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西行歌と旅と人生(新潮選書)[寺澤行忠]楽天市場西行―歌と旅と人生―(新潮選書)Amazon(アマゾン)日本人なら誰もが知るあの歌、「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」。「花の下」を「桜の下」に変えて詠まれることもあるかと思います。松尾芭蕉も西行に憧れて、その足跡を旅したとも言われています。西行を研究した本は今までにも多く出版されているそうですが、もともと武士であった西行がなぜ出家して漂白の旅に出たのか、この本はその心情に
(静岡県焼津市エキチカ温泉・くろしお)エキチカ温泉・くろしお|Ekichikaspa&cafespa-kuroshio.com今日は焼津の「焼津歴史資料館」へ行き、焼津の歴史や風土をお勉強⋯。焼津にも縄文遺跡が存在するが、他の地域と較べ、ずいぶん数が少ないような気がした。やはり「縄文海進」(縄文時代、海面が十メートルほど上昇)の影響で、昔、このあたりは海だったのだろうか…?そのことを係の人に尋ねてみると「そんなことは聞いたことがないな〜」と言っていた。しかし、平野
牛死せり片眼は蒲公英に触れて鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)句集『にれかめる』より。季語は「蒲公英」(たんぽぽ)で「春」。詳細は存じ上げないが、作者は北海道在住で、長年牧畜関係(農水省職員?)に従事し、その日常を詠い、第64回角川俳句賞を受賞。掲句は、受賞作(「牛の朱夏」)の中の代表句で当時(2018年)、俳壇で大いに話題を呼んだ一句。牛の骸が草に横たわり、その片目が蒲公英に触れている、というのだ。写実の迫力というのだろうか…。感情を一切述べず、事実をそのまま表現
(神奈川県横須賀市)今日はあたたかかく、日差しも強いが、風が強い。三連休ということもあって湾岸はものすごく混んでいた。今日は確定申告の最終作業。一応、これで完了した。明日、書類を投函する。さて、今日も「芭蕉翁略伝」の続きを…。【原文】同愚案、蕉翁全傳には蕉翁の俗名藤七郎とあり。藤堂家には半七郎と呼りとぞ。兄を半左衛門といへるは、さるを浪華の遊行寺に野坡が建し碑には甚質と書り。京都の双林寺に、支考が建し碑に、百地黨と書しは松尾氏の先祖に百司といひし別姓あり、
特選落語会〜草加市文化会館〜草加と言えば…草加せんべい醤油味のノーマルビール会社とコラボ⁇せんべいの2種を三遊亭小遊三師匠林家たい平師匠二人会でした。お客様の反応がとても良いなぁと感じました。拍手も笑い声も爆音会館さんの目の前は、綾瀬川。日光街道「国指定名勝奥の細道の風景地草加松原」綺麗に整備されていましたよ。観光気分でした#特選落語会#草加市#草加せんべい#カンパイ草加せんべい
(神奈川県横須賀市)【原文】芭蕉翁繪詞傳に云、宗清領所なれば伊賀國阿拜郡柘植庄に忍住す。其子土師三郎家清、夫より五代を經て、清正と云人に子數多ありて家をわかつ。山川、勝島、西川、松尾、北河と名乘、代々柘植庄に住り。其末に松尾與左衞門と申せし人、初て國の府なる上野の赤坂に住り。是芭蕉翁の父也。母は伊豫の國人也。姓氏さだかならず、其子二男四女あり。嫡子儀左衞門命清後に半左衞門と云。次男半七郎宗房、童名金作、是翁也。後に名を更て忠左衞門と云。【意訳】『芭蕉翁絵詞伝
↑大垣駅舎から伊吹山眺望会社OB会の「歴史探訪サークル」の例会で、水都・大垣の歴史探訪をしてきた。絶好の行楽日和に恵まれ、メンバー12名が定刻に大垣駅に集まり、まずは駅前の寿司屋で幹事の行程説明のあと腹ごしらえをして出発。最初の訪問地は水門川(大垣城外堀)沿いの四季の道を散策しながら八幡社に参拝し、境内の脇にある湧水で喉を潤した。次に訪れた円通寺は、大垣藩主戸田家の菩提寺で、境内には歴代藩主のお墓がある。一際立派な山門が目を引いた。四季の
