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千葉県、茨城県は強いパワーの神社仏閣が多く、関東の強い神社仏閣は殆どが千葉県、茨城県にあります。妙見信仰なのでお寺っぽい。千葉氏の一族は県内各地に広がっています。私は結婚をして向後になりましたが向後は千葉氏の子孫です。霊気の臼井甕男先生も千葉氏の子孫です。臼井甕男先生のお墓に書いてありました。佐倉から銚子までは千葉氏の流れが多いようです。銚子には妙見信仰の神社があります。千葉県は龍のような雲がよく見られます。拝殿はとても珍しい2階建て。最近また建て替えたようです。パワース
鎮宅霊符は妙見宮とよばれていた秩父神社の妙見信仰の護符だそうです授与所で授与いただけます(志納料2000円)霊符の画像はすこしボカしてあります持ち帰りやすいようにボール紙の筒に入れて授与いただけます
南部鶴。画像はお借りしました。向かい合う2羽の鶴。その胸には【九曜】をいだく。これは陸奥国盛岡藩の南部氏の家紋【対い鶴に九曜】である。九曜をいだく鶴……これがきっかけだった。九曜とは、土星、水星、木星、火星、金星、月、太陽、計都星、羅睺星の9つの星をいう。計都星は、ケートゥ(केतुKetu)とも言う。計都星は月の降交点(西洋占星術ではドラゴンテール)に存在する天体である。暗黒で見ることは出来ないが、計都星が太陽や月を隠すことで日蝕・
私は瀬織津姫の事もとても気になるようになっていた瀬織津姫と豊受大神は同一神という説もあるふと、子供の頃自分の右腕に北斗七星の形のホクロがあった事を思い出し検索してみると、いろんな人が北斗七星のホクロの画像をあげていた調べてみると北斗七星は妙見信仰と結びついているとの事妙見菩薩、こちらも瀬織津姫と同一説があるホクロは小学生高学年頃自分でとってしまっていたそういえば子供の頃、自宅に白ヘビが現れた事を思い出す白ヘビといえば弁財天弁財天といえばこちらも瀬織津姫と同一説があるなんだか気に
御祭神八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神創建は3世紀か4世紀、中世以降は妙見信仰となり千葉氏・平将門・秩父平氏とも関わりがあります。この時の秩父神社はたまたま例大祭でした。水占みくじです。綺麗に補修中
平将門、最後の「新皇」「平将門」は、10世紀の関東で朝廷(藤原氏=秦氏)に反旗を翻し「新皇」を名乗った武将です。『将門記』によれば940年に藤原秀郷(俵藤太)や平貞盛に討たれその首は京に運ばれたとあります。しかし、彼の死は単なる戦闘の敗北ではなく全国の有力寺社による呪殺という陰険な策略が絡んだ結果でもあります。平将門は、平高望の子孫であり高望は桓武天皇の皇子・葛原親王から分かれた一族です。桓武天皇(737年~806年)の母高野新笠(たかののにいがさ
秩父神社西武秩父駅から徒歩15分……とありますが途中の参道にあるお店などのお陰でもっと近く感じます。三峰神社に行った帰り、他も行ってみようと探ると駅からすぐだったので行ってみました。そして、ここもかなり有名な神社だと知りました。関東屈指の古社で、この辺りの国づくり使わされたのが岩戸に隠れたアマテラスを引き出したオモイカネの10世代後のチチブヒコノミコト。三峰神社へは道が厳しいですが、秩父神社は行きやすく、その手前の一息つく場としても良き立地です。今の社殿は徳川家
3/18に大阪の星田妙見宮⛩️行ってきました〜🌠行きたくて行きたくてやっと念願叶いました💞道中の険しい険しい階段も〜休み休みやっと…ゆっくり行けば大丈夫でした☺️🌈✨お天気も天気予報では良くなかったのに😆ヤッホ〜🌟👣晴れました〜🥰💞🌟境内図🌟🌟いろいろ説明の看板🌟ココから境内まで階段…登ります…1段1段が高さがあるので大変でした~😭😭😭昔の人はどうやってこんな大きな石で階段を作ったのだろうと〜いつも神社もそうだしお寺もそう、疑問に思います😱😱😱🌠🌟七星宿いろ
