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戦国時代の幕開けとなる応仁の乱の将軍・義政の正室・日野富子。後世、日本三大悪女などと呼ばれた彼女の人生を『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』で観る。愛する息子・義尚を将軍にし、支えるために蓄財で力を発揮するも、将軍となった息子の教育には失敗してしまった日野富子(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想日野富子といえば、北条政子、淀君とともに日本三大悪女なんて言われてしまう女性です。確かに、夫で将軍・義政に対して、子の義尚をとに
先日、家族でお出かけした時に、車の中で夫と話していた時に気づいたことです。ふとしたきっかけで、朝倉義景が織田信長に滅ぼされることになった話になりまして、領国の統治に長けた名君だったのが、信長に滅ぼされることになったのか?ということで、息子が亡くなってから無気力になった説(麒麟がくるではこの説を採用していました)や、小宰相という側室にうつつを抜かして骨抜きになってしまった説(これが有力)があるのですが、この話から、新田義貞と勾当内侍の話になりました。新田義貞が勾当内侍にうつつを抜かしてダメ武将
目次はこちら⬇️『歴史連載物語『和平武将』・目次』歴史連載物語『和平武将』各話をクリックすると、そのページが開きますよ出奔する語り手第1話荒れる鎌倉第2話好感、孔雀丸第3話禅秀追討命令第4話反転出陣第…ameblo.jp和を以て貴しと為すわしは長尾景虎(ながおかげとら)です。「義量(よしかず)!」足利義量像応永32年(1425年)2月、征夷大将軍、足利義量(あしかがよしかず)が亡くなった。御所に義量の母、日野栄子(ひのえいこ)の悲痛な叫びが響き渡った。義量さん、享年19…
大河ドラマ『豊臣兄弟!』が舞台の戦国時代、全国で戦溢れる時代に導いた応仁の乱について『にっぽん!歴史鑑定|ヒストリーチャンネル』の内容メモです。将軍・足利義政の定見なき介入、将軍後継者争い、畠山・斯波氏のお家騒動、細川氏と山名氏の幕政実権争いが入り乱れ、全国に波及し・・・(『にっぽん!歴史鑑定|ヒストリーチャンネル』より)内容について2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、戦国時代です。室町幕府があるとはいえ、日本各地で大名や国人衆などがしのぎを削る戦の毎日、そん
真田広之が足利尊氏を演じた大河ドラマ初主演作「太平記」を4Kリマスターで再放送!建武政権に背き室町幕府初代将軍となった足利尊氏。尊氏の人間的弱さや歴史の表舞台にあがることのない庶民の感情を重視して描いた、動乱の中で太平の世を願う物語。t.co2020年にBSで再放送された「太平記」が今度は4Kで再放送!三枝成彰さんの音楽を聴ける!!
さてさて…10年くらい前に高校の歴史教科書から武田信玄や吉田松陰の名前が教科書から消える?…と話題になって山梨県知事がそんなことするなと文科省に要望書を出したとネット界隈でも話題になりましたが…武田信玄や信玄さんのライバルの上杉謙信という名前はさ…川中島…武田や上杉という苗字に出家した後の名前(法号)の信玄や謙信を組み合わせた現代人がその人を認識するための便宜的なものだけどさ…正式には出家後は徳栄軒信玄と不識庵謙信だ…同じように出家後も武将として(俗世の人間と
浪人で流れ者だったと言われていた、北条早雲。そもそも本人は北条を名乗っていません。あくまで伊勢新九郎盛時。最近の研究では室町幕府の直臣だったと言われています。8代将軍義政の弟の義視に仕える、申次衆でした。申次と言うのは、作戦を立てたり、外交に関与する軍師にあたります。所謂、参謀役、補佐役でした。伊勢盛継が、室町幕府初代足利尊氏に仕えました。伊勢氏は、代々足利氏に仕えます。駿河太守の今川義忠が遠江遠征中に討死し、後継を巡って争いが起きます。盛時
