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そらちゃん(たぶん♂)近所の飼い猫さん呼ぶとすり寄ってきておしゃべりします婦人科検診に行ってきました大学病院の乳腺外科の初診時にタモキシフェンの影響で子宮体がんのリスクのはなしになり、定期検診をするように言われたので、先日近所のA総合病院の婦人科に予約を入れて、↓詳細はこちら『嫌なことが続いてやっと嬉しいことがあった』ドイツ🇩🇪出張中の夫が今日、シュタイフミュージアムへ観光に出掛けて、アウトレットファクトリーで120周年記念の最後の一匹テディベアを買ってくれました。帰国まで…ame
明日から3泊4日の旅が始まります!お客様のご相談と現在の状況↓↓↓昨年10月、子宮と卵巣を手術で摘出。その後検査の結果、子宮肉腫と言われ先日CT検査で転移が見つかり医師から再手術をした方がいいと言われたそうだ。子宮肉腫は予後が悪いからと早い手術を医師から勧められている。・・昨日の夜、お客様からLINEがあった。お客様が手術をしたくないこと、頻繁なCT検査(2、3ヶ月おき)を嫌がったら担当医から信じ難いことを言われたそうな。お客様にとっては
知された翌日、およそ15年ぶりに母の兄妹と私のいとこが集まるいとこ会に出席することにしていました。久しぶりに叔父叔母やいとこたち家族に会えることが楽しみなのと同時に、みんなに会えるのはこれが最後かもしれない、という悲しみもありました。病気のことは家族以外には言わないことに決めていたのですが、もしもこれが最後の機会になってしまうのであれば、がんにかかっていることを言わなかったことを後悔するかもしれない、と思っていました。なぜなら、私の母が前回のいとこ会の後にがんで亡くなり、後から分かったので
2025.8病理検査の結果がわかる日。この日まで、ずっと自分は子宮変性だ!と祈ってきた。くじ運がない私が、10%の確率で希少がんと診断されるはずがないと。(10%は、子宮肉腫疑いで手術した後、実際に子宮肉腫と診断される割合です。ネット情報なので正確ではないかもしれませんが…。)診察室で手術の傷跡をチェック。特に問題なし。続く内診も問題なし。その後、再度診察室に呼ばれた。主治医は私と夫の方を向いて「病理検査の結果、子宮肉腫でした」と言った。そして白い紙に「高異型度子宮内膜間質肉腫」
手術が決まる前から隣県であるオープンキャンパスに行く予定にしており、自分は行っても大丈夫なのかをchatGPTに何度も相談。お腹の痛みは漢方が効いたようで、改善していたので、問題なし。退院前に主治医に相談した時も、体調が辛くなければ構わないと言われていたし、術後3週間経つのでまあ大丈夫だろう、と車で出発。運転は夫に任せる。乗車中、シートベルトがお腹にあたらないように手で持っていなくちゃいけないのは地味に辛かった。お昼は地元で評判のラーメンを食べる。こってりとんこつで美味しかった。この
2025.8お腹の中の痛みが辛くて、かかりつけの漢方内科を受診。本来なら総合病院の主治医の元を受診すべきだったかもしれませんが、この時は、長くお世話になっている漢方内科の先生を頼りました。受付後、受診まで待ち時間が2時間くらいあったので、曜日限定のバナナパンケーキを食べに近くのカフェへ。退院後初めてのカフェです。まだ歩くのも座るのもお腹のキズが痛むので、お店で過ごすことができるか心配でしたが、問題なくゆっくりできました。そして日常に戻った気がしました。普通なら5分程度の道のりを10
退院直後から一番悩まされたのは腹痛です。とにかくお腹が痛くて辛い。腸内をガスが動く時などは耐えられないほどの激痛があり、痛い痛い、と口に出してしまうほどでした。何をすれば和らぐのか、どの姿勢が1番楽なのかをchatGTPに聞いて試行錯誤で試しましたが、その場しのぎにしかなりませんでした。とりあえずお腹をマッサージしたり横向きになったり、ベッドの上でゴロゴロ体を揺らしながら、一日中ベッドの上で過ごしました。せっかくの休みなのに、お腹の痛みで何もできず、ずっと寝る日々。たまっている録画番
