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行基徒然なる思いに感謝いたします。日頃から精進し、己の内を統帥(とうすい)し、観音行とは何なのかを世に知らしめしてくださり、感謝申し上げます。人は、仏となってこの世を去りますが、私とて皆と同様、仏として今もなお皆の世にいついつでも関わりを持つことができよう。だが、しかし、この世を動かしていくのは、我ら仏ではなく、あなた方お一人お一人の生動により、何ごとにも、型が作られていくと言えよう。我らとて、十二分にそれを行ってきた。その時代時代に見あったものを、形成していくま
このあとフローチャートで中高時代の歴史の教科書の飛鳥時代~奈良時代でお馴染みのように出てくる人物名を相関図のように視覚化します。ただし一部は見かけないお名前も入ってると思います。僕はAIアシスタントさんにお願いしてつくって頂いてるので、いつも見ているのですが、パズルのピースを組み立てるときのような頭の中がこんがらがった状態に陥ります。人物は古代天皇や親族と古代政権での貴人であり、重要人物ですが、高校の頃読んでいた横溝正史ミステリーの世界に入り込んだ気分にな
切子ガラス碗ササン朝ペルシア6–7世紀頃(近世日本出土の可能性がある)現代漆補修この碗を見ていると、ただ古いガラス器だというだけでは済まされぬものがある。ものには、それぞれ生まれた土地の光があり、また長く置かれた場所の土の気配が染みこむものだが、本碗はまさに、その両方を宿しているように思われる。西アジアの乾いた文明の精緻と、日本列島の湿った土中でくぐった長い時間とが、一つの器の上で不思議に重なっている。本碗は、淡黄緑色透明のガラスを素材とする切子装飾碗で、高さ7.8cm、
倉敷市街地の北郊にある菅生〈すごう〉小学校の裏山は旧石器が散布する場所として知られていましたが、ここに山陽自動車道の倉敷インターチェンジが計画されたことから、昭和60~62(1985~87)年に発掘調査を行いました。その結果、旧石器~鎌倉時代の人々の営みのあとが見つかりましたが、特に川や谷からまとまって出土した5世紀の朝鮮半島系土器や、山裾で銅印や陶硯〈とうけん〉と一緒に見つかった8~9世紀の建物群は注目を集めました。かつては「阿智潟」と呼ばれる海が間近に迫り、備中国府が置かれた総社平野へ通じ
おはようございます(˶˙ᵕ˙˶)☀️今回から新シリーズ「奈良県の道の駅」を始めたいと思います。まずはいつものように、プロローグとして奈良県についてです。奈良県は紀伊半島内陸部にあり、令制国の大和国の領域を占め、北西部に平野部や盆地、それ以外は険峻な山間部という、人口の偏りが大きいという特徴があります。奈良県の面積は3690.94k㎡で、全国で8番目に狭い総人口は1,269,743人(2026年3月)、人口密度344人/k㎡。総人口の9割以上が北西部の奈良盆地に集中し、県
「化粧の歴史」パート1日本の化粧は中国文化の影響を受けて「赤く塗る化粧」の時代から、その後「白く塗る化粧」の時代がありました。そして第二次世界大戦後に、欧米の化粧となり現在の化粧へ変化しました。さらにアイシャドーやマニキュアの化粧も一般化されるようになったのです。化粧の原点が赤の彩色と考えられているのは、埴輪(はにわ)の赤土や天然からの朱色の色使いでした。赤は太陽の色・火の色・血の色であること。
平城宮跡で復原工事が行われていた大極門(南門)に隣接する「東楼(ひがしろう)」が完成した。奈良時代前半、政治の中枢だった第一次大極殿院での復原は2010年の大極殿、2022年の大極門に次ぐ。約1300年前の往時の姿にまた一歩近づいた。東楼は高さ18.6m(基壇を含む)の寄棟造り2階建て(延べ床面積526㎡)。外周柱には直径約68㎝の柱を16本使用、瓦の枚数は約3万6000枚に及ぶ。南側に木造平屋建ての築地回廊も復原された。東楼の規模は入母屋造りの大極門(上の写真中央、高さ20.0m)に
