ブログ記事1,215件
お花畑系学生運動家がゴミ箱を切って作った自家製シールドに自転車のヘルメットを被り警察に突入するも瞬殺で確保される。pic.twitter.com/HWD9zMDlIZ—Sato_Hunt(@Satohunt1776)May3,2024やはり、隊列を組めない練度の弱兵は役に立たないな。https://t.co/5Tr0CV6smt—アプロ(@rUyaCVtIiRxgC9M)May4,2024海外学生運動ニキの大楯操法大阪府警のホンモノを見て学んで欲しい盾
Hyväähuomentaおはようございます♪お訪ねくださってありがとうございます😊旅好き好奇心旺盛人生航路を開く通訳案内士Tinaです😸最近のアメリカの大学での学生運動この映画を思い出していましたコロンビア大学が舞台です以前から大好きな映画です。『もう一度見たい.映画「いちご白書」』お訪ねくださってありがとうございます😊旅好き好奇心旺盛通訳案内士のTinaです🍀映画大好きは親譲りで、中学生くらいから映画館は通っていました。6つ年上…ameblo.jp
全米の大学コロンビア大学をはじめ学生運動が激化している元の発端は大学を運営している助成金はイスラエルへ武器を調達している会社が多いことにあるらしいこのおかげで大学で学ぶことは自分たちもイスラエルがガザに攻撃にしていると何ら変わらない...と米大学の反戦デモ、強制排除続くUCLAで200人超逮捕全米各地の大学で2日、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ攻撃に反対する多数のデモ参加者を警察が強制排除した。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)ではデモ隊が設置したテントやバリケ
米国コロンビア大学の学生が警察官に逮捕されたって言っていました。イスラエルのガザ地区攻撃に抗議したのです。学生の言い分が正しいと思います。いくらユダヤ教徒の支持が欲しいと言っても、バイデン大統領は間違っています。イスラエルがやっていることは人権侵害です。(戦争犯罪人として、ネタニヤフ首相に逮捕状が出ているみたいです。)人権という概念はナチスのホロコーストで生まれたそうです。ユダヤ人は「紺屋の白袴」状態です。コロンビア大学の学生はベトナム戦争の時も、政府に反対したそうです。それが
冷たい雨ProvidedtoYouTubebyJVCKENWOODVictorEntertainmentCorp.冷たい雨·ThomasHardinTrioYumiMatsutouya.YumiAraiSakuhinshu℗JVCKENWOODVictorEntertainmentRel...youtu.be一日中、雨だった今日の東京、寒い夜でございます。だいぶ良くなって来た体調もぶり返しそう。アメリカの学生運動、激しくなりそうですわね。
アメリカの大学の学生たちが、大学占拠でデモ活動していますね。1970年のコロンビア大学での学生運動を扱った映画「いちご白書」を思い出しますね。ユーミンが作り、バンバンが歌った「いちご白書をもう一度」。。。バフィーセントメリーの歌うサークルゲームがよみがえります。まさに時代はサークルゲームアメリカの学生たちがこんなに自由がなくなっているなんておとなたちが腐っているのが、明確になる半世紀後の世界です。TheStrawberryStatementTrailerAnothe
皇室ブログ・でれでれ草より西側政府は学生運動を弾圧し、徴兵制度を準備中①|皇室ブログ・でれでれ草(hiromihiromi.sakura.ne.jp)西側政府は学生運動を弾圧し、徴兵制度を準備中②|皇室ブログ・でれでれ草(hiromihiromi.sakura.ne.jp)日テレNEWS【アメリカ】コロンビア大に警察突入…学生らを排除イスラエルへの抗議デモ拡大アメリカ各地の大学でイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃に抗議するデモが拡大する中、ニューヨーク