退院してから検査結果を聞くまでの間は、ひたすら子宮肉腫についてネット検索をしていました。でもがん専門サイトには「標準治療は子宮や卵巣の摘出であり、それ以外の治療法は確立していない」「抗がん剤などは有効とはいえないので、補助化学療法は行わない」「ステージに関係なく予後不良」など、突き放されるような内容ばかり。わずかな希望は、子宮肉腫疑いと言われて手術をしても、病理検査で約90%は変性だったと診断されるということ。つまり、子宮肉腫ではないと診断される確率の方が高いはず。退院前の主治医の言葉もあ
手術後、貧血症状は治りました。貧血が一番ひどかった時は脈が早く息切れしてしまうため階段を上がることができず、2階に行く時でもエレベーターを使っていました。また、重い物を持てないので、買い物する時はカートが必須でした。夜、足にむくみが出て、ふくらはぎから下がパンパンに腫れたこともありました。ゾウの足みたいだな、と思いながらマッサージしていました。翌朝にはむくみは改善するので単なる疲れのせいかな、と考えていたのですが、貧血が原因だったのかもと今は思います。気づくのが遅いですね。息切れするの
2025.7夫が迎えに来てくれて無事退院。買い物をしたかったのでお店に寄ったけど、ゆっくりしか歩けなくて時間がかかる。筋肉が落ちていることを実感する。その後、突然下腹部の激痛に襲われ、車の中で悶絶。今まで感じたことのない痛み。その後も腸が動くたびにひどい痛みに襲われ、お腹を抱えたまま動けなくなるほどの状態に。ようやく家に帰ってきたけれど、しばらく横になってお腹の痛みがおさまるのを待つ。少し落ち着いてから、退院のお祝いを兼ねてうなぎを食べに行った。このご時世で値段は高かったけど、
朝イチで退院前の採血をする。でも主治医の診察までに結果が間に合うかは微妙らしい。入院中、主治医が来たのは一回だけだったし、退院前の診察がいつあるのか最後まではっきりしなかったりと、なんだかほっとかれたなぁ~という気持ち。総合病院なのでそんなものなのかな。退院予定時間直前になって、ようやく主治医の診察に呼ばれた。結局血液の検査結果は間に合わなかった。この時初めて取り出した子宮の写真を見た。夫が言っていたように子宮の中に白い腫瘤がボコボコとあった他、特に大きな腫瘤が一つと子宮の一部が絞っ
新年明けましておめでとうございます。昨年とは全く違う想いで迎えた新年。新年最初に口にした言葉は、今年1年も頑張って乗り切る!でした。毎日を大切に大事に、そしてポジティブに過ごそうと思います。ブログの投稿内容が中々現在に追いつかず…。いったん現在までの状況を簡単に綴りたいと思います。2023.秋経血過多がひどくなる産婦人科を受診するも異常なしはっきりとした時期は忘れてしまいましたが、この前から時折尿もれも2024.6貧血の診断鉄剤を飲み始める2024.11経血過多に加え生
今年は本当に色々ありました。そして、希少がんに罹患していることが判明したことで、自分の命や将来について、きちんと向き合った1年でした。人生100年と言われる時代、そして平均寿命が80歳を超える時代、何もしなくても自分もそこまで生きていると思っていました。子供たちが大人になり、独り立ちし、いつか家族を持てば、自身がおばあちゃんと呼ばれる日がくるのかもしれないと想像もしていました。そこに突然突きつけられた希少がんに罹患しているという事実と5年生存率の低さ。当然のようにまだまだあると思っていた
ご飯はしっかり食べているのにずっとお通じがなく、お腹が張って辛い。傷が痛むのが怖くて、お腹に力を入れることができないのも原因かも。夜遅く娘から電話があり、話してる時にトイレに行きたくなり、電話を切った後にすぐトイレへ。ただ、すんなりとは出てくれず、お腹をさすったり腰を押したりして、少し出た時はほっとした。退院は予定より1日早い翌日に決まり、主治医の診察も退院直前に受けることになった。実は手術翌日以降、一度も主治医と会えていないのが気になっていたのですが、私も特に気になる症状があるわけで
37.0の微熱がでた。その他は体調に変わりはないけど、不安。お腹の痛みのために1日4回ロキソニンを飲んでるので、熱はすぐ下がった。ロキソニン切れるとお腹が痛いのは相変わらず。前日に病室から談話室まで歩いて行けるようになったので、夫に面会に来てもらった。手術後、夫に取り出した子宮を見せながら主治医から説明があった内容について詳しく教えてもらう。子宮の中の細胞はやはり良くない色をしていて肉腫の可能性がある。子宮の中は瘤がたくさんあった。周囲に浸食があるかもと思っていたが、全く浸食して