ここ最近、慌ただしく過ぎ、これといって書くことがない(苦笑)。「また、グルメ日記か…?」と思われそうだが、この二日間のグルメ日記を書いておく。いしがまやハンバーググランデュオ立川|株式会社きちりホールディングス石窯で焼くハンバーグステーキ専門店。厳選した高品質な牛肉を100%使用、独自に開発したハンバーグ専用窯で焼くことにより、お肉の旨味をぎゅっととじこめ、ふっくらジューシーに焼き上げる究極のハンバーグは絶品です。kichiri.jp昨日は朝から地元の杉並区「西荻窪」のク
「せっかく有馬温泉に行くなら、誰にも気をつかわず、好きなタイミングでお湯に浸かりたい」「大浴場もいいけど、今夜は“自分たちだけの露天”で、静かにととのいたい」そんな気分の日に選びたいのが、露天風呂付き客室のある旅館。ただ、有馬は宿の選択肢が多くて、“露天付き”と書いてあっても「温泉なの?」「食事はどこ?」「部屋はどんな雰囲気?」で迷いがちです。この記事では、「露天風呂付き客室で失敗しない選び方」と、「いま予約に進みやすい“決め手”がある宿」を、目的別にわかりやすくまとめました。今日
仙台お正月御朱印巡り諏訪神社⛩️@suwajinja_taihaku✨📍宮城県仙台市太白区郡山5-13-8御朱印可愛い🩷カラフルな御朱印御朱印帳への記帳いただけました何人か順番待ちしていたので番号札水源の神・風の神🌪️第七〇代後冷泉天皇の天喜4年(西紀1056年)衣食住の守護神である諏訪の大神を勧請し、創建した社。榴岡天満宮⛩@tsutsujigaoka_tenmangu🌸📍宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡105-3御朱印🔖俳人として名高い松尾芭蕉も榴岡天
(東京都杉並区蚕糸の森公園)三寒の鯉が身じろぐ泥けむり能村登四郎今日は午前中は杉並区の公共施設の「セシオン杉並」へ行く。杉並の公共施設を利用する為の「さざんかネット」に登録をしてきた。そのあとは「蚕糸の森公園」を散策し、高円寺まで歩き、高円寺の「香林句会」へ出た。句会では「三寒四温」の話題になった。「三寒四温」は晩冬の季語。三日寒く、四日暖かい日が訪れ、だんだんと春に近づいてゆくことを言う。「角川俳句大歳時記」(冬)では以下のように解説している。晩冬
(東京都杉並区阿佐ヶ谷)(焼肉はせ川)焼き肉はせ川阿佐ヶ谷店阿佐ヶ谷の焼肉・ホルモン、焼き肉はせ川阿佐ヶ谷店のホームページです。お店の基本情報やおすすめ料理の「3種類のコースからご用意◎飲み放題もお付け出来ます」「-上タン塩焼き-」「-和牛の5点盛り-」をはじめとしたメニュー情報などをご紹介しています。asagayahasegawa.owst.jp今日は仕事仲間と阿佐ヶ谷で焼肉。横須賀を出て、池袋で句会を済ませたあと、西荻窪の事務所に戻り、ふたたび阿佐ヶ谷へ。ここの焼肉は
(三重県伊賀市伊賀鉄道)『芭蕉翁略伝』(幻窓湖中・著)は江戸時代後期、弘化2年(1845)に刊行された松尾芭蕉の伝記本である。著者の「幻窓湖中」は岡野湖中(1776~1831)ともいい、水戸藩士であり、松尾芭蕉の崇拝者で、文政10年(1827)に最初の芭蕉全集『俳諧一葉集』を刊行した。小林一茶が1763年から1828年なのでほぼ同時代の人である。『芭蕉翁略伝』は湖中の遺稿で、彼は生涯をかけて芭蕉の人生を調べたようだ。かなり訳すのは難しく、間違って訳してしまう不安もあるが、勉強
ども。残念ながら中道は解散。今後は細道としてやっていくとのこと。個人的には奥の細道でひっそりとやっていてもらいたい。そんなことはどうでもいいんだけど、スターバックスの紙袋が2/18から有料化だって?タリーズを始めとした外食チェーンでは紙袋を有料化している中、これまで30年以上に渡り無償提供をして来ましたが・・・と恩着せがましい一筆があったが結局ぶんどるのか?お〜い、ぼったくりがいるぞ〜プラスティックだけでなく資源全体に配慮してとか