『幕府』とは、我が国において征夷大将軍など武家の最高権力者をトップとする武家政権のこと。最初は鎌倉幕府で、始まりは私が子供の頃は「イイクニ作ろう鎌倉幕府」で1192年とされていましたが、今ではそれ以前の1185年とする説も。いずれにせよ源頼朝から源氏3代を経て北条氏が引き継ぎ、1333年まで約150年程続きました。そして1336年に足利尊氏が征夷大将軍となって作ったのが室町幕府で、こちらは織田信長に15代将軍・義昭が追放された1573年まで、237年。そして我が国最後にして最も長く政権を
最近おすすめの漫画ある?▼本日限定!ブログスタンプ室町幕府-Wikipedia1588年の今日は室町幕府最後の将軍足利義昭が官職を辞して准三宮の待遇を受けた日、事実上、室町幕府が滅亡した日です。2月9日-Wikipediaきょうもジョギングしてた。家へ戻った後すぐジョギングした。父ちゃんたちかえってきてなかったことと、帰ってくるの夜になるかも?と判断したので。距離700m(上り坂ダッシュ)+2.8km、たいむ1:45,17:22.きのう降った雪が積もってた。
岐阜県・垂井町やっと、粉雪っぽいのが舞い始めました。夜の選挙特番が楽しみな圭那です。と言うことで・・・池田輝政陣跡と同じ敷地内に有ります。関ヶ原の合戦より、150年近く前の事だし当時はこの場所に墓所は無かったと思われます。※兄弟が命を絶たれた場所は、美濃国垂井宿の金蓮寺です。この陣跡&墓所の周りには、一般のお墓が多く有ります。足利義満(室町幕府第3代征夷大将軍)の子が、足利義教(室町幕府の第6代征夷大将軍)足利満兼(第3代鎌倉公方)の子が、
京都の歴史と文化を深く学べる「京都検定」。今回は、室町幕府の黄金期を築いた将軍と、**春の隨心院を彩る伝統舞「はねず踊り」**をテーマに、過去問から学んでいきましょう!🏯第1問:歴史・史跡(第22回3級)問題:花の御所を造営して、守護大名への支配を強め、室町幕府の最盛期をつくった三代将軍は誰か。ア.足利義詮イ.足利義満ウ.足利義教エ.足利義政・・・正解:イ.足利義満💡【解説】足利義満は、室町幕府の第3代将軍です。京都の室町に豪華な邸宅「花の御所(室町
御金神社から市役所を抜け、現在の本能寺へ向かう途中、立ち寄ったのが「足利尊氏邸跡」と「御所八幡宮」。ここは、まさに**室町幕府の始まりの地**とされる場所です。##■足利尊氏邸跡―室町幕府の由来地現在はビルが建ち並ぶ街角に、ひっそりと立て看板があるだけの「足利尊氏邸跡」。ここに尊氏の邸宅があり、のちに“室町幕府”と呼ばれる政権がこの地から始まりました。-鎌倉幕府:鶴岡八幡宮の荘厳さ-江戸幕府:二条城や江戸城の遺構-室町幕府:看板ひとつだけ
思いがけずお金が入ってきたことある?▼本日限定!ブログスタンプkきょうもジョギングしてた。ダンベルもってジョギングしてた。一時はダンベル負けするほど疲れたが、なんとか走り切った。調子よかったこともあり、同じコース3週走った。距離3.5kmx3+400m、タイム17:31,18:01,21:30,2:30.1月24日-Wikipedi1336年(正慶4年/建武2年12月11日)のきょうは足利尊氏が建武新政府に反旗を翻した日です。事実上、室町幕府のきっかけとなった反乱が始まった日でも
一休さん第241話さよちゃんに雛人形を買う為に一休達がしたことを耳にした将軍様からの贈り物を新右衛門さんが持ってきた。中身は…雛人形一式。ん?箱の大きさからしたら、この雛人形の大きさはかなり小さくならないか?それはさておきさよちゃん、喜ぶ。こうして見ると、雛人形の大きさは通常以上だな…入っていた箱のサイズ感がおかしいのか?めでたしめでたし。ん?飾り棚は何処から現れた?これは完成予定図か?確かに、さよちゃんの家の中とは断定出来ないしな…だが、良く考えてみ
今日は上杉謙信の誕生日上杉謙信とは上杉謙信(うえすぎけんしん)/上杉輝虎(うえすぎてるとら)は、戦国時代に越後国など北陸地方を支配した武将・大名です。生い立ち初名は長尾景虎(ながおかげとら)といい、関東管領・上杉憲政の養子となり、山内上杉家の家督を譲られ、上杉政虎(うえすぎまさとら)と改名し、同家が世襲していた室町幕府の重職である関東管領を引き継いだ方です。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱を受けて、最終的には輝虎と名乗りました。増
