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地獄谷野猿公苑から戻って、今度は渋温泉入り口にある道の駅へ。ここで、リンゴを購入。サンふじしかなかったけれど、6個で¥300前後。帰宅後アップルパイ焼きましたが、リンゴ、めちゃくちゃ美味。食い意地張っているわたしは、未だにもう1袋、買えばよかったと思っています。その後は、どうしても行ってみたかった長野市にある「ブーランジェリーヴォアザン」へ。バゲットかハード系パンを買いたかったのですが、お昼の時点で残っていたのは数点とミニクロワッサンだけ。人気のようです。しょうがないので、ミニクロ
去年初めて訪れた富山県の『雨晴海岸』に継いで、これまた趣のある海を望む駅に出逢いました。キッカケはブロ仲間さんや、星のしずく対面の集い参加者さんたちがシェアしてくださった、とあるイベント会場の最寄り駅だったことから。📷シーバーズカフェ📷海を望む駅イゾ仲間さんたちからシェアされた情報で気になっていた期間限定プラネタリウム『星になるまで』を観てきたのです。お陰様で、気持ちが沈みそうな寒い雨雪の日でしたが、想いにフィットする屋内イベントで心も体もあたためられた
翌朝6時起床。まずは目覚ましに旅館の温泉に入浴しましたが、こちらもあっつい!((´∀`*))。朝食を7時半、8時にはチェックアウトして向かったのは、地獄谷野猿公苑。とても気持ちのいい天気だったので、冬場は封鎖されている3kmの山道を選択、トレックしながらのんびりと景色や空気を楽しんで。除雪していないと聞いてましたが、雪はほぼ無くて、そして無人。オフシーズンは駐車場になっているところで、第一お猿を発見。よく見ると、山からお猿たちが出勤のようで、少しビビりましたが、あちらの方が慣れていて
最近ハマっているYouTuberさんの動画を掘り返していたら。『HANDCLAP』をしている動画が出てきた。昔、長女と次女と、よく3人で踊っていたダンスだった。ダイエットしたい私に付き合ってくれて。でもダンスセンスが壊滅的な私を見て。踊りながら、長女も次女も笑い転げていた。HANDCLAPを踊っていたら。私が足をタンスの引き出しに強打して、裂けてしまって。あまりの痛さに泣きながら大笑い。もともと看護師志望だった長女も一緒に大笑いしながら、血まみれになった足を手当てしてくれた
14時過ぎに渋温泉到着。超レトロでローカルそのもの。予約した旅館は古いけれど、女将さんが感じのいい方で。早速、湯巡り♨の説明を受けて、旅館から一番近かった三番からスタート。とにかくお湯が熱くて、狭い。誰もいない時はいいけれど、長湯なんてムリかな。そして、だんだんと脱ぎ着きが面倒になってきて、先に進むと結構、混み混み。一番古い温泉の九番に入って、結局4か所でギブアップ((´∀`*))ヶラヶラ。その後、小さな集落の中を湯だった身体冷ましながら散策。和菓子屋さんが数軒あって、シンプル
目的は渋温泉と地獄谷野猿公苑。体調は悪くないながら、味覚と嗅覚がまだマヒ状態で、あっちこっちへと観光気分ではなかったので、じゃ~、小布施でも行ってみようかと、のんびりと出発。小布施はオフシーズンなので、北斎館一択。ケチなこと言いますが、内容の割には入館料がお高い。企画展はよかったけれど、それ以外、もっと晩年の北斎の作品が見れると思ってました。見応え感、うっすいかな。お昼に近くのお店で鴨うどん食べましたが、味覚がボケていて、鴨好きなのに残念。栗ものも好きなのに、珍しく意欲もなく、素通
結構、遠かったのですが。主人がずっと行きたいと言っていたのが、地獄谷野猿公苑。まぁ、外国人あるあるってやつかも((´∀`))。行くなら、今しかないかもと渋温泉の宿を捜して決めたのは先月中旬でした。思いの外、すごく楽しめて、良いこと尽くしだったのですが。極めつけは、夕方、無事自宅に到着。いつものように、とっとと荷物を片付けて、バッグ類を2階へ主人が持っていこうとした時、空にしたはずのスポーツバッグの中に小さなプラスチックの袋が見えて。ちょっと待ってっと引き留めて、袋を摘まんだら・・・