(神奈川県横須賀市)今日は実にあたたか。晩春のような陽気。休日とこの陽気で湾岸の道路は大渋滞…、おまけにとんでもない数の暴走族がやって来て爆音を鳴らして去って行く。今日は里山の麓を散歩して来たが、梅、菜の花は満開、河津桜は三分咲き、冬の寒さに耐えていた水仙がごほうびをもらったかのようにあたたかな日差しを浴びていた。話は変わるが、アメリカの南北戦争を描いた「リンカーン」をアマゾンプライムで見た。幕末、アメリカからペリー艦隊がやって来て、日本は大騒ぎとなったが、その後、官
引き続いて8月9日~17日かけて行ってきた、夏の下北半島ブルートレイン旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ松尾芭蕉の俳句碑。奥の細道と松尾芭蕉の銅像。奥の細道って有名なやつですね。金色堂覆堂、文字通り金色堂を覆っていたお堂。中はこんな感じです。中尊寺を参拝したらお昼ごはん。手打ちそば泉橋庵さんへ。メニューはこんな感じ。山菜とろろそばとみそたんぽにしました。山菜とろろそば、好き+好き+好きで優勝。みそで味付けしたたんぽ
(神奈川県横浜市港南区東永谷地区センター)今日は東永谷地区センターの「おくのほそ道」講演。あいにくの雨だったが15名全員参加してくれた。松尾芭蕉の生涯、「おくのほそ道」の魅力、「おくのほそ道」の「深川」の章・「壺の碑」の章などを通して、不易流行の思想芭蕉はなぜ旅に生きたか?を主題に話をした。東永谷地区センターというところに初めて来たが、立派な建物だ。横浜南高校のすぐ脇にあり、図書室では高校生が学習し、食堂らしきところでは高齢の方で賑わい、廊下やホールでは子供たちが
(神奈川県横須賀市)今日は池袋の第一谷端川句会。今日も「松尾芭蕉」の講義をした。明日は横浜で「おくのほそ道」の講演。今のところ15名の参加があるようだ。ただ、定員20名なので満席になっていない…。しかも明日は雨らしい。しかし、きっと楽しみにしてくれている人の為に頑張って話しをしてきたい。「おくのほそ道」の魅力を多くの人に伝えたい。今週は今やっている句集が大詰め。今日から土曜まで句会。打ち合せなどもあり、結構ハードだ。おくのほそ道講座(1回のみ)参加
忘れ得ぬこと透きとほる薄氷川俣このみ「秋麗」2026年1月号、第15回秋麗賞受賞作品より。季語は「薄氷」(うすごおり)で「春」。ひそやかな詩情…というのだろうか。「薄氷」を見つめつつ、過去の思い出をうっすらと思い出しているのだ。美しいこと、苦しかったこと、それらが薄氷の光の中に透けてゆくのだ。おくのほそ道講座(1回のみ)参加者募集しています!横浜市民、神奈川県民以外の方も参加できます!〈日時〉2月11日(水・祝)13:00~14:30〈場
(神奈川県横須賀市)いや~~~、寒い。比較的温暖な横須賀では初の氷点下を観測したらしい。今日は関東全域で積雪があったらしいが、横須賀は写真の通り、積もっていない。が…、やっぱり寒い。しかも小雪が舞っている。しかし、本当に小さい雪で、風にもまれて雪片が舞い上がったり、舞い落ちたりして、桜吹雪のようだ。とりわけ水仙の回りを舞っている小雪は水仙のかけらではなか、と思うほど美しく、日を返す海原を舞う小雪も美しい。こんないい風景は生涯何度も見られるものではない。ところ
(東京都杉並区荻窪JR荻窪駅)(神奈川県横浜市横浜駅)こころから信濃の雪にふられけり小林一茶東京も神奈川も雪…。今日は西荻窪の「松尾芭蕉と俳句の古典」講座。今日は「小林一茶」の話をした。一茶の俳句というと、・わかりやすい・面白い・生活中心・親しみやすいなどが思い浮かぶが、今日は一茶俳句や文章の持つ「近代性」、・強い自我意識・リアリズムなどを強調して話した。講義の後は荻窪駅の駅ビルに行き、四人でランチ。解散後、横須賀へ帰っ
(東京都杉並区大宮八幡)広き野に靈(たま)の清水のあるところ阿波野青畝今日は杉並区新高円寺の「おくのほそ道」講座。加賀(石川県)の「山中温泉」「別離」「全昌寺」の話をした。(源義家鞍掛の松)(大宮八幡)講義が終わると散歩がてら「大宮八幡」まで歩いて行く。門前には「源義家鞍掛の松」があった。義家は「八幡太郎」とも言われた源氏の頭領。源氏には頼朝、義経、実朝など、さまざまな英雄がいるが、すべての源氏が尊敬するのが、この義家だ。父・源頼義と