今日の写真の思い出コーナーに星田妙見宮が出て来た。7年前になるんだな。。。神社で宮司さんとお話してたら、アニメか何かのモデルになったから、参拝者が多くなったと。その頃の私は何のアニメかも知らず、ただ関西方面に旅行してたから、地図で惹かれた神社を選んで参拝していました⛩✨星田駅から、20分くらい歩いたと思う。。弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の洞窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、それらの星が3ヶ所に分かれて地上に落ちたと伝わります。
妙見菩薩や妙見信仰を研究されていると伺ってからずっと訪れて見たかった円泉寺さまへ。鎮宅霊符、妙見菩薩、十一面観音さまに深いご縁をいただいているのでとても楽しみにしていました。妙見菩薩と信仰|真言宗智山派円泉寺埼玉県飯能市|武蔵野七福神(福禄寿)札所・銭洗い弁天・永代供養塔(永代供養墓)・墓地・ペット供養梅松山円泉寺は真言宗智山派のお寺です。武蔵野七福神(福禄寿)札所、平松の妙見様として知られています。『妙見菩薩』『平将門』に関する資料を掲載しており、Wikipediaにもリン
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*世界の天と地が分かれた時、天である高天原に、最初に現れた神様。それが、天之御中主神ーあめのみなかぬしのかみーでした。『日本書紀』では、天御中主尊ーあめのみなかぬしのみことーと表記。天之御中主は、性別のない独神で、目に見えない存在であると言われています。独神(ひとりが
昨年の10月23日のことです。この日の参拝は、一社目は、唐津市相知(おうち)町の熊野神社さん二社目は、唐津市北波多の葛原(かつはら)神社さんを参拝しました三社目は、唐津市見借の猿田彦神社さん。そして、四社目は、佐賀県唐津市藤崎通7022に鎮座します妙見神社(みょうけんじんじゃ)こちらのブログの続きです『佐賀県唐津市妙見神社狛亀(玄武)さまがいっぱい(゚Д゚)』昨年の10月23日のことです。この日の参拝は、一社目は、唐津市相知(おうち)町の熊野神社
*過去に遡り記事を書いております。これも時間旅行。🙇秩父神社へと参りました。これまた良いタイミングで駐車場へ入れます。今まで気付かなかった?のかな?手水舎の水盤の中に玄武が🐢!妙見信仰の証かと。武甲山からの清流に気持ちよさそうです。いろいろ検索してみましたが手水舎や水盤についての記事はあれども水盤の中の玄武についての記事は見つけられませんでした。何度も伺っていますが嬉しい発見でしたHINOMARURADWIMPSの曲‧2018年あまりに好きすぎて購入しま
昨年の10月23日のことです。この日の参拝は、一社目は、唐津市相知(おうち)町の熊野神社さん二社目は、唐津市北波多の葛原(かつはら)神社さんを参拝しました三社目は、唐津市見借の猿田彦神社です。そして、四社目は、佐賀県唐津市藤崎通7022に鎮座します妙見神社この階段は、表参道です。けっこう段数が多いですね。だから、下まで降りて登ってくるのはやめました車の進入口は、ぜんぜん別のとこから、またまた狭い坂道を登
秩父神社の母巣の森から次へ向かったのが「廣見寺(こうけんじ)」です。ここに来たかった。で、いつも裏から入ってしまう。。。ナビがねぇ。広見寺は妙見堂があり、正門前にある妙見菩薩と関係するとの事。このお寺で確認しておきたかったのは、妙見のことです。『地方史研究必携』によると、明治30年まで広見寺の住職が、12月3日の朝、秩父神社の寅の門を開く定めがあったと。12月3日は「秩父夜祭」だから。また、秩父神社の鬼門とされるため。徳川家康公は、「
以前から南相馬の妙見探訪をしていましたが、秩父での講話会前に「平良文」の所へ行ってました。行っていたというかよく目にしていたのが、「平良文」夕顔の人。『【妙見】相馬の海静かなる英士』今年もあっという間でしたが、今日はクリスマス・イブですな。イブっていっても、誰がどのイブで、イブに何を食すと、どーなるんだ?って思っている人は、いないと思いま…ameblo.jp秩父妙見において、ぜひ、行っておきたい所があったのですが、昨年何度も秩父へ帰省していたのに、まったく時間がとれなくて
