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こんにちは~12月ブログかんばるー✊‼なんて言ってから…もう何してる~四国の旅編全然、書けてませーん🙇♀️それなのに先週お城🏯2回目巡りなんて行ってしまいもう今年中の更新は諦めました🙇♀️すみません😢⤵⤵そして先日は初雪❄に遭遇しちゃいもうびっくりびっくりびっくり👀‼資料館で1度雨は降ったけど安土城跡登る時は↓こんなに青空~また雲☁出てきたけど信長の館に入る時も晴れてるよーなのに...雪❄が吹雪いて…もうこの場から逃げなきゃ…ε=(ノ゚д゚)ノ
安土城、再建すっか!~織田信成くんスケートやってる場合じゃねぇぜ!『天下取らなきゃ!』より抜粋~
週末に空港時代の友人Bちゃんと町田の泰巌(たいがん)歴史美術館に行ってまいりました。町田駅から徒歩5分で到着。泰巌と聞いてピンときた方は歴史、特に日本の戦国時代に詳しい方だとお見受けいたします。実は、織田信長の戒名の一部なんですって。ここの目玉は、なんといっても安土城天守の復元。元々安土城は六層構造で上のニ層のみの復元ですが、ほぼ原寸大とのこと。それまでの戦のための城とは違い、信長の「天下布武」を現す大型天守をもつ威容を示すものでした。豪華絢爛で規模も大きかったと
この記事の内容は2024年9月のものですこんばんは、りえです以前から気になっていた信長の館にやってきました「安土文芸の郷」と言うところにありまして、ここがどえらい広いのでちょっとわかりにくかったです入場券は券売機で、いろんな決済に対応してました安土城の天守、最上部2階層を原寸大再現しています写真を撮ることはできるのですが、SNS等ネットに投稿することは禁止されているので、みなさんにお見せすることは出来ませんすごい金ピカ
本日はおやすみを、いただいたので年末の大掃除です。と、いっても、趣味で作ったの安土城ですまずは、模型を庭に運び埃取りです子供の絵の具の筆で掃き掃除です信長の部屋もほこりが溜まっています魔王信長、お怒りだったでしょう全て分解し、天主台まで掃除です無心で埃取り、気づいたら日が傾き始めていますそして清掃終了築城から十年以上、ポロポロとれた部品がなくなっています大事に飾ります
12月14日(土)滋賀県旅行からの続き『滋賀県旅行』12月15日(土)曇時々雨かみさんと滋賀県に旅行に行ってきました。今回は新幹線で。新横浜で定番のしゅうまい弁当を買って、充実の朝飯。京都で降りて、在来線で大…ameblo.jp大津の石山から安土までJRの琵琶湖線で移動駅前の織田信長像一度止んだ雨が又降り出してきた。今日は完璧に天気予報が外れたようだ。気温が低い上、お日様も輝らないのでとにかく寒い。何か温かいランチでもと思うが、駅前には全く食べ物屋さんの気配がない。安土
1974年(昭和49年)12月15日の朝日新聞に名古屋工業大学教授の内藤昌先生(1932〜2012)が安土城の復元案を発表されて50年になります。当時、小学6年生の私は城郭建築に興味を持ち同級生と知識比べに熱中しており、新聞の記事に驚愕し両親の許可を得て切り抜き保存しました。安土城は文献には記録されていましたが、設計図や絵は現存せず「幻の城」でした。1579年(天正7年)に完成した安土城は1582年(天正10年)の本能寺の変の直後に焼亡。以後再建される事は無く、特に天主台跡は早い時期に土砂
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城コレ用の下準備#安土城#熊本城#犬山城#お城#ジオラマ
湖東三山の三つめは「百濟寺」を巡ります。近江の湖東地方は、その地理的重要性から、戦国時代三度の戦乱に巻き込まれています。湖北地方から湖東地方に南下してきた近江源氏・佐々木六角は、防衛のため観音正寺と百濟寺を石垣で要塞化するとともに、鯰江城などの出城を築きます。武田信玄の死を知った信長は、六角氏征伐のため近江へ軍を進め、元亀4年(1573)4月7日、百濟寺城に入城し、鯰江城総攻撃を開始します。寺(百濟寺)側は、織田か六角かの苦渋の選択を迫られ、長年の恩義を重んじ鯰江城に食
おとといの土曜日思い立って安土城へ行ってきました日帰り旅行は簡単でいいですわが家はお休みの日も習慣で早起きお天気が良ければお布団の中で日帰りで行けそうなところをスマホで調べる5時半ごろオットに「発表します!今日は安土城にいきます出発は8時半です」てな具合で安土城(安土城跡)へ名古屋==米原は新幹線で米原からは琵琶湖線で琵琶湖線でのビックリは各車両の扉の横に外側には開のボタン内側には開と閉のボタンが部屋
安土城ミニサイズ
お城さっつアーズvol.❷お待たせして申し訳ありません誰も待ってないかwお城さっつアーズの第2弾これで終わる可能性もあります先週の土曜日の11/23に行ってきました!家からも程よく近いこのお城です④彦根城お堀が美しいです現存の12天守のうちの一つ1622年井伊直継が約20年かけ完成1955年国宝に指定国宝天守は5天守の一つ彦根・姫路・松本・犬山・松江この出張で最も来たかったお城は犬山とこの彦根叶いました駐車場は大手門からすぐなので大手門をくぐり天守へ
