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mixiをやっていた頃からの悩みの種だったのですが、6月は奈良の寺社での行事や特別公開が少ないのです。「6月で行事か特別公開は何か無いかな」と検索してみてみたところ、目にとまったのが『秋篠寺の秘仏・大元帥明王像の特別公開』でした。奈良寺社ガイド@Nara_jisya【秘仏公開秋篠寺】苔で有名な奈良市の#秋篠寺では、毎年6月6日に秘仏・大元帥明王像(重文)が特別公開されます。6本の腕を持つ2mを超える像で、髪を逆立てだ忿怒の表情に、筋骨隆々の体躯、蛇を体に巻きつけた姿は迫力が
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆澤田瞳子さんの小説、ようやく読みました!中公新書『謎の平安前期』のきっかけ本と聞き興味を持ちまして。今回読みました『夢も定かに』は、奈良時代女官(采女)3人娘の仕事と恋のおはなし。歴史小説ですが現代が舞台と言っても違和感のないライトな語り口でした。文庫版は表紙のイラストも可愛く、ラノベのレーベルに入っていても通用しそう。(現代よりは状況はシビアであるものの……笑)◆小説のなかの史実~女官のこと遠藤慶太先生の巻末解説に
先日ネットニュースを見ていたら、読売新聞オンラインに『西隆寺塔跡消滅の危機』という、奈良ファンにとってはかなりショッキングなタイトルの記事が出ていて、ちょっとびっくりしてしまいました。西隆寺・塔跡消滅の危機【読売新聞】奈良時代に称徳天皇が創建したとされる尼寺・西隆(さいりゅう)寺の塔跡(奈良市)が、近鉄大和西大寺駅前の再開発に伴い、消滅の危機にさらされている。塔跡は半世紀前の発掘調査で見つかり、遺構は保存されてきたが、新たwww.yomiuri.co.jp大和西大寺
すっかり五劫思惟阿弥陀さまの虜になっている今日この頃です十輪院さんへは予め拝観希望の事前連絡をさせて頂きました。月曜日は閉門日という事と、檀家さんの法要があれば、拝観出来ない事もあるとの事です。こちらの寺院も情緒ある小道に山門があります。毎朝8時、作務、朝のお勤めをご一緒にどうぞと立札があります近かったら参加させて頂きたいのになぁ・・・山門を超えると素敵なお庭がすぐ目に入ります。視線を感じると思ったら河童!!まずはお清めします。こちらが本堂(国
土浦市の東城寺からせっかくなので清滝寺へ向かいます近いのよ着いたよ安産不動尊により山からの水かな清めて見て上ります登場したぁ~楼門カッコよ迫力だぁ良いですね今回は向上庵東城寺清滝寺です日枝神社は行かなかったの
日本最古の歴史書と言われている古事記。以前、この古事記をインドネシア語で、解読を試みている研究者に会ったことがあります。奈良時代に書かれた古事記ですが、なぜかインドネシア語で読むことができるそうです。そして古事記をインドネシア語で解読すると、今までとは違う古代の歴史が記されていると教えてくれました。ただ古事記をつくった太安万侶(おおのやすまろ)がわざと難しく書いたようで、古事記をインドネシア語に翻訳した文書は、中身がバラバラになった内容となっているとか?!その方いわく、
前回の続きです。縄文を調べていくと、ある時期に突然、各地の縄文王国が消滅したのがわかります。それは奈良時代・・。西暦645年の「大化の改新」以降です。まず中大兄皇子と藤原鎌足は、大王家をしのぐほどの権勢を誇っていた蘇我家を倒し、その後、大王家を中心とする国家づくりの着手します。彼らが目指したのは、唐(中国)のような強力な軍事力を持つ中央集権国家。そのためには、各地の縄文王国を滅ぼし、日本をヤマト王権のもとに一つにすることが必須でした。しかし、すでに5世紀には神代か
縄文を調べていくと、ある時代をきっかけに、日本各地の縄文王国が姿を消していったのがわかります。それは奈良時代・・。奈良時代に行われた「大化の改新」以降、日本各地にあった縄文王国が次々と姿を消していきます。「大化の改新」とは、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足らよって行われた、大きな政治改革。彼らは、唐(中国)のような強大な国づくりを目指し、「律令制度」を日本に導入する改革を推し進めていきます。それはまず、大王家をしのぐほど、栄華を誇っていた蘇我氏を滅ぼすことから始まりました。