好きなシンデレラストーリーはある?➡私の場合、特に好きなシンデレラストーリーはありませんが、室町幕府を築いた足利尊氏公と結ばれた赤橋登子があてはまるのではないかと思いますし、実は足利尊氏公は、北条泰時公の子孫でもあります。NOWAR!▼本日限定!ブログスタンプ
垣根涼介文藝春秋2023年5月発行はい、苦労してたのはこの本です。垣根涼介さん、久しぶり。「君たちに明日はない」のシリーズがお気に入りで何度も読みました。『君たちに明日はない』垣根涼介新潮文庫このシリーズ5冊出ています。だいぶ古い本ですが・・たぶん今読んでも得るものはたくさんあるのではないかと・・リストラ請負会社に勤める村上真介…ameblo.jpそのあとは・・「涅槃」『涅槃』垣根涼介朝日新聞出版2021年9月発行年末年始、年越しで読みました。垣根涼介さんの作品は
寒い日に食べるものは?▼本日限定!ブログスタンプ1392年の今日は山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱、いわゆる明徳の乱が起きた日です。史等の末、幕府軍が山名氏を打ち破りました。明徳の乱https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1きょうはジョギングお休み。明日まで我慢だ。首相、国会冒頭の解散検討投開票、来月上中旬が軸―外交日程後、最終判断か:時事ドットコム高市早苗
武衛陣町に刻まれた二つの悲劇――斯波氏と足利義輝の邸宅跡京都の町名には、その土地が歩んできた歴史を今に伝えるものが少なくありません。「武衛陣町(ぶえじんちょう)」もまた、室町時代の権力と動乱を象徴する名を残す場所です。ここに立つ石標は、室町幕府の要職を担った斯波氏、そして悲運の将軍・足利義輝の邸宅跡を示しています。もともとこの地には、室町幕府管領であった斯波義将(1350~1410)の邸宅が置かれていました。斯波氏は代々この地を相続し、幕府中枢を担う有力守護大名として権勢を誇っていました。し
【問題】室町幕府第14代将軍・足利義栄の初名は次のうちどれか?【選択肢】義在義滋義親義胤【正解】義親【解説】足利義栄は三好三人衆らに擁立され摂津へ入り、永禄11年(1568)に将軍宣下を受けて征夷大将軍に就任したが、その前年「義親」から「義栄」に改名している。
目次はこちら⬇️『歴史連載物語『和平武将』・目次』歴史連載物語『和平武将』各話をクリックすると、そのページが開きますよ出奔する語り手第1話荒れる鎌倉第2話好感、孔雀丸第3話禅秀追討命令第4話反転出陣第…ameblo.jp和を以て貴しと為すわしは長尾景虎(ながおかげとら)です。応永30年(1423年)3月、足利義持(あしかがよしもち)は子の義量(よしかず)に将軍職を譲った。足利義量義量さんはこの時、17歳で室町幕府の第5代征夷大将軍になったんだよ義持は大御所となり、実権を握っ
なんでも1927年のきょう…上野と浅草の間に日本で初めての…そうでちゅ!地下鉄が…うほっ!開通しちゃったんでちゅー!で…そちらが今の銀座線…ってのは、ユーメイですよにゃー!ちなみにきょうは…いやーん!鹿苑寺金閣でおなじみのぉ…足利義満さんが、室町幕府の第3代将軍になった日でちゅー!そうそう!征夷大将軍!あっ!そういや誠意大将軍っていう…梅宮の辰ちゃんが大っきらいなチンピラがいましたっけにゃー!駅構内の好きなお店は?▼本日限定!ブログスタンプ
天皇家にとって“モンスター”といえる室町幕府3代将軍足利義満(前シリーズ参照)。その根拠は、彼が天皇家から皇位を簒奪しようとした疑いがあるからですが、その“モンスター”とことごとく対立した後円融天皇はかつて、「武家に最後の抵抗を示した王者」といわれてきました。ところが、近年になって評価は一変します。じつは「やるべきことをちゃんとやらない人」(石原比伊呂著「北朝の天皇」参照)とされ、義満が天皇家にとって”モンスター”的存在になったのも、この天皇が「やるべきことをちゃんとや