「二十歳の原点」を書いた高野悦子さん。学生運動に加わって、鉄道に飛びこんで自裁したひと。生きていれば、何していたのかな。市民運動に加わって、(≧∇≦)ギャーと言いそうな感じ。
昭和と聞いて思い浮かぶのは?学生運動ですかね。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
「ズビズバー、パパパヤー」という奇妙奇天烈、インパクト大の歌詞で始まる「老人と子供のポルカ」は、1970年に発売されました。歌ったのは、「左卜全とひまわりキティーズ」という、文字通り老人と子供のグループでした。当時小学5年生の私は、まだまだ黒澤映画など知る由もなく、名脇役として名高い卜全さんのことも当然知らず、「なんか変な爺さんの歌うオモロイ曲」という認識しかなかったですが、微妙にというか、はっきりというか(笑)リズムがずれる卜全さんの歌は、鮮明に脳裏に刻み込まれましたね。「なんでこんな爺さ
全米の大学で親パレスチナデモ逮捕者は数百人(ANN)4/26(金)12:36配信イスラエルによるパレスチナへの攻撃中止を求める学生運動がアメリカで広がり続け、これまでに数百人が逮捕されたことが新たに分かりました。大学での親パレスチナのデモ活動は、ニューヨークのコロンビア大学から本格化し、警察が学生のテントを強制排除したことに反発し、全米へ拡大しています。25日現在、東海岸のハーバード大学、MITや西海岸のカリフォルニア大学バークレー校など、少なくとも37の大学
2024年-令和6年4月26日テアトル梅田昭和45年作品LACALIFFAエンニオ・モリコーネ特選上映で日本初公開された作品。60年代後半、世界で巻き起こった学生運動かと思いきや、労働争議が舞台、夫を無くした妻(ロミー・シュナイダー)は夫の意思を継ぎ労働運動のリーダーと成るのだが、経営者側と意外な展開と成る、、、そして謎のラストへ、タイトルのカリファはカリフ、指導者の意味。ラ・カリファ(映画『ラ・カリファ』)Amazon(アマゾン)ラ・カリファAmazon(アマゾン)
やはり中学生の時の社会科の教師。いやー、この教師も変わっていた。若い教師だったけど髪はボサボサ、服装もネクタイがあるだけマシ?と言う程度だった。だけど子供心に思ったのは、ちとヤバくないかい?だった。某有名国立大卒業。授業が1960年代の社会に進むと俄然、当時のことを自分の経験を交え実況中継さながら、なかり熱がはいる。あからさまに”◯◯は国家権力の◯だ!”とか、”俺は屈従しない!”とか彼が大学時代に経験した”気をつけろーっ!後ろ、鉄パイプ椅子!”と叫ばれて、思わず頭をひっこめ難を逃れた話し
四月も半分が過ぎ、入学式や入社式を終え、新たな気持ちで張り切ってお過ごしの方々の姿が目に浮かびます❗『いちご白書』は米国の映画で日本公開は1970年でした。コロンビア大学の学園紛争がモチーフということで、"学生運動全盛期を映し出す青春映画の名編"だとネットで知りました(今頃?)。1970年は私が大学に入学した年です。私はこの映画を劇場では観ていませんが、後年テレビで観ました。が、内容は全く記憶にございません(政治家か⁉️)。学生運動は"卒業式を止めさせる運動"ぐらいにしか思っていませんでし
記事を書くまで、歌詞がどうやって生まれたのか知らなかったのだけれど。詩人内田良平が発表した詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』の中の「ハチのミヤモトムサシは死んだんだ」というタイトルの詩だと言う。この詩は、学生運動を示唆しているという。思い出したのが、学生達に恐れられていた"蜂の八機"という警視庁第八機動隊の事文字通り"蜂"がシンボルマークだった。でも、死んじゃうのは蜂の方だから違うか?ハチのムサシは死んだのさ
