8zjQxs2Hrv3opQyoutube.c
1,新田義顕十六騎駆けさて、新田義顕編第2回です。比叡山から落ち、義貞以下の新田軍は恒良親王を新帝とした「北陸朝廷」を構想します。まず、兵力として当てにしたのは杣山城(福井県南条郡)の瓜生氏、そして越後です。越後は鎌倉時代より新田一族が多く移り住み、謂わば「新田王国」です。この時代、越後から北陸一帯の水運を押さえた「日本海の新田」という説が、けっこう以前からあります。越後の海は新田の海、つまり群馬の海なのですよ、皆さん。ただ、現実は厳しく。越後守である義顕は金ヶ崎城を出て越後に
なんか...現代日本という、人類史上最も恵まれた環境に生まれ育ち、生きているのに、あれこれ悩むなんて時間とエネルギーのムダでしかない気がしてきました。それこそ室町時代のゴタゴタとか、今の世界情勢を考えても。相変わらず心身不安定ですが、別に悩む必要はなくない?というわけで、今日も室町時代の動画を楽しみたいと思います。もうひとつ、初心者にも分かりやすい感じの解説を見つけたので、これでさらに理解を深めようと思います。えんのおづぬ【歴史人物紹介】作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと
残念なお知らせです。初雪が降りました。冬到来の最後通牒。これで、いよいよ冬を迎える腹を決める雪国住民。さて、天気もそんななので、今日は電気掛け敷き両用毛布にくるまりつつ、YouTubeの室町時代解説をえんえん視聴しておりました。ええ、歴史好きなもので。室町時代は、複雑過ぎるのと、情報が少なく(メディアや創作物でも取り上げられることが少なく)馴染みがないため、あまり興味がなかったのですが、歳を重ねてようやく頭に入ってくるようになってきました。ちなみに右京大夫政元という方の動画です。中身
昨日の、「歴史のお話」“観応の擾乱”(かんのうのじょうらん)御覧頂き、ありがとうございました。対立派閥の戦いに、様々な人の思惑が重なり予想外の方向へ…?!南北朝時代・室町時代の人気が無いのは、対立構造が複雑だから…か??だいたい、じょ〜らん…て、何?????見逃したというアナタは、こちらから録画を御覧下さい!↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/phwk3ymsupc?si=yIq4lUunrFunv-Ym歴史のお話~第144回「観応の擾乱
季節は4月の下旬春のお散歩の陽気にもとても恵まれた良い日に東京都府中市にある高安寺さんにやってきました。高安寺さんは関東でもとても歴史の深い寺社さんで高安寺さんの開基は看板にも掲げられておりますが室町時代の征夷大将軍である足利尊氏公が開基した寺社さんになります。この寺社さんの歴史はそれだけではなくこの場所は西暦900年の終わりごろ平将門公を征伐した藤原秀郷
相伴衆(しょうばんしゅう)↓室町幕府の職名。将軍の相伴をして行動をともにした者。🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟例文:アカデミック王は、相伴衆を連れて鷹狩(たかが)りに出かけた。
極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし上杉謙信(1530年-1578年)上杉謙信(うえすぎけんしん)/上杉輝虎(うえすぎてるとら)は、戦国時代に越後国(現在の新潟県)など北陸地方を支配した武将・大名。越後長尾氏9代当主。関東管領(永禄4年(1561年)-天正6年(1578年))。山内上杉家16代当主。越後国を統一したほか、関東や北信・北陸地方(越中国以西)に度々出兵した。越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として
10月18日の歴史室町幕府再興織田信長の支援(警護)により足利義昭が室町幕府第15代将軍に就任永禄11年(1568年)10月18日足利義昭は朝廷から将軍宣下を受けて第15代将軍に就任した同時に従四位下参議・左近衛権中将にも昇叙・任官された義昭の将軍への道のりは険しかったですね第13代将軍であった兄の義輝(剣豪将軍)や母、弟までもが松永久秀や三好三人衆らによって暗殺されてますからねその三好三人衆や松永久秀は勢いのあった信長公の織田軍そして浅井長政の浅井軍が護衛し
室町時代の室町幕府第2代征夷大将軍だわ、この人。古典の太平記では残念な人として描かれているな・・・・。内容としては。他者の口車に乗りやすく酒色に溺れた愚鈍な人物として描かれている。3代目の義満がすごいから。存在していたのかも疑わしいぐらい。影が薄いや。