さて、怖い話は一休みして、今日は古代史の話にします。日本史の歴史区分は、平安時代までは広い意味の古代と考えることが多いですので、平安時代中期に亡くなった平将門も、十分、古代の人と言えるでしょう。将門は桓武5世の孫で、親族間の土地争いから関東で謀反を起こし、「新皇」を自称して独自に百官なども決めたことで朝敵とみなされ、この知らせを聞いた京都の朝廷はパニックになりますが、わずか2ヶ月ほどで、940年、藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されます。平将門当ブログはオカルトがテーマであり、たい
さて、もうひとつの冠嶺神社も書いておきます。「真野」の冠嶺神社過去に書いたのをまとめています。※「過去記事」一応、説明・・・過去記事のまとめとは、gooブログにのせていたものです。gooは解約しているので、こちらにまとめて載せることにしています。『【南相馬】原町区の謎の冠嶺神社(さかみねじんじゃ)マヨイガの杜』あまり知られていない神社を紹介。過去にいった所ですが、かなり「真野」で妄想していた所です。神社の細かい詳細まで記していなかったので書いておきます。冠嶺は「さか…ameblo
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。昨年12月半ばに訪れた星田妙見宮(大阪府交野市)その3です。その1、その2はこちら。『星田妙見宮その1~紅葉が美しい境内。駐車場から拝殿まで~』こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。年始はどの記事をアップしようか迷いましたが、この記事にします昨年12月中旬頃に、星田妙見宮(大阪府…ameblo.jp『星田妙見宮その2~拝殿からお不動様がおられる登龍の滝まで~』こんにちは。瑠璃色の世
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。昨年12月半ばに訪れた星田妙見宮(大阪府交野市)その2です。その1はこちら。『星田妙見宮その1~紅葉が美しい境内。駐車場から拝殿まで~』こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。年始はどの記事をアップしようか迷いましたが、この記事にします昨年12月中旬頃に、星田妙見宮(大阪府…ameblo.jp紅葉が残っていて、風情がありましたお山のてっぺんにある拝殿でお詣りした後はさらに
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。年始はどの記事をアップしようか迷いましたが、この記事にします昨年12月中旬頃に、星田妙見宮(大阪府交野市)を訪れました。紅葉が残っていて、風情がありましたよ駐車場から入口の鳥居へ向かう道がこんな感じでした↓入口の鳥居↓二つ目の鳥居が見えてきました。いつもと雰囲気が違いますねお稲荷さん付近↓溝がもみじの葉っぱで埋まってました。てくてく階段を登って行き
今年もあっという間でしたが、今日はクリスマス・イブですな。イブっていっても、誰がどのイブで、イブに何を食すと、どーなるんだ?って思っている人は、いないと思います。。。さて、先週、空舟仲間たち(いろいろチームあり。笑)と「お疲れ様会しよーー」と声をかけ、相馬の海に行きたくなり、子眉嶺神社、相馬中村神社へ。相馬妙見は、三大妙見のひとつ。相馬(福島)、大阪(能勢)、八代(熊本)です。妙見というと、強すぎて容赦なくて怖いイメージがあったのですが、違うんじゃない
過去記事のまとめを、こつこつと。2015年に観に行った伝統芸能祭(泉区で見たと思う)鹿踊りをみるのが好きなんです~。ほとんど知識がない状態で鹿踊りをみているから、芸能としてみています。が、伝統芸能が途絶える昨今、継承の難しさをいろいろと耳にします。女性が介入しないと、「男系のみ」では、さすがに途絶えるのでしょう。なぜなら、今は、皆、都会へいってしまい、戻ってこないという社会問題。語り部がそうであるように、繋ぐのは、女たち。鬼剣舞が途絶えそうだった地区で名乗りをあげたのは「
