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10月までお城巡りはお休み中のKK。進化著しい画像生成AIで遊んでみました。使用したアプリ(生成時に30秒の広告閲覧以外は無料)。プロンプト=描きたい要素を入力(日本語でも英語でもOK)。画像サイズ、素材となる元画像(あれば)、元画像の影響度を設定。ネガティブプロンプト(描きたくない要素)も入力できる。プロンプトは「女忍者」のみ。プロンプトは「「くノ一」のみ。マスクをしたアスリート系で描かれる模様。バストショット(上半身)にしてみた。傾いた画角は好きでは無
御殿の塗装をしました。まずは下塗りをします。信長公記に、御幸の御間は檜皮葺であったとの記載があるので、御幸の御間だけ檜皮葺にしており、そのほかの御殿はこけら葺きにしています。こけら葺きの表現がとても難しいです。名古屋城本丸御殿などを参考にして作っていますが、写真によって色がかなりちがうので、どのような色にすればいいのか迷いました。おそらく、光の当たり方や経年変化で色が変わって見えるのだと思います。最初は、竣工時の写真をもとに黄土色ベースで塗装をしました。ですが、なにかしっくり
伝二ノ丸の御殿を作りました。伝二ノ丸は安土山の中で一番高い所にある曲輪ですので、奥向きの空間であったとの想定で制作しています。安土城の主郭はほとんど発掘調査がおこなわれており、どこにどのような建物が建っていたのかというのは大体推定できるのですが、伝二ノ丸には信長廟があり、発掘調査がおこなわれておりません。ですので、伝二ノ丸はどのような建築が建っていたのか全く分からないので、想像で作りました。現在の伝二ノ丸です。右奥に見えるのが信長廟です。最初は奥御殿が建っていたと
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~近江編~滋賀県にある7城を1泊2日で巡る旅。今回は2019年11月21日(木)の2日目をお届けします。(初日はこちら)『日本100名城巡り~近江編~2019.11.20~21①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~近江編~滋賀県にある7城を1泊2日で巡る旅。今回は2019年11月20日(水)の初日をお…ameblo.jp2日目では観音寺城、安土城、八
表紙でのネタバレが強いんだよなぁwさてルナイトvsウルフマンから。劣勢のウルフマンに対し…キン肉マンの親友はテリーマンでしょう。だがキン肉マンの好敵手と呼べる超人はウルフマンなのかもしれませんな。キン肉マンと同い年、同学年の超人というのは実際テリーとウルフくらいしかいませんからね…つーわけでウルフも火事場のクソ力発動。この能力が発言しても負けるパターンもあり得るというのがゆでたまごの良いところです。試合前から明らかに勝敗が読める戦いもある一方で、最後までホントに勝敗が読めない戦いもあるん
(そうだよね。秀吉さんと一緒ならなんだってできる)秀吉さんは私の手をとり、優しく握ってくれた。秀吉「じゃあ、行くぞ」--------安土城の広間に大名が到着し、ついに会談が始まった。(落ち着いた感じの方だな)数人の家臣を引き連れた大名は、名のある武士としての貫禄を漂わせていた。秀吉さんの隣に大人しく座り、行く末を見守る。大名「信長様の政策はいつも斬新ですな。特に商売の規制緩和は、思いきった決断だと評判です」秀吉「時代の流れに合わせ、つまらぬ旧制度を廃止する。当然のことです」大名
※2023年2月19日訪問※東京都町田市の【泰巖歴史美術館】を訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼2020年3月22日(日)に開館した、泰巖(たいがん)歴史美術館。東京・町田市で住宅や不動産を手がける太陽グループの山中泰久氏が蒐集したコレクションを管理する、一般財団法人太陽コレクションが開設しました。所蔵品は戦国時代から江戸時代初期に至る古文書・書画・武具・茶道具などが中心。歴史的に重要な意味を持つ史料も含まれています。「泰巖」は、織田信長の戒名である「総見院殿贈大相
伊野尾くんと2018年にタイムスリップ🏎️💨したり、♪ハイライトの魅惑的な歌声にハッ💙としたり、いのちねの二人だけの距離感になんとも言えないドキドキを味わったり…伊野尾担のお楽しみがいろいろだったこの数日ですが、私はぬいちゃんを連れてもう一つの趣味に浸っておりました。大学の友人たちとの年に一度の旅行で、滋賀県へ。安土城跡と紫式部ゆかりの石山寺の旅です。興味ない方はどうぞスルーしてくださいね安土駅の織田信長公(ピンぼけ)と。この後登った安土城跡、友人の一人は途中でリタイアするくらいハードだ
