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修学旅行で銀閣寺行った?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようこんにちは、竹花です。修学旅行では行かないですね、大阪に住んでいて京都に修学旅行はないですね、すぐに行けるのでホテルに宿泊するのが勿体ないですね、電車賃の方が大幅に安いので家から通いで観光する方がいいですね、一旦家に帰ってゆっくりしてリセットしてから観光する方が楽だしいいですね。今日は足利義政が銀閣寺の造営に着手した日ですね、完成を見る前に亡くなったそうですね、室町時代はこの辺りまでが幕府に力が有ったと思い
修学旅行で銀閣寺行った?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう銀閣寺、中学と高校の修学旅行で行った。個人的には20歳の頃に一回。もう随分と訪れていない。今度、行ってみようかな。東山慈照寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。建設年149
銀閣寺の日だけじゃなくて本日2月4日は立春でも有る2月4日(立春)立春というと朝絞り(立春朝絞り)本日限定の日本酒が飲める酒屋イベントが各地域で開催されるんじゃぁないかな!酒好き\♡/"にとっては堪らない本日限定のお酒が飲めるイベントは調べてみるのも有りかも!
2月2日の歴史永禄2(1559)2月2日織田信長入京桶狭間の合戦よりも前に信長公は上洛入京していた織田信長公の目的とは??13代将軍足利義輝に謁見剣豪将軍義輝公に謁見!!信長公の覇王ぶりはもう既に??名も売れる前にして時の将軍義輝公に謁見するとは大したものです後に織田信長が足利義昭を奉じての上洛を果たしますがこの時は既に天下に名前が売れた後ですからね義輝公に謁見した時の信長公は26歳ましてや天下に名を轟かす今川義元を討ち破
備後の国は福山へ。古代では、福山市の北隣に位置する現在の府中市に備後の国の国府が置かれ中心地でした。また、福山市内の鞆は、古代より日本有数の軍港・商港として栄え、特に中世には足利氏がこの地を重要視。その為か、室町幕府初代将軍・足利尊氏に反旗を翻した尊氏長子の足利直冬が鞆を拠点としたり、室町幕府最後の将軍・足利義昭が織田信長によって都を追われた後に鞆に移住し鞆幕府なるものを称してみたりと、足利家とのゆかりは特に深い地。中世には、毛利氏、福島氏、水野氏、松平氏と領主を替え、江
昨夜から雪がちらつきもしかして・・・と眠りにつき今日の朝起きたら雪が積もってましたわラッキーチャンスを逃すのはもったいないと銀閣寺へレッツゴー銀閣寺に雪の華が観光客の方のためホウキで道を掃いてたお寺のお兄さんと目が合い雪の華に色を添えていただきましたわ少し銀閣寺について正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣
室町幕府を揺るがす応仁の乱から10年の月日が経った。この大乱によって(征夷大)将軍の権威は大きく損なわれた。大名は在京が義務付けられ、領国経営は守護代に任せていたが、この頃になると、各々の領国に赴き地盤強化に努めるようになった。奥州は大乱に巻き込まれることはなかったものの、幕府の窓口機関である奥州探題職を任じられた大崎家もまた、衰退の道を辿り始めていたのである。奥州において大崎家当主は“公方”と呼ばれ敬われていた。応仁の乱の頃の当主は、七代目・大崎教兼(のりかね)という人
今回は日本史!そして誰もが知る2人の人物を中心に考えていきます。日本は長い間、武家政権が政治の中枢でした。この状態が本質的には不健全だという話は今度改めまして…今回はその創設者のうち二人を比較して考えたいと思います。源頼朝はこれも今後いじめ問題と絡めて取り上げます。それを見れば彼が非常に有能な政治家であることは分かってもらえるかと思います。という事で今度は残りの二人、室町幕府の初代足利尊氏と、江戸幕府の初代徳川家康を考えてみます。えー、家康なんてもうドラマでもなんでも見飽きたよ!……確かにそう