お天気もよく、かなり気温も上がった京都です。ツツジも咲き始めています。奈良時代の世界を第3回目となった、「色彩と絵画と歴史、日本編」講座、今回は、奈良時代を中心にお話しました。とても基本的なことですが、歴史的に時代を表すときは、奈良時代、平安時代、などと言いますが、美術用語(文化的に)では、白鳳文化、天平文化、などと表現します。ということで、今回は白鳳文化と天平文化を。先に、社会の歴史の流れについて。ここでは、奈良時代ってどのよ
こんばんは⭐️今日は「色彩と絵画と歴史、日本編」講座を受講しました。飛鳥時代から奈良時代へ。仏像の作り方や特徴の違い。奈良時代は女性天皇が多かったこと。とても興味深い話ばかりでした😊奈良といえば大仏。昨年の春に奈良へ行きました😃今日の講座を受けて改めて奈良へ行きたいと思いました。大仏殿は世界最大級の木造建築とのこと。近々、奈良に行こうと思います!法隆寺の特別拝観があります。https://inori.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/?q=%
■【日本庭園を知って楽しむ】2庭園の歴史4奈良時代の庭園若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ!ひとり旅】をしてきました。旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見する
またまた雑銭が神がかっています。例の業者雑銭を再び購入し、分類していましたが、もう驚きません。だってここ半年以内で雑銭から皇朝銭がこんにちは😃してくるのこれで4回目なんですし。サイズ25.1mm重さ3.25g寳上にひび割れがあるのが残念ですが、この仕上げ、雰囲気…これは本物で間違いないでしょうね。…ところで本当に古寛永の運が皇朝銭に吸われてる気がしてならないんですが、どうしましょう()
さて♡お香作り教室ではいよいよ、【練香】(ねりこう)の授業が始まりました✨以前、授業で先生が作って魅せてくれたあと、自宅に帰って見様見真似で作ってみたら…蜜を入れる配分量の感覚が解らずにベチャベチャに…( ̄▽ ̄;)『マヤ暦新年❤️お正月の様な5日間✨』マヤ暦の新年がスタートして早5日目(12月10日〜)お正月が始まったかの様に、この日から毎日、新たな“事始め”が起きているから偶然の流れは素晴らしい…というこ…ameblo.jp更に、そのあとカチカチに糖化してしまった
久しぶりの『天皇陵巡り』徳次郎氏から『え、まだあの企画、やってたの』って言われたけど、まだまだ続くよぉ〜第49代光仁天皇田原東陵即位西暦770年退位西暦781年皇位年数11年第43代・元明天皇から続いた『奈良時代』最後の天皇が、光仁天皇。次代の桓武天皇が京に遷都したからな御陵印陵墓参拝は2022年10月に済ませてたけど、当時はまだ御陵印を頂けてなかったんで、紹介が今になった所在地東大寺の東、山間の田園地帯にポツンとあるんで、見過
今回のドライブのメイン、羽茂滝平にある五所神社神社手前の川こういうの好きです江戸期義民の碑どこにでもこういう英雄は居たようですやってきました五所神社開基は8世紀、日本は奈良に都が置かれた時代です日本書紀が編纂された頃を想像してもらえれば。江戸期に川の氾濫で社殿が流されますが、丘の上に再建されたそう金属製の橋を渡り、いざ五所神社へこ
深い緑の静けさの中に差し込む一筋の光のように、叡智は未来を静かに照らしていくAIパートナーと記事構成を打合せ、この記事を試行的にUPすることになりました。タイトル名は僕オリジナルですが、同パートナーの賛同を得て決定。タイトル名に合わせ、三つのデザインの提案を頂きましたが、デザインはFWのブログ従来からのデザインと決めているので、文でイメージを表すとして、冒頭2行の文を入れています。(文はAIパートナーの提案内容で決定)琵琶の写真は僕の意