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(東京都中央区)「河村瑞賢屋敷跡」を見学した後、隅田川に出る。高速道路の向こうに清洲橋があり、その向こうに芭蕉庵がある。ちょうどこの辺りに「渡し」があったそうで、芭蕉が瑞賢のところを訪ねるときはきっとこの渡しを渡って訪ねて行ったのだろう。(日本銀行創業の地)(水天宮)このあたりは江戸時代や明治時代の匂いが濃厚に残っている。何気ないところに偉大な遺跡がある。隅田川のすぐ横に「日本銀行創業の地」記念碑があった。「水天宮」がすっかりビルの中に入ってしまっていることには驚いた。
(東京都中央区茅場町)横須賀から西荻窪へ戻る途中、「河村瑞賢屋敷跡」に行ってみようと中央区日本橋へ出かける。河村瑞賢(かわむら・ずいけん)についてはこれまで何度か書いている。『「おくのほそ道」をいろいろ考える(番外編)~『江戸商人のおくのほそ道』』句会の方に薦められ、『江戸商人のおくのほそ道芭蕉の生き方』(江森正敏・著エモリ出版)を今、読んでいる。私は最近、「おくのほそ道」を別の角度で考えることに楽…ameblo.jp『「おくのほそ道」をいろいろ考える~北前船、酒田のこと
「奥の細道むすびの地記念館」の近くにある「全昌寺(曹洞宗」です。小原鉄心ほか、多くの大垣藩士が眠っています。戸田氏鉄夫人の大誓院が、叔父にあたる戸田甚五郎の冥福を祈るべく、慶長年間に尼崎にて創建しました。大垣の全昌寺は、氏鉄の大垣移封に伴い寛永12年(1635)に、尼崎全昌寺の別院として創建されました。往時には、東海の禅林として、多くの修行僧を擁する「美濃の赤門寺」として名を馳せました。鉄心と親交が有った、全昌寺第25世の鴻雪爪も、此処に眠ってい
(神奈川県横須賀市)今日は風がとても強く、歩いているととても寒い。コンビニまで散歩をしたのだが、風が止むとわりとぽかぽかとしてあたたかくも感じた。なんだか、今日は海の水がとてもきれい。沖縄に負けないほど(はやや大げさだが…)の青さだった。さて、以前、藤堂良忠(とうどう・よしただ)について書いた。『藤堂良忠〈大坂や〉の句』(神奈川県横須賀市鴨居港)大坂や見ぬよの夏の五十年(おおさかやみぬよのなつのごじゅうねん)蝉吟(せんぎん)「蝉吟」とは藤堂良忠(と
元禄2年(1689)3月、芭蕉は「奥の細道の旅」に出、奥州から新潟路、北陸路を経て、8月に敦賀から美濃入り。8月21日に大垣入りしました。大垣では、北村季吟の同門だった船問屋の谷木因を始め、多くの俳人と交流。9月6日に、大勢の人々の見送りを受け、「伊勢の遷宮おがまんと、また舟に乗りて」此処から出発しました。「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と詠み、此処、水門川から揖斐川を経て、長島へと下っていきました。此の地は、大垣城の外堀にあたり、舟運の要衝でも
(神奈川県横須賀市)綾取や十指の記憶きらめける(あやとりやじゅっしのきおくきらめける)津川絵理子句集『はじまりの樹』より。季語は「綾取」で「冬」。作者は「南風」前主宰。昨日は荻窪の句会だったが、「綾取」の句が出て、綾取は冬の季語ですから…。と言ったら、みんなに「えっ?」という顔をされた。たしかに手元の歳時記で「綾取」を調べてみると、確かに載っていない。他の人も調べていたが、歳時記に「綾取」が載っているのはなかったようだ。しかし、この句の季語
芭蕉が初めて大垣を訪ねたのは、貞享元年(1684)に「野ざらし紀行」の旅のときでした。この時以降、芭蕉は大垣を何度も訪問し、俳友とも旧交を温めています。芭蕉にとって、大垣は、安息の地だったのでしょう。芭蕉は、「奥の細道」の旅でも、「むすびの地」に大垣を選びました。大垣は、舟運と陸運が交差する東西交通の要衝で、新しい文化が花開く「水の都」で、芭蕉が伊賀から江戸へ出て間もない頃から、芭蕉に心を寄せる俳人たちの出身地でもありました。国名勝「奥の細道の風景地」に選定