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【安土城築城】♪ツンチャカチャンチャンチャランチャランチャンツンチャカチャンチャンチャランチャランチャン近江に安土城を建ててみたら~金2500も取られましたぁ~築城~‼(チッキショー‼)茶番はこのくらいで(笑)前回、安土城を建てるのに、金2500以上所持が条件と書きました。1577年以前のシナリオで織田家を選択し、かつ美濃・近江を含む6ヶ国を保有していることも条件です。信長が近江にいて、1月(睦月)に発生します。信長存命はもちろんのこと、近江を誰にも攻めら
☆皆さまは呂宋助左衛門と申すお方をご存知か?安土桃山時代に実在した堺出身の商人で、太閤秀吉の天下の元で莫大な富を得た方じゃ♪若い頃は納屋助左衛門と名乗っておったようじゃが、呂宋(現在のフィリピン)から焼物等を輸入し千利休の助けで売り捌いたとか…ドラマ黄金の日々では松本幸四郎が助左衛門を演じておったが、いやはや当たり役と申す他ないくらいの怪演を見せておりました!当時の堺は周囲を濠で囲んだ自治都市で、戦国武将でも手を出せぬ程の勢力じゃった。助左衛門は現在のマニラに日本人町を作り、安く仕入
昔「火天の城」という映画がありました、西田敏行が安土城を設計する棟梁の役。原作は山本謙一氏の松本清張賞受賞先生です。この映画では、安土城の設計でコンペになり、主人公とは別の大工が吹き抜けの案を提出してきたて、信長もせれを気に入ったんだけど。西田敏行は、自分の設計案(吹き抜けなし)と、吹き抜けの案と、二つの模型をわざわざ作ってきて、その模型に同時に火をつけて、吹き抜けだとあっという間に全勝する、というのを証明してみせて。それでコンペに勝って「吹き抜けなし」の安土城か建設された、という物語にな
中山の緑に静か久延寺天下分け目も石碑の影へ😸山内一豊公は、関ヶ原の戦いの前、徳川につくか、大阪方につくか決めかねていたが、会津攻めに向かう徳川家康を小夜の中山の茶亭で饗した。その茶亭跡が残る久延寺。この時の家康への拝謁で、一豊公は腹を決め、その後の小山評定での「掛川城を内府殿(家康)にさしあげまする」の発言へ繋がり、東軍の結束が強まった結果、関ヶ原の戦いでの勝利へと歴史が動いて行ったとされています。その久延寺も今は山中
★2018/04/15「60代大会」[オープニング・ゲスト問題]※出題者:藤原紀香問題:ある「人物」の名前は?ヒント①:1159年生まれ。幼い頃は京都で過ごしていたヒント②:弱者に同情する事などに使われる「判官贔屓」という言葉の由来となった人物正解:源義経[アナグラム問題]問題:文字を並べ替えると、ある「慣用句」になります。何でしょう?チラリ家族毛はない(ちらりかぞくけはない)正解:継続は力なり(けいぞくはちからなり)[音楽問題](♪輪舞曲/松任谷由実)今月11日、松任谷由
表紙でのネタバレが強いんだよなぁwさてルナイトvsウルフマンから。劣勢のウルフマンに対し…キン肉マンの親友はテリーマンでしょう。だがキン肉マンの好敵手と呼べる超人はウルフマンなのかもしれませんな。キン肉マンと同い年、同学年の超人というのは実際テリーとウルフくらいしかいませんからね…つーわけでウルフも火事場のクソ力発動。この能力が発言しても負けるパターンもあり得るというのがゆでたまごの良いところです。試合前から明らかに勝敗が読める戦いもある一方で、最後までホントに勝敗が読めない戦いもあるん
滋賀県徘徊のブログの続きです。さてさて。彦根駅前でお昼ごはんを食べて満腹。せっかく滋賀県に来たので、安土にも行ってみますか。ということで、安土駅に電車でGO🚃❗️駅前には織田信長像。ここから安土城跡まで約2km。バスとか無さそう…😓。歩きます🚶♀️。遮る物が何もなく、体感気温は多分30℃超え💦。戦国時代、騎馬や足軽達がこの辺りを通っていたのでしょうかね。特別っぽい列車がゴ〜って走り去りました。汗だくになりながら安土城跡の入り口に到着。結構混んでるな…。しかも、700円も
10月までお城巡りはお休み中のKK。進化著しい画像生成AIで遊んでみました。使用したアプリ(生成時に30秒の広告閲覧以外は無料)。プロンプト=描きたい要素を入力(日本語でも英語でもOK)。画像サイズ、素材となる元画像(あれば)、元画像の影響度を設定。ネガティブプロンプト(描きたくない要素)も入力できる。プロンプトは「女忍者」のみ。プロンプトは「「くノ一」のみ。マスクをしたアスリート系で描かれる模様。バストショット(上半身)にしてみた。傾いた画角は好きでは無
呪術廻戦コミック全13冊セットAmazon(アマゾン)12,970〜17,850円彼との距離の縮め方蘭丸の初出仕は今でいう小学6年生(エロい)信長とは31歳も差がある安土城を建築中の彼は天下人前田利家と肩を組んで乳繰りあっていた頃とは違い誰もが平伏する恐ろしい相手一方蘭丸12歳(数えで13歳)身分はただの小姓果てしない距離感の二人小姓と貴人は物理的距離は近いけどこの距離は一体いつ縮まる事やら.....あっという間に縮まっていた...蘭丸が信長公記に登場
はじめまして。滋賀県在住の旅好き女です。週末は娘と2人で滋賀発、関西圏をプチ旅行してます。自家用車はありません。車の運転が苦手なのです。でも旅は好き。そんな私の旅の記録を、娘との思い出とともに残します。先ずは、安土城。安土城は、今は勿論、残ってません。でも、凄い城だったのだとか。事前に見た再現動画に感動しました。JR安土駅で下車。早速、信長さんがいました。そして駅前のレンタルへ。安土駅前レンタサイクル安土駅前レンタサイクルたかしま|HOMEazuchi-taka
十七.本能寺の変天正10年(1582年)5月15日、家康は穴山梅雪(ばいせつ)などの近臣を連れて安土城にやって来た。駿河を賜った礼を述べるためである。こうしたことは早めに済ませておくに限る。おそらくそう思うたのであろう。できるだけ信長の機嫌を損ねぬようにと、細心の注意を払っておるのが見て取れた。それに、中国の毛利との関係も怪しくなってきておった。相変わらず秀吉が応戦しておるが、なかなか手こずっておる様子。そろそろ信長自ら出張ってゆくことになるであろう、と噂されておった。ゆえに、