もうすぐ12月。今年もあっという間でした。来月12月3日は、秩父夜祭があるので、この時期、また妙見考察。相馬には相馬三妙見神社があり、・相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社となっています。アメブロには、太田神社、中村神社は書いてましたので、今回は、小高神社のことを書いておきます。過去記事のまとめです。小高は「おだか」とよみます。少年みたいな妙見さんが、かわいらしくて好きです。事実、不思議な体験をしてから、ますます武甲山との想いを馳せることに。
経津主神(ふつぬしのかみ)どんなにか尊いことであろうか。この千葉で、活歩たる礎を刻み、歩んできた先代達に、心より感謝を申し上げようではないか。多くの方々が、ここぞとばかり訪れるのは、構わないが、やはり、古来からの先代達の礎あってこその、この場、神社であるからして、やはり、そこに、感謝と恩恵の念を持つことが、彼らにとっての、敬意の現れでないだろうか。その方々がおらねば、今のこの場は、成り立っていないのであるからして、今ここで、あなた方先祖と共に、心からの感謝を伝え
虹がでてました。今日は、天気雨。山形散歩の続き。『【山形市内さんぽ①】斯波兼頼公(初代最上氏)の霞城公園からレトロな喫茶店へ』急に冬がやってきた感じで、もう落ち葉歩きになってきましたね。今月初め頃のこと。雪がまだ降らないうちに、と思って調べておきたいことがあり、久しぶりの山形市内へ。…ameblo.jpもうひとつ気になったのが、六日町の熊野神社。斯波兼頼に関係する神社です。素敵な教会。参拝して知ったのが「山形城の鬼門」にあてられたこと。源氏が考え
まずは、「cafe369」で玄米菜食のランチです。こちらではヴィーガン食の対応ができます。https://cafe-369.com/Café369(カフェミロク)cafe-369.com弥勒菩薩の「ミロク」。「666」でも「ミロク」です。3と6と9の数字は「宇宙の法則」と呼ばれ、世界を構成していると言われています。ピタゴラスの「万物の根源は数である」に近いものがあります。そういえば、うちの家族の誕生日は、全員5人とも3で割りきれる月日です。ランチ後、7つの塚から成る七
名草神社は、養父市八鹿町(ようかちょう)妙見村に鎮座し、妙見山(みょうけんさん)(標高1139m)の中腹(標高800m)に位置します。古くは「妙見社」と称して、近世の但馬地方における妙見信仰の拠点として栄えました。平成22年、「名草神社」として国指定の重要文化財に指定されました。名草神社兵庫県養父市八鹿町石原1755‐6拝観:駐車場無料「但馬妙見日光院」から、さらに名草神社へ行くには、車一台分しかない狭い道幅のグネグネとした道を進むと現れるのが、名草神社です。途中、鹿を見
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそRinkoです。先日、久しぶりにこちらの神社へ行ってきました星田妙見宮見えない世界でのバランスが崩れたためそれを整えてもらうために。境内はお山になっていて、緑がいっぱいです。「お山」と言うと、登山のようなものを想像される方もいらっしゃるかもしれませんが、お山の一番上まで行って下りてきても私の歩数計では2500歩くらいですよプチプチ登山のような感じです。(お山の上にある
能勢街道うちらは池田街道ともゆうてた中津から池田能勢妙見そいで亀岡至るなんやけど能勢と池田が喧嘩しよんでうるさいうるさいうちゃあどっちでもええ大阪は猿だらけなんやな箕面に五月山連なっとるからキイキイ亀岡に猿宅配しよるんでめちゃ迷惑なんです元気なやっちゃでめちゃ煩かった猿か人間か分からんのが亀岡にようけたくさん集合してました池田炭の竹炭菊炭は黒川やね池田黒川そして妙見山池田は織姫伝説がありましてそれが地名となっていて妙見信仰に繋がっています