南殿と江雲寺御殿の屋根を作ります。伝本丸取付台の建物に関しては、棟続きとなっている伝本丸取付台の北側にある建物を作っていなかったので、伝本丸取付台の建物をすべて作ってから屋根にとりかかろうと思っています。南殿から作ります。写真は屋根を貼る前の段階です。車寄せを作りました。床は瓦敷きを想定しています。車寄せの唐破風です。唐破風のカーブは、厚紙の裏の紙を少しはがし、指でしごいてそれらしく曲げています。このままだとふにゃふにゃですが、後で水で薄めた木工用ボンドをしみこませることによ
安土城訪問レポートその2です。天主台石垣安土城の石垣のほとんどは昭和、平成の復元工事で積み直しされているため、確実に信長時代の石垣と言えるのは、さきほどの二の丸石垣とこの天主台石垣のみといわれています。平成の発掘調査時にこの石垣の西側(写真の左側)から焼失時に焼かれて変色した瓦などが大量に発見されました。ちなみに手前側が本丸で、多くの礎石がありましたが、あまり整然と並んでいるような印象はありません。信長公記によれば、ここには「南殿」とよばれる御殿があり、天皇を迎えるための建物だったので
滋賀県近江八幡市の安土城です。天主や櫓などの建築物は残っておらず、再建もされていない石垣だけの城跡ですが、織田信長の天下統一の拠点となった城としてその知名度は群を抜いています。天正4年(1576年)長年の宿敵であった武田氏を長篠の戦いで破った信長は佐和山城主の丹羽長秀を総奉行として、琵琶湖の東岸、標高199mの安土山に新城の築城を命じます。安土は京都に近く、また京都から北陸道、中山道を結ぶ交通の要所でもありました。当時の安土山は現在と異なり、山麓まで琵琶湖に面していたため、明智光秀の
深夜0時を過ぎても、しばらく私のスマホに留まってくれた芸術作品のような伊野尾くん💙大好きなアンニュイな表情とモノクロでめちゃくちゃかっこいいのに、よく見れば🪼と🎀。もう感情ぐちゃぐちゃになるわ🫣昨日は新曲「UMP」のカップリング全曲試聴解禁でしたね!https://x.com/Storm_Labels/status/1831875979234746701?t=BavX6YuvzSyh81ghPyacjw&s=19x.comx.comなんてったって、今回はUMPが飛び抜けてるんですが
左馬之助雲竜羽織り男義を湖面に映し坂本に散る※明智光秀の死が知らされると、明智左馬之助は雲竜の羽織りを着て、名馬に乗り安土城から坂本城に向ったが、時既に遅く、途中秀吉軍(堀秀政)に遭遇。左馬之助は馬で湖水を渡り、光秀の妻子達がいる坂本城に入り、見事最期を遂げる。数々の歴史の悲劇水に消えただ湖(みずうみ)は今静かなり※琵琶湖周辺には小谷城、坂本城、安土城、佐和山城を始めとして、数々の悲劇が繰り返さ
安土城A3サイズの完成#安土城#お城#ジオラマ
日増しに秋の深まりを感じる神無月の頃------・・・「失礼します」私は呼び出しに応じて、信長様の部屋を訪ねた。襖(ふすま)を開けると、信長様と、その向かいに座る光秀さんが目に入る。よく見ると、二人のそばには、まだ幼さの残る顔立ちをした少女が座っていた。(可愛い・・・・・・!7〜8歳くらい、かな・・・・・・?どこの子だろう)信長「何を突っ立っている?そばへ来い、ゆう」「あ・・・っ、はい」愛らしい姿に気を取られていた私は、慌てて絨毯(じゅうたん)の上を歩き、信長様の正面に座る。「あの
皆さま、こんにちはお題:戦国時代の中で誰が1番好きですか?に回答。→織田信長が一番好きです!✨。戦国時代において、強さと斬新さを兼ね備えた武将でした。特に、常に新しいことに挑戦するパイオニア精神には惹かれます🌟。例えば、桶狭間の戦いでは、たった3000の兵で2万5000の大軍を相手に勝利を収めるという奇跡を成し遂げました✨。そして、築いた安土城には非常に興味を持っています🏯。その城は、当時の日本では見られなかった革新的な建築様式で、先進的な考え方を象徴しているように思います。
夏の青春18きっぷ今日が最終日!そこで金券ショップで残り1回券を買ってGO!今回は滋賀県の高月にある国宝の十一面観音と安土にある信長館へ行ってきました!米原で琵琶湖線に乗り換えて伊吹山が見えます遠くに琵琶湖が見えます虎姫駅です田園風景安心してください!お米いっぱい実ってます。夏か?高月駅到着駅から歩いて徒歩10分です門をくぐって本堂へ残念ながら国宝なのでパンフと絵葉書で収蔵庫では観音様をぐるっと1周360°できます195㎝くらいだそうで圧巻です。
うっほ!うっほ!!うっほです(^-^)ニクッそれでは今週のキン肉マンの時間です。◆第276話墓場への抜け穴!!の巻フェニックスの新技、不死鳥サンダーストームがアリステラに炸裂!!!背中のオメガハンドをうまくクッションに使い、致命傷だけは避けたアリステラだったが、かなりのダメージを負ってしまう。大技の連続で、安土城リングが少し沈む・・・。すると、フェニックスは安土城の中に異空間トンネルがある事に気づく!ここはオメガの民が超人墓場に侵攻するための秘密のトンネルが存在していたのだ!