明日から1泊で遠出です。1か月以上前から予約していて。まさか、コロナウィルスに感染するとは思わなかったので、病み上がりには丁度いい気分転換かも。何もググっていないので、ブーランジェリーやスーパーぐらいはチェックしておこうかなと。ところで、主人。少し瘦せたと巷で言われているようで、食事の仕方、意識するようになって((´∀`*))。量もわたしと同じくらいで、地味に頑張っています。朝食用のシリアルはきっぱりと止めたので、買い置きしなくてすんで、食費の節約にもなっています。2人とも体調は
一つ前記事『冬陽蓮あかり』で述べたとおり三連休、福岡のご実家方面に納骨となった奈美さん(有ちゃん生前の大切な人であり、事後、私のこころの支えとなってくれた一人)のお墓参りに、やっと………向かうことができました。📷行きの飛行機からお天気にも恵まれてホントに助かりました。晴れ女有ちゃんの計らいも然り、お空(天)繋がりのお力添えもあるように感じたり。2022年、奇しくも10月31日(奈美さんの命日)に乳がんステージ2告知を受けた私は、「ああ…奈美さんのお墓参りをしない
主人はすっかり回復、通常モードになりまして。わたしも平熱に安定してきたなと思ったら・・・昨日から嗅覚が麻痺していることに気づいて。普段の嗅覚、敏感なのに、匂いがないってどゆこと?延暦寺の御香はホンのうっすらと渋み?だけわかった程度で。アロマキャンドルなんて、どんなに鼻を近づけても無臭です((´∀`))。ひょっとして、味覚もやばいかもと、今日、主人のランチ作りながら、気づいたのが塩味が全くわからない。かろうじてわかったのは甘味と酸味。豚の生姜焼き作ったのに、生姜がわからない。味つい
わたしの今回の症状は発熱(からの悪寒と関節痛)のみで。喉の痛み、リンパ腺の腫れは一切なく。(今思うと、普段の歯磨きの後、かならず口腔消毒液で口をすすいでいます。その成果なのかも?)咳はごくたま~にで、鼻は今頃になって詰まっているかな?ってレベル。味覚や嗅覚はフツウに機能しています。食欲不振ながら、体調はフツウで、数回、平熱と微熱を行ったり来たり。熱の行ったり来たりって、初めて。下がったからもう終わったのかなと思ったら、再度微熱。でも悪寒や関節痛は全くなし。薬はまだ飲み切っていないの
最近よく娘の夢をみます。今朝の夢は「本当は自殺したくなかったんだよ」と泣いていました。娘の気持ちが伝えられてるのか自分の気持ちの願望なのかよくわからないけど。そんな夢見た朝は会社にも行きたくなかったけど頑張って行きました。残業で疲れちゃってしんどいし寒くて風呂ももういいや。酒飲んで眠れたらまた娘にあえるかな。
先週末から、主人が咳が出始めて。昨日はなんか悪寒までしてきたので、午後の仕事をキャンセルして近所のクリニックへ。ただの風邪と思ったら、コロナウィルスに感染とのこと。・・・(゚Д゚)。熱はなく、食欲もあるから、軽症ってことらしい。オンラインでの仕事はそのままで、それ以外はキャンセルの連絡を入れ、まぁ、何とかなりそうですが。それにしても来客が多いので、我が家がクラスターになってはいけないと細目に掃除、重々注意しながらのコロナ禍越え。マスク解禁になってから、ノーマスクの主人は何の支障も
今の界隈に住んで約28年ほど。10年前から人気の地区になって、マンションや建売住宅は即売れていて。傍から見るとお金が集まりそうな錯覚を起こすようで、やたらと新店が目立ちます。・・・甘いな((´∀`*))。地元民は堅実で外食もなかなかしないし、普段の買い物もなるべくお安いところへ行く感じ。新店ができたからと言って、早々行くわけもなく、一見客は区外からの人たちばかりなんですけどね。だから、安易に稼げると思ったお店は1年ももたないし、長くて3年ほど。すぐに次の新店ができるのです。で、駅
東日本大震災の時に、長女や次女に私はこう言っていました。「この辺にも放射能は飛んできているから、雨には濡れないようにしないといけないよ!」この言葉を、今後繰り返す必要がないようにしたいものです。もともと、日本は火山帯や地震帯の巣の上にあります。そこに、人間がコントロールできない放射能をまき散らす恐れがある発電所に巨額な金額をつぎ込んできました。もう、3・11で方針転換したと思ったらすでに忘れてしまったかのように再稼働や原子力発電所の新設が政治の力でごり押しされようとしています。。。