こんにちは!ひのははです。NHKの「知恵泉」という歴史番組をご覧になったことがありますか?まぁ、どんな面白い番組でも当たりはずれの回はありますが、今回の室町幕府6代将軍を取り上げた「ヒールの言い分!神に選ばれた恐怖の将軍足利義教」http://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2019-01-22/31/12684/1494211/は興味深かったですよ。日本史では幕末が人気ありますし、日本美術でいえば江戸絵画が今とてももてはやされています。でも、室町時代って
Index■①俳句選🍎②ホンネ物語😄😵1月21日*月曜日*旅人俳句選🍎#7今日の季語雪吊り*雪吊に雪ありてこそ加賀の酒MN雪の兼六園は、風情満点。非日常の空間に、心が癒されます。冷えきった体は、熱燗で┅┅。今度は体が芯から癒されます。*雪吊を解く北陸に新幹線AU🍎🍎🍎🍎🍎旅人俳句選🍎🍎🍎🍎🍎(8)Regular観光スポット😄😵ホンネ物語*#20銀閣寺Ginkakuji-Temple京都市😄左京区銀閣寺町😵*銀閣寺は、あくまでも通称で本
こんにちは。キャリアコンサルタントの吉田です。県立入試の社会は、大まかな対策は理科と一緒です。大問の数は多いので、その中からカンタンな問題を確実に得点していきます。生徒はどうしても印象で「歴史はサッパリ」「公民ワケわかんない」と先入観を持ちやすいので、教える側は注意です。歴史がメチャクチャ苦手な生徒には「さすがに幕府をつくった人は覚えようよ」と、とにかく絞ることが最優先です。次に会ったら、すかさず「室町幕府をつくった人は?」と聞きます。自分の必殺ノートを作れるのであれば、確
「俺らは義満の子」目次第1話父と母第2話異母兄第3話父の隠居第4話私の誕生第5話母の死第6話父と兄の出陣第7話応永の乱第8話日本国王第9話兄の結婚第10話准母第11話父の野望第12話父倒れる第13話恐るべき遺言第14話父、逝去第15話太上天皇第16話動き出した義持第17話兄が暗殺第18話動く義持第19話悩む私第20話自由な影第21話関東での乱第22話不満を持つ義嗣第23話逃げた義嗣第24話謀反発覚第25話疑われる大名第26話義嗣哀れ第27話
さーて昭和男の老父の影響をもろに受けているドーター&サンっ、最近読んでいるマンガはアタックNo1っ。苦しくったって〜悲しくったって〜コートーの中では平気なの♬昭和の根性論にマンガから学ぶドーター&サンっ、学校から帰ったら2人で、元気よく外でバレーボールらしきことをしていますね。笑漫画の影響は大っ。我が家ゲーム…なし…寒いからこそ、絶賛外遊び推奨家ですからの。^^根性!昨日からスイミングスクールが始まった2人。(市がやってる?やつに申込んだら
今日は何の日フッフー1547年の今日はこの方が征夷大将軍に就任した日↓室町幕府第13代将軍足利義輝さん皆さんは室町幕府の将軍となるとどなたの名前が出てきますかね?やっぱり教科書に出てくるし大河ドラマもあったので足利尊氏が一番有名かな?次におそらく一休さんに出てくるから足利義満も有名でしょうねえ最後の将軍足利義昭もいろんな大河ドラマに出てくるからわりと有名ですねしかしその兄貴の足利義輝は戦国時代の将軍なのに主役になる武将達が活躍した時代よりちょっと前だから
昨日は、京都にいました幾つかのお寺を回って、最後に来たのが銀閣寺ですきらびやかな金閣寺に比べてわび・さび(侘・寂)の銀閣寺砂の芸術金閣寺のところでも書きましたが、銀閣寺というお寺はありません(^_^;)慈照寺の舎利殿を銀閣って言うんですこれが、銀閣です渋いッス手前に向月台と銀沙灘、銀閣寺の芸術ですネ(^o^)東求堂義政の持仏堂として建立されたものであります。義政って誰ってカ(^_^;)室町幕府八代将軍、足利義政です銀閣寺をつくったのは、足利義政です東求堂年取っ
今日は、市バスの「バス一日券」を買って有名処を見て回りますと言っても、のんびりとチョッとだけ(^_^;)1日乗り放題で600円3回乗れば元が取れる計算です京都のお寺って、何処知ってますたくさんあるんだけど、うちの職場のお子たちは、知識無いからナ~(^_^;)そのお子たちでも知ってそうな所を一番に世界遺産です混んでますネ(^_^;)そうです金閣寺\(^o^)/正式には、鹿苑寺舎利殿(金閣)お寺の名前が「鹿苑寺」その舎利殿を「金閣」と言うのです美しいッス室町幕府
