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今年も水門川の桜を見に行って来ました今年も沢山の人が花見を楽しんでいたけれど今年は外国の人達が凄く多かったワンちゃん連れの人も凄く多かったわ
テレビのクイズ番組が好きで色々見ているのですが偶に「エッ!そうだっけ??」と思う事があります気にはなっていたのですが調べる事もせず(笑)ところが今回ネットで見つけました皆さんはご存じでしたか・・・この中で私が何とか知ってたのは「鎌倉幕府開府年」「富本銭」「太陽系の惑星数」くらいかなあ「仁徳天皇陵」が「大仙陵古墳」なんで聞いた事も無かったかも正直言って「百舌鳥(もず)・古市古墳群」と言われても知らないんだもんね漢字の書き順も私が習った
おはようございますご訪問ありがとうございます♡岐阜県瑞穂市で自宅料理教室主宰フードスペシャリストsakiです1ヶ月近くあった春休み最終日🌸卒業式が遠い昔の様母と娘と弟夫婦とwお隣大垣市のイベントとお花見に🌸毎月第一日曜に駅周辺でスタンプラリーやってるみたい☝️ラリー先着でASTIで使える¥300券貰えるみたいなんだけど花見客も多くて先着無理そうで諦め😇水門のあるミドリバシあたり🌸夜桜は激混みだろなー笑カワマチテラス買いたかったベーグル長蛇の列で諦め🤦♀️ミド
今日は数か月に一回かなお連れとモーニングいつもは地元にいくところ、今日は羽島まで行きました!安定の「恵時尊そうじゅ店」羽島市にありますお土産付き喫茶なので、混雑していると覚悟のうえで!やっぱ、5組待ちでしたでも、数分で入店本日はスクランブルエッグで・・・コーヒー代500円のみです他にプラス料金で、違うのも選べます前回はコーヒーを頼まず、セットの方だけ頼んだと言う汚点をwwwその話を連れにしながら、こうだったから、こうでねってメチャクチャ大笑
「村上」の散策、つづいてやってきたのは、浄念寺創建は、1492年~1500年の「明応年間」で、「浄念」という行脚僧が、庵をむすんだのがはじまりとされています。中興したのは「上杉氏」の武将「春日元忠」で、1591年のことと伝えています。寺勢をあげたのは1667年に「榊原政倫」が藩主となった時です。「榊原家」は、幕府に依頼して、当時江戸でもっとも高僧といわれた「珂碩上人」を住職にしました。その後、「間部詮房」が藩主となりますが、1720年に病没すると、「間部家」
ご訪問ありがとうございますいつもいいね!やフオロークリックありがとうございます日本各地で地震が頻発していますねここ岐阜県も震度1の地震がたびたび観測されています本当に怖いです昨日は大垣市内の桜の名所を回ってきました芭蕉の奥の細道の結びの地と言われている大垣は毎年たくさんの観光客の方が訪れます水の都大垣ですので川の周りに桜がいっぱい植えられ川には”たらい舟”も出ていますキッチンカーも出てにぎやかでしたでも桜はまだ満開ではなかったですやっぱり岐阜県は寒いのですね
図書館から隣町へ樹齢300年超のシダレザクラここも早く開花します!濃い色の桜400㎜でボカす春蘭亭梅に蜜蜂🐝寺池城白梅としだれ桜椿登米尋常小学校金次郎奥の細道大先輩が近くに来ているとのことで、ちょっとだけ合流!レブル250紅梅白梅とレブル
わたくしには年中行事のように参拝する神社がいくつかあります。千住にある素盞雄神社もそのひとつです。今年も桃の花が咲く季節に訪れました。予約していた白桃樹御守を受け取り御朱印をいただきました。こちらの御朱印自宅に戻り御朱印帳を開くと墨のよい香りが漂いました。こんなことははじめてです。文字もキレイ。なんだか心地よい花冷えそして花曇りな4月のある日。そんなときでも素盞雄神社の本殿の前での参拝は清々しい気持ちにさせてくれるのでした
おはようございます今の桜の時期には船下り🌸両サイドの川べりの満開の桜を舟下りしながら見てみたいですね大人気で予約を取るのが大困難ゴールデンウィーク期間はたらい舟が有名な水の都大垣至る所で湧き水も汲めるのです水まんじゅうも有名ですよね舟下りや散策の途中にゆっくりくつろげる空間が誕生この船町ベースにはおにぎり専門店やカフェが登場🍙☕和菓子のシン・金蝶堂150年以上の歴史を持つ和菓子店「金蝶堂總本店」が復活店内もおしゃ
松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えた終点の地。光に照らされた桜が水門川を華やかに彩っています。芭蕉翁を想いながら眺める夜桜はいいですね🌸
漂白の思ひやまず海江(かいひん)にさすらへ去年(こぞ)の秋江上(こうじょう)の破屋(はおく)に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮(くれ)