節分。京都では節分祭がいたるところで行われるのですが、勉強がひと段落した娘は1人で節分祭を徒歩でハシゴして。その週末に仕事帰りから京都入りしたわたしは、来年は忙しくても休みを取るから一緒に行こうよと言ったんだ、確か。たくさん写真を見せてもらいながら、いろいろな出来事なんかを聞いて。その時に彼女が買った姫ダルマ、今でも飾ってあります。いつか、わたしも節分祭のハシゴしてみようかと頭によぎりますが、1人で行って楽しめるわけでもなく。まぁ、節分祭に限らず、表面では笑っていても、楽しいと言って
有ちゃんが還って逝く直前のお正月、2017年元旦の初詣で、彼女が引いたおみくじがこの「平(たいら)」でした。(2016年には私も初めて引いたことがあります)←大凶より最悪とされるおっかないイメージに結びつけてしまい、いつもの御守り+サブ御守りまでゲットしていたという…。事後からは家族揃って初詣に行くことはなくなりましたが、私は三が日を避けて、一人(ふたり🌟🌟)で相変わらず一宮(大宮)氷川神社に向かいます。(神社には二度と行かない、という自死遺族の方々も居るかと思います)
ブロ仲間さんのお言葉に甘えて<(__)>作って送っていただきました。“祈り玉”………(勝手に命名)おそら(天・空)に居るであろう大切な人に想いを馳せる祈りのこころをカタチにしたハンドメイド品ですね。レジンを駆使して細やかな資材で作るので、そのときどきの仕上がり具合いは神のみぞ知る?一つとして同じ祈り玉は無いのでしょう。向かって左青空と雲へ続くイメージ向かって右星空、ギャラクシーが広がっているイメージ👀…じーっと見つめると(向かって左側に)、猫モチーフのキラキラ
早朝6時半に御金神社@烏丸御池へ。タクシーで来ている人もいましたが、ほぼ無人で。静かにゆっくりと参拝させて頂きました。朝8時くらいから日が沈む頃まで参拝行列しているのが嘘のような静けさです。金運、金運って騒がれているようですが、ひと昔前はとても堅実で穏やかな空気感のあるところで。参拝を終えたら、今回はもう充分だなと。急に帰宅したくなりまして、とっととチェックアウト、自宅には10時前に到着((´∀`*))。箱根駅伝見ながら、洗濯2回、掃除、荷物の片づけをして、今回のドライブ旅行を無事
リアルタイムです。昨日、おばちゃん宛てのお土産の讃岐うどんと空きスペースにお手製ブラウニーとクッキーを詰めて。行った先々のリーフレットやパンフレットにいろいろとコメント書きした付箋を貼ったのと新年の挨拶用のカードも添えて。今日の夕方着で発送しました。珍しく、21時くらいにわたしのスマホが鳴りました。今までも3回くらいしか連絡をもらったことがないせいか、着信音を知らなくて(*´艸`)。ん?何の音?と思ったら、おばちゃんからの電話!受話器マークをタッチしたんですけど、切れてしまって。
主人は早朝6時半にジョギングへ。京都はノープランなので、彼が戻ってきてからスケジュールを決めることにして。お久しぶりにのんびりモード。プチペックのパンを買ってきてくれて、朝食に頂きました。さて、主人は二条→晴明神社→北野天満宮からUターンのコースで走ったとのこと。北野天満宮はすでに参拝客が続々と来てたので、北方面へは行かず、ポケふた探しながら東方面へウォーキングすることにしました。前回の年越しで除夜の鐘付きをした要法寺からの~、平安神宮。ここでポケふた、げっと!((´∀`*))ヶラヶラ
神様に心深くお祈りしたいことがありお百度参りではないけれど時間を見つけて娘のお気に入りの神社⛩に詣っています。年明けから、ザワザワしてどうしようもない心を神様の近くに伺って落ち着かせたいのもあります。こちらの神様は水を司り五穀豊穣を願う神様戦国武将も必勝祈願した武運の神様でもいらっしゃいます。水のように柔らかさと、それとは逆の強い意志両方を持った娘でしたからあの子がこの神社にあんなに惹かれたのは自然なことかもしれないとこの頃思うのです。先週お詣りした時白鳩に遭遇
