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◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆昨年は練香作りを体験しましたが、今年は「匂い袋」から始めました。◆奈良時代は火を使わない香練香は火を使って薫かなければなりませんが、匂い袋は熱を加えず香るものです。奈良時代に使用されたのはこちらのタイプ。ですので……やはりどちらも体験しないとなりませぬ!練香の主体となるのは「沈香」などでしたが、匂い袋では「白檀」が基調となります。熱を加えずとも香るからです。(ちなみに有名な「伽羅」は沈香の最高級品です)◆なん
日本の歴史の中で記録上残る最古の対外戦争。本当は神功皇后の朝鮮征伐とかあるんだけどその物証が乏しいので。なぜ「白村江の戦い」が起こり、なにが終わった後に起きたのかまとめます。ちなみにはくすきのえと読みますが、小学生には無理なのではくそんこうという教科書表記も増えました。ならサカノウエノタムラマロとかなおさんかい!朝鮮半島国家との関係もともと日本は神功皇后(応神天皇の母)の事績からわかるとおり、朝鮮半島を通して先進国中国から技術輸入しないといけない時代でした。簡単に
「与楽の飯」のレビュー‥‥‥例によって、一回では書き切れませんでした(一応、1000~2099字くらいを目安に設定しています)そんな訳で今回も"はみ出し記事”を書きます。※※とにかく、私に刺さったのは、聖武天皇が結構ボロクソに書かれている点です私が数十年前に授業で習った時の聖武天皇は―仏教を厚く信仰し、全国に国分寺や国分尼寺を建てる。そして、その総本山(総国分寺)として、東大寺とその本尊たる盧舎那仏(大仏)を建立―。なんかとっても徳のあ
ちょいと視点を変えた大仏建立の物語でございます。「与楽の飯―東大寺造仏所炊屋私記」澤田瞳子著光文社文庫(375頁)(副題は"とうだいじ・ぞうぶつしょ・かしきや・しき”です)いやぁ、面白かった!今回はもう、ひたすら賛辞の言葉を並べ立てて1500字のレビューを終わりたいくらいです。‥‥‥ただ、私はそこまでの語彙を持ち合わせておりませんので、何とか切り貼りしてご紹介したいと思います※とにかく、奈良時代に関する知識が乏しいんですよね、私―。
別にいらん、という情報かもしれんが、私は今年、自分としては珍しくかなりの漫画を読んだので、(しつこい?)その中からおもしろかった漫画3つをあげたいと思う。(だから、別にいらん?)3位BANANAFISH古い漫画である。私が学生時代に人気だったのを記憶しているが、そのころは読んだことがなかった。これがべらぼうにおもしろかった。ハリウッド映画にもなりそうな内容。傷を負った少年の刹那に突っ走っていく姿。他の生き方もあるだろうに、運命に流されてしまう悲しさ。救
年末の掃除や片付けの合間のお茶にちょっとずつ頂いてます。クッキー缶って何故でしょうか、気持ちが上がります🎵選ぶワクワクでしょうか〜♪缶の蓋に宝相華(奈良時代文様)と記してあります。宝相華は、華麗な花を組み合わせた空想上の花の文様です。もちろん着物や帯にも素敵なものがたくさん〜〜♪多分もともと宝相華などの類が好みだったのでしょうが、年齢を重ね今はいっそう関心がわいています。身に付けても、若い頃より馴染んでいる感じもあります。クッキー缶で
ずーっと読んでみたかったのだがなぜか延期していた「天上の虹」を今年ようやく読んだ。言わずと知れた里中満智子さんの漫画、持統天皇を描いたものだ。つづいて、「長屋王残照記」「女帝の手記」も読んでみたが、奈良時代がよくわかっておもしろかった。というよりも!天皇ってこんな風に決まっていたのか!とか、藤原不比等、はじめ藤原家最悪!!とかいろいろ思うことあり。。。藤原家。。。歴史ではどちらかといえば平安時代の道長、が有名だが、やはり一番は不比等、鎌足、にな