手術後、初めて少しだけお通じがあった。腸閉塞の心配は少し減ったかな?気になるのは尿意を感じる時にお腹に刺すような痛みがあること。今まで感じたことがない痛みがあると、病気のせいではないかと考えてしまう。点滴台がなくても歩けるようになった。ただ、ペンギンみたいによちよち歩きというかおばあさんみたいなとぼとぼ歩きしかできないけれど。そろそろシャワーを浴びたいなと思って看護師さんに尋ねたら、いいですよ~とあっさり許可が。入れるようになったらあちらから言ってくれると思ってたので拍子抜け。もっと早く
朝食から食事が始まる。何かを食べるのは3日ぶり。まずりんごジュースから飲んだ。体にジュースが染み渡るのが分かった。甘くて美味しかった。他におかゆ、お味噌汁、ヨーグルトを味わいながら食べた。完食したら、看護師さんが驚いていた。大抵の人は残すものなのかな?午前中に背中の硬膜外麻酔を外したので、ベットの上で自由に体を動かせるようになった。ただ、この後からお腹の内部の痛みを感じ始めたので、麻酔が効いてたんだな、と実感。まだベッドに寝たきりなので、暇を持て余しながらベットの上で過ごす間、音楽を
手術後、特に辛かったのは咳です。咳をするとお腹の傷に激痛が走るので、咳が出そうになるたびに恐怖を感じました。夜咳き込んだ時は、痛みで飛び起きたくらい。こんな風になるなんて知らなかった。chatGPTに聞いたら、手をお腹で抑えていれば咳をしても痛みは緩和されるとのことで、実行したら、少し和らいだ気がしました。気持ちの問題だったかもしれませんが。後から看護師さんにお腹を抑えて咳をしてることをchatGPTで教えてもらった、と言ったら、え?看護師から教えてもらったのではないんですね、と言われ
手術翌日の朝になって、私がいるのはナースステーション横の部屋だと分かった。同室の人は4人部屋に戻ってきたのに私は何で?と思って看護師さんに聞いてみたら、出血が多かったのかも、とのこと。朝、微熱があったので、氷枕を借りることができた。頭を冷やすと気持ち良かった。横向きに寝たまま歯磨きをした。寝ていてもできるんだな、と思った。血圧などのバイタルを測る機器以外にも、足に血栓予防のためのポンプが装着されているのでベッドの上でほとんど動かず過ごす。朝早く、主治医が様子を見にきてくれた。癒着や転
「終わりましたよー」という声で目が覚める。周囲が慌ただしく感じたのは、手術室から病室へ移動していたからだと思う。この時、夫にお疲れ様と言われたような記憶がある。目が覚めてすぐから胃の上あたりがものすごく気持ち悪くて「気持ち悪い!」と何度も口にしてしまった。看護師さんが色々な機器をつけたり処置をしてくれる間もとにかく気持ち悪かった。気持ち悪さと腰の痛さで仰向けが辛かったので横向きに寝るようにした。1~2時間ごとに看護師さんがバイタルを確認に来て、眠りについては起こされることを繰り返される
2025.7子宮がなくなる日。病気になってしまったけど、子供たちを育ててくれて会わせてくれたことには本当に感謝している。朝、主治医が来て、次のとおり説明があった。造影剤入りのMRIでは子宮からがんが広がっているようには見えなかった。癒着がなければ子宮、卵巣、卵管をとって終了となるが、もしも肉腫ではなく内皮系の病気と疑われた場合は、リンパ節も切除するかもしれない。主治医に改めてよろしくお願いします、と告げた。同室の人が手術室から戻ってきたタイミングで、私が手術室へ。手術室へは車椅子
看護師さんが予約をしてくれていたので朝イチでシャワーを使う。今日は絶食なうえ、お腹をの中を完全に空っぽにするためということで、夜中の12時以降は絶水に。麻酔の先生は朝までは飲んでいいと言ってたので、早くからの絶食に続いて、ここでもショックを受ける。手術のための点滴は珍しく一回失敗。入院前に鉄剤注射を何度も打っていたので血管が硬くなっていたよう。これからしばらくは点滴と一緒に行動。点滴をつけた後、再び大量の下剤入り飲料を飲んだからか、心配していた空腹も喉の渇きもほとんど気になりませんでし