今回の宿泊先はセルフチェックイン。午後4時過ぎに部屋へ。荷物を片付けていたら、トイレの中から、主人が「地震!地震!」と叫んで。わたしは去年から平衡感覚が不安定になりがちで、揺れを感知してませんでしたが。目の前のハンガーが前後に揺れていて。無反応のわたしに主人はまだ「地震!」と叫んでいて。「TV点けて!」と言われ、リモコン探そうとしたら、ベッド上のライトが円を描きながら揺れている時点で、やっと気が付きました。TVを点けてから、しばし無言で観てましたが、まぁ、どうすることもできないし、
今日は息子の誕生日でした。そんな日に夢に出てきてくれた娘。2人でホテルに泊まってて、最近どうなの?と聞くと、まあまあと。その後ホテル出て歩いている時に最近何してるのと話しかけたら、いろいろ勉強中なんだよ空に関する事にね。って。やっと本当にお空に行ける日が近づいてるのかな?あにいの誕生日にメッセージくれたのかな?今日は生き返った!という感じではなく、亡くなった娘と接してる感じでした。
早朝からお腹は苦しいくらいてんてこてん((´∀`*))。特に急ぐ必要が無いながら、世間は元旦。初詣渋滞を避けたい。京都へは再度岡山方面を通るか、淡路島経由にするかで、主人が淡路島経由を選択。ナビに入れたら、高速料金が1万越え!思わず、そんなにするの!と。それですぐ却下、で、岡山経由に変更(でも9000円台でしたが)。京都は知っているところだし、元旦なので神社やお寺に人が集中するのも想定内。まぁ、ゆっくりと洛中入りしたわけですが、当初は宿泊先は九条駅近くで、大きめのパーキングも2つ
今年、元旦に能登地方で大きな地震がありました。実は、昨年後半から、この方の「震災・大震火災の真因を優しいスケッチで」のブログを見させていただいています。そういえば、2011年3月11日の東日本大震災の時は長女がパートで働いていた時期でした。百均ショップで、なぜかお線香やろうそくなどのコーナーを任せられていたのを覚えています。3・11でも、能登地震でも多くの方が亡くなり、けがをして、あるいは不自由な避難生活を強いられています。日本という国は、地震などの災害大国と言われ始めて久しいですが繰り
長女は、大きくなってからもよく涙を流す子でした。読書しては感動して泣き、映画鑑賞して感動して泣き、また悲しい出来事があると泣き。。。感受性が鋭くて、ネガティブにならなければとてもすごい能力を活かせたのにと。。。亡くなる前の日も体調不良で仕事を早退してリビングに横たわって泣いていたそうです。どうも職場の人から「無理して頑張らなくてよいよ」と言われたとのこと。それで、やはり自分は仕事もできない人間なんだと思ったのかもしれません。仕事をできるかどうかそれで人間を評価することは今の若者も同じか
チェックインの時、ホテルのスタッフ♂に朝食は並びますので早めに来た方がいいですよとアドバイスを頂いて。元旦ながら、朝食ビュッフェ6:10スタートに合わせて起きた私たち((´∀`*))。前夜はおか泉のバリバリにこしがある讃岐うどん食べたので、そんなにお腹が空いていたわけじゃなかったけれど。この朝食ビュッフェの為に、少しお高いホテルを予約したので、卑しさ120%のわたしは食べる気満々。自家製豆腐、自家製ヨーグルト、自家製うどん・・・焼き立て自家製ピザ、画像はないけど、焼き立てフレンチトースト
金刀比羅宮から坂出にある宿泊先を目指して。ローカルエリアですが朝食の評判がいいホテルを予約しました。タイミングが・・・一応、元旦なので(*´艸`)クスクス。チェックインしたのは夕方。ロビーは結構な人だかりで、我が家の番になって、対応してくれたのは25~28位のにーさまでしたが、この方が面白かった。讃岐うどんを食べたいのだけど、今からの時間帯で食べれそうなお店はご存知ですか?と聞いたら、ホテル作製のMapを出してくれて、すぐ近くの○○はそれなりのお味。おか泉は1~2時間は並ぶ人気店で
年が明けて。長女の3回目の命日が過ぎた。あの日から3年。やっぱりまだ3年なのか、もう3年なのかわならない。ただ、時間は容赦なく過ぎていくのを感じている。命日は穏やかに過ごせたけれど。時計を見ては長女に手を合わせた。3年前のあの日。長女を救えた方法はいくらでもあったはず。電話していれば。会いに行っていれば。簡単な事だったのに、そんな事さえしないで。長女を1人で死なせてしまった。手を合わせる時、長女に謝るのはやめている。謝るよりもたくさんの事を話しかけている。でも。