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歴史上の人物で最も人気のある織田信長。革新的な政策で歴史を作り出したという評価やイメージですが、そんな信長も近年の研究では案外そうでもないのでは?と評価されております。「天下布武」は有名ですが、全国統一なのか?中央政府や天下の台所である近畿地方(当時)を指すのか?今だはっきりしませんし、信長自身も具体的に言い残したという資料も無いと思われます。楽市楽座や山城⇒平城政策への切り替えも当時の武将たちはすでに実施しております。権威についても、落ちぶれた室町幕府
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第22回、「播磨大誤算」の感想です。(続きです。)<書写山円教寺>秀吉が記憶喪失になったので、小一郎、正勝、宮部は記憶を呼び戻そうと、過去の関わりなどを話すが、秀吉の記憶が戻ることはなかった。==================<近江安土城>そのころ、荒木村重は信長に呼ばれて、完成を目前に控える安土城に来ていました。村重:「これはほんの手土産にご
1582年(天正10年)5月、織田信長は徳川家康を功を労うため、家康を安土城に招いて豪華な宴席を設けました(安土饗応)。接待役は明智光秀。光秀が用意した料理の中には、当時の最高食材だった「鯉」を使ったものもありました。鯉のまなす(イメージ)光秀が用意した鯉は、天下一のブランド「淀の鯉」(京都の淀川で獲れた鯉)だったようですが、腐っていたため信長が激怒。信長に蹴られたり殴られたりした光秀は、そのことを恨み本能寺の変を起こしたという説がありますが・・・このエピソードはのちに語られたもので
秀吉(池松壮亮)が残忍なことをしたと聞いた小一郎(仲野太賀)は、飛んで行き理由を問いただしますが…〈以下ネタバレあります〉実は秀吉が入城した時には皆、自害しており、ならばその亡骸を使って見せしめにすべしと、半兵衛の策を聞き入れたというのです官兵衛(倉悠貴)は、逆に恨みを買ってしまうかも知れないと心配します。今の播磨は、腹の底が見えない国衆が厄介なのだと言います。そう言う半兵衛(菅田将暉)の悪い予感が的中服属したはずの国衆たちが反旗を翻し、毛利・宇喜多も挙兵します上月城に立て篭る尼子
ドライブも琵琶湖テラスもめんたいパークも安土城もスシローも全部楽しかった★「会社」は学校じゃない。「会社」はキミの介護施設でもない。「勉強になりました!」で終わらせるならば、お金を払わなきゃいけないのは、むしろキミの方だ。学校でも、塾でも、そうだったろ?💪💪筋トレのみ月火🏃🏻😒ラン+筋トレ🙅♂️🏃🏻何もせずInstagramランニングジョギング【6月9
3月14日の内容の記事になります。この日も城巡りで、滋賀県内を巡っていました。まずは、安土城を登城。次は、観音正寺の近くにある観音寺城へ向かいました。観音正寺は、西国三十三所のお寺でもあります。境内に向かうまで標語や巨大な御神岩など見所がありました。さて、観音寺城は、一旦観音正寺の境内を通過して行きます。眺めは抜群ですが、少し登山が入りました(^^;観音正寺へ戻りました。境内には、柴のわんちゃんがいました(ᵔᴥᵔ)ニオイを嗅いできて、ドアップになりました
あなたのおふくろの味は?▼本日限定!ブログスタンプうーん、忘れた(汗)…「母親大会記念日」1955年(昭和30年)東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催されたそうです。きっかけは前年の、アメリカがビキニ環礁で水爆実験だったそうです。この大会で母親たちの社会活動の意欲が高まったそうてす。「プロポーズの日」(6月第1日曜日)日付けは「ジューンブライド=6月の花嫁は幸せになれる」との故事から、6月の最初の日曜日になったそうです。プロポーズといえば「101回目のプロポーズ」ですか?…