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第24回藤原氏藤原氏を名乗る人の家系図は、天孫降臨に従ったとされる天児屋命が最初にあって、そこから飛んで大織冠藤原鎌足がきて、淡海公藤原不比等がきて、そこで分かれる、北家、南家、式家、京家を各自の先祖とするかたちらなります。天児屋命はあとで創作されてものに決まっていますから、鎌足以前はよく分からない家なのです。中臣鎌足が56年の人生のうちで藤原鎌足であったのは1日だけです。死亡する前日に藤原姓と大織冠と内大臣を天智天皇より授けられま
2章に入ります。流れが分かると歴史ってとても面白いですよね。法隆寺と聖徳太子この時代に、日本は独立した国として歩み始めます。第33代推古天皇を摂政(君主に代わって政務を行う)として補佐したのが聖徳太子です。聖徳太子は、隋と良好な関係を保つため、遣隋使を送ります。その時の国書に「日いづる処の天子、署を日没する処の天子に致す、恙無きや」と記し送っています。これに、隋の皇帝は激怒します。「天子」は中国の皇帝を意味する言葉で、世界で唯一の存在だからです。聖徳
―24時間働けますか?―これは中国人から聞いた話ですが「996(チュウ・チュウ・リュー)」という言葉がありそうです。この意味は、朝9時から夜9時まで、6日間働いて、残り1日(日曜)はヘトヘトになって寝ているとか。すごいなぁ~、と思っている日本人のみなさん。千数百年前の奈良時代、造東大寺司の役人で「安都雄足」という役人がいます。運よく過去の記録が残っていて、彼の勤務日数を見ると「上日30日、夕20日」!つまり「1カ月無休で、夜勤が20日」というすご
8月に記事をアップした奈良国立博物館での『特別展聖地南山城』の記事以後連投している南山城=京都府南部のお寺紹介、今回紹介するのは11月3日に参拝した海住山寺です。南山城三塔と呼ばれる五重塔の初層開扉の特別公開が行われているタイミングでこの秋に参拝をしました。海住山寺は木津川市加茂町例幣、10月19日の記事で紹介しました恭仁宮跡のちょうど真北1.3kmの三上山の山中に門を構える山寺です。地元では恭仁宮とセットの観光スポットとして紹介されることが多いようようです。創建の由緒は確かな記録があるわ
「数字」に表れる生活、日本の賃金を歴史から見る日本の賃労働者の最古の記録は奈良時代に「数字」に表れる生活、日本の賃金を歴史から見る近年、日本国内の賃金水準が伸び悩んでいる。だが歴史をひもといてみると、賃金が物価水準の上昇を超えて安定的に上がり続けるというのはそう頻繁にあることでもない。むしろ、賃金が上昇し続けた第2次大戦後の高…toyokeizai.net
今日は、奈良時代を体験!!よみがえった古代のゲーム「かりうち」対戦試合でした!!かりうちとは、奈良時代のすごろくです。親子連れなど、約50名が参加!!16組に分かれてのトーナメント戦でした。まずは、いざない館多目的室に集合。かりうちのルール説明等がありました。そして会場のいざない館前の芝生へ移動。陽射しがあると暑いくらいの陽気でした☀芝生の上が気持ち良かったと思います各チームごと白熱した試合が行なわれました。何と決勝戦まで残ったのは、小学生(ジュニア)の二組。決勝戦で
皆様こんにちは🌹先日多賀城政庁跡にお散歩に行って参りました🧍只今、多賀城政庁跡の復元工事をしております💐多賀城政庁跡の南門です✨こうして段々出来上がってきますと奈良平安時代に東北の政事を行ってこられた、そして賑やかに栄えていた頃に心を馳せることができます南門をくぐると(まだ工事中でくぐれませんが)重要文化財の「多賀城碑」があります太陽の光で見えにくいですねそして交通量が結構多い細い道路をわたりますと政庁跡に続きますその後ちょっとした林に入り歩き出しますと「サワサワサワ」と葉
基本情報場所:群馬県太田市天良町7-1電話:開館:休館:無休料金:無料特記:国指定史跡上野国新田郡庁跡(こうずけのくににったぐんちょうあと)所在地太田市天良町7-1ほか指定日平成20年(2008)7月28日上野国新田郡庁跡は、古代新田郡における郡衙(郡家)の中枢施設です。この施設は、以前から礎石建物跡や炭化米の出土が知られていた天良七堂遺跡内に存在します。上野国内における郡衙の具体的な施設を記した『上野国交替実録帳』によれば、新田郡庁は東西南北に「長