極楽征夷大将軍垣根涼介:著あらすじ第169回直木賞受賞作やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて鎌倉府の信用は地に堕ちていた足利直義は怠惰な兄・尊氏を常に励まし幕府の粛清から足利家を守ろうとするやがて後醍醐天皇から北条家討伐の勅命が下り一族を挙げて幕府に反旗をひるがえした足利家の重臣・高師直(こうのもろなお)は倒幕後朝廷の世が来たことに愕然とする後醍醐天皇には武士に政権を委ねるつもりなどな
※下記の記事は2007年投稿時のものをそのまま添付しています。日付などにご注意ください。※行事などは過去のものになります。神社に残る最も古い棟札2007年05月22日|神社「大和州阿伽桶庄宮奉加造営之事願主太夫三郎国重大工紀内太夫文中二年発丑九月初八日」と記されています。ところで文中とは日本の南北朝時代の元号の一つで、南朝方において使用されました。建徳の後、天授の前。1372年から1374年までの期間を指しています。この棟札は、この辺が南朝方であったことを明白
草刈正雄さん演じる日野勝光について花の乱さて、今回のこれがおそらく初投稿のテーマとなりましょうか。今の僕のモチベーションからしておそらくはなるのでしょう。あゝ楽しみでなりませぬ。さて、なんの因果かこの記事を今読んでらっしゃるやや物好きな方にはこの日野勝光なる人物がどのような方か大方ご存知だとは思いますが、念のため説明しておきますと、彼はかの三大悪女の一角日野富子な腹違いの兄で、将軍外戚として室町時代に権勢を振るったそうです。日野家出身の公家の極官は大体大納言ですが、彼の場合は内大臣、さ
今回は、京都の観光名所のひとつ「銀閣寺」をご紹介いたします🤗アクセスは「哲学の道」と同じく、京都駅からA2バス(四条河原町・銀閣寺行き)に乗って約40分乗車🚍バス停「銀閣寺道」で下車したのち、徒歩20分ほどで着けます😁所要時間は京都駅だと1時間位ですね👣あれ、「慈照寺(じしょうじ)」って書いてある🤔❓調べてみたら「銀閣寺」は、正しくは「東山慈照寺(とうざんじしょうじ)」だそうです💭室町幕府8代将軍である足利義政公の法号(仏教において死後に受ける名前)から「慈照寺」と名付けたとのこ
氏戸佳香『那古屋今川氏の興亡』白天社戦国大名今川氏はご存じだろうか?ご存じなければ、この本を読む意味はありません・・・。永禄3年(1560)5月19日、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元。の今川氏です。この今川氏、当時は名門中の名門で、いわゆる室町幕府将軍・足利家の縁戚でした。というわけで、一門はたくさんいたと思われ、那古屋=ざっくりいまの名古屋辺りにも有力な一族がいたのです。戦国大名今川氏というのは、最盛期、駿河(静岡県中部)・遠江(西部)そして三
従う人を増やしていった信長は、織田家の頭領となりました。こかから信長の天下統一が始まるのです。まずは今の幕府の現状を見に京都へ向かいました。当時の室町幕府の13代足利義輝に会いに行きました。そこで幕府の体たらくぶりに嫌気が差し、やはり自分が天下を取って国を変えるしかないと思ったのです。しかし、そんな信長の動きを見て氣に入らない人間もいました。それが今川義元その当時信長より勢力のあった今川義元。その人を怒らせてしまいました…そして今川から信長に戦を仕掛けて来ました。これが皆さん
畠山政長はたけやままさなが🌟徳本上人は宝暦8年(1758年)6月22日紀伊国日高郡(現在の和歌山県日高町志賀)に生まれる生家の田伏氏は畠山政長(1442年-1493年)の次男・畠山久俊の子孫と伝わる❓️❓️⏬️✨️讀史備要✨️⏬️🌟時代室町時代中期-後期(戦国時代前期)🌟生誕嘉吉2年(1442年)🌟死没明応2年閏4月25日(1493年6月9日)🌟別名弥二郎、次郎(通称)🌟戒名実隆寺殿🌟墓所正覚寺(大阪府大阪市平野区)🌟官位従四位下・