こちらは日曜日に買ってきた本です。そして今気づいたんだが、室町幕府関連の本をここでとりあげたことがほとんどない!とりあえずこちらも。買ってから二年ほど経っています。室町幕府というとあまり知られていない、というイメージ。司馬遼太郎も室町将軍の誰一人として高く評価していませんでしたので、室町ファンだった旧友がアンチ司馬になっていました。ちなみに自分がアンチ司馬なのは別の理由で。小学生の頃は特に南北朝時代にハマッていたため、「鎌倉~南北朝」もしくは「南北朝~室町
…室町幕府を開いたのは誰か?室町幕府を開いたのは、足利尊氏である。「尊氏」は元「高氏」と名乗り、鎌倉幕府の中では北条氏に次ぐ有力御家人であった。後醍醐天皇が倒幕を目指した「元弘の変」の中、その鎮圧の為、京都に派遣されたものの、幕府を見限り六波羅探題を滅亡に追い込んだ。尊氏・後醍醐建武政権の成立後には後醍醐天皇の名「尊治(タカハル)」の一字を賜り「尊氏」と名を改めた。次いで、建武政権への武士階級の不満を背景に同政権に反旗を翻し、
直木賞作品をやっと読めました。長編で、途中くじけそうになりながらなんとかゴールにたどり着けました。極楽征夷大将軍とは、足利尊氏です。弟の直義との人生です。帯には、やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?とありました。実に、うまく表しているなぁと、途中で感じました。特に、第三章の「朝敵」は、笑いながら読めました。幼少の尊氏なら、こうなるだろうな、戦は、こう戦うだろうな・・・・・というのが、ストーリーに入り込み、自然に読み、なおかつ思わず
皆さんこんばんは。恒例の夜中の本紹介。「極楽征夷大将軍」垣根涼介今年の直木賞受賞作の最新作。お客さんにお借り出来ました。感謝です。さてどうでしょうか?物語は鎌倉時代から室町時代へと移り変わる時代から始まります。北条家の独裁政権が続いて、鎌倉幕府の信用は地に落ちていました。そんな時期に幼少期を過ごした足利家に生まれた兄と弟は全く正反対の性格でした。やる気なし、使命感無し、執着なしの兄に対し、頭脳明晰で武力も持ち合わせた弟。弟は
室町幕府を創設した足利尊氏を輩出した足利氏の本拠地です。今回は暑さに負けたのとゲリラ豪雨がやって来ていたので、観光は諦めました。でもだいたいの把握は出来たとは思うので、天候が落ち着いた時期に再訪したいものです。足利駅
【問題】室町幕府に仕えた蜷川親長が、幕府滅亡後に下向した国は次のうちどこか?【選択肢】能登国出羽国遠江国土佐国【正解】土佐国【解説】蜷川(にながわ)氏は代々足利将軍家に仕えた家柄だった。しかし、親長の代に幕府が滅亡したため、親長は長宗我部元親の正室の実家と縁戚であったことから土佐国に下向した。
夏休みも後半に入ってきて子供の頃に自由研究と読書感想文が中々進まなかったのを思い出しました。そんな中で本日は最近読み終えた本のご紹介す。“極楽征夷大将軍”は第169回直木賞を受賞した歴史小説です。室町幕府を開いた足利尊氏を軸に弟の直義、執事の高師直と共に史実に基づいて展開していきます。小説の中では尊氏を能天気な将軍として登場させ、直義と師直のサポートで何とかやり繰りしていく様子をコミカルに描いています。足利尊氏には分かりづらい行動が多々ありますがこういう性格だったのかと思うと妙に納得してしまい
■タイトル:マンガ日本の歴史3武家政権の成立■監修:川口素生■発行所:成美堂出版■定価:本体950円+税3巻では・鎌倉幕府の成立・北条氏の執権政治・承久の乱・蒙古襲来・鎌倉の滅亡・室町幕府の成立になります。3巻の表紙を飾る美男子は足利尊氏です。後醍醐天皇に協力して鎌倉幕府を倒した。その後、後醍醐天皇の政治に不満をもつ武士たちの求めに応じて挙兵、室町幕府を開く。元来、気の優しいおぼっちゃまで、優柔不断なところが玉にキズ。源頼朝の妻・北条政子の言葉「頼朝さまからあたえら
北朝第一代光厳(こうごん)天皇は鎌倉幕府末期の天皇で、南北朝時代の北朝初代天皇です。御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。光明天皇は同母弟。諱、量仁(かずひと)。正和二年(1313年)生。在位は元弘元年(1331年)から元弘三年(1333年)。朝廷が持明院統と大覚寺統に分裂していた鎌倉時代末期、両統から順番に天皇を出す両統送立(りょうとうてつりつ)が幕府主導で行われていました。その持明院統の後伏見天皇の第三皇子として量仁皇子は誕生します。元徳元年(1326年)七月、大覚寺統の後醍醐天皇
他人の悪をよく見る者は、己が悪これを見ず足利尊氏(1305年-1358年)足利尊氏(あしかがたかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍[2](在職:1338年-1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源尊氏(みなもとのたかうじ)。ウキペディア今日の単語靡く[なびく]動草や布などの先端が風や水の流れに従って横に傾き伏す。"旗が風になび