こちらの記事は日本史歴代天皇【第50代:桓武天皇】のINDEX記事です奈良・平安時代の天皇※記事の日時=更新日時です※写真や動画の流用は固くお断りします概要在位期間781年4月3日(44歳)〜806年4月9日(69歳)誕生737年(天平9年)崩御806年4月9日(延暦25年3月17日)系譜父:第49代光仁天皇子:第51代平城天皇『┠第51代┠平城天皇※平安時代806〜809年』こちらの記事は日本史歴代天皇【第51代:平城天皇】のINDEX記事です平安時代
今年も正倉院展に行ってきました。今年は特に良かった。むしろ、当たり年なんじゃないか。と思う程にどタイプでしたみなさまこんばんは三重県津市でエステティックサロンLotusLandを経営している香月ですコロナ禍では入場の時間までが指定と変わり、むしろ行きやすくはなったものの、最終日って事もあり激混み正倉院のファンが多い事にまず嬉しくなると共に、双眼鏡を忘れた事を痛く悔やみながら足を進める。もうね、のっけから素晴らしいまずパンフレットのパッケージにもなっていた琵琶。
長町駅から歩いて行ける郡山遺跡へ小雨の中、巡ってみました多賀城市に多賀城が出来る前、陸奥国の役所は此処にあったんだ…広い広い広い!!全部は見れず…またお天気の良い日に歩いてみたいと思います。参照リンク郡山遺跡(仙台郡山官衙遺跡群郡山官衙遺跡郡山廃寺跡)|仙台市(city.sendai.jp)◆11月の読書会も代表で詩人・KSさんの詩集についての話し合いになります。引き続きタゴールは、また次回に…(事務局・千)
基本情報場所:栃木県小山市乙女1-26電話:0285-22-9826開館:休館:無休料金:無料特記:小山市立博物館に無料駐車場有乙女不動原瓦窯跡(おとめふどうはらかわらかまあと)指定年月日昭53・5・11所在地小山市乙女管理者小山市制作時期奈良時代アクセス方法JR間々田駅より徒歩8分公開状況公開乙女不動原瓦窯跡は、奈良時代に下野薬師寺をはじめとする重要な寺院に用いる瓦を製造した場所です。発掘調査の結果、4基の窯跡
こんにちは!今日は立冬なのにすごく暑い大阪ですベランダにタイワンツバメシジミが遊びにきました黒くて大きな目がカワイイ羽の綺麗なブルーパープルの外側が陽射しがきつくて上手く撮れなかったのが残念よろしければ2021年の写真をご覧ください↓『やっぱりタイワンツバメシジミ?』こんにちは!先程まで良いお天気だったのに急に曇ってきましたなんと、今日もツバメシジミさんがベランダに遊びに来てくれました!昨日より上手く撮影でき…ameblo.jpさて、三連休のつづき
基本情報場所:栃木県下野市薬師寺1636電話:開館:休館:無休料金:無料特記:下野薬師寺歴史館に無料駐車場有下野薬師寺跡下野薬師寺は、7世紀末、この地方をおさめていた豪族、下毛野朝臣古麻呂(しもつけぬのあそんこまろ)によって創建されたと考えられています。下毛野朝臣古麻呂は、天武天皇・持統天皇らに仕え、また藤原不比等からの信任も厚く、大宝律令制定の重要なメンバーでした。古麻呂の、そのような中央政権とのつながりの深さは、下野薬師寺の重要度を高めることとなります。
古代もちゃんと陸地でした。「篠原町仲村遺跡」。かつて“篠原城”があった地域。(静岡県浜松市中央区(旧西区)篠原町1955)駐車場なし。トイレ・自販機なし。古くから人が居た場所。奈良時代から江戸時代にかけての須恵器・磁器・遺構などが見つかっている地域。そのうえ平成・令和時代の建築物が現存しています。昭和人も住んでいます。↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓https://ameblo.jp/clubecoast/entry-1239756051