2週間ほど前に、早大の前を通ることがあって、学生の書いた多くの看板を見た。その出来不出来は別として、それは私の学生時代に見た大看板、いわゆる「タテカン」とは、大いに異なるものだった。すでに書いたことだが、あえて繰り返す。わけがあるのだ。下が、現在の早稲田の看板。そして、下が、1980年前後に大学生だった私の記憶に近いタテカン。このモノクロ写真に記録された特異な書体は、現在の看板からは一掃されている。同じ頃、大学生だったブロ友さんは、この看板の「ゲバ文字」のプロトタイプを、中華人民共
Vol.80【1970年の「週刊少年マガジン」、「別冊少年マガジン」①】の続きです。引き続き、1970年(昭和45年)の「週刊少年マガジン」(以下「少年マガジン」と言います)のことについてお話しさせてください。今回は、ジョージ秋山さん(代表作は「浮浪雲」)が描いた漫画「アシュラ」についてお話ししたいと思います。「アシュラ」は、少年マガジンの1970年32号から1971年22号にかけて連載されました。ジョージ秋山さんのそれまでの作品は、「ガイコツくん」、「パットマンX」、「ほらふきド
おはようございますホントにせっかく5割になったと思っていたのになんだよ昨夜の伊藤将司は6点も献上しやがってホントにィィー今夜は頑張ろーーー阪神今日の映画は合唱団の映画だが自分が観て感じたのは1970年代の学生運動の革命の精神がこの時代の映画だなぁと思った合唱団が歌う曲が「ボルシカポーレ」だというのがロシア革命の歌だというのも知らなかった昔そういえば沖雅美だっけで流行ったなあ星三つ半ということで
週末に通り過ぎた早稲田大学のタテカン。タテカンというのは、学生が勝手に設置する看板だが、普通は大学は容認する。どれも大人しいもので、数年前、撤去問題で荒れた京大のタテカンも似たようなものだから、京大当局の考えはわからない。私たちの学生時代のタテカンは、まだまだ下のような強い調子が残っていたものだ。
「ケア」という意味は多義的なんだな~と、いまさらながらに思うのはオヤジだからか?。自分の仕事柄、ケアという響きからは「介助」「介護」「看護」「支援」等々の訳語を想像してしまうが、ケアはそもそも訳語でもなくて「ケア」は「ケア」本著は題名にひかれて読んでみた。単純に「親切では世界は救えない」と読んでしまって、では、何が世界を救うのか?に興味を持った。だが、題名の「冷笑」的な響きと異なり、内容は「冷笑」的なるものの分析と、それへの批判?であった。知らなったのだが、著者の次女はASD(自
俺のシリーズです今回は日本のRock'nrollの紹介です昭和40年代編日本がフォーク全盛期でGSブームも終焉を迎え演歌歌謡曲が日本の唄だと国民が思ってた頃まだ日本のロックが定着しておらずロック=不良と解釈されてた時代に俺はTheBeatlesに夢中になっててロックのカッコ良さに目覚めてロックンロールを1人聞いてた小学4年でしたGSが嫌いでダサいなぁ~って感じてたんで聞いてませんでしたが偶然レコード屋さんの前で流れてた曲に衝撃を受
いつからだろうと最近よく考えます。日本人が侍魂(さむらいだましい)を無くしてしまったのは!やはり、昭和43年前後に巻き起こった学生運動、世間の注目を浴び、翌年東大、京大と言った最高峰の大学の受験が中止になりました。僕が入学した大学もバリケードで授業は、殆ど行われませんでした。熱い情熱が、僕の下宿にも持ち込まれ、逃げて回っていた下宿生もいました。バブル崩壊後、うつむき加減になった日本人思えば、安保で日米同盟問題で、一悶着あり、そして1960年後半には、大学の自治問題など
上野千鶴子「女性が街角に溶け込むための小道具がananだった」学生運動の過去人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今回から4週連続で登場するのは、日本のフェミニズムの先駆者である、社会学者の上野千鶴子さんです!第1回目を…ananweb.jp