歴史連載物語、第5作目は、「生き抜く足利」です。足利氏の家紋、二つ引両。足利氏の初代、源義康(みなもとのよしやす)さんから室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)さんまでの話だよ。時代は平安時代末期から南北朝時代初期までだね。各話をクリックしたら、そのページに行くよ。予告第1話足利の祖・義国第2話兄・義重第3話上洛した義康第4話早過ぎる死第5話平家全盛の中第6話行動の差第7話義兼の活躍第8話狂った義兼第9話家督を継ぐ三男第10話専制の始まり第11話逃げ切る義
12月20日の歴史足利義輝が将軍に就任天文16年(1546)12月20日足利義晴が将軍を辞し嫡男である足利義輝が室町幕府第十三代将軍に就任する剣豪将軍の誕生義輝といえば室町~江戸歴代の征夷大将軍で最も武芸にすぐれてたとのこと義輝は剣豪将軍といわれてます義輝の剣の師匠は塚原卜伝で直弟子の一人であるそうです奥義「一之太刀」を伝授されたとも?戦国乱世の頃の将軍やしよっぽど苦労したでしょうね義晴、義輝、義昭この3代は!!足利義輝公の二条城跡二条御所武衛陣
時代の区分なんてのは、「子供が学びやすいように」って文部科学省が便宜的に決めてるものにすぎないんです、ぶっちゃけて言えば。何時代が何年から始まるか、何年で終わるのか、なんてことは、所詮は解釈次第でどうとでも言えるんで、素人が真面目に議論して消耗するだけ無駄なことです。足利将軍が京都から追放されたら「幕府滅亡」であるなら、室町幕府なんて二十回近く滅亡してることになる、んだそうです(誰かが数えた、この数字も解釈次第)。だから「足利義昭が征夷大将軍である限り、幕府は滅亡してない」という主張もごもっ
この日の嵐山、寒かった💧絶対、札幌より暖かいでしょ!!と…思ってたけど朝晩の冷え込みは馬鹿にできない😅芯から冷えます🥶そして向かったのは「天龍寺」室町幕府に創建されましたが、やはりここも8度火事で焼失してるそうです。ここ天龍寺の「雲龍図」今回は特別公開時にあたり天井一面に描かれた龍🐉を見る事ができました‼️「八方睨み」どこから見ても睨まれてます😅庭園も手入れされててとても素敵でした🍁御朱印この時期、本堂に上がるので靴下は必須です‼️とても足が冷たくなりま
徳川家康の旧姓である『松平姓』の初代は親氏です。親氏は湯行僧であったと言われていまし、氏素性ははっかりしませんし、女性好きで、放浪癖がありました。親氏は松平家に婿養子の形で入ります。後に、松平の家督は弟の泰親が跡を継ぎますが、3代目信光は親氏の次男です。3代目信光は室町幕府政所別当の伊勢貞親に臣従して力をつけていきます。息子親忠の氏名は、貞親から『親』の偏名でしょう。松平家は三河に土着していき、7代目当主清康、8代目広忠が若くして亡くなるものの、家中の結束は強く、後年の徳川家康を誕生させ
こんにちは。今日は何の日?家具、組み立てたことある?▼本日限定!ブログスタンプあの日、あの時、あの場所で・・・家具、組み立てている場合ではありませんでした。1558(永禄元)年11月27日。戦国武将・三好長慶は和睦した第13代室町幕府将軍・足利義輝が、5年ぶりの入京を果たしました。室町幕府を開いた初代・足利尊氏にはじまり、第3代将軍・足利義満を頂点に、その栄華を誇った足利将軍家でしたが、第8代足利義政の時代に勃発した応仁の乱の辺りから、実力が物を言う戦国乱世へと突入していきます。
上杉謙信は、実は女性だった。という魅力的な与太話はあります。まあ、それはそれで面白いけど。たぶん真相は「なんかヘンな宗教を信じてたから」というところでしょう。ヘンな、とか言うと謙信好きの皆様に怒られるでしょうけど。謙信公は、本気で自分を毘沙門天だと信じていたんです。だから生涯独身、というより女性と交わったことがなかった、というのは嘘じゃないでしょう。そんな男がいるもんか、戦国時代に。います。有名な先例があります。室町幕府の管領、細川政元。応仁の乱の東軍総帥・細川勝元の息子です。
室町時代ブームに乗ってとんでもない新書が発売されました。総ページ数は542ページ、もちろんブックエンド不要の安定感を誇ります。そのタイトル通り、将軍は初代尊氏から義昭までの15人に加え、それに替わる役割・立場にあった三人(義嗣・義視・義維)を掲載。そして編者によると「室町幕府は管領を軸とした政権」(P13)とのこと。将軍を補佐した管領も、尊氏の執事だった公師直をはじめ正式に管領に就任した人物はもちろん、戦国時代に管領に擬せられた細川京兆家当主や管領代・六角高頼まで掲載しとて