「草加・越谷千住の先よ」と言われる草加江戸時代、松尾芭蕉は深川(現江東区)に庵を構え45歳の時奥の細道へ弟子の曽良と共に句行の旅に出ました。↓隅田川に架かる美しい清洲橋ライン川にかかるドイツのヒンデンブルグ橋がモデルです。その袂に芭蕉庵があります↓いつも隅田川を眺めています今は芭蕉庵の跡地に芭蕉稲荷が建っています隅田川を舟で千住まで、そこからは曽良と同行二人千住を出発した芭蕉さん、先ずは日光を目指します最初の宿場は「草加」↓草加松原の指標↓草加松原遊歩道こんな松並木
予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂白の思ひやまず
大垣市の市街地を流れる水門川で24日から、恒例の「水の都おおがき舟下り」が始まった。これを見ると春を感じる。コースは市営東外側駐車場前から奥の細道むすびの地記念館前までの約1・1キロ。舟に揺られながら約30分かけて下るコースだ。毎年でしたら、この時期には満開の桜が迎えてくれる…はずなのですが、今年はまだ蕾。よく見ると、蕾の先端がややピンクに色がつき咲くタイミングを今か今かと計っているようだった。僕予想ではありますが、開花は来週早々な気がする。そうしたら、カメ
皆さま、こんにちは最近よくなかよさげなご夫婦見かけますそれもご年配な方•••!うらやましすぎる❤いろんな苦難乗り越えて歳を重ねていける関係性ってすごーくいいなもちろんみんながみんなそういうわけじゃないかもだけど仲の良さそうな、互いが互いを思いやり支え合っていそうなご年配のご夫婦を見かけるといろんな感情がこみ上げてきます❤•••••cut•••••・1689年(元禄2年)3月27日、松尾芭蕉が奥の細道へ旅立つ→松尾芭蕉は江戸時代の俳諧師です。1689年のこの日に、弟子
石川県復興応援の旅②買って、食べて、観て、北陸の復興を応援しよう!|政府広報オンライン買って、食べて、観て、今私たちにできることで北陸の復興を応援しませんか?北陸応援割の情報のほか、石川県、富山県、福井県、新潟県の各県の見どころ、ふるさと納税、アンテナショップなどの情報を掲載。www.gov-online.go.jp石川県小松市古府の石部神社をお参りした後、多太(たた)神社へ向かう。本殿御祭神は衝桙等乎而留比古命(つきほことおるひこのみこと)出雲国風土記にのみ登場
どうも管理人です3月も下旬、いよいよ新年度がすぐそこまで来てしまいましたブログも結構書いてきたなと思って振り返ってみたら、早4年半経つんですね~早いな~こういう時「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也」と奥の細道の冒頭文を思い出します「ああもうこんなに経ったのか」と振り返ることも大事だけど「これからどんなことしようかな」と時代の流れに乗じて先の事を考えていくことの方が有用世間も加速度的に色々変わっておりますDX、NISA、インボイス・・・横文字多いな(笑)
「月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人也」唐突に頭の中に浮かんできたこの一文。。。これは松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭の一部ですが、私がこの冒頭部分を一生懸命暗記していた頃は、「奥の細道」と表記されていました今では「おくのほそ道」と表記が変わっているのですねもともと、自筆本も曾良本も「おくの細道」となっていたようです松尾芭蕉さんと一緒に旅をされたと言われている、河合曾良さんは、諏訪市の生まれの方だそうです学生の頃って、とにかく古典文学は冒頭分の暗記が
福岡県北九州市小倉を歩く7放浪日2019年8月18日【平尾台】と言われるカルスト台地を歩いて観ています“カルスト台地”とは石灰岩などの水に溶けやすい岩石で構成された台地が雨水などによって浸食されて出来た台地であります石灰岩が雨水によって溶かされる時、均等に溶かされる訳ではありません石灰岩には起伏があるために雨水が流れる場所は浸食作用が大きくなりますよって、この様な景色が出来上がるのです『まるで、草原で放牧されているヒツジみたい!』と言われ、“羊群原”と呼ばれることもあるそうで
墓参りに福島まで行き、親戚の叔父に案内していただき、名所を拝見させていただきました。文字摺観音普門院には百人一首でも有名な「しのぶもじずり」になったと言われる鏡石を生で観てまいりました。松尾芭蕉翁も奥の細道で立ち寄って句を詠んでいます。これが伝説の石です。説明文によると、源融というお公家さんが信夫郡の長者の娘と恋に落ち、再会を約束して都に戻って音信が途絶え、悲しんだ女が鏡石に映った(ように見えたのかな…)源融公の面影が浮かんでは消えたことでショックのあまり病の床についてし