1969年3月、我々茨木高校三年生は卒業式も無く、別れの言葉を交わすこと無く静かに卒業しました。学生運動は続いていました。地方の高校の体育館を占拠して、当時の政府に何を訴えたかったのか、また訴えが届くとでも思っていたのか、今でも疑問です。卒業証書は後日、受け取りに登校しました❗予備校は京都です。京都大学の近くです。近かったら入れるんやったらエエねんけど…、そんな事おまへん😜。以下は今回のタイトルの歌詞です。『気楽に行こう』〽️気楽に行こうよ俺たちは焦ってみたって同じこと
青春の反抗2024年3月8日公開戒厳令解除後の1994年の台湾を舞台にした青春映画。大学の黙従文化に不満を募らせ、ストライキに参加したチーウェイは、学生運動のリーダー、クァンの恋人であるチンに惹かれる。一方、クァンもチーウェイに興味を持ち、3人の関係は複雑に絡まっていく。あらすじ大学の黙従文化に不満を募らせ、表現の自由のためにストライキに参加した芸術学科生のチーウェイは、学生運動のリーダー、クァンの恋人であるチンに徐々に惹かれていく。抗議行動が白熱するなか、内に秘めた個々の欲望も燃
https://youtube.com/shorts/Cu3YybgF6Ko?si=RENTvIq6lAMsL3AY三島由紀夫の嫌で嫌でたまらなかったこと。三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実という映画にて結局全共闘とか学生運動って何したかったのかよくわからないんだおれ。あさま山荘とかの方がよっぽど何したかったのかはわかりやすい。三島は本は読みにくくて私みたいなアホには読めないが、しゃべっているとこはわりと面白いと思う。こういう知性に関する過大評価的な部分と以前...youtube.co
「(上)その用語法と本質規定」はこちら『極左日和見主義とニセ「左翼」暴力集団(上)その用語法と本質規定』日本共産党の「新左翼」観の転換点は、どうやら1968年11月にあるらしい。東大闘争での、この時期の本郷キャンパスでの図書館前の攻防というのが、どうやら「全共闘…ameblo.jpでは、1968年11月に何があったか。川上徹・大窪一志『素描・1960年代』(同時代社、2007)での、大窪の回想によれば、東大の共産党や民青同盟の運動の現場は、「全共闘」と急進性を競うような状況だった。「全共
数年前、こんな記事を書きました。大人の事情で都合よく消費される騙されやすい若者たち。だいたい数年おきに登場するようです(自分調べ)。つい先日それを裏付けるような記事が話題になっていました。元SEALDsの彼らは就職に苦労しているのだと。行動力のある彼らは引く手あまただと持ち上げている人もいましたが、世の中そんなことはない。行動力のある人物なら他にもたくさんいる。あえて左思想の彼らを選ぶ理由がない。普通の会社の人事ならSEALDsとわかって採用することはないのです。リスクあるし。主
フローベールという作家は作品数が少ないのにもかかわらず、フランス文学史においては重要な存在らしい。(ギュスターヴ・フローベール〔1821~1880〕)私が大学生だった70年代、サルトルは健在であった。80年に亡くなるから晩年に近いといっていいか。その彼が「家の馬鹿息子」という題のフローベール論を執筆しているという記事を朝日ジャーナルか何かで読んだ。それもかなりの長編だという。(ジャンポール・サルトル)哲学者の彼がどうしてフローベールに行きついたのか分からなかっ
⬇️WWWWWディスコ世代の音楽業界人には「ケンカしたり殴りたくってDJになった」って人が結構、多いので私の世代はアウトローがカッコ悪い世代ですがこのタイプには異様に免疫がある私とはいえ当時はヤンキーがよく分からなかったけど「世間体ばかり気にして世間に飼い慣らされた親や先生に断固として納得いかず反抗していた」って先輩達は語っていたんだよね。共感できる点もあるから私は彼らに好かれたのだろうヤンキーの前はこれだもんね⬇️⬆️社会が豊かになると政治離れって名声と