先日訪れた、岡山総社にあるはるの吉備路は遠くから見る五重塔が素敵でした~駐車場から横断歩道を通して見える五重塔、現代と古代が交わる、不思議な光景です奈良時代を代表する建築様式の五重塔が見えるのどかな田園風景、観光客のグループが楽しそう山門と鐘楼のある建物も吉備路の良き風景ですすぐ近くから見た五重塔の立派さ、江戸時代後期の再建ですがやっぱり好きになります~境内には客殿や本堂、鐘楼などがあります左に本堂、正面に太子堂が見えます山門の右手にあるのが鐘楼
東大寺の喧騒とは対照的に人気のない佐保山南陵と東陵。場所は東大寺の北西にあたり大仏殿から直線距離で400mくらいです。画像は8年前の訪問時に撮影しました。とりあえずは聖武天皇と光明皇后の陵墓だと明治の時代に宮内庁が比定しています。しかしながら異論があり奈良時代を代表する天皇でありながら陵墓は明らかになっていないようです。「奈良時代は天智系と天武系の壮絶なバトルが繰り広げられた時代。」とオヤジは考えています。🤔凌ぎ合いの起点は壬申の乱によって天武王朝が始まる
こんばんは‥(^_-)-☆今の奈良は8℃と暖かさを感じる日になりましたね。だけど、昨日より最高気温は少し上がり16℃ほどで暖かくなりましたね。エアコンもいらないかも?・・(^_-)-☆奈良まほろばソムリエ奈良通2級の13回目の問題です。2奈良県の歴史に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。(13)奈良時代に孝謙上皇の寵愛を受けて権力を握ったが、最後には失脚した僧侶は誰か。ア.道鏡イ.行基ウ.玄昉エ.良弁(
ハーブティーは好きなのですが毎日飲んでいると私の場合、少しだけ体が疲れてくるような気がします多分、効果があるということは負担もあるからなのかなぁ(薬は毒でもあり、毒は薬でもあるといいますしね)と、ぼんやり思いながらしばらく飲むことをお休みしますそんな時にも大丈夫なのは日本茶です日本茶はどれだけ毎日飲んでも飽きることもありませんし美味しくいただけますやっぱり古くから長くいただいているので体が慣れているからでしょうかお茶は中国から奈良時代あたりに伝わっ
皇統親政を理想に奈良時代は始まっているが、白村江の戦い(663年)以降大陸・朝鮮半島情勢下、最大の国難情況で日本は唐からの防衛体制を、西日本を中心に城壁を拠点ごとにめぐらし、防人を配しながら、有事に備えながら内政を固めていっていったことに変わりはない。この防人の負担は民には非常に重かったのはもちろん、国家的にも過大な負担であった。当時唐の東北地方には渤海国があり、地方の主導権をめぐって732年には唐と戦闘をおこなっている。日本は渤海と対唐においては利害を共にする。手を結べば
周防国分寺は「鎮護国家、国民景福」の祈りの地…現存する最大規模の国分寺…(仁王門)周防国分寺旧境内…周防国分寺は、741(天平13)年に発せられた聖武天皇の詔によって国ごとに建てられた国分僧寺の寺の一つで、創建年代は不詳ですが、756(天平勝宝8歳)年よりさかのぼるものと推測されます。これまでの調査によると、金堂は創建当初から現在の位置にあると考えられ、塔・南門・中門・回廊などの伽藍が推測されています。創建当時の寺城をほぼ維持していることは、全国の国分寺の中でも希有であ
AIのご協力を得て、奈良時代を中心とする時系列の中で権力が天皇から有力氏族に移行する過程を政変事件との関係でまとめてます。(フォントが小さく、お詫びします)僕の経験から言うと歴史を暗記することはパズルのパーツを頭の中にインプットし、揃えるプロセスです。パズルを完成し、学びを生きた形にすることは、そのパズルから意義を読み解くことです。人の行動には理性による理想と、人であるゆえの欲得感情を動機とする思いやエモーションが混じり合います。そこを理解しながら、実際の事例を通し流れと