6月7日の出来事671年(天智天皇10年4月25日)日本で、漏刻と鐘鼓による時報を開始。871年(貞観13年5月16日)鳥海山が噴火および溶岩流?。火山爆発指数:VEI21099年第1回十字軍:エルサレム攻囲戦が始まる。1494年スペインとポルトガルの間でトルデシリャス条約が締結。新大陸における両国の境界を定める。1576年(天正4年5月11日)安土城天守閣が完成。1628年イングランド王チャールズ1世が受託の署名を行う。1654年フ
織田信長の言葉「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」織田信長は戦国の世を駆け抜けた革命児である。戦国時代の一番の主役と言っても、過言ではない。織田信長が戦国時代に終止符を告げた。強いものが勝つ。しかし、それだけではない、新しいことを取り入れる。既成概念をぶち壊す、まさに、戦国時代に革命を起こした。織田信長が残した「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」という言葉は、生き方の核心を示している。必死とは、死ぬ気で取り組むことである。信長は常識にとらわれず、
5月のゴールデンウィーク後半、ついに「城攻めトレーニング」第4弾のラスボス、安土城址に挑んできました。「信長を旅しよう」の大本命。ここを攻めずしてGWは終われない。文芸の郷からはJR琵琶湖線を挟んで反対側、歩いて約15分。足はすでに観音寺城の石段で大ダメージを負ったまま。駐車場には車がズラッと並び、「さっきの観音寺城の人のいなさは何だったの!?」とツッコミたくなるほどの人気ぶり。昭和初期に再建された摠見寺にも寄りたくて、1200円のチケットを購入。…しかしこ
ゴールデンウィーク後半に決行した、滋賀県安土での“城攻めトレーニング”第3弾。観音寺城をなんとか制覇したボクは、JR安土駅に貼られていた謎に熱量の高いポスターに導かれ、いよいよ「信長を旅しよう」モードに突入しました。安土駅周辺には信長関連の施設が複数並んでいて、「どれから行く?全部行っちゃう?」みたいに揺れる心。しかしボクは倹約家(ただし城だけは例外)なので、今回は最も“心を射抜かれた展示品”があるという「文芸の郷安土城天主信長の館」に向かうことにしまし
台風の影響で多くの地域に警報が発出されていますぺりこ地方は現在雨が降っていますどうぞ皆さんのお住まいの地域に大きな被害なく台風一過となりますように先月のことですが、相方の念願だった国の特別史跡「安土城跡」へ行ってきました入口のゲート迄は前にも2回来たことがあります1度目は、遠目で石垣を見ただけで入山せず2度目は入山の時間制限(午後4時迄)を5分過ぎていて絶対ダメと所長さんらしき方に断られ(涙)今回が3度目の正直、Thirdtime'scharmで入山料を支払
そういや、若い頃…この辺でぶどう狩りしたな…冷やしたほうが美味いハズと、板氷を持参してバケツに突っ込んでぶどう冷やしてたら……その辺の知らん子供達に見つかって……バケツの権利を剥脱されたんだ。そりゃ子供が「にーちゃんアチシのも冷やちて」なんて言われれば「おお!エエでぇ〜」ってなるわな…ぶどう狩りは夏なんだよな…近江八幡にナッツの専門店があるという。そこのスイーツ?ナッツスムージーが、まだ目の裏に鈍痛残る健康状態をマシにしてくれるやもと……この奥にお店があるとか?この種類!美肌効果とか?な
こんにちは、水城真以です。本日、6月2日は本能寺の変が起きた日(旧暦)です。あの日、色んな人の運命が大きく変わりましたね……。こちらは安土駅にある上様の銅像👇本能寺の変の首謀者は明智光秀。動機に関しては色々な説があります。・朝廷黒幕説・秀吉共謀説・濃姫説などなど……(個人的には濃姫説は結構面白いなと思っています笑さすがにないか……)私としては、光秀単独犯説だと思っています。あの時期、織田信長の死を願っていた人っ