福島で新幹線を降りたが、飯坂温泉行きのホームは分かりづらい。東口の出口近く、駅事務室の裏にある。このホームは飯坂線と阿武隈急行線が利用されている。飯坂温泉へはここから列車に乗って23分。福島市内西部方面の長閑な田園地帯を走る。連結ドアには『ゆ』の暖簾が掛けられローカルな風情が漂う。飯坂温泉駅前には芭蕉の銅像が。奥の細道の途中立ち寄ったと伝えられている。温泉好きとして観光は二の次。まずは『波来湯(はこゆ)』へ。駅から2~3分の距離だ。地下1階に浴室がある。地元に
福岡県北九州市小倉を歩く5放浪日2019年8月18日【平尾台】と言われるカルスト台地を歩いて観ています北九州市、行橋市、田川郡、京都郡に跨る台地です最高峰は北九州市小倉南区の貴山で標高712mとなります貴山の周辺には400m~600m級の山が点在していますそして【平尾台】には【千仏鍾乳洞】【目白洞】【牡鹿洞】【青龍洞】という鍾乳洞も点在しているのですその中のひとつである“童心に戻って冒険ができる!”という噂の【千仏鍾乳洞】を歩いて観てみましょう♪駐車場から薄暗い森を下って
千三百年続く静寂と癒しの湯「那須温泉鹿の湯」にお邪魔してきました。温泉発見において日本で32番目に古く、栃木県では塩原、日光を抑えて最古だそう。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の前半に立ち寄った温泉でもあります。殺菌力は非常に強いそうですが、草津より柔らかいと感じました。ちょっと感動するくらい良いお湯。朝から入れるし、なにより500円というのが素晴らしい!【鹿の湯の由来】狩野三郎行広という者が山狩の際に射損じて逃げる鹿を追って山奥に入ると、鹿は傷ついた体を温泉で癒していま
2024年3月16日、速報が入りました。宮城県多賀城市の国特別史跡「多賀城跡」内に立つ「多賀城碑」が、2024年秋ごろ正式に国宝に指定される見通しとなりました。正式に決まりましたら、また改めて書きたいと思います。【速報】多賀城碑、国宝指定へ宮城県内の文化財では23年ぶり記事はこちら👇https://t.co/V49ujdq3FT—河北新報オンライン(@kahoku_shimpo)March15,2024ここでは、以前松尾芭蕉さんの足跡をめぐる投稿を
『大奥の細道』
清澄庭園のあと清澄通りを門前仲町の方へぶらり散歩を続けました☆☆前の記事の続きです仙台堀川河津桜松尾芭蕉像採茶庵跡仙台堀橋のたもと芭蕉はここから船で奥の細道に出発とのこと「深川えんま堂」に行きました法乗院山号は賢台山真言宗豊山派創建は寛永6年(1629)本尊は大日如来えんま堂えんま大王お賽銭を入れると仏様の音声が流れます地蔵菩薩見返り不動明王大日如来像曽我五郎の足跡石延命普賢菩薩大孔雀明王大日如来像地獄絵孔雀明王像
立像:福島駅東口御由緒:経緯:元禄2年・1689年5月1日、芭蕉は門人.曾良を伴い福島で一夜を過ごす。翌朝、文知摺観音を訪れ、次の一句を詠んでいる。「五月女にしかた望んしのぶ摺」↓「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」が、ほそ道の句となる。雑感:芭蕉はここ福島においても、名所を訪れ多くの句を詠んでいます。ab.nan
今回はコメントの常連さんの山形のはっちゃんさんからのリクエストもあり、山形テレビの個性的な特番を上げたいと思います。FNS・フジテレビ系列時代「なるほど・ザ・ワールド山形」1985年頃放送当時フジテレビの人気番組だった「なるほど・ザ・ワールド」のローカライズ版で、ルールもフジテレビ版に準拠した物と思われ、山形の名所や名物を取り上げたものと思われます。しかし、同年、「夜のヒットスタジオDX」が同時ネットされた関係で、日本テレビの「水曜ロードショー」が「火曜ロードショー」へ移動した為
日本三景の松島・・・最高のロケ地です青空と空気が澄んでいて最高の撮影日和📷(モデル以外は最高!)かの芭蕉が松島の景色に驚嘆して俳句が出なかった・・・といいますから確かに「奥の細道」に松島で詠んだ句が無いのは事実なんですね。ただ、なぜこの地を訪れているのは確かなのに、句を詠まなかった理由は謎だそうです奥の細道の足跡を訪ねて日本三景・松島雄島(senbonzakura.skr.jp)芭蕉も弟子の曽良と一緒に船で松島遊覧したそうですああ松島や・・・私も違う理由で詠めない←才能
「ふりかえって」大垣に着いて、「奥の細道」の長い旅が終わり、関西の家に戻りました。そして、そのときかどうだかわかりませんが体調を崩し、床に伏し、松尾芭蕉がなくなります。全国の俳諧の同人は嘆き悲しんだことでしょう。死んだ後芭蕉が作った俳句や連歌などがたくさんの作品が残りました。今もその作品が読まれ、現代の人にもよい影響を残しています。私が強く影響を受けたのは床に伏した時作った句です。言葉がはっきりしてないのですが、「床に伏し夢は枯野をかけめぐる」という俳句が