こんばんは!しおさんでございます(^^♪毎日更新!!2343日目の記事をお届けします(^^♪今回は♪しおさんの子育て情報vol,231初めてのプラモデルは安土城と名古屋城♪プラモデル作りを見て感じたなるほど!な子供達の様子と発見をテーマに書いていきます(^^♪昨日の記事はこちらです(^^♪↓↓↓生産者の顔が見える「薩摩牛4%の奇跡」のフルコース♪薩摩うしのくら四谷店で頂いた感動の肉時間(東京:四ツ谷駅)https://ameblo.jp/tennaih
2023年1月28日(土)午前中は太陽☀が出てたのでお散歩へでも底冷えする寒さです昨日は信長映画で楽しんで、ちょっと安土城が恋しくなったのでちょっくら近くの「信長くんち」に😄レッツラゴーと、その前に「揚州商人」で「冬牡蠣拉麺」ぷりっぷりの牡蠣がたまらん逸品ですシ・ア・ワ・セ町田小田急駅からすぐ!是非食べでみてね(๑´ڡ`๑)さて、腹ごしらしたらいざ出陣!電車🚞で2駅という近さ!駅から歩いて3分位に妙な形の建物がある。が、実は中に入るのは今回が初めてです東京町田市「
おでかけスポット安土城天主信長の館戦国時代に名を轟かせた武将織田信長日本ではあまりにも有名な歴史的偉人天下統一を目前に敗れた信長でしたが豪華絢爛、人々を魅了した安土城も彼の死後あとを追うように歴史からその姿を消していきます安土城の何が凄いのかってめちゃくちゃ簡単に説明するとこれまでのお城は戦国時代をどう生き残るかをテーマに建設されたものがほとんどなのでお城で生活するのは困難かなり不便だったようですしかし信長の安土城は立地のよさといい豪華絢爛の外観
今回の安土城址訪問の最後は「日本百名城と続日本百名城に行こう」のスタンプラリーで必要なスタンプを押した鐘付き堂から下に向かって歩いた場所の撮影です。最初の登城時にこの鐘付き堂に立ち寄ったのですが結局スタンプが置いてある場所が分からずそのまま城址巡りをした後入場口の係の人に確認してこの鐘付き堂の奥においてあると聞き再度ここまで上がってスタンプを押してきました。かなり疲労度が増しました。晴れてくれたのはとてもよかったのですが真夏に訪問するのは酷な訪問になりました。下山コースは秀吉邸跡の西
桃山時代に入ります【資料】桃山時代の芸術は、天下人たちの権力を誇示する、天守閣を載せた壮麗で巨大な城郭に象徴されます。このような巨大な空間は、絵師や工芸家たちに大きな仕事場を提供しました。その中で最も目立つのは室内を飾る襖絵で、それを描いた代表的な画家が狩野派を率いる狩野永徳でした。ほかの巨匠たちも障壁画を手がけますが、江戸時代に入ると狩野派の寡占状態はさらに拍車がかかりました。Q.225長谷川等伯や雲谷等顔は、室町時代の水墨画家の画風を踏襲しようとしました。その画家とは?
藤孝・兼見会談の十七日後の六月二日早朝、光秀は本能寺で信長を討ちます。そのあと、京から居城の坂本城(大津市)へ引き上げる光秀を、吉田兼見は京の粟田口まで追いかけ、さらに朝廷の使者として、光秀が接収した安土城(信長の居城)に光秀を訪ねています。その際、兼見は光秀から銀五〇枚を贈られてもいます。謀叛に関与していたとられかねない行動をしている怪しい人物です。藤孝がその兼見と二日間じっくりと何事かを話し合い、まもなく安土の光秀を訪ねた行動もまた、不可解と言えるのではない
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石」の積み方』において隅石部分が「鎬(しのぎ)積み」になっているお城を紹介します。石垣がある戦国時代の「中世山城」では、結構「鎬積み」的な隅石を見かけますが、ここでは原則「山城」以外のお城で見られるモノをご紹介します。「鎬(しのぎ)積み」というのは、石垣の隅石の角度が、90度以上の広角に広がって積まれているものを言います。これは、お城の敷地として「方形」になっていない所に造るために、その土地の形をそのまま取り込んだことによって生じているからです。