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は奈良時代の代表的な文人・淡海三船の系図を見ていきたいと思います。淡海三船は奈良時代の官吏・漢学者で、歴代天皇の漢風諡号や『懐風藻』の撰者と言われています。文化史で必死に暗記しました(´Д`)。それでは、そんな淡海三船の系図を見ていきましょう。淡海三船は葛野王の孫で、池辺王の子です。前述のように、歴代天皇の
【奈良時代(律令国家の完成期)】│├──天皇│││├──太政官(行政の中心)││└──八省(省庁が機能)│││└──神祇官(神事)│├──国司(中央から派遣)├──郡司(地方豪族)└──里長まず、ざっくり奈良時代の体制をみておきます。少し細かく上図をみるとこんな感じでしょうか。(フォント小さいのはご勘弁願います
昨日はとても暖かでしたね。🌸枝垂れ桜の様子が気になりまして夫の報告によると「近所のお寺はまだ全然」なので、検索して市川真間の弘法寺へ行きました🚲初めての場所ですその手前にあった手児奈霊堂手児奈(てこな)は万葉集に歌われた美女で、多くの男性に慕われつつも、誰にも寄り添うことなく真間の入り江に身を投げたと伝えられる伝説のヒロイン*諸説ありますその手児奈を祀ったもので安産の神様とされています弘法寺(ぐほうじ)奈良時代(737)行基菩薩が訪れて、手児奈を哀れに思
☆このブログは記事本文をライブドアブログへ移行しています宮城ひとり旅①のつづきです11:55白石発12:43仙台着▶続きはライブドアブログに掲載しています宮城ひとり旅②奈良時代の城:ぼっち旅~ひとり旅の記録と健康への道~宮城ひとり旅①のつづきです旅のはじまりはこちら11:55白石発12:43仙台着乗り換えて12:45仙台発12:59国府多賀城着駅名の通り多賀城を目指します駅のすぐ前には別の遺跡があります「館前遺跡」というようで多賀城に赴任した国司の館跡と考えられている
朱雀門今月の初めから所用で関西に滞在。用事は2日ほどで終わったのだが、久しぶりの関西なので10日間ほど滞在した。阪神競馬場に行ったり、京セラドームでオリックスのオープン戦を観たりとぶらぶら一人遊びを楽しんでいたのだが、せっかくの関西なので急に「平城京に行こう!」と思い立ち、宿泊先の最寄り駅である阪神甲子園駅から(表現がちょっとややこしいが)近鉄奈良線に乗って約1時間、大和西大寺駅に到着。大和西大寺駅と言えば、その北口付近の路上で2022年に安倍晋三銃撃事件があったことが思い出される
火葬場では、荼毘〈だび〉に付した遺体から拾骨するにあたって「足から頭へ順に骨を拾う、「のどぼとけ」は必ず骨壺に納める」といった説明を受けますが、こうした作法?はいつから始まったのでしょうか。岡山県北部の奥津町(現鏡野町)でダムの建設予定地を調査しているとき、河原石の間に埋もれていた奈良時代(8世紀)のうつわが見つかりました。中には焼けた骨がつまっていることから火葬墓と思われます。灰色をしたこのうつわは、供物を仏前に捧げる鉢の形をしていて、仏教と関わりのある人物を葬ったのかもしれません。火葬
東院南方遺跡(平城第678次調査)2026.2.24背後に見える門と塀が、東院の南端になります。東院南方遺跡があるところは現在、田んぼです。この田んぼであることが、地下の遺物の保存にとってよかったのだそうです。そろそろ農閑期も終わり。発掘調査も終了です。※※※今日のもう1枚オマケ。雅な方々が歩いておられました。よく見ると、一枚目の写真にも写っていました(塀のあたり)。どうやら平安時代からお越しになったようです。前回の「今日の1枚2
不思議な画家龍令です。2月は誕生月なのでご褒美多めです。誕生日2日前に長いお付き合いの友人が予約してくれたフレンチでお祝いしてもらいました。この日は二十歳の頃に祖母が誂えてくれた小紋と帯で。まさか53歳でこの組み合わせを自装できるなんて♬彼女とはなかなか縁が切れなくて(どういう意味)、どうも前世での因縁があるっぽいんですよね。藤原宮跡と宇治に何度も行こうとするのですが、必ずどちらかが体調不良になり、未だに行けてません。奈良時代から平安時代でのご縁のようです。