最初に覚えているのは小牧城だが,この犬山城は祖母と訪れた思い出もあり,大事な城となった。当初は大したことのない城だと思っていたが,後に数える程しかない国宝の城であり,三英傑が重要視した場所だと知った。その後,行き易さと歴史的背景を知り,名古屋城を推しかけたが,天守閣がずっと非公開のままであることから気持ちは冷めていった。代わって,今は清洲城を推している。かつて名古屋城にとって代わられた尾張の城が(あくまで私の中での話にはなるが)今名古屋城にとって代わったのだ。小次郎「しかし,豊臣兄弟で
明智光秀、本能寺の変後6月2日、明智光秀は明智勝兵衛率いる2千を勝龍寺城に入れ、安土城攻略に向かった。6月5日、藤田伝五は2千の兵を率いて、大和郡山城に入った。6月9日に、藤田伝五と筒井順慶は河内打廻りをする予定であったが、筒井順慶は羽柴秀吉に心変わりして延引になった。6月11日、二人は切れて、藤田伝五は木津に兵を引いたが、また筒井順慶に呼ばれ、。大和郡山城に戻った。これは、筒井順慶の時間稼ぎの陰謀だった。
2026年5月15日、金曜日。明日からの、若狭三方五湖ツーデーマーチに参加するために、福井県若狭町へ向かいます。途中、ちょっと寄り道。道の駅草津に車を止めました。北西へしばらく歩きます。湖岸近く、まものランドが見えました。琵琶湖博物館の前まで来ました。ここで、まものランド訪問です。9008人目。道の駅に戻って、次の目的地へ。北東へ走ること約50分。安土城跡に到着です。ご当地クエスト、シーズ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第20回、「本物の平蜘蛛」の感想です。(19回のラスト。)前回19回のラストで、秀吉軍は北越戦線から戻ってきてしまった。「勝手に戻ってきたのか!?そんなこと上様に知られたら……!」と小一郎は心配する。秀吉は総大将・勝家の命令に従わずに戻ってきた。<安土城>部屋の外で、小一郎は聞いている。(切腹ならなんとか止めないと……。)信長:理由を述べ、「……では死ね。」と刀を執り出し、秀吉に投げつけ
「幻の安土城」復元プロジェクト・歴史セミナー安土城築城450年記念・日伊外交関係樹立160年「シンポジウムバチカンと日本・東アジアその歴史的交流」が開催されます。日程:2026年6月21日(日)時間:14:00~16:30場所:滋賀県男女共同参画センター(G-ネットしが)大ホール料金:無料クララ・ユ・ドン氏(バチカン図書館司書・研究員)による講演やパネルディスカッションが行われます。詳しくはこちらで「幻の安土城」復元プロジェクト・歴史セミナー安土城築城450年
ドラマのあらすじ1577年(天正5年)になります。織田信長(小栗旬さん)は、軍令違反を犯した秀吉(池松壮亮さん)に死罪を宣告します。羽柴家の家族たちが決死の助命嘆願するも、信長の怒りは一向に収まる気配がありません。松永久秀(竹中直人さん)が再び謀反を起こす。信長の条件は、「名器・平蜘蛛を差し出せば、謀反は不問に処す」秀吉と小一郎(仲野太賀さん)は、自らの命を賭けた「最後の交渉」へと向かいます。しかし、交渉は決裂します。久秀からは平蜘蛛の真贋の判定のテストをされ、うまくいったと思
ヨッシーが何故好きなのかと問われたら,これも母の影響である。しまった筈が紛失してしまった無着色のヨッシーを母から貰ったことや,母にスマブラのキャラを選ばせたらヨッシーが選ばれたこと等から私はヨッシー派になったと言える。その上で私が今推しているポイントとなると雰囲気ということになるだろうか?あの癒される感じが何とも言えない。そして,ヨッシーは城にいるのがよく似合うと思う。これはスーパーマリオ64の影響だろう。
みなさま、こんにちわおんじです🙂↕️織田信長が命名したことで有名な☆岐阜城☆いつか訪れたいと思っていましたが、今年、「豊臣兄弟」もあり行く決心をして予定を立てていたところ、耐震補強工事で6月19日から約一年半、天守閣が見れなくなると言うお知らせを少し前に発見…なので、GW開けを狙って間際に登城することにしましたJR岐阜駅前に立っている織田信長公の像金ぴかに輝きますというわけで、岐阜駅からバスに乗り岐阜公園へ🔶最近あたらしく、