いよいよ奈良の風物詩、正倉院展の季節がまた訪れました。2009年から小生には14年連続となった正倉院展の鑑賞。10年を超えたころから「前にも見たことがある」という宝物が目に付くようになり、「連続鑑賞もそろそろ潮時かな」と思いながらも、今年もまた足を運んでしまいました。しかし、今年の正倉院展は今までとはひと味違う印象の残ったかも知れません。小生が正倉院展で奈良国立博物館に行ったのは10月28日の朝、初日の早い時間でした。そのこともあって正倉院展が始まったことを伝えるために、館外での
日本の文化って改めてすごいわ秋晴れっていうよりはまた夏に逆戻りしたかのようないいお天気それでも季節は進んでて桜の木の紅葉🍁この子達ものんびり日光浴していて🦌近寄ってきてくれるけどえさを持ってないとツーンっていっちゃう池と五重塔とのコントラストが美しいココは奈良すんごく楽しみにした正倉院展歴史の教科書にもでてくる正倉院は奈良時代の聖武天皇と皇后光明子の宝物がおさめられたところでごく限られた期間でその宝物
今日は、通院の後で近所をぶらり。太宰府の筑前国分寺跡を見てきました。晩ごはんは、無性にそばが食べたくて、ウエストに行きました。
歴史6・奈良時代(4)【1時間500円の学習塾イマジン】歴史の奈良時代についての解説動画の4つ目です。奈良時代の年号の語呂合わせなどについて解説しています。AIアプリStudymonsterとの連携で学習効果を発揮します。動画の最後にLINE、AIアプリ、塾HPのQRコードが出るので入塾やアプリ利用についてはそちらからご連絡くだ...youtu.be【1時間500円の学習塾イマジン】歴史の奈良時代についての解説動画の4つ目です。奈良時代の年号の語呂合わせなどについて解説して
平城京天平祭で、もうひとつ体験をしてきました。奈良時代の遊び体験で、奈良時代のすごろく、「かりうち」です。こちらも、発掘調査で見つかったもの簡単そうで、とっても頭を使う、奥がすご~く深いゲームです!!最後まで勝負が読めなくて、勝つか負けるか、ハラハラドキドキですでも、ルールはシンプルで、子供さんから、大人まで楽しめる、すごろくです!!こんなすごろくもありますこちらも、明日10月22日(日)も、平城京天平祭で楽しめます明日はお天気は晴れマーク☀平城宮跡で、
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆前回は子供時代の思い出の絵本『アイリスの墓標』のおはなしでした。この絵本、今後の自分へ、哀調を帯びた歴史物語への志向もさることながら、ビジュアルにも強烈なこだわりを与えていたようです。『アイリスの墓標』印刷・発行:1978年6月◎文・あかね純◎絵・まつざきあけみ◎発行所・株式会社サンリオ◎定価:880円なぜかギリシャのイメージに<果実の冠>が強烈にあったのですが、この絵本の表紙が起源だったみたい。こだわったのは、果実の冠
9月の笠置町の笠置寺の記事に続いて、南山城=京都府南部の紹介ですが、今回紹介するのはお寺というより宮跡の恭仁宮跡を中心に紹介していきます。お寺参りというより古代史について語るのがテーマなので、笠置寺の記事というより、5月29日の『難波宮跡─令和5年5月16・18・27日─』と同じくくりとして書いています。天武天皇の孫である文武天皇を父、藤原不比等の娘・宮子を母として生まれた聖武天皇は、奈良平城京にて即位しその後の藤原氏の時代のさきがけを築きました。聖武天皇は天平12(740)年に突然平城
9月の終わり頃、地元、枚方市にある特別史跡百済寺跡の築地塀復元工事の見学会に行ってきましたー!特別史跡、、国宝級の遺跡ってことなのよ全国的には全然知られてないけど。市民にもそんな認知度なさそうやし(泣)昔々、朝鮮半島で百済が滅亡したときのこと、百済の王族が日本へ渡来してきました。その一族は今の上町台地あたりに住んでいたのですが、奈良時代の聖武天皇の頃、一族の末裔の敬福さんが大仏建立のために使う金を東北地方で発見し、その功績が認められて河内守に昇進。その後、わが町枚方市のあたりに一