今日は支部旅行で滋賀県へ行ってきました。写真は八幡山城址からの琵琶湖です。安土城はこの城の北側にありました。にほんブログ村
安土城ミニサイズの縄張りミニでも少しでも迫力がある様にしたいと思ってます。
この小説を読んでブログを書こうと思って調べたらこの小説って結構メジャーだったんですね西田敏行さん主演で映画とかにもなっていました『火天の城』(かてんのしろ)は、山本兼一による日本の小説、およびこれを原作とした日本映画である。第11回(2004年)松本清張賞受賞作、第132回直木三十五賞候補。内容紹介(「BOOK」データベースより)信長の夢は、天下一の棟梁父子に託された。天に聳える五重の天主を建てよ!巨大な安土城築城を命じられた岡部又右衛門と以俊は、無理難題を形にするため
安土城A3サイズジオラマ#安土城#お城#ジオラマ#インテリア
宇佐山八幡宮は近江神宮の近くにあります。歩いて15分ほどの山頂にあります。戦国時代、宇佐山城がありました。織田信長が家来の森可成に命じて築きました。安土城より先に拠点として築かれました。石垣によって築かれ、単なる山城ではなく、恒久性があったと言われています。元亀元年(1570年)九月朝倉義景・浅井長政の連合軍が坂本へ押し寄せると、森可成は城を出て坂本で迎え撃ち討死します。連合軍は宇佐山城へ攻め寄せ放火したが、攻め落とすことはできなかった。摂津から急ぎ京へ戻った織田
和歌山城、高知城、安土城×2の下準備中
色々な方が、利休様に関する本を出してはりますが、この本で新しく吸収した事は、茶事の席にはじめて歌の軸を掛けたのは武野紹鴎で、初めて掛けられた軸は、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」である事。阿倍仲麻呂は、中国に渡り玄宗皇帝に寵遇された。1555年10月20日の茶事。「八重むくら茂れる宿のさびしさに人こそ見えぬ秋はきにけり」慧慶法師織田信長の時代は、お茶道ご政道秀吉に近江安土城造営の褒美に牧谿の月の絵を下至した。茶事を催すにも、信長の許しが必要だ
11/2〜11/4は2泊3日で琵琶湖周辺へ旅行に行きました…がホームで新幹線を待っているとアナウンスが入り「大雨の影響で新幹線は運転見合わせになりました」って∑(゚Д゚)‼︎今まで何度となく旅行していますがこんなトラブルは初めて。結局1時間20分遅れでなんとか運転再開。予定より大幅に遅れて近江八幡に到着。丁度タイミング悪く現地は土砂降り(T-T)本当はこの後、湖東三山に行く予定でしたが諦めて屋内で楽しめそうな所ないかなぁと探した安土町にある「安土城天主信長の館」へ。信長
安土城ライトアップ
安土城ライトアップの土台
安土城の下準備
昨日、安土城跡周辺を散策してきましたよ。音堂川湧水透明感がハンパない……!こちらは北川湧水おばあちゃんがお野菜を洗ってた…今でもここに住み人にとっては、普通に生活の中で利用されている湧き水のようです……ステキ❣️こんな田んぼの中のまっすぐな道をお散歩いいお天気!時々、琵琶湖線が通ります。飛び出しくんがちょんまげ…のどか〜私は日本史をあまり知らないので、お勉強しながら進みましたよ。JR安土駅の直ぐ側の「安土城郭資料館」少〜し離れたところにある「安土城天主信長の館」
近江八幡市の観光も午前中は曇り空だったんですけどお昼頃からは中途半端に傘がいるくらいの小雨八幡堀は雨で風情があって良かったんですけどね晴れてたら安土城跡へ行く予定でしたが今回は駐車場から見上げるだけにしましたここにはまたいつか来てみたいで、すぐ近くにある信長の館へこの建物雰囲気がなんとも信長様っぽいですよね券売機でチケットを買
あなたの好きな日本の文化は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう城信長「天主で暮らせるのは安土城くらいか」家康「他は基本的に見せかけですからな」最近,再建の方が中を変えられる分,繰り返し行く価値がある様な気がしてきました。
初でござった^_^父が、お世話になった方の御参りをしたいと。私、琵琶湖をみたいからついてく!おかげ様だらけでありがたく楽しい滋賀旅❣でした🏯
「火天の城」「火天の城」予告編2009年9月12日公開。山本兼一による同名小説の映画化。興行収入:9.3億円。原作:山本兼一「火天の城」脚本:横田与志監督:田中光敏キャスト:岡部又右衛門-西田敏行尾張国で代々「宮大工」として数々の建築に携わった岡部家の棟梁。岡部田鶴-大竹しのぶ又右衛門の妻。岡部凛-福田沙紀又右衛門の娘。戸波清兵衛-夏八木勲穴太の石工頭で、又右衛門の親友。池上五郎右衛門-石橋蓮司京の大工。岡部のライ
こんにちはー。先日休日の日に安土城跡に行って参りました。広島からだと山陽道から名神に入ってだいたい4時間弱で到着でございます。いやー、交通インフラって凄いですよね。戦国時代に安芸国から近江国の安土城を見てまいろうぞって気軽に出来ませんて。世界がドンドン小さくなっているのであります。美濃から山城に抜けるには琵琶湖の南の中山道を通ると言うのは地図の中の知識であった訳ですけれども、実際に目にしてみるとせせこましい中国地方の平野と比べるとなんと広大な平地なんでしょう。しかも琵琶湖の水運の利