明智光秀、光秀の領国明智光秀の領国は、近江国滋賀郡と丹波国であることは、知られている。この他に、丹波国の陸続きの丹後国の約三分の一と大和国の約三分の一の南方(南方衆の土地)があった。それで、本能寺の変の直後に、大和南方衆が明智光秀に味方して来ていて、合体して近江安土城を攻略を果たした。和州一国ハ久秀進退たる可しと云々、進退とはいくさの駆け引きのことである。云々とはうわさのことである。和州一国一円筒井順慶存知有る可きの由、松永久秀のように、筒井順慶はいくさの進退ができな
さてさて…「豊臣家兄弟!」の進行がかなり早くて…じっくりと記事を書くことが難しくなっています🆖前回書いた秀長との藤堂高虎の出会いについては…改めて❗️ということにして😅今回は天正年間初頭の織田信長の動静についてお話します🆕元亀四年(1573)の武田信玄の急死により…最大の危機を脱した織田信長は…これ以降、畿内周辺の反対勢力を次々と各個撃破していきました‼️信玄の死による武田軍の戦線離脱により、東部戦線に兵力を割く必要がなくなったことで…信長は兵力的優位を以って畿内の敵対勢力
明智光秀、本能寺の変本能寺の変は、足利義秋を助けるためのものである。証拠として、天正十年愛宕百韻で、明智光秀は、つきは秋秋は最中の夜半の月と高らかに歌っている。運が良いのは義秋(足利義昭)と歌っている。明智光秀は、室町幕府衆(二千人程)を家来にしていたので、要請、要望があり、振り回されて、本能寺の変を決行した。本能寺の変後、明智光秀は、西尾小六に6月2日に書状を出し、其表之儀御馳走候て、大垣之城相済まさる可く候、委細山田喜兵衛尉申す可く候、恐々謹言、(天正
帝塚山大学付属博物館(奈良市帝塚山、東生駒キャンパス内)で18日、安土桃山時代に誕生·流行した「金箔瓦」に焦点を当てた特別展示が始まった。大学では奈良に始まる日本の瓦の歴史や文化を追究するため古瓦の収集に努めており、今回の展示は「古瓦との出会い」シリーズの9回目。会期は6月27日まで。金箔瓦は軒先の軒丸瓦や軒平瓦の文様や下地の部分に金箔を貼った瓦。織田信長の安土城で初めて本格的に採用された。(㊦金箔桐文軒丸瓦)信長の時代、金箔瓦の使用は織田一族に限られていた。し
―信長像―前々回は、将軍義昭御所の造営に、朝廷側が信長に参加を願うも、「大工風情之儀」とつっぱねた話をしました。そして、前回は禁裏(朝廷)での釿(ちょうな)始の儀式が、義昭が延期するので何とかしてほしいと禁裏大工の木子宗久が、公家の山科言継の添え状と、朝廷からの女房奉書を携え、美濃の信長のもとへ向かった話をしました。今回は史料が残されていませんが、その後の経過から、両者(禁裏・幕府)の間で妥協が成立したようです。「木
どうする家康めっちゃ良かった織田信雄(のぶかつ)織田信長の次男が織田信雄織田信長の長男は織田信忠織田信長が42歳長男信忠が19歳の時に家督を長男信忠に譲りました譲ったものは、①織田家の家督(当主の座)②織田家の本拠地だった岐阜城③最重要領国である尾張国と美濃国の支配権織田信長の狙い(野望)「信長🟰天下人」「信忠🟰織田家当主🏠」と、役割を分けるため若いうちから経験を積ませて周囲に「正当な後継者」と認めさせるため譲ったあとの織田信長は新築した安土城に移り
本能寺の変がなければ日本の首都は「滋賀」…わずか3年で焼失、安土城に残された織田信長の"壮大な夢"の痕跡織田信長が築いた安土城は、完成からわずか3年で焼失した。なぜ信長はこの地に巨大城郭を建てたのか。そこには経済都市建設という壮大な構想があった。江戸文化風俗研究家の小林明さんが読み解く――。安土城「天主」が意味するもの織田信長が、琵琶湖の東岸に位置する標高198メートルの安土山に、巨大城郭を築くことを命じたのは天正4(1576)年正月だった。これが安土城である。普請の総奉行は丹波長秀だ
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