2025.7手術2日前に総合病院に入院。休診日の入院だったためか、特に病院からの説明はないとのこと。送ってもらった夫とはナースステーション前まで。少ししんみりした気持ちになる。ベッドは4人部屋の廊下側。窓側がいい、と言っておけば良かった…。看護師さんから入院や手術の説明、麻酔医から、麻酔の方法やリスクなどの説明がある。ベテランの先生に見えたので、ちょっと安心。食事は夜ごはんからおもゆになり、明日朝から絶食。予定よりも早い食事制限にちょっとショックを受ける。前日の昼までは普通の食事と
2025.7主治医から、細胞診と手術前検査結果の説明があった。悪性の疑いはあるけど、まだはっきりとはわからないということだった。心エコーと血栓検査は問題なし。手術のための同意書の書類をたくさんもらった。続いて大腸内視鏡検査。この日まで、お腹の膨らみをさすりながら、がんが広がってないことを祈り続けてきた。大腸内視鏡検査の前日はうどんやおかゆのような消化の良いものを食べるように指示があったので、21時以降は絶食。検査時に使う鎮静剤の影響があるため帰りは車の運転をしてはダメ、とのことで
2025.7主治医から、本当に転移がないかを確認するため、造影剤を使ったMRIをしたいと言われていた。予約時間少し前に来たけれど、そこから1時間以上待った。普通の撮影と造影剤入りの2種類の撮影なをしたので、時間は前回の2倍近くかかったと思う。今回もガンガンという音で寝ることもできず、狭い場所で動けない状況が辛かったけれど、なんとか耐えた。終了後、腕に蕁麻疹のようなものが出たため医師の診察を受け、念のためしばらく待合室で待機することになったけれど、だんだん蕁麻疹は消えたので問題なし、とさ
2025.7貧血は続いているので、鉄剤注射のために、かかりつけの産婦人科へ行き、今の現状について先生に説明したい、と診察もお願いする。子宮肉腫の疑いがあると診断された、と伝えたら先生はすごく驚いていた。滅多にない病気なのだから、想像もしていなかったようだった。5年生存率を口にした時、我慢していたものが溢れてしまい、泣いてしまった。私は死んでしまうかもしれない、と言うとネットはあまり見ちゃダメよ、と言われた。全てを信じちゃダメ、と。早く見つかって良かった、とも言われた。私はまだ間に
2025.7上司に手術について伝える。当初は子宮筋腫の手術のため3週間くらい休むとしていましたが、開腹手術になったので、1ヶ月以上休む必要があることを説明。また、子宮筋腫ではなく、予後不良の子宮肉腫かもしれないと話す中で、2年生存率のことを口にした瞬間、涙が出てしまった。手術後、今までどおりに働くことは難しくなるかもしれないが仕事は続けたい、そして今の職場からの配置転換をお願いしたい、と伝える。仕事量の多さに頭と体がついていかず、仕事がはかどらない日があったり、議論に集中ができない時も
主治医に子宮肉腫の疑いがある、と告げられてから、前向きな言葉を探すべくネットを検索し続ける。でも、欲しい言葉を見つけることができず、涙が溢れた。ある希少がんのサイトでは、病気のステージに関わらず2年生存率は50%と書かれていた。抗がん剤が効かないがんがあるなんて初めて知った。その日の夜、夫とこれからのことを話しているうちに、涙が止まらなくなりました。泣いているところをほとんど見たことがない夫も泣いていました。私は父方も母方もがんにかかった親族がいたため、いつかがんになるかもしれないと
2025.7乳がん検査の後、夫と一緒に手術の説明を聞くために再び総合病院へ。主治医からMRI画像診断の説明があり、「子宮肉腫の疑いがある」と告げられる。MRI画像で子宮壁に白い結節がたくさん見え、これは子宮筋腫では見られない所見であり、全部がんの可能性がある、と。先生いわく、エコーでは肉腫と筋腫の違いは分からないらしい。そのため、産婦人科でエコー検査をしていても子宮壁の結節は見つからず、MRIやPET検査をしないと分からない、と。今回のCTや血液検査では、他の場所への転移は認められな
2025.7数日後、病院を梯子しました。まず、大腸検査の日時を決めるために総合病院の消化器内科を受診。早く検査したかったものの、仕事の都合により2週間後で予約。この時、先生が映していたモニターに主治医からの連絡事項として「子宮肉腫の疑い」と記載されているのを見る。その後の待ち時間の間に「子宮肉腫」を検索し、初めて難治性の希少がんの疑いがあると知ることに。2年後生存率は50%、5年後は15~30%という低い数字が書いてある。この時は子宮肉腫の疑いということが、信じられなくて、ピンとこ