忙しくてなかなか更新できず申し訳ないです。ここのところ空き時間がないため、上代日本語で文章を書く練習はお休みさせていただきます。医療従事者ですので、このご時世で時間が取れない事情を察していただければ幸いです。私もいつどうなるかわかりませんので、とりあえず今は悔いのないように、ステイホームでできる趣味に全力を尽くしていきたいと思っています。前置きが長くなってしまいましたが、本編に入りたいと思います。本日は上代日本語で文章を書く練習というよりは、自分のおさらい用も兼ねて、上代とそれ
おはようございます。仏画Dayです。興福寺・阿修羅像を描く天平の造形美として最も美しい仏像❣画像はお借りしています八部衆(はちぶしゅう)古代インドの異形の神々。獣神や戦闘神、悪魔だったものが、釈迦に教化されて仏教の守護神となりました。半鳥歯半人や角や三つ目を持ちながらもあどけない表情の少年たち。幼いながらも憂いと、ひたむきさを込めた澄んだ眼差しに、仏に帰依し、仏教を守護しようとする気高い志を感じます。こ
◼️浴衣(着物)の右前、左前とは?浴衣を着た時に、あれ?どっちだっけ?と一瞬悩んだりそれ「左前だよ!」と指摘され、恥ずかしい思いをしたことはないでしょうか?特に、温泉旅館で若い女性や外国人の方々が「左前」で浴衣を着ている場面にお見かけする時があります。というのも女性の場合、普段着ている洋服と同じ感覚で浴衣を着ると自然と「左前」になってしまうからです。浴衣に限らず「和服」はすべて「右前」。男女関係なく「右前」です。◼️自分から見て自分の体に密着しているのが「右前」着
平安時代を漁ろうとする時の最大の悩み。それは「藤原氏」なのではなかろうか。来年の大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部は、父が藤原為時であることからも分かるように、藤原氏の出自(勧修寺流)夫となった藤原宣孝も、藤原氏(勧修寺流)。紫式部が仕える彰子と父の道長も藤原氏。「四納言」と呼ばれる道長の腹心四天王のうち3人は藤原氏。(藤原公任・藤原斉信・源俊賢・藤原行成)どこからどこまでも藤原氏(^^;2012年大河ドラマ『平清盛』が「平氏と源氏と藤原氏ばっかりで
奈良時代の中心地奈良時代、聖武天皇が諸国に命じて国分寺、国分尼寺を建立させました。その中で、ここに建てられたのが武蔵国の国分寺でした。奈良時代はこの付近が武蔵国の中心地だったわけですそれぞれの建物の遺跡が発掘されています。東大寺のような伽藍の配置で、七重塔がそびえていました。西の方には武蔵国分尼寺がありました。鎌倉街道を歩いていきます。夜はこわくて通りたくない道でした。(撮影:2024.11.5)
日本のログハウス業界では、正倉院が日本最古のログハウスであるというのが、定説になっている。しかし、2月にテレビに出るにあたって、制作会社から「どうも日本最古ではなさそうだ」という連絡があり、調査をしてみた。まずは、正倉院の概要から書いていこう。高床式校倉構法で造られた正倉院は、東北に長く建っている。間口33m14㎝、奥行き9m39㎝、高さ13m72㎝という巨大な建物である。床下は自然石の上に立つ高さ約2.5mの40本の束柱が建物を支えている。束柱も太さ約64㎝という巨大な材
前回の古代日本語の数え方|TOSHI'sdiary(ameblo.jp)の続きとなります。上代日本語における数詞の表現方法を書いたのですが、今回は単位とそれに合わせた数詞の読みについて書いていきましょう。漢数字+単位、ルビ(ひらがな)、音の再現の順で書きますね。申し訳ないですが、多いので出典を探る作業は省略させてくださいませ。それと音の再現はあくまで推定ですので、実際に奈良時代の発音がこうだったかはわかりません。【個=つ】こちらは現代でも全然使われているのですが、当時
奈良時代・平城京に、藤原南家に生まれた藤原仲麻呂の邸宅、田村第があったとされるあたりに、その解説版があると知り、見に行ってきました。藤原仲麻呂邸(田村第)推定地は、今の住所表記では、奈良市四条大路一丁目周辺。平城京では、左京四条二坊九坪、になります。解説版の文字情報は、この記事の最後のほうに。三笠中学校のそばにある公園の一角に設置されていました。立地は平城宮(跡)に近い、当時で言えば一等地。時代は重なりませんが、平城宮に隣接していた祖父の藤原不比等邸(のちの法華寺境内)や長屋王邸(
NHK大河ドラマで、いまんとこ扱った時代が一番古いのは「風と雲と虹と」の平安時代でしょうか。奈良時代とか飛鳥時代とかは、大河になったことはないですよね。とはいえ、10年以上まえ、NHK大阪が、1.5時間×2のドラマで、「聖徳太子」「大化改新」「大仏開眼」と特集ドラマをやったことがあります。かなりいいドラマでした。ちなみに主役はそれぞれ本木雅弘(厩戸)、岡田准一(鎌足)、吉岡秀隆(吉備真備)で、ちゃんとしたキャスティングで(大河ドラマ並みの豪華な配役です)、制作